平成16年度城東ブロック事業 江戸川区が当番で実施
料理教室 開講
鳴子温泉・陸奥渓流下りの旅
江戸川区でバリアフリーマップ誕生
@検証参加者の感想
新穂高・高山朝市の旅 ─江戸川視障協徒歩訓練旅行─
乗鞍・畳平にて
飛騨高山まつりの森にて
乗鞍畳平と飛騨高山 徒歩訓練旅行に参加して
こぶたのぬいぐるみ
暮らしのア・ラ・カ・ル・ト
1.簡単おいしいクッキング
2.便利グッズの紹介
皆様日々お元気でおすごしのことと存じあげます。アイネット第9号をお届け致します。漢方医学では「9」という数字は最高に良い数字とされております。アイネット第9号の巻頭言を担当することになり大変光栄でございます。何か素晴らしいハプニングが起るような気が致します。
さて、昨年4月より支援費制度が本格的にスタート致しました。早いもので旧江戸川区盲人福祉協会で事業所立ち上げの話が出ましたのは一昨年のことでした。当初は制度そのものを理解している人は皆無でした。松本会長のリーダーとしての行動力で、江戸川区役所はじめ区内のボランティアや関係者の皆様にご指導とご協力を頂いたこと等、大変多くのことを私自身学ばせて頂きました。
まさに暗中模索の中で、制度の理解を深めて行ったような気がします。そして、15年度定期総会において会員の皆様の賛同を頂き、事業所立ち上げの準備が始まりました。それからの松本会長と`島監事を中心とする書類作成作業は想像を絶する大変なご苦労があったと聞いております。
そして東京都よりNPO法人の認証を頂き、平成15年8月20日に登記を完了しました。その後東京都に事業所指定申請をするための書類作成作業に更なるご苦労がありました。協会名も社会の流れにそって「NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会」と改名し、事業所も「江戸川ガイドヘルプセンター」と命名されました。職員には、常岡事務局長と3人の事務局スタッフが選任されました。
視覚障害者自身が自らの努力でガイドヘルパーの事業所を立ち上げたということは大変大きな意義があります。私達視覚障害者はガイドヘルパーの皆様が存在するからこそ、安全かつ安心して外出ができ、協会の行事や色々な社会参加が可能になり、国内旅行はもちろん海外旅行までも実現するようになりました。大変有り難いことで心より感謝申し上げる次第でございます。
また、事務局スタッフの皆様も初めての経験で、何かとご苦労が絶えないかと思います。大変なお仕事ですが、これからも私達視覚障害者のために、ご支援賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
本号では、このガイドヘルプセンター関連記事を特集するとともに、当番区となっております城東ブロックの事業などを取り上げました。夏本番です。皆様お身体には十分ご自愛下さい。
平成16年度の通常総会が去る4月18日、タワーホール船堀の4階研修室で開催されました。正会員47名がガイドヘルパーの方々や家族の皆さんに付き添われて出席しました。今回は、NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会となって初めての通常総会でしたので、みんな真剣に聞き入っていました。
小野塚総務部長の司会のもと、北澤副会長の開会の辞で始まり、松本会長の挨拶の後、事務局の方達の紹介、議長を伊藤さん、議事録署名人に冨澤さんと橋谷さんが司会者から指名され何れも承認を得て、議事に入りました。
* 第1号議案
平成15年度江戸川区盲人福祉協会事業活動報告並びに決算書承認に関する件
* 第2号議案
平成15年度NPO 法人江戸川区視覚障害者福祉協会
事業活動並びに決算書(収支決算書、貸借対照表、財産目録)承認に関する件
☆ 第1号議案では平成15年4月1日から8月19日までの前期を、第2号議案では平成15年8月20日から平成16年3月31日までの後期を扱い、一括審議されました。
まず事業報告では
(1)「声の広報」・「区議会だより」・「みんなともだち」
「声の便利帳」等の公的録音物の発受
(2)ガイドヘルパーの派遣事業
(3)ガイドヘルパーの研修(昨年は11月と12月の2回、今年は3月に2回74名を対象に実施)
(4)パソコン教室、など法人の主な事業が行われ
充実した活動が展開されたことが報告されました。
また従来からの継続事業を運営委員会活動事業として実施。昨年は江戸川区福祉部、土木部、教育委員会(図書館関係)、広報課、防災課との懇談会を7月から8月にかけて行ったことや、4大行事(徒歩訓練旅行、カラオケ大会、文化祭、新年会)の開催等について会長のお話が有りました。
この他、区内のボランティア諸団体との協力関係を発展させる。他の障害者団体との交流。国際交流、オーストラリアのゴスフォード市の連絡窓口としての活動、区内の国際親善交流団体との協力等、詳細な報告でした。
総務報告として、運営委員会を15年度に9回、総役員会を4回、その他三役会を8回行ったこと等に加え、3月31日現在で正会員88名、賛助会員13名、計101名等、会員の動きの報告がありました。
* 第3号議案
平成16年度事業活動計画案並びに予算案に関する件
本年度の活動事業は上記した項目に同じ内容ですが、今後とも会員・ガイドヘルプ利用者の皆さんの一層のご理解とご協力を頂き、ガイドヘルプセンターを支え、江戸川区の新しい方式が定着するよう努力したい旨の説明がありました。更にガイドヘルパーの研修は2回行う予定等が示されました。
一方、パソコン教室は中央図書館で行うことや、今年は、東京都盲人福祉協会の城東ブロックの事業として8月29、30日と鳴子温泉に親睦旅行を計画。そのほか料理教室とリズム体操を4回ずつ計画していることが提案されました。
* 第4号議案
その他
奥飛騨方面への徒歩訓練の説明がありました。
松本会長は締めくくりの話の中で、本会の支援組織の立ち上げについて、支援費制度での移動介護支給量の上乗せが難しい中で、新しい取り組みに協力を呼びかけました。
第1号議案から第4号議案まですべて拍手を持って承認され、今回の通常総会は特別な質問もなく、議事はスムーズに進行され、無事終了しました。
ガイドヘルプセンターの事業を含め、本年度も会員の積極的な諸活動への参加をお願いし、通常総会の報告とさせて頂きます。
本会は昨年8月にNPO法人を立ち上げ、会の名称を江戸川区視覚障害者福祉協会に改め、組織の一新を図ると共に、会員の皆さんのご協力に支えられ、居宅介護事業参入へ第1のハードルを越えることが出来ました。そして本格的に支援費制度下での、ガイドヘルパー派遣事業を開始するための準備を始動させたのが、10月でした。それでは段階を追って経過を振り返って見ましょう。
1 事業開始への取り組み
@ 事業者の名称「江戸川ガイドヘルプセンター」に決定(9月6日役員会)。
A 視覚障害者講演会及び会員説明会
(1) 講演会「支援費制度の利用について」…原野支援費事業係長
(2) 居宅介護事業に関する会員説明会を合わせ開催、90名参加(10月9日)
B ガイドヘルパー登録説明会の開催
(1) 第1回…11月29日(土) 第2回…12月3日(水)
会場…タワーホール船堀・障害者協議室
☆ 江戸川区に登録しているガイドヘルパー65名が説明会に出席。
(2) 内容…講演と登録手続き
C 東京都への事業者指定に係る書類の提出 … 12月22日(月)
※ 東京都庁支援費担当窓口へ提出。
2 居宅介護支援事業所指定 … 2月1日(日)
@ 職員配置 … 2月2日(月)より
※ 職員 … 常岡有三(事務局長)・吉川あさ子・吉川佐登美・木田橋知代
A 会員利用者との利用契約手続き
(1) 会員の利用者契約日 … 2月16日(月)〜2月20日(金)
(2) 会員外の利用者契約日 … 2月25日(木)〜3月31日(水)
※ 利用契約者 … 73名(4月末現在)
B ガイドヘルパー研修会及び契約説明会
(1) 期日 第1回 … 3月6日(土) 第2回 …3月10日(水)
会場 … タワーホール船堀・障害者協議室
※ 73名が契約手続きを完了(4月末現在)
3 「江戸川ガイドヘルプセンター」、ガイドヘルパー派遣事業開始(4月1日)
※ 4月の利用時間数は当初の予定通り1000時間を越えています。
以上の経過報告で判るように、かなり高い第2のハードルを無事越えられたのは、事務局職員の皆さんが準備段階から、書類作りや利用申込者への対応等に汗を流して頂いた事と、加えて会員の皆さんの思いが天に通じたのかもしれません。
支援費制度は介護保険への統合問題を抱え、先行きが不透明な状況にあります。
しかし、5月12日の東京都盲人福祉協会の指導者研修会で、東京都の担当課長から、次のような主旨の発言がありました。「このままの状態で支援費制度は、現場の実務を含め、暫く運用がなされる見通しです」と、支援費制度と介護保険制度の統合に向けての制度面のすり合わせの難しさを話されました。
「江戸川ガイドヘルプセンター」の健全な運営は勿論ですが、事業者としての今後の取り組みも重要なテーマと考えます。
4 これからの事業所の取り組むべき課題
江戸川区内にはガイドヘルパー派遣事業を行っている事業者が数10社あります。これからは事業所間でのサービスを含めた競争も予想されます。
江戸川ガイドヘルプセンターは、視覚障害者自らが立ち上げ運営しているということは、視覚障害者の立場になって、きめ細かなガイドヘルプサービスを提供できる条件が備わっていると考えます。
そこで主な今後の事業所の取り組みを上げてみましょう。
@ 利用時間数の足りない部分について、支援組織の早期立ち上げ
A ガイドヘルパー研修の充実
B 利用者への還元策等
これらのことを実現するためには、まず1年間この事業の円滑な運営がなされることが前提となりますので、本センターを事務局・ガイドヘルパー・利用者がそれぞれの立場から、支え合う気持ちを持つことが最も大切だと思います。皆さんでこの事業所を育てようではありませんか。
東京都盲人福祉協会の下部組織の城東地区盲協連絡協議会(荒川・足立・江戸川・葛飾・江東・墨田の6区支部で構成)が、毎年持ち回りで開催しています事業を、本年度江戸川視障協が当番で行うことになりました。
去る4月12日の支部長会で本年度の事業を下記の通り実施する事になりました。
@ 家庭生活訓練事業(料理教室・リズム運動) … 5月〜9月 8回
A 鳴子温泉と渓谷巡りの親睦旅行 … 8月29〜30日(1泊2日)
B 三療研修会 … 9月25日(土) タワーホール船堀303号室
C 高齢者社会生活教室教養講座 … 実施日未定
それでは、既に始まっています家庭生活訓練事業の料理教室と、親睦旅行の日程と渓谷巡りの一部をご紹介しましょう。
平成16年度東京都委託・城東ブロックの生活訓練は江戸川区の担当で、昨年11月末、城東ブロックの婦人部長会で前半料理、後半リズム運動と決まりました。
その料理教室が5月10日(月)に、水口福祉課長・松本会長・受講生20名の出席で開講しました。
開講に至るまでの経緯ですが、「どこで受けてもらえるか」というところで苦心しました。そこでお願いしたのは、区内のお年寄りに心のこもった食事を配食しているボランティア団体の「在宅福祉グループ」です。早速代表の小林さんに相談すると快く引き受けていただけました。その後、婦人部補佐の橋谷さん、松田さんを交えて、障害者にどのように接したらよいかをお願いし、同グループの全面的な協力をいただける事になり開講の運びとなりました。
受講生20名は5つの班にわかれて、各班は2名のボランティアの人に手をかりて手順を教わっていきます。材料の買物・班ごとに分配する作業・器具のある場所など、私たちの苦手とする部分を助けていただき、おかげ様で楽しく美味しい料理を作ることができました。私たちのために汗を流してくださいました調理班のみなさん、本当にありがとうございました。感謝いたします。
【日程】
8月29日(日)
7:30 船堀出発
12:30 仙台大観音プラザハウス(昼食)
松田工房(鳴子こけし店見学)
鳴子峡(見学)
16:00頃 ホテル着(ねまりこの宿 ますや)
8月30日(月)
8:00 ホテル発
9:30 厳美渓(渓谷を散策)
10:50 げいび渓舟下り
12:30 猊鼻渓レストハウス(昼食)
20:00頃 船堀着
【げいび渓】
気の遠くなるような歳月をかけて、砂鉄川が北上山地を浸食してできた深山幽谷の別天地。日本百景の一つに数えられる渓谷は長さ2kmに及び、高さ100m余の絶壁に奇岩怪岩が屹立する。
船頭の唄う追分が渓谷にひびき、清流を舟が静かにすすむ。壮夫岩(そうふがん)、馬鬣岩(ばりょうがん)、秘境の趣きが漂い、その名の通り唐獅子の顔に似た獅子ヶ鼻(ししがはな)が姿を現す。
─ ユニバーサルデザイン対応 優しいお店紹介 ─
[江戸川区バリアフリーマップ 広げようバリアフリーの輪!]を目標に、昨年江戸川区都市開発部の企画により、公共施設・駅・公園・バリアフリーなどを心がけた優しいお店などの情報を掲載したバリアフリーマップを作成することになり、今年4月に完成し、配布されました。
私達も昨年の10月頃より二人ずつ分担して、職員の方達と一緒に江戸川区のいろいろなお店を実地検証して回り、普段はあまりお話をしたことのない、車椅子の方達とも知り合いになり、またその方達の不便さもわかり、勉強になりました。
大きな病院などは便利なようですが玄関に回転ドアがあり、私達には危ないですね。端の方に普通のドアがあるようですが、ブロックで案内がないと、一人では入れないとの印象を受けました。
接骨医なども気に入ったところがあって、家の近くならいいのにと残念です。自分が利用している郵便局にもいきました。中の様子がわかり、便利になりよかったです。まだまだ飲食店などは件数が少ないので自薦他薦で増えていくよう希望します。
バリアフリーのお店といってもやはり、一人一人の言葉の優しさ、思いやりではないでしょうか。そんなやりとりにほっとするものがあります。
その中でこのバリアフリーマップはユニバーサルデザインを取り入れ、目の不自由な方達にも配慮した読み上げ対応になっています。スピーチオというものを使って読むことになります。
スピーチオは、高齢者や視覚障害者に向けて開発されたSPコード専用読取機です。紙に添付されているSPコードを読み取る事で、記録されている情報を音声で読んでくれます。操作も簡単でSPコードに合わせ、ボタンを押すだけで読み始め、パソコンの音声よりも聞きやすいようです。これは日常生活用具の給付対象品となっておりますので区役所にお問い合わせ下さい。
スピーチオを使っての一言です。紙が柔らかく、何回かコードに合わせていると切れそうになってしまうので何かよい方法はと思います。
またパソコンをお使いの方はホームページもあります。
バリアフリーマップ:http://www.city.edogawa.tokyo.jp/16_barri/index.html
こちらでもお楽しみください。
下記に実地検証にいかれた方の感想などを頂きました。
◆星野 勇さん
お店の前にいった時や品物の前、レジの前などに立った時、音声案内があればと、何時も思います。買い物も楽になりますよね。
◇高橋 満子さん
自分の家の近くではあまりバリアフリーのお店がなかったので近くに増えることを期待します。
◆坂本 芳雄さん
いろいろなお店を回り、視覚障害者の私達より車椅子の方達は本当に移動することがたいへんだなと思いました。お店なども、今すぐ改造してバリアフリー対応という訳にもいかないでしょうからまだまだ先のようですね。
◇松田 恵子さん
今回私達がお店などを回り、実地検証したことにより反対に店側の人たちがバリアフリーに意識を持って頂いて、更にお店などの工夫がされれば私達もいきやすくなりますので、そうなることを願っています。
◆柏谷 幸司さん
私は中央地区の医院、郵便局などを中心に12軒を見て回りました。郵便局や銀行にはATMという機械があり、お金の出し入れ口や各種ボタンの上に、点字も打ってありました。しかし視覚障害者がこのATMを利用する場合、点字の確認にはかなり時間がかかります。後に待っている人が大勢いると大変迷惑ですし、逆に、後に一人、二人いると事件の多い昨今、不安を感じそうで、むしろ職員の方にお願いをすれば、安全にできるだろうなと思いました。ATMの表示が無くていいという事ではけっしてありませんが、見聞して感じた事を別の視点から述べてみました。
食事や買い物にいった時に音声案内があれば楽しくなりますね。近い将来そうなることを願っています。
5月30日、31日で乗鞍や飛騨の高山を徒歩訓練してきました。
今回旅行初参加の池田定道さん、とても愉快な方で終始周りを笑わせ、和やかなバス旅行となりました。楽しみにしていた高山の朝市では雨になり、傘をさしての見学でしたが、それでも、いろいろお店を回り、楽しむことが出来ました。
今年はバスに乗ってる時間が多く余裕がなかったように思います。見学場所も少なかったので来年はもう少し近い所で、見学場所も増やして頂きたいですね。
参加した皆さんにそれぞれの場所での感想を伺いましたのでお楽しみ下さい。
乗鞍スカイラインの畳平でバスを降りると、予想外の風の強さと寒さに震えあがった。急いでバスの中に置いてきたコートを取りに戻る。気圧の変化か、耳の中は不愉快だし、標高2,700mの環境は厳しい。
晴れていれば雄大な北アルプス連峰をまのあたりにすることができるはずだが、たちまち雲行きが変わり山影は霧に包まれてしまったらしい。
こんな高い所では当然水の便が悪いのでトイレの手洗い場には手水鉢ならぬ手水バケツが置いてあった。昔はどこの家でも水道の蛇口は、お勝手と風呂場ぐらいしかなかったのでこの形が普通であった。誰かが「その水はきたないぞ」と叫んでいた。ついみんなにつられてその水を使ったが、洗わなければよかったと思いながらバスに戻った。
バスは朝市を11時15分に発車した。ひたすらに走る。
「日本の三大朝市は、高山・能登・勝浦」とガイドさんが説明してくれた。
やがて11時30分に飛騨高山まつりの森についた。昼食は山菜料理が少しずつ5、6品と牛肉と野菜の焼肉だ。Kさんが江東区の方二人にも善行あふれる世話をしていた。
高山祭りミュージアムについた。入場料は1000円だが、昼食をしたおかげで500円になった。受け付けから空中大空間(ジオドーム)までの通路は70mある。その通路に高山秋祭り屋台のレプリカが飾られていた。これら11台は現存する屋台を3分の1に縮尺したものです。からくり人形の紐を引いて手、足を動かした。世界一の大太鼓があり直径2.73m、重さ4t、原木は推定樹齢1900年の唐木で作られている。手でたたくと強く振動して昼食がこなれていくようだった。
そこを通って行くとお囃子、笛、太鼓が聞こえてきて地中大空間に入った。ここは巨大なまんじゅう型ドームで山をくりぬいて作られた地下室です。直径40m、高さ20m、気温は常時17度、湿度は60%、平成10年に開設され総工事費170億円という。快適な環境下に高山の屋台、本物が6台展示されていた。とても大きい! 太陽が当らないので色あせがしないで、金・銀・赤・紫の色彩がきれいに保たれている。屋台は1基約3億円だ。
12時30分ころ屋台のからくり人形、桃太郎の桃が割れて中からおみくじが発射されて拾った。大吉、大大吉、中吉が多かった。バスは12時47分に出発した。雨が降ったりやんだり、気温は18度だった。
去年4月に江戸川盲協(現・NPO法人・江戸川区視覚障害者福祉協会)に入会して以来、総会・文化祭などに参加させてもらってきました。その度に、挨拶程度のやりとりは出来たのですが、口下手では、会話は進まず、いまいち会員の皆様と馴染めずにいました。
しかし今回の旅行で、皆さんと沢山の会話を交わし楽しみ、今度会った時のための話題を、一杯収集・蓄積することが出来ました。区役所の待ち合わせ場所では、バスは停まっているものの、何か様子が違うので戸惑っていたら、「池田さん」と声をかけられました。私の思っていたバスは、他の団体のもので、どこか他の場所にいくらしく、目的とするバスは、もう一寸先の所に停まって待ってました。
まず、北沢さんに紹介されました。総会や、テープなどで、お名前、声だけは、知ってましたが、直接挨拶、お話するのは初めてで、チョッと気恥ずかしくなりました。バスでの座席では、チャッカリ左右をガイドヘルパーのお姉様に護ってもらい、あとは、ドライバーの荒っぽい運転を期待したのですが、それはそれは丁寧なハンドルさばきで、下心は無念にも打ち砕かれてしまいました。
それでも、会員さんとガイドさんの会話を聞きながら、話題に交えてもらい、長いバスの乗車時間でしたが、退屈する事も無く、いろいろな事を教えてもらいました。
お部屋では、宮地さんと、北沢さんのご夫妻のところにおじゃまむしすることになりました。お二方とも著名な方なのでとても気おくれし、緊張もしましたが、とても親切なやさしいご夫妻方で、いつの間にか、すっかりリラックスさせてもらっていました。
その上、就寝前には三療業を始めたばかりの私に長年の経験を通じ、培い完成させた技を惜しげもなく指導して下さり、これからの目標を示唆して下さいました。
パソコンのエクセルを習いたくて、成田さんに相談した件も快く耳を傾けてアドバイスしてくれました。新しい知識を吸収し、技術を習得する事によりまだまだ大きくなれる可能性を感じました。趣味、楽しみ、実益、みんな揃った、充実した二度と経験できないような二日間でした。
今回は、勝手気ままに参加させていただき、おいしいところだけを頂きましたが、企画実行してくださいました、担当の方は、ご苦労様でした。まだまだ一部の人には多くの負担がかかっているように感じます。もっともっと会員が増え、各々の能力・制限に応じて、ある程度の役割の分担が出来るようになれば、もっともっと楽しくなる事でしょう。
私も新人の一会員として、更に多くの仲間が、増えればいいと思っていますし、また、この貴重な体験を享受出来なかった方に今度は、一緒に体験しようと皆様をお誘いしたいと思います。
今回の旅行では休憩などでバスを降りて、再びバスに乗ろうとする時、あちこちに一杯バスがとまってると、迷ってしまいますよね。そんな時に添乗員さんが迷わないようにと、子豚のぬいぐるみ(通称添乗員さんの妹でかずみちゃん)をバスの前にぶら下げて、すぐ、わかるようにしてくれました。雨が降ってからはビニールで出来たウルトラマンと交代しましたが、私達を迷わず乗車出来るようにして下さったのがよかったです。
私がボランティア活動を始めたのは平成13年10月でした。まもなく3年になろうとしています。この3年というのは、たったの3年と言っていいでしょう。いわば古びたピカピカの1年生といったところでしょうか。私がボランティア活動を始めるきっかけ、動機といいますのはよく言われます奉仕をするとか又お返しをするとかと言う気持ちで始めたのではありません。ただただ天性の下手の横好きであります歌と楽器で何らかの形でみなさんと一緒に楽しめる方法はないだろうかと思ったのがきっかけです。
そこで相談してみたのがボランティア団体協議会活動部部会長山本国子さんでした。「船堀にデイサービスがある」ということでしたので早速そちらの方へ行って見ました。ですからこの活動は私単独でやっているのではありません。山本さんのお手伝いという形でやらせて頂いております。当初は不安もありましたが、案ずるよりも産むが易しでありました。
山本さんはこの役職の他に元“おはなしこばこ”というグループの代表者でもありました。その話術は絶品であります。ジョークを混ぜ明るく、楽しく話してくださいます。これがみなさんに大受けで笑いが絶えません。こうした楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまいます。この活動時間は1時間15分前後でありまして、その流れは別に決まっているわけではありません。山本さんと打合せをしているわけでもありません。いわば出たとこ勝負、ぶっつけ本番ということで、出てくる歌は童謡・唱歌・民謡・軍歌果てはなつメロ・演歌ということで時には知らない歌も出てまいります。
しかし、8割がた伴奏ができる歌をと思っております。やはり歌が一番です。話しが長引くと「早く歌をやろうよ」という掛け声もとびでてきます。これらの中でも、尺八の歌はみなさん親身に聞いてくださいます。ボランティア活動の中で尺八をやるという方は少なく、又なかなかいないとも聞いております。私の尺八は上手くもなんでもないわけです。みなさんは尺八の音色に耳をすまし聞きほれていることだろうと思っております。童謡・唱歌はハーモニカ、民謡は尺八・三味線、そしてなつメロ・演歌はギターと一応使い分けをしております。
平成15年からは老人ホームにもお邪魔しております。デイサービスに集ってこられる方も、ホームにおられる方々も一見健康そうに見えますが大抵の方々は軽かれ、重かれ何らかの障害を持っている方々です。しかも高齢です。そういうことからこちらに返ってくる反応も様々です。私達の活動はこちらから一方的に聞いていただくということではありません。相手の方と一緒に楽しく、和やかに過ごすということが基本にあります。このような活動はまず自分が楽しくなければ相手に伝わりません。かといって一人よがりではいけません。そのようなことで高齢者の気持ちを知るということが最も大事ではないかと思っております。
デイサービスに集ってくる方々もホームにおられる方々もこれまでは視力障害者との接触がなかったのではないかと思います。したがって当初、話しかけてくる方はおりませんでした。回を重ねるごとに握手を求めてきたり、話しかけてくることが多くなりました。これは大変嬉しいことです。帰り際に手を振って「また来てね、待っているわよ」と言う、背に受けるその言葉に私達は逆に元気を頂き帰ってまいります。これがボランティア活動のやりがいというもので、日本晴れのように晴れ晴れとした気持ちでホームを後にしてまいります。
山本 国子
「ボランティアをしたい」と柏谷さんから電話があった時、私はちょうどデイサービスで歌を歌うボランティアを一人でやっていました。柏谷さんが尺八とハーモニカを演奏するというので「私と一緒にやってみませんか」「はい」と即答してくれました。それから2年半が過ぎ訪問先も老人ホームが一ヶ所増え月に2回、うまがあったのか、楽器のことなどてんで知らない私に無理難題を言われても、柏谷さんはあきらめたのか、漫才のようなやりとりをしながら楽しんで活動をしています。
初めてのボーリングを4月19日の穏やかな日に、本八幡の八幡スターレーンで会員とガイドさん13名で行いました。企画部として行ったのは、昨年の新小岩温泉(古代の湯)とボーリングと2度目です。参加者は若い方が多かったのですが、主人に助けてもらい何とか無事にボーリングを楽しむ事ができました。
3ゲームを予定しておりましたが、時間が足りなくなり、2ゲームになりました。3班に分かれ、1レーンは、私と主人、才川、ガイド、2レーンは、成田、吉成とガイド、3レーンは、田名後、星野、小野塚とガイドに分かれました。私は最初はストライクも何回か出てとても快調に先頭を走っていましたが、投込んで行くうちに段々と調子が悪くなり、2ゲームが終った時にはペケでした。
隣のレーンでは、ガイドさんが玉と一緒に転がっていました。皆さん本当にボーリングを、楽しんでおられました。もっと沢山の方が参加して下さると、楽しさも2倍、3倍になると思います。もっと多くの方をお誘いできると良いのですが、重い球と一緒に転んで怪我をするのが心配で皆さんをお誘いできないのが残念でした。
「岡畠さん、近いうちにボーリングしたい」「また連れて来てね」「今度は何時?」と言う声が、帰り道、あちこちから私の耳に飛びこんで来ました。
主人が皆さん凄いと感心していました。晴眼者のように、助走もできないしピンも見えないのに、ガイドさんと同じ高い点を出していたと・・・。ガイドさん達の調子が出なかったようでした。
皆さんと別れ、途中で主人と二人でジョッキを傾けながら今日の反省もしながら次回の事を話し合いました。無事に済んで、主人もホッとしたと思います。ひと汗流した後のビールはとても美味しかったです。
私が初めて延原さんに会ったのは7、8年くらい前のリズムの時でした。隣同士でソファーに座り、口を聞いたのが友達になったきっかけでした。その頃は二人とも元気でした。そのうちに、短歌が上手というのを知りました。ガイドさんをお願いして、何時も短歌の会に参加していたようです。選に入ったと言っては喜んで、始終、賞を貰っていましたね。
あの方はおちゃめさんで、川柳とは違うのですが面白い短歌を作ったりする事もありました。食事をしてる時でも茶目っ気が出てくるんです。何時も二人でお昼からランチビールで乾杯してお食事を楽しみました。
延原さんとは色々な所に行きました。うちの主人の車で幸手まで一緒に行った時には、帰りに延原さんの気分が悪くなり、後ろの座席の荷物を降ろし、そこへ横にさせようとしたまではよかったのですが、その荷物をそっくり道の上に忘れて来てしまい、コンビニのご主人が届けて下さり、幸手の警察まで受け取りに行った事もありました。
フラワーガーデンにも主人と3人でお弁当を持って出掛けました。バラがとてもきれいで、よく来たとバラが笑っていました。
湯島の天神様や門前仲町の富岡八幡宮では、おいしい天プラ屋さんやウナギ屋さんで食事をしました。お参りに行ったのか食事に行ったのかわかりませんね。
帰りには何時も「今日で終わりだ」と言うので、私が「貴方と私とは友達なのだからまだまだ行きたいところがあったら、一緒に行こうよ」と言ったりしたのですが、なかなか思うようにはいかないですね。
娘さんと一緒に暮らしていましたが息子さんの所へ帰りたかったんでしょうね。せがれせがれと言っていましたが、せがれさんが迎えに来てくれて、ほっとして亡くなったんだと思います。安らかにです。帰ってから一ヶ月程の間でした。
亡くなったと聞いた時は不思議と涙が一滴も出ず、本当に信じられませんでした。あの人がいなくなって私も元気がなくなってしまいました。亡くなってからもコーラスや民謡に行って、いないとわかっていても、目があの人を探してしまうのです。 延原さんのご冥福をお祈りいたします。 合掌
「旅立ちぬ 盲(めしい)の枷を 断ち切りて
初春(はつはる)の光 眩しかるらむ」
小野塚 耕吉
5月15日から1週間、東洋一の豪華客船スーパースターヴァーゴで、シンガポールとマレーシアの2つの島を回る船の旅をしてきました。旅は行く迄が待ち遠しく、あれやこれやと持って行く物に時間を掛けどうにか準備をしました。
15日は成田を夕方6時の飛行機で出発し、シンガポール空港に着いたのは夜中の1時でした。すぐ出迎えの添乗員と宿泊するホテルに向かいましたが、翌日は早いと言う事で何もせずそのまま寝込んでしまいました。
翌日は6時に起き、シンガポールのシンボル、マーライオンを見学に行きました。ライオンが1匹だけいると思っていましたが、子供ライオンと母親ライオンが口から噴水を出していました。その公園からは島々が沢山見えました。山を登って行くと、父親ライオンが母親と子供ライオンを守るように凛々しくそちらの方に向かって立っていました。次にミニジャングル等の有る公園に行きました。そのムシムシした公園を歩いていると、突然スコールにあいました。一瞬のうちにバケツをひっくり返したような雨が降って来て、藁葺き屋根の中に逃げ込みました。車をそこに回してくれたので何とか濡れずに済みました。
そこから私達の待ち望んでいたスーパースターヴァーゴへ向かいました。シンガポールからの出国手続きが大変でしたし、2500人が乗り込むのでとても時間が掛かりました。ここから私達だけの2人の旅の始まりです。ツアーの方達は添乗員が付いていましたが、私達は何もかも2人で、全部英語で始めなければなりませんでした。私は何も話す事ができず、主人が単語を並べたような英語で何とか桟橋から船に乗り込む事ができました。
そして私達の泊まるブルーと白に統一された爽やかな部屋へ案内されました。すぐに窓を開けてバルコニーに出てみました。初めての経験です。お隣の若い御夫婦が「ジャパニーズ?」「何処から?」「大阪? 東京?」と英語で話し掛けて来ました。その3つは私にも分かりましたが、あとは何を言っているのかさっぱり分からず部屋に入ってしまいました。英語が少し話せれば、お隣の方とお話ができたと思いますが本当に残念でした。
船の中心にあるロビーに集まり、船の案内を受け救命器具等の使い方も教わりました。お国の違う人達が集まり肌の色も様々で、本当に外国の船に乗っているのだなあと実感しました。船はとても広く私達の部屋は10階でした。世界の色々なレストランやミュージカル劇場、コンサート会場とカジノ、屋上にはプールや散歩するコースもあり、時間を有意義に過ごせるよう沢山遊ぶ所がありました。
夕食はレストランが沢山あったので迷いましたが、1日目は中華料理で済ませました。食事の後は何をしようかと一巡りしていると、素敵な歌声がして来ました。ピアノを引きながら歌っている人の所に2人で座っていると、女性の方が英語で話し掛けて来ました。主人が「何かお飲み物はと訊いているみたいだよ」と言って白ワインを注文したところ、赤ワインが出され大笑いしました。おつまみの量の多さには驚きました。そこで1時間くらい音楽とワインを楽しみました。そうして1日目の夜が終り、またバルコニーに出てみました。海と空の区別がつかず、船の横の真っ白い波しぶきがサーサーと音だけして、吸い込まれそうな気分でした。
朝になり大きな真っ赤な太陽が海の上から昇って来るのを真近に見ました。 思わず手を合わせるくらい感激しました。散歩コースを歩いていたら、御主人が目が不自由で白い杖を持ち、奥様が一緒に歩いている御夫婦に出会いました。主人は「あちらから話し掛けて下されば話ができるのだがなあ」と言っていましたが声も掛けられず、2日目が来てしまいました。また散歩コースであの御夫婦に出会いましたが、お互いにちらちら見ているだけで声を掛ける事もできませんでした。
いよいよマレーシアのペナン島です。水先案内船が先導し、船員さん達が甲板に出て、私達の船に手をちぎれるばかりに振って迎えてくれました。ペナン島は港が無く、小船に乗り替えて上陸するとのこと。私が白杖を持って桟橋を上ろうとした時、船員さん達が何処からともなく来て助けて下さいました。
最初は2人乗りの自転車でホテルに向かいました。リヤカーみたいな物で前に2つ席があり、漕ぐのは後の方です。その自転車が車のバンバン通る中を悠々と走って行くので驚きました。ホテルに到着し日本人のツアーの方達と一緒にマレーシアの料理を食べましたが、余り美味しいとは思いませんでした。私達は日本語のわかる添乗員さんのグループに加わり、名古屋の人達と福島の青年2人と一緒になりました。昼食後はバスでペナン島を回りました。島の道路は広く信号等はありませんでしたが、前に日本人が沢山住んでいた町にはその名残で信号が有りました。創価学会の建物と戦時中のNHKの建物が残っているとの事でした。
次に水上生活をしている所に見学に行きました。バスを降りると、日本語の上手なおじいさんが「日本から来ましたか?」「足元に気を付けてね」と声を掛けてきたので、「有難うございます。」と言いながら添乗員の方に付いて行きました。そこは大変な臭いでした。海上に家が建っており、ドブ板のような所を通って、両脇に家が有る所を見て歩きました。余りに凄い臭いなので、見る物もあまり見ず、説明もあまり聞かず、早々とバスに乗り込んでしまいました。
今度はお寺に行きました。この寺にある骨壷は金色だそうです。前に行ったタイでもお寺の屋根等は金ピカでしたが、骨壷までとは大笑いしてしまいました。外に出ると塀の竜の彫り物も金色に光っていました。燦々と振り注ぐ南の島の太陽と金ピカに光った骨壷と塀で、眩しくて目がつぶれてしまうかと思いました。
見学を終えロウケツ染めの工房に案内されました。現地の人の着る派手な一枚の布でできたワンピースに手を通したら、ツアーの人達が似合う似合うとはやし立てるので買ってしまいました。何時か皆さんに着てお見せする時が有るかと思います。楽しみに待っていて下さい。
船は24時間停泊しているので、最終の小船が出るまで島に居て良いと言われましたが、私達は程良い時間に船に戻りました。船ですぐにシャワーを浴び、またバルコニーに出てみると、あちこちのバルコニーから楽しそうな声が聞こえました。太陽が沈むのをずーっと眺めていました。日本時間で20時頃ですが、空一面がオレンジ色に染まり真っ赤な太陽が海の中に消えて行く光景は初めて見ました。「海の落日」と言う言葉がピッタリでした。
陽が沈み、また着替えをし夕食の時間となりました。一日のうちに何回も洋服を着替えるのには少々疲れましたが、夕食の時は皆さんオシャレをしていました。私もその日はちょっとオシャレをして出掛け、「侍」と言う日本料理のお店に入りました。特上のお寿司を食べようと注文しましたが、ビックリするような粗末な物でした。お店の人は外国の方ばかりで、サービスもイマイチ良くありませんでした。
この船はタイのプーケットにも回る予定でしたが、治安が悪く中止となりがっかりしましたが、その分、150ドルを船の中で使えることになりました。
船はマラッカ海峡を通っていると主人が教えてくれました。船から見る海は近くを通る船の気配も無く、真っ暗闇の中、白い波だけがサワサワと聞こえるだけでした。夜の海はなぜだかとても怖く、早く朝が来ればいいなあと思いつつも、何時までもバルコニーで海を眺めていました。中学時代に習ったローレライの歌など口ずさみながら、やっぱり外国だなあと独り言を呟く私でした。
翌朝はランカウイ島の見学です。またペナン島で一緒だった方達と日本語のできる添乗員のグループに参加する事になりました。ランカウイ島はあまり観光する所はありませんが、ビールが安くてシンガポール等からわざわざビールを飲みに来ると言う話で、主人達は喜んでいました。ランカウイ島は自然が多く、両側に黒い牛がのどかに歩いているのが見える静かな島でした。
この島には、不倫の罪をきせられ、王様に処刑された悲しいお姫様の伝説があります。お姫様は、処刑時に赤い血が出たら不倫をしている、白い血が出たら潔白だと身の潔白を王様に訴え、処刑台の露となったそうです。そのお姫様のお墓には、白い綿が一杯ちらばっていて、私はひとつまみ頂いて帰りました。途中でココナッツのジュースを飲み、素朴なお菓子も買ってバスに戻った所、勝手に写真を撮られそれが絵皿になっていたのにはびっくりしましたが、それも記念に買いました。
ホテルでツアーの方達と一緒にランカウイ島の伝統の食事を頂きました。美味しかったです。日本人の女性の方が島へ嫁いで小物等を売っているお店に行きました。南の島はとても暑いので、ビールのジョッキが二重になっています。このグラスにビールを入れると30分は温まらないそうです。私も息子等に土産に買いました。そこには自然の石鹸やロウケツ染めなど沢山土産がありましたが、変った作りの店で、階段は幅が広く穴があいていて私には困難だったので、早々に店を出てバスに乗り込みました。スーパースターヴァーゴの真ん前のホテルでツアーの人達と軽いお食事をし、お別れとなりました。この島に架っている橋は、世界で3番目に大きな橋だそうです。船の中から見る橋はとても大きくて、島と島を繋いでいるのかどうか私には分かりませんでした。
船に戻りまた夕食の時間になりました。船長さんを囲んでの最後の晩餐会なので、持参した中で一番の服を着てレストランに向かいました。途中で道に迷いそうになると、外国の女性の方が「マダム、マダム」と手を引いてレストランに導いて下さいました。食事の時、お世話をして下さったのは若い中国の方でした。片言の日本語で楽しそうに話し掛けて下さるので、楽しく食事ができました。食事が終りロビーに出ると船長さんと一緒に写真を撮る会をやっていました。私達も船長さんと3人で何枚か撮って頂きました。翌朝、その写真や他にも島に着いた時、帰る時、食事の時などの写真がロビーに貼り出されていました。何枚か選び、船長さんとの写真を台紙に貼って頂き、キーホルダーにもして貰いました。
それからカジノへ行く事にしました。最後なので勝ってやろうと意地を出しましたが結局負けました。この船の旅では全く取れませんでした。主人は出ているらしく、なかなか戻って来ません。次の日は朝からカジノに一緒に行こうと誘われましたが主人だけ行ってもらい、最後のバルコニーでお茶を飲んだり部屋でゆっくりしました。もう少しこの船でのんびりと旅をしたいと思いました。
気がかりな事があり、主人が帰ってくるなり散歩コースに行ってみました。また目の不自由な御夫婦がおられました。エレベーターの前で「ハロー」と声を掛けましたら、にっこり笑って握手して下さいました。気になっていた御夫婦とお話ができた事で、この旅もなぜだかやっと終りに近付いたように思いました。
シンガポールに到着の時間が近づきました。この船は次のお客を乗せる準備のため、到着の2時間前迄に、部屋から出なければいけないそうです。部屋の前に荷物を置き手荷物だけ持って出ましたが、ロビーもビアガーデンも人が一杯でした。散歩コースの方に行きましたら、またスコールが激しく通り過ぎて行きました。
シンガポールでは一斉に下船するので桟橋の出口に向かう人で一杯になり、下船するのに1時間半かかり乗船の時より大変でした。荷物も2500人分なのでコンベヤーから出てくるのに大分待たされました。暑さで疲れてボーッとしていましたら、船員の方が気遣って声を掛けて下さいました。シンガポール入国の手続きを終え、添乗員と空港に向かいました。帰りは11時の飛行機です。添乗員はイスラム教徒で、青々とした坊主頭のとても感じの良い方でした。高速道路を30分程走り空港に着きました。シンガポールはゴミを落としたら罰金との事で、私達も気を付けながら空港に入り土産屋のある所で時間をつぶしていました。チョロQのような車が荷物を運んで飛行機に積んでいました。やっと時間になり飛行機に乗り込みました。
私達が定年になったら日本丸か飛鳥で世界中を回りたいと思っておりましたが、費用も時間も凄くかかります。そこで息子が1週間の旅を捜してくれました。皆様も是非1週間の旅ですので行ってみたらいかがでしょうか。大変良いいろんな事を経験し楽しませて頂いた旅でした。秋にはまたスーパースターレオ号で、中国やベトナムを旅したいと思っております。
私達在宅福祉グループには、皆様におなじみのガイドヘルパーが一時期10数名在籍しており、ボランティア活動と並行して行っていました。この制度が東京都から各自治体に移管され、石丸相談役(前会長)が「職員は忙しく利用者とガイドのコーディネートをするためには、夜間に電話をしなければガイドがつかまらない」と見るに見かねて自分で電話をしてガイドヘルパーを探すことから、江盲協との関わりが始まりました。平成になってすぐの頃かと思います。その時石丸さんから誘われ、何人かのガイド加入者がありました。
在宅福祉グループは特別養護老人ホームでの活動や、在宅療養している方に、自立のためのリハビリ介助や通所通院のお手伝い、障害者団体のイベント等のお手伝いを行ってきました。無論江戸川視障協の行事にも大勢で参加しております。
平成7年4月に高齢者や障害のある方を対象とした、『ふれあい弁当』の宅配を開始し、利用者から喜ばれております。区の管轄は高齢者と障害者はそれぞれ別の窓口であり同時にサービスを行うことはできませんが、私達は「皆さん食事の面で不自由なさっていることに変りはないだろう」との観点から同時に支援していこうということになり、自主的活動というボランティアの強みを生かし実施致しました。毎週1回60食前後を配達しています。
今年5月からは皆様の城東ブロック家庭生活訓練事業の、料理教室を通して他区の方々とも協力して食事を作り、一緒に味わいながら交流も深めるという企画の、お手伝いをすることが決まり、配食班の得意とする家庭料理の、お手伝いが出来ることになり、班長の石塚はじめ一同は、「大変だけどやり甲斐があり、皆様にも喜んで頂ける」と4回シリーズを準備しています。
現在グループ会員も120名となり、江戸川区福祉ボランティア団体協議会の中でも、大きい方ではないかと自負しています。
不景気の社会を反映して、若いボランティア希望者がなかなか増えない時代ですが、私達は他人のために少しでもお役に立ちたいと集まっているグループです。
「ムリなく、ムラなく、末永く」をモットーに、家族の理解を得ながらこれからも出来ることをこつこつと続けていきます。
音訳ボランティア風の会
このゴールデン・ウィークに手術後のリハビリの夫に同行して、阿蘇と久住の温泉巡りをした。山裾のそこここに清水が湧き、温泉が出ており、何よりも新緑の美しさを堪能した7泊だった。俳句を始め句会に入って4年。いつの間にか、句をひねって手帳に書き付けている自分がいた。
水田に阿蘇より高きこいのぼり
熊本空港から知人の案内で、まず阿蘇の外輪山をドライブ。途中の農家の庭々に大きな幟と鯉のぼり。雄大な山と新緑を背景にしてこその鯉のぼりと痛感。
草千里大縄跳びの高校生
草千里芥子粒ほどのわらび採り
広い草原で200人ほどの男女高校生が20人を1チームに、どのチームが長く跳べるか大声で綱を廻して競争していた。彼ら彼女らの熱中振りを見て、学生時代を思い、私もいっしょに跳びたくてうずうずした。遠くの草原の斜面には山菜採りの家族連れの姿がチラホラ。日本的な箱庭と全く違う360度の景観に酔いしれた。
新緑の滴り落ちし露天の湯
全国名水百選の一つ白川水源を経て最初の宿、産山村の民宿「やまなみ」へ。流し放しで豊富な湯量の露天風呂「四季の湯」でゆっくり手足をのばす。すぐ目の前は雑木林。風に緑の葉が揺れ、木漏れ日がお湯に反射して目にしみた。
古宿のきしむ階段蛙(かわず)鳴く
2軒目の宿は大分県玖珠郡に入って川底温泉「蛍川荘」。菅原道真も入ったと伝えられる川底の石の間から湧く温泉。15畳ほどの四角い湯舟が三つ並んでいて、奥から高温、中温、低温。3種類の湯が湧くという。底石がくっきり見える透明なお湯。オートバイ旅行の若者やドライブの家族連れが次々に入ってくる。温泉に入るだけなら300円也。温泉を水筒にいれていくのは無料。一軒宿で建物が古く迷路のよう。夜中に降りていくときざはしが鳴り、外の川から蛙の声が聞こえた。
葱坊主ラムネ湯料金二百円
最後の3泊は大分県直入郡直入町の長湯温泉。湯布院と黒川温泉の中間に位置している。全国温泉番付で関脇にランクされる名湯で、日本一の炭酸泉が売りで黄色く濁ったお湯。ヨーロッパを旅行するとよくでてくるスパークリングウオーターの味である。公営、私営合わせて10以上の公衆温泉がある。
中でもラムネ湯が人気で、すぐ外の畠に葱坊主が並んでいた。戸口で200円を郵便受けのような箱に入れて入場する。露天湯で湯舟が三つ。こちらは熱い温泉で、奥にあるお目当てのラムネ湯はヒヤッとする冷たさ。しかしだんだん気持ち良くなる。次第に腕など皮膚に気泡がついてくる。30分過ぎると泡がさらに大粒になる。その泡を掬い取るようにして遊ぶ。ラムネ温泉とは昭和の初めに大仏次郎が命名したとか。もう一度是非訪れたいと後を引く温泉だった。
豊の国つばめ注意の掲示あり
旅の間、田植えを迎えた水田に白い腹を見せてつばめが飛び交う姿を久しぶりに見た。直入町の小さな観光案内所に「つばめが入りますから、必ずドアを閉めて下さい」との張り紙があった。
新緑の久住に多き神の水
今回の旅行では、どれほど多くの水源を訪ね、美味しい水を飲んだことか。中でも豊後竹田市は、市中のあちこちから水が湧く水の都。21世紀に入っても私たちは豊かな自然に抱かれていることに感謝あるのみだった。また、水源地には必ず原生林があり、水神様を祀ってあった。至る所に古い神社があり、鎮守の森があった。千年を超える御神木の杉や欅があり有難さに思わず抱きついてしまった。道路工事などで大切な自然が壊されている場面にも遭遇したが、鎮守の森と水源林のお陰で素晴らしい緑が保たれていることを実感した旅でもあった。
1.簡単おいしいクッキング
(城東ブロック「家庭生活訓練料理教室」より)
◎ 漬物ちらし
材料(4人分)
白米560g(3カップ) だし昆布10p
たくわん40gキュウリ40g(1/2本) しらす干し20g さくら大根40g
白ゴマ5g 酒少々 A(酢35cc 砂糖13g 塩2g)
作り方
(1)米をとぐ。
(2)さくら大根は粗みじん切り、たくあん、キュウリは5mm角に切る。
(3)しらす干しは熱湯に通す(酒少々加えて)。
(4)合わせ酢Aを作り、ゴマを煎る。
(5)炊き上がったご飯に合わせ酢を混ぜ具を加える。最後にご飯の上にゴマをふる。
◎ 豚肉の野菜巻き
材料(4人分)
豚もも薄切り200g にんじん50g(1/4本) いんげん8本
油・小麦粉少々 A(しょう油・酒・みりん各12cc)
レタス・トマトは人数分用意する。
作り方
(1)豚肉を広げて塩、こしょうをする。
(2)にんじんは8mm角の棒状に切り、薄味で下煮しておく。
(3)いんげんはゆでて肉の巾に合わせて切る。
(4)肉は自分の方に縦に向けて並べ(その時1p位重ねる)
野菜は横に並べてのせる。小麦粉をふり、肉を巻き楊子で止める。
肉から出た野菜は切る。
(5)しょう油・酒・みりんを合わせて調味液Aを作っておく。
(6)フライパンを熱し油をひいて肉を焼き、
焦げ目がついたら調味液を回しかける。
火を弱めてふたをして蒸し焼きにする。最後はふたを取り中火で汁気をとばす。
(7)3等分に切り、切り口が上になるようにして野菜を添えてだす。
◎ 春雨サラダ
材料(4人分)
春雨28g キュウリ48g(1/2本) ハム20g(1枚)
キクラゲ2g 卵2個 A(しょう油8cc 砂糖6g 酢8cc
塩・ごま油・からし各少々)
作り方
(1)春雨は湯でもどし、食べやすい長さに切る。
(2)キュウリ・ハムは千切りにする。キュウリは薄めの酢水で酢洗いをする。
(3)キクラゲはゆっくりもどし、千切りにする。
(4)卵は水溶き片栗粉(小さじ一杯くらい)入れ、薄焼き卵を作り
千切りにする。
(5)調味液Aを作り材料を合わせる。
◎多機能音声体重計(タニタ製)
体重、体脂肪率、内臓脂肪、基礎代謝、筋肉量を手軽に測ることができる音声体重計です。身長、性別、年齢の設定は音声ガイダンスにしたがって簡単に入力できます。あとはかかとを表面のくぼみに合わせて乗るだけです。体重と体脂肪率をすぐに音声で知らせてくれます。続けてボタンを押すと基礎代謝、内臓脂肪、筋肉量などを音声でお知らせします。ボタンも分かりやすく音声も聞きやすいので安心して健康管理ができます。イヤホン機能付き、イヤホン機能無しの2機種から選ぶことができます。
※測定に際して微弱な電気を流しますので、ペースメーカー等の体内機器を装着している方は使用しないで下さい。
大きさ:(幅)320×(奥行)331×(高さ)36mm
重さ :約2.6kg
価格 :20,800円(イヤホン機能付き) 19,600円(イヤホン機能無し)
日常生活用具給付制度対象品
お問い合わせ : 日本点字図書館用具事業課 03−3209−0751
◎ レンジで便利な鍋
「クック膳」は、電子レンジで簡単に素早く蒸す、炊く、煮る事のできるレンジ専用の鍋です。外蓋・内蓋・ザル・本体の4層構造です。煮込み料理は短時間ででき上りますし、蒸し料理はむらなくふっくら仕上がります。火を使わないので安全、しかも少量の油で調理できてとてもヘルシー。
容量 : 1.7g
価格 : 5000円
(御飯炊きや魚の煮物、ローストビーフなど、手早くできるレシピと計量カップ付き)
お問い合わせ : スケーター 0742−63−2040
◎ ぬるだけで花粉配除
「花粉鼻でブロック」は、業界初、鼻に塗るだけで花粉の吸入を防ぐクリームです。鼻の入口に塗って鼻の中に保護皮膜を作ります。この皮膜が花粉、ダニ、埃、ペットの毛などを吸着し、体内に取り込まれるのを防ぎます。無味無臭、1回の使用で効果は約4時間。運転中や妊娠中の人も安心して使えます。
価格 : 1650円(ドラックストアなどで購入できます。)
お問い合わせ : フマキラーお客様相談室 0077−78−8555
◎ 音で温度を知らせるフライパン
BEEP(ビープ)は、温度センサーとアラーム機能がついたフライパンです。このフライパンをガスコンロで150℃まで熱すると、持ち手部分にある小型スピーカーから警告音が約10秒間鳴ります。これにより、料理に適した状態が分かり、からだきを防ぎます。IH(電磁誘導加熱)ヒーターの場合は、急激に温度が上るため200℃程度で警告音が鳴ります。アルミニウム合金製で、米国製でフッソ樹脂テフロン加工してあります。リチウムボタン電池1個を使用。持ち手の色は、白、青、黄色の3色。
価格 : 直径24cm 9,450円、26cm 10,500円、28cm 11,550円
お問い合わせ : 日本アルミ 06-6394-6200
選評:松原信孝先生
(投稿順)
<伊藤 茂さんの短歌>
原作 空見上げ手差し延べれば雨ポツリ手には白杖つかの間まよう
添削 空見上げ手をし伸べれば雨降れり白杖の身の束の間迷う
(評) 感覚的に詠まれていてよいでしょう。「手」の字が二つありますので全体をこのようにまとめてみました。
原作 鮮やかな色とりどりの衣装つけ夢がさめれば無色の世界
添削 鮮やかな衣装をつけていし夢の覚めればあわれ無色の世界
(評) ニ句目の「色とりどり」を省かれても「鮮やか」と「無色の世界」とありますのでよくなると思います。
<神田香子さんの短歌>
原作 五月晴れ晴れてたのしや明日もまた友の家にて外出たのし
添削 五月晴れの外出たのし明日もまた友の家にて過さむわれは
(評) 初句とニ句目は「五月晴れ」「晴れて」と続きますので、このようにして最後のところは「過さむわれは」としてもと思っています。
<成田貴美代さんの短歌>
原作 夢馳せてめぐる思いを深川へ往時を偲ぶ江戸資料館
添削 深川に夢を馳せ来て思い深し江戸資料館に往時を偲ぶ
(評) 「夢馳せて」から歌い起こすより「深川に」から一首を作りはじめますとよく、三句目は「思い深し」としてもよいでしょう。
<宮地昭雄さんの短歌>
原作 乗鞍は天に近しと人は言う雨風おこりて肌(はだえ)をたたく
添削 天に近き乗鞍岳に登りしとき雨風ありて肌え叩かる
(評) 乗鞍岳の山頂に登った時の思いを作品化したものですから、そのまま
三十一文字にすると良く、一応このようにしてみました。いかがですか。
<和田 彰さんの短歌>
原作 冷風に桜の花も咲き出でず花見の酒よ春な忘れそ
添削 風寒く桜のいまだ咲かぬ日の花見の酒よ春な忘れそ
(評) 初句の「冷風に」が少し常凡ですので、「風寒く」として歌い起こすとよいではないかと思い、このようにしてはと思いました。最後の「春な忘れそ」は、「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。
原作 風渡り鶯鳴きて桜咲く伊豆高原に妻共走る
添削 うぐいすの鳴きて桜の花咲ける伊豆高原を妻とわが駆く
(評) 原作は「風渡り」から歌い起こしていますが、「うぐいすの」から作品化されるとよく、結句も「妻とわが駆く」とするとよいでしょう。
梅雨の晴れ間に咲いた草花の色鮮やかにホッと心が和みます。
機会がありアイネット編集委員として参加させていただいてから何回か号を重ねてきました。今回漢方医学では縁起がよいとされる「9」、9号の編集後記を担当することとなり、本当に役に立っているのか心配です。編集に携わっていると、みなさんのエネルギーには驚き、圧倒されるばかりです。
4月から「江戸川ガイドヘルプセンター」が始動しました。新しいものへの不安と不慣れさに戸惑いながらも一生懸命の利用者の方々。日頃のみなさんの様子を少しでも多くアイネットに反映できたらと思っております。いつも心掛けていることはできるだけ新しい方に参加していただき、内容もマンネリ化しないようにと思っております。柏谷さんのボランティア活動や有馬さんの友を思う気持ちを取り上げたのはそのよい例ではないでしょうか。編集委員はアイネット発行のために一生懸命取組んでおります。原稿の依頼がありましたら、快く引き受けていただきたく委員一同心から願っております。又意見等ありましたらご一報ください。これからもそばに置いて読んでいただけるよう、頑張っていきたいと思っております。 (K)
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