アイネット情報誌に投稿頂いた短歌をまとめてupしました。第2号からの掲載となっております。どうぞお楽しみ下さい。
文字の大きさが調整できます
本会顧問の松原信孝先生(短歌会冬潮主幹)に添削をお願いしました。
<小松栄次さんの短歌>
原文 「子や孫を送り迎えの通園路子犬名を呼びしばし留まる」
添削 「己(おの)が孫送り迎えの通園路に子犬を呼びてしばし留まる」
(評)子とか孫とかでなくお孫さんだけに思いをそそぎ歌われるとよく、上句をこのようにしてみました。
原作 「割り切れぬ思い残して避難船明日が見えない雄山の煙」
添削 「明日の思い見えないままに避難する船より人ら雄山の煙(けむ)見る」
(評)内容がよくわかる作品ですので、「割り切れぬ」を省き、全体をまとめてもと思います。
原作 「人は言う夏の出会いは短いと知ってかセミは雷雨にめげず」
添削 「夏の出会いは短いと言う人のこえ知る蝉ならむ雷雨にも鳴く」
(評)「人は言う」は結論を急ぎすぎていますので、このようにしてよいでしょう。
<神田香子さんの短歌>
原文 「いただきてかざりし花は見えずとも香り高きに心もなごむ」
添削 「盲いわれに賜わりし花見えずとも香り高きに心なごみぬ」
(評)初句の「いただきて」は何を頂戴したのかわかりませんので、このようにしますとよいでしょう。
原文 「朝風呂にうぐいすの声聞きながらもうひと声と湯上がりおそし」
添削 「うぐいすにもうひと声と朝風呂に待ちいてわれは湯上がり遅る」
(評)結句の「湯上がりおそし」は生きていませんから「うぐいす」から歌い起こすとよくなると思います。
<`島三郎さんの作品>
原作 「風薫る外湯を楽しむ夕べかな」
添削 「風薫る外湯楽しむ夕べかな」
(評)「外湯を」の「を」を省かれますと感情が透徹される形で表現できるでしょう。
原作 「手のひらに鴎来たりてフィヨルドの船在る我の旅情慰む」
添削 「手のひらに鴎来たりてフィヨルドの船なるわれの旅愁慰む」
(評)原作は「旅情」ですが「旅愁」としました方が味わいが増すと思います。
〈神田香子さんの短歌〉
原作 「梅雨どき友の外出降らぬよう 皆んな楽しく無事故を祈る」
添削 「外出(そとで)する友らに梅雨の降らぬよう 祈りぬ無事故で楽しくあれとも」
(気持ちはよく理解できる一首ですが、使われている歌語の統一性が少しとぼしいように思いました。それは、「梅雨どき」から「降らぬよう」までが離れすぎていますし、「友の外出」とあり友人の一人が外出するのかと思うと、「皆んな」とあり、どうして「皆んな」をわからせるか難しいように思いました。このようにしますとよいでしょう。)
〈延原光子さんの短歌〉
原作 「久びさに訪ねし友の顔見えず 声する方へ手を伸ばしたり」
添削 「盲(めし)いゆえ久に訪いたる友の顔 見えねど声する方に手を出す」
(気持のわかる作品ですが、原作の行為が「なぜ?」という感じがしました。初句で「盲いゆえ」と表現しますと、全体像がハッキリとするのではと思いました。)
〈小野塚耕吉さんの短歌〉
原作 「宴済み広きベットにユラユラリ 野鳥の啼きて異国の目覚め」
添削 「宴終え眠りしベッドの心地よし 異国の朝は鳥の音に覚む」
(「宴済み」は散文的ですから、「宴終え」とし二句目以下にも少しの工夫があればと思い、このようにしてみました。いかがですか。)
〈伊藤 茂さんの短歌〉
原作 「砂浜を素肌で歩く早朝に はるかな日本なぜかおもわん」
添削 「裸足にて砂浜あゆみ早朝に なぜかはるけき日本思いぬ」
(素肌、即ち衣服や特に下着やおしろいなどをつけないで砂浜を歩くといいますのはどうかと思いました。むしろ「裸足にて」と初句に置きますとよくなり、全体をこのようにしてもと思いました。)
〈長谷川とくよさんの短歌〉
原作 「七十を越えてプールの初泳ぎ 翔びたたん雛のさながらにして」
添削 「七十路を越えてプールの初泳ぎ さながら雛の翔び立つごとく」
(このままでも十分に読める作品ですが、初句の「七十」よりも「七十路」の方が柔らかい表現であり、「七十路」は、二十路(はたち)三十路(みそぢ)と同じで七十歳を指します。また、下句の直喩は「雛の」の「の」が曖昧化し、更に尚「さながらにして」は雛がご自分に似ていると理解されますから、あくまでも、このような状況は「雛さながら」であると歌うべきで、「翔び立つごとく」としてみました。)
選評:短歌会「冬潮」主幹 松原信孝先生
(掲載順不同)
〈延原光子さんの短歌〉
原作 「江戸川を終のすみかと戻り来て 障害仲間と区歌をうたえり」
添削 「終(つい)の住処(すみか)と決めて戻り来し江戸川区に 身障者仲間と
区歌を唱えり」
(評)よく纏まっている作品で、このままでも採用できる作品です。ただ、初句の「江戸川に」から「終のすみか」とあるところが、作歌する意識の中に「江戸川」即「江戸川区」という形で詠まれているので、不自然な感じはないように思えるが最後の「区歌」と噛合わないのではと思っています。上句は字余りでも「終のすみかと決めて戻り来し江戸川区に」としてもよいかと思いました。添削ように作り変えてもよいでしょう。
〈工藤博史さんの短歌〉
原作 「走りさるマラソン人(びと)のあと行けば 秋風わたり江戸川の空」
添削 「マラソン人(びと)走り去りたるあと行けば 江戸川の街に秋の風吹く」
(評)素材的にはよい作品です。秋にふさわしいと思いますが、全体に語句の斡旋がありますと、作品に血がかようように思いますので、初句は「マラソン人」とされて、それから「走り去りたる」と続けられるとよいでしょう。「江戸川の街に秋の風吹く」とされますと、マラソン人の健康そのものが風を呼び寄せたような錯覚を感じさせ、よい作品になるでしょう。
〈長谷川とくよさんの短歌〉
原作 「こんなにも愉しきものか水の中 ウォーキングするつま先立ちて」
添削 「こんなにも愉しきものか初めての 水中ウォーキングせり爪先立ちて」
(評)素直に喜びを歌いあげていてよいと思いました。一首の中に「初めて」という語をいれますと、より感動が深まるのではと思い、このようにしてみました。
〈伊藤 茂さんの短歌〉
原作 「ふしぎかなまるい地球のきた(北)みなみ(南) 春秋もまた逆なり」
添削 「不思議なる地球の丸さ春秋も 北も南も逆になりけり」
(評)最初に「ふしぎかな」と歌い、次に「まるい地球」とありますが、二句目は「地球の丸さ」としますと、それ以下が歌いやすくなるのではと思い、このようにしました。よくなると思います。
〈神田香子さんの短歌〉
原作 「しあわせの坂道登る二人連れ 仲良く子等を育てゆくかな」
添削 「しあわせの坂道登り子育てを 仲良く二人連れにて励む」
(評)一首から、作者の気持ちのよくわかる作品ですが、一首の核になるものがやや欠けているように思います。「二人連れ」は三句目でなく、四・五句目に据え、「子育て」を三句目に置くとよいでしょう。
選評:短歌会「冬潮」主幹 松原信孝先生
(掲載順不同)
〈和田 彰さんの短歌〉
原作 「春風に香り華やか沈丁花白き杖ゆくわが道標」
添削 「沈丁花の香りさやけく吹く風にわが道標を白杖にてゆく」
(評)一首さわやかな作品である。それは「春風」をテーマにしているからだろう。ただ、風の香りが爽やかというよりも「沈丁花」の香りが爽やかなのではと思い、上句は「沈丁花の香りさやけく吹く風に」と言葉を置き、それから「わが道標を白杖にてゆく」としてもよいのではと思っています。「春風」は沈丁花が咲いていることでわかりますから「春」を省き、作品の中に作者の姿を浮き立たせてみました。
〈工藤博史さんの短歌〉
原作 「SLの汽笛こだまし山里に我追想ししばしみとらん」
添削 「山里に汽笛こだまするSLを追想しつつしばし聴きおり」
(評)「SL列車」を歌った作品が少ないのは、作品化がむずかしいからかも知れません。工藤氏の一首は最初に「SL」としておりますが、この場合は「山里に汽笛こだまするSLを」と三句までまとめられ、下句は「追想しつつしばし聴きおり」としてはどうだろうかと思いました。「谺」を「聴く」と纏めますのが素直かとも思っています。
〈尾崎美和子さんの短歌〉
原作 「露天風呂星がきれいと友の声頬にやさしく旅の夜風が」
添削 「夜の風が頬にやさしき露天風呂に星がきれいと友の声せり」
(評)最初に語感の重い「露天風呂」という語を置いていますが、発想句としては爽やかにまとめますとよく、上句は「夜の風が頬にやさしき露天風呂に」としまして、それから「星がきれいと友の声せり」としましてもよいかと思いました。「旅」というのは表現しなくても旅愁が歌われていて、よいと思いました。
〈延原光子さんの短歌〉
原作 「酔いやすき我をいたわる子に縋りのぼりし土手の草柔らかし」
添削 「車酔いしたるを吾子にいたわられ登りし土手の草柔らかし」
(評)一首の中で作者延原氏が「酔いやすき」は「車酔い」ではないかと思う。酒類に酔うとしたら場所がやや不自然ですから・・・。この場合「車酔いしたるを吾子にいたわられ」と上句に纏められ、その車から降りられた作者を柔らかな草生に連れていってくれた優しさを歌い、「登りし土手の草柔らかし」としますとよいでしょう。吾子のやさしい情感のにじむ一首でもあります。
〈神田香子さんの短歌〉
原作 「五月晴れどこへ行っても花盛りそっと触りて絹の花のよ」
添削 「五月晴れの街はいずこも花盛り絹のようなる花に触れみぬ」
(評)気持よく歌われている作品と言えましょう。ただ、初句から二句への言葉の繋がりが軽いように思いますので、「五月晴れの街はいずこも花盛り」とされてから、「絹のようなる花に触れみぬ」としてはどうかと思っています。「絹の花のよ」は中途半端な表現ですし、三句目の「そっと触りて」もイメージが拡散されて味わいに乏しいですから。
〈宮地昭雄さんの短歌〉
原作 「妹逝きて薄きえにしの侘しさよ共に遊びし幼き日思う」
添削 「縁うすき妹逝きし佗しさよ共に遊びし幼な日おもう」
(評)妹さんが他界されて思われる心のもろもろが込められていてよいでしょう。初句の「妹逝きて」と「縁うすき」のつながり方が良いように思えませんから、この場合は「縁うすき妹逝きし佗しさよ」として、作者の心のすべてを歌いあげてから、「共に遊びし幼な日おもう」としましてもよいでしょう。一首から作者の温かい人間性を知ることができ、心惹かれてやまない。
選評:短歌会「冬潮」主幹 松原信孝先生
(掲載順不同)
〈和田 彰さんの短歌〉
原作 「秋深し虫の音淋し君恋し夜長を如何に過ごしておわす」
添削 「秋深み虫の音寂しきこの夜長恋しき君は如何に過ごすや」
「秋深み虫の音寂しきこの夜長君恋うこころ如何に過ごさむ」
(評)一首の中に作者の真摯な姿勢が感じられ、好感のもてる作品であるが、「し」の音感が上句では働き過ぎているように思いました。一応、「添削」を二種類提示しましたが、前者は「君」の現在を推察する形で作品化し、後者は、作者自身の思いを投げ掛けて「君恋うこころ」としてみました。両者ともよい作品で捨てがたいものがあり、良いと思っています。
〈延原光子さんの短歌〉
原作 「盲会にいで行く我に一才のひ孫は言葉にならぬ声あぐ」
添削 「盲人会に行く吾を見送り一歳の曾孫は言葉にならぬ声あぐ」
(評)一首の纏まりのよい作品とも言えますが、「盲会にいで行く」といいますのにやや表現の粗さが見られました。この初句から二句については、「盲人会に行くわれを見送り」と丁寧な表現にすることで、内容が屹立するようになると私なりに思っています。
〈宮地昭雄さんの短歌〉
原作 「ふるさとの空の予報になに思うあるじなき家山里の秋」
添削 「ふるさとの天気予報に思いたり主なき家と山里の秋を」
(評)「空の予報」と言いますのは「天気予報」のことだと思い、二句目と三句目は「天気予報に思いたり」としますと良く、一首が味わい深い作品になると思いました。また、下句も「主なき家と」「山里の秋を」としてみました。よいでしょう。何かにつけて故郷を偲ばれる作者の優しさがにじんでいる作品です。
〈有馬妙子さんの短歌〉
原作 「盲人の会に入って早や五年聞こえる耳に感謝する日々」
添削 「盲人会の会員となり五年経ぬ聞こえる耳に日々を感謝す」
(評)作品的に上句で「盲人の会に入って」と日常性そのままに表現していますのが気になりますので、この初句と二句目では「盲人会の会員となり」としますとよいでしょう。下句では、目が見えなくても耳の聞こえることに、毎日感謝していることが作品を成立させていると言っても過言ではありません。
〈成田貴美代さんの短歌〉
原作 「軽やかに走るタンデムペダル踏む仲間と遊ぶコスモスの道」
添削 「タンデムのペダルを踏みて軽やかに友とコスモスの道を走りぬ」
(評)原作では「軽やかに走る」と最初に歌い起していますが、作品の主体であります「タンデム」は、元は、縦並びの二頭の馬やその馬車の意味で、二人乗り用自転車ですから、作品的に上句では「タンデムのペダルを踏みて」と歌い、それから「軽やかに友と」としますとよいでしょう。爽やかな一首になると思います。
〈小野塚耕吉さんの短歌〉
原作 「フィレンツェの露店のオヤジがこんにちは我等をジャパンマネーと見たり」
添削 「マネーと我等を見しかフィレンツェの 露店の親父が「は」と言う」
(評)初句に置かれてある「フィレンツェ」は花の都という意味の、イタリア中部の都市である。風光明媚でルネサンス文化の中心地だけに、露店もひしめいてあるのでしょう。その露店の「親父」が人なつこい日本語で呼び掛けてきたというのが味わい深い作品にしている。佳吟。
えどもう歌壇では皆様の投稿をお待ちしております。
(投稿順)
誕生日迎えてうれし七十九 百まで住むと人の迷惑
(5月25日が誕生日) 神田 香子
新緑の代々木公園人多し かき分け走る今日も楽しき
妻と共坂道歩む四十一年 今穏やかに過ごす日々かな
(平成15年5月13日結婚記念日に) 和田 彰
先行きの見えぬ時節の政(まつりごと) この身に降るは青葉時雨か
工藤 博史
目の神と縁起呼びたる宮代に 願いこめつつ鈴振り鳴らす
延原 光子
五月晴れ待てど今宵もまた小雨 バブルの景気懐かしくもあり
(経済不況を五月の天候不順にたとえて)
宮地 昭雄
気持ち良き湯につかりしは舘山寺 心身ともに癒されるなり
伊藤 茂
*今回は、松原先生のご都合により添削はありません。
選評:短歌会「冬潮」主幹 松原信孝先生
(掲載順不同)
〈永井 宏さんの短歌〉
原作 秋の夜に目覚めてラジオ聴きおれば「歌は真実演技でなし」と
添削 秋の夜を目覚めてラジオ聴きおれば「歌は真実演技でなし」という
(評)夜更けに目覚めてラジオから流れてきた音声に、心を揺すぶられたことを率直に三十一文字に纏めたところに感銘深いものがあろう。
原作 本間氏のお別れ会にのぞみなば偉大な功績神から来ると
添削 本間氏のお別れ会寂し偉大なる功績は神の教えとぞいふ 嗚呼
(評)前作とこの一首はともに素直に事実を見つめられ、短歌として歌われているのがよいと思いました。このような人事詠では相手を尊重されて歌われるとよい作品が得られると思っています。
〈松田 恵子さんの短歌〉
原作 軽井沢のさわやかさ偲ぶ松本楼テラスのランチ小鳥らと風
添削 軽井沢の松本楼偲びぬさわやかなテラスのランチと小鳥と風と
(評)この作品の場合は、下句で軽井沢のさわやかさを表現するとよく、「ランチと小鳥と風と」としてみました。現代風な作品になると思います。
〈小野塚耕吉さんの短歌〉
原作 ヒースロー耳欹てて座り居る買い物ゆきし妻の荷持ちて
添削 ヒースローに耳峙だてて坐りおり買物に行きし妻の荷持ちて
(評)作者の日常性のうかがえる作品。ただ「ヒースロー」が生かされているかいないかが、この作品の評価がより良くもなると思っています。
〈福岡明夫さんの短歌〉
原作 碁敵の一周忌済み秋めきて彼の故郷のジャスミン茶注ぐ
添削 碁敵の一周忌済みぬ秋めきて彼のふる里のジャスミン茶注ぐ
(評)「碁敵」は常日頃、囲碁を楽しむ相手であっただけに、その一周忌を終えられた作者の心境は、推し量ることが出来る。そして、碁敵のふる里のジャスミンの茶を注ぎ、往時をしのばれていたのだろう。哀感のある一首といえよう。
〈伊藤 茂さんの短歌〉
原作 白き杖持ちて早くも十九年雨・風・雪に目足となりて
添削 白き杖持ちて十九年はやも過ぐ雨・風・雪に目と足になり
(評)素直に自分の置かれている状況を短歌に歌われ味わい深い作品である。
原作 水際で見えぬウイルスとめられて何故とめられぬヤク人ガンは
添削 水際にて風邪のウイルス防ぎしに麻薬また拳銃など押収できぬか
(評)社会的に問題化している悪の温床を駆除できぬことの悲しさが歌われ、心打たれるものがある。
〈工藤 博史さんの短歌〉
原作 久々に知人とくぐる縄のれん秋の夜長に話題は尽きず
添削 ひさびさに知人と縄のれんくぐりたる秋灯の下に話題は尽きず
(評)気持のわかる作品ですが、「夜長」が一晩中ということで、少し気になりました。「秋灯の下」としますと事実が浮かび上ってくるように思えます。
〈延原 光子さんの短歌〉
原作 恙なく一日(ひとひ)終わりぬ佛前に語りかけつつおりんを鳴らす
添削 恙なくひと日終わりぬ今日もまた佛前にお鈴を鳴らし語りぬ
(評)事柄をあるがままに歌われていてよいでしょう。ただ、一首の中に「今日もまた」を入れることで、昨日もそうだったがとなりよくなると思います。
〈宮地 昭雄さんの短歌〉
原作 拉致されてあの海山ぞ超えしかと今は悲し清津の丘
(清津の小・中校で学んだ私はその海・山・自然に郷愁にも似た懐かしさを感ずるとアイネット1号に記したが、その後拉致を知るに及んで気持ちは一変した。)
添削 拉致されし人らあの海越えしかと思えば悲し清津の丘も
(評)拉致されていた五人が帰られて「拉致問題」は解決どころか、暗澹なる状況の中で不透明化している。拉致された人の帰還をせつに願ってやまない。その思いは清津小中学校で学ばれた作者にはひとしおだろう。
選評:松原信孝先生
(投稿順)
<伊藤 茂さんの短歌>
原作 空見上げ手差し延べれば雨ポツリ手には白杖つかの間まよう
添削 空見上げ手をし伸べれば雨降れり白杖の身の束の間迷う
(評) 感覚的に詠まれていてよいでしょう。「手」の字が二つありますので全体をこのようにまとめてみました。
原作 鮮やかな色とりどりの衣装つけ夢がさめれば無色の世界
添削 鮮やかな衣装をつけていし夢の覚めればあわれ無色の世界
(評) ニ句目の「色とりどり」を省かれても「鮮やか」と「無色の世界」とありますのでよくなると思います。
<神田香子さんの短歌>
原作 五月晴れ晴れてたのしや明日もまた友の家にて外出たのし
添削 五月晴れの外出たのし明日もまた友の家にて過さむわれは
(評) 初句とニ句目は「五月晴れ」「晴れて」と続きますので、このようにして最後のところは「過さむわれは」としてもと思っています。
<成田貴美代さんの短歌>
原作 夢馳せてめぐる思いを深川へ往時を偲ぶ江戸資料館
添削 深川に夢を馳せ来て思い深し江戸資料館に往時を偲ぶ
(評) 「夢馳せて」から歌い起こすより「深川に」から一首を作りはじめますとよく、三句目は「思い深し」としてもよいでしょう。
<宮地昭雄さんの短歌>
原作 乗鞍は天に近しと人は言う雨風おこりて肌(はだえ)をたたく
添削 天に近き乗鞍岳に登りしとき雨風ありて肌え叩かる
(評) 乗鞍岳の山頂に登った時の思いを作品化したものですから、そのまま
三十一文字にすると良く、一応このようにしてみました。いかがですか。
<和田 彰さんの短歌>
原作 冷風に桜の花も咲き出でず花見の酒よ春な忘れそ
添削 風寒く桜のいまだ咲かぬ日の花見の酒よ春な忘れそ
(評) 初句の「冷風に」が少し常凡ですので、「風寒く」として歌い起こすとよいではないかと思い、このようにしてはと思いました。最後の「春な忘れそ」は、「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。
原作 風渡り鶯鳴きて桜咲く伊豆高原に妻共走る
添削 うぐいすの鳴きて桜の花咲ける伊豆高原を妻とわが駆く
(評) 原作は「風渡り」から歌い起こしていますが、「うぐいすの」から作品化されるとよく、結句も「妻とわが駆く」とするとよいでしょう。
(順不同)
<小野塚耕吉>
原作 鈴虫の恋を求めて鳴き競う篭遠ざけてひとり熱燗
添削 鈴虫は恋を求めて鳴くらむか篭遠ざけて熱燗を酌む
(評) 『古今集』を思わせる一首である。秋になることで「鈴虫」が鳴いているのは恋を求めて鳴いているのだと認識し、それらに関わりなく熱燗を呑む作者の、心中の覗ける作品にしているのがよいと思った。
<伊藤 茂>
原作 縁側にくだものおはぎススキたて庭に虫の音(ね)今は昔か
添削 縁側に芒と月見のおはぎ供え虫の音を聞く今もかわらず
(評) この作品は「お月見」を詠まれていると思いますので、「月見のおはぎ供え」として、聞く虫の音に思いを寄せているのがよいと思いました。
<和田 彰>
原作 公園のジョギングの空茜さす「明日は天気」と語りし妻は
添削 ジョギングの公園の空茜せり「明日は天気よ」と妻の語れり
(評) 最初に「公園の」とありますが「ジョギング」として、それから「公園の空」につづけますとよいと思います。結句も素直に歌われますとよいと思います。
<成田貴美代>
原作 舞姿舞台に映えて華麗なり見上げあこがるオデット姫や
添削 舞台にてバレエ舞う姿華麗なり見上げつつオデット姫に憧る
(評) 上句で「舞姿舞台」という表現は「舞」の字が二つ重ねられていますので、固い表現ですから、上句は「舞台にてバレエ舞う姿」としますとよいでしょう。
<工藤博史>
今年の4月に、育ての母が他界いたしまして、初盆に帰省した時の情景を詠んでみました。
原作 亡き母の見えぬ墓石(ぼせき)に手を合わす向こうで鳴くは蜩蝉か
添削 亡き母の墓石見えねど手を合わすいずこにか鳴く蜩のこえ
(評) 育ての母親が他界された事にいろいろな感情が湧いたことでしょう。「向こう」というよりも「いずこにか鳴く」として、この世の万象も嘆いているとしてもよいでしょう。
<松田恵子>
原作 焼きたてのパンとコーヒー香り立つ子達(こら)行き過ぎて二人のみの朝
添削 焼きたてのパンとコーヒーの香り立ち子らの巣立ちて二人のみの朝
(評) 香ばしい焼きたてのパンとコーヒーの香りの漂うとき、巣立った子供らが思われたという、爽やかな作品になっているのに好感がもてる。
<大嶋潤子>
ロプノールとは、楼蘭王国繁栄の礎となった湖の名。1000年の周期で移動する「彷徨える湖」。このロプノールの移動とともに、楼蘭も滅亡の道をたどったのである。
原作 時を経て流れ彷徨うロプノール
夢過ぎ去りし楼閣のあと
添削 時を経てロプノールが流れ彷徨えり夢過ぎ去りし楼閣のあと
(評) 一首、味わい深い作品であり心惹かれる作品である。「ロプノール」の魅力がこの作品の核となっていて、一度は訪れてみたくなる作品でもある。
<神田香子>
原作 今日もまた一人で過ごす寂しさに
外出たのし友と語らう
添削 今日もまた独りで過ごす寂しさに外出をして友と楽しむ
(評) 神田さんの作品は孤独感を紛らせるために、努めて外出をして友人と楽しんでいると詠んでいるのが好ましい。「友と語らう」とやや抽象的な表現でなく、「友と楽しむ」とする方が判りやすい表現になると思う。
<永井 宏>
ある番組で、ユーモアを感じたので。
原作 鳴く虫に「夏ばてないの?」と問う人に
「出番ですよ」とすかさず返す
添削 鳴く虫に「夏ばてないの?」と問う人に「今は出番です」と返答をせり
(評) 「ある番組で」とありますが、ここで問題を出したのは誰で、返答をしているのは誰なのかがわかるとよい作品になるでしょう。一応このようにしてみました。現代的な、或いは俵万智風でよいかとも思っています。
選評:松原信孝先生
<神田香子>
原作 春がきた好きな春でも出られないやさしガイドに腕組みながら
添削 春がきて嬉しいけれど出られないやさしいガイドと腕組み歩く
(評) 春がきたことへ作者の喜びが、一首の中に溢れていてよい作品と思う。 「出られないやさしいガイド」と纏めると、なお、良い作品になるでしょう。
<和田 彰>
原作 美しき声の音訳聞きおれば見たしと思う声の恋人
添削 美しき声の音訳よ聞きおれば声の恋人に逢いたしと思う
(評) 作者は音訳者の声が天使の声のように聞こえたのだろう。「声の恋人」は最大級の賛辞と理解すると、作者の思いのすべてが表現されているように思えるのではないだろうか。
原作 空青く桜満開春うらら白杖歩む風吹くままに
添削 空あおく桜さかりて春うらら白杖にて歩む風吹くままに
(評) 桜が満開であるという、春うららの道を風に吹かれながら、白杖を持って歩まれている作者の姿が、髣髴としてくる作品である。空の青い中を歩くという設定の詩性がよく表白されていて味わい深い。
<岡畠信子>
原作 韓国はどこにいっても日本人ポラリスつけてヨン様通り
添削 韓国のいずこにも日本人のおりポラリスつけてヨン様通りに
(評) 韓国旅行の随感の作品と思いますが、何処にも日本人が一杯いたというのが、この作品の中でわかり、心惹かれています。「ポラリス」が何であるかがわかると一層よい一首になると思いました。
<成田貴美代>
原作 貸しボート水面漕ぎ行く母子連れのどかな春の左近川堤
添削 左近川の水面をボート漕ぎ行けるのどかな春に親子連れあり
(評) 初句の「貸しボート」という表現は少し粗いように思えますので、この作品の上句のところは「左近川の」としてから、「水面をボート漕ぎ行ける」としますことで、のどかな春の風情が描けると思いました。よいでしょう。
<工藤博史>
原作 薫風に誘われて行く深大寺木漏れ日の下連れ添い歩く
添削 薫風に誘われて来し深大寺木洩れ日の道を連れ添い歩く
(評) 深大寺を散策されている作者の爽やかな気持ちが、下句に置かれた「木洩れ日の道を連れ添い歩く」という表現で、十全に歌われていると思った。
<宮地昭雄>
原作 山里に故郷の廃家さながらの夏草の中墓標を掃きぬ
添削 山里に故郷の廃家さながらの夏草覆う墓標を掃きぬ
(評) 上句で「故郷の廃家」と表現されながら、三句目で「さながらの」としているのは巧みである。原作の「夏草の中」というのは「夏草覆う」としました方が、内容が豊かになり優れて作品になると思っている。
<小野塚耕吉>
原作 さつ木咲く夜半の街に雨降りて空気の旨さ思い起こせり
添削 皐月咲く夜ふけの街に雨降りて空気の旨さ思い起こせり
(評) 原作の上句が少し平易に扱われているように思いますので、ここのところは「皐月咲く夜ふけ」という表現にされてもよいかと思いました。このようにすることで下句がよくなるとも思っています。
<伊藤 茂>
原作 朝の風若葉香りて清々し生命の息吹心身巡る
添削 若葉吹く風のかおれる朝すがし生命の息吹が心身めぐる
(評) 葉が薫っていてすがすがしいと表現され、「心身巡る」と結句を纏めていますが内容をあまりにも簡潔にしていますので、二句と三句のところを「風のかおれる朝すがし」としますとよいでしょう。
原作 突然に命奪われいと悔し哀しみ残し霊魂何処
添削 突然に命奪われし悔やしさよ哀しみ残しし霊魂はいずこ
(評) 作品的に言葉の持つ詩的な力を考えられるとよく、「いと悔し」という三句目のところは、「悔やしさよ」とゆったりとした詩韻の中に、作者の思いを詠み込まれるとよいのではと思いました。いかがですか。
<福岡明夫>
原作 出迎えの母が一人の無人駅汽車見送ればかわず鳴き沸く
添削 無人駅に出迎えの母一人なり汽車見送ればかわず鳴きたり
(評) 原作の上句「出迎えの母が」と言いますのは、生硬な歌語の扱いになっていますので、ここのところは「無人駅に出迎えの母一人なり」としますとよいかと思いました。このようにすることで、作者の心情がよく理解できるでしょう。
原作 秋の日の香りと共に抱え込むオムツの山も小さくなりき
添削 秋の日の香も包み込みこの頃はオムツの山も小さくなりぬ
(評) 「共に抱え込む」と言いますのが、少し歌い過ぎているように思いますので、この二句目は「香も包み込み」として、「オムツの山も小さくなりぬ」としますとよいかと思いました。素直な表現になり純朴な気持ちが表白できるとも思っています。
(順不同)
選評:松原信孝先生
<成田貴美代>
原作 初春の帝釈天へ初詣味わう団子に寅さん偲ぶ
添削 初春の帝釈天へ詣で来て「寅さん」偲び草団子味わう
(評) 作者の素直な心境を表現されていて味わい深い作品ですが、初句に「初春の」とあり、三句目で「初詣」と言いますのは、内容が重複していますので、三句目は「詣で来て」としますと良いでしょう。下句も「寅さん偲び」とし、結句は「草団子味わう」としてもと思っています。
<工藤博史>
原作 立ち寄りし萩の花咲く百花園都会の喧騒しばし忘れつ
十六夜の日に、勤務先までの定期券を王子まで購入しに行った帰り、向島百花園に立ち寄りました。入り口には、虫かごに鈴虫が入っており、園内では野点の会が催されていました。萩のトンネルが見事で、その時のことをうたってみました。
添削 萩の花咲きてゆかしき百花園に都会の喧騒しばし忘れつ
(評) 作品の制作過程を作者の「こえ」で書かれていてよく判りますが、初句の「立ち寄りし」が少し軽いようですので、上句に「萩の花咲きてゆかしき」とし、それから「百花園に」と続けられるとよいのではと思います。よい作品になるとも思いました。
<和田 彰>
原作 蝉の声終りて聞ゆ虫の声時は流れて今は秋分
添削 蝉の声絶えて聞こゆる虫の音よ時の流れてさわやかな秋
(評) 時の推移の中で、蝉の声が絶えて虫の声が聞こえるという事で、季節感を見事に歌っていると思います。ただ、内容をより深くより温かに表現するための語句の斡旋があればと思い、下句をこのようにしてみました。
<岡畠信子>
原作 向島路地の向こうで母の声待ちきれないと玄関先に
添削 向島の路地にわれ呼ぶ母の声す玄関先にて待ちきれないと
(評) 作品の中に歌われていますのは深い母性愛だと思います。三句目で「母の声」とありますが、これは作者を案じて呼ばれた声と理解して、「路地にわれ呼ぶ」とし、「母の声す」と続けるとよいでしょう。
<福岡明夫>
原作 山茶花の散りしく里の無人駅腰病む祖母が日だまりに待つ
添削 山茶花の散りしく里に腰を病む祖母が無人駅の日だまりに待つ
(評) 作者は久し振りに帰郷されたのでしょう。上句の「山茶花の里」、それも「花が散りしく里」であり、腰を病まれている祖母が待っている里ですので、三、四句目は「腰を病む祖母が無人駅」として、最後のところに「日だまりに待つ」としますとよいでしょう。
〈工藤 博史〉
潮入の 池のほとりに たたずめば 浜風ふきて 八重の花散る
連れ立ちて 緑親しむ 感謝祭 日比谷の園に ホルンの音響く
〈和田 彰〉
桜見に 何処へ行かん 走りだす 風の吹くまま 気の向くままに
谷川の 流れる音に 添い走る 風は汗ふく カッコーは鳴く
〈岡畠信子〉
美容室 似合うと言われ 新色を それ見て家族 目が点だった
サンビーチ おしゃれな海辺 異国風 きどって歩く 犬づれ親子
〈成田貴美代〉
散策の 新宿御苑 春うらら 梢に高き ひよどりの声
〈福岡明夫〉
乗車口 別れを惜しみ 握る手を 奪うがごとく ドア強く閉ず
(川柳) かどの犬 杖見て吠えて 道しるべ
* 今回は松原先生のご都合により、添削はありません。
〈和田 彰〉
風さやか 北の大地の 林道を 走るは静か 鳥蝉の声
きれいよと 咲きし朝顔 夕べには しぼみて我の 手のひらにあり
〈田名後 浩子〉
川遊び 暑さわすれて 清水の せせらぎの音に 心やすらぐ
〈岡畠 信子〉
パソコンを あける楽しみ 友からの 毎日届く がんばれ便り
夕暮れに 海岸通り 散歩する 挨拶されて もう熱海人
〈工藤 博史〉
すすき原 思いにふけて 眺むれば 涅槃に見ゆる 阿蘇の五岳よ
物言わぬ 父を見舞て 帰路行かば 羽田の空の 秋はふけゆく
〈松本 俊吾〉
車窓ごし 炭香漂い コトコトと 心地よきかな 秩父路の秋
船頭の 吐息迫りて み竿揺れ たたみ岩ぬい しぶきあと追う
〈渡 登茂郎〉
* リズムでお世話になっている渡邊テイ子先生のご主人です。
めいっぱい 空蹴あげつつ 競う児ら 「ふらここ」踊る 公園は秋
「乗馬」とふ 健康器具に 遠き日の はだか馬馳せし 血の戻りくる
(「NHK短歌」の入選歌)
〈工藤 博史〉
江戸川の水辺に憩う子供連れ のどけき春の陽光浴びて
〈和田 彰〉
さくらよりつつじの花と来るらし 手を添えふれて妻と楽しむ
学び出で会社勤めの初サラリー 若き頬燃ゆ孫娘かな
〈成田 貴美代〉
風薫る秩父路の旅友たちと 囲みし宴(えん)に桜舞い散る
金メダル目指し明け暮れ卓球の 練習励む仲良き友ら
〈小野塚 耕吉〉 下田観音温泉にて
暁に外湯につかり天仰ぐ 鳥のさえずりふり来る如し
〈宮地 昭雄〉 下田観音温泉にて
湯のやどに追憶の夜いこいの夜 夢まどろにてなつかしの人
〈松田 恵子〉
東御苑の芝中にスッとねじり花 背伸びし仰ぐ水無月の空
〈渡 登茂郎〉 * 会員外の方からの投稿です。
柑橘の香をりのこして去るひとに 伊万里の皿の藍をおもいぬ
草の葉もわれには楽器嫋嫋(じょうじょう)と 「ふるさと」のしらべ春の風よぶ
〈工藤 博史〉
父と子で休みつ歩く九段坂 木立の中は蝉時雨かな
〈松田 恵子〉
江戸川の岸辺群れ飛ぶ「あかとんぼ」 憩(やす)むもありてすすきの穂さき
〈田名後 浩子〉
秋日(しゅうじつ)の陽光浴びて猫たちと いたずら犬の寝息かすかに
〈松本 俊吾〉
積丹の渚は白くどこまでも 波音寄せて穏やかに明け
岩かげのワラビの枯れ葉風に揺れ 潮香(しおか)ゆかしき積丹の秋
〈伊藤 茂〉
迎え火をたてればじきに時流れ 故人しのびて送り火をたく
〈長谷川 とくよ〉
金木犀しるく香りて清すがし 朝の公園友と佇む
白杖の吾追い越さずエスカレーター 支うる手あり有難かりき
〈成田 貴美代〉
夢叶(かのう)和みし笑顔卓球の 国体終えしきりたんぽ鍋
〈和田 彰〉
海鳴りと波引き寄せて足さらう 潮風強き九十九里浜
〈渡辺 登〉 * 会員外の方からの投稿です。
さあ傘寿いよよ花道見栄切って 踏めるか六方目線を上げて
若き日の吾(あ)を輝かせ呉れしひと 美しく老ゆふるさとの町
〈工藤 博史〉
デイジーに耳を傾けうとうとと 春雷なりて我にかえれり
春雨や夢をのせたる銀河去り 世の移ろいに別れ惜しむか
舞い落ちる鳥のちぎりし一輪よ 手のひら乗りてかくもうれしき
あすか山立ち寄り見れば満開の 枝垂桜に人のなごみし
〈成田貴美代〉
二つ三つ花びら浮かせカップ酒 賑わう園に春の装い
〈長谷川とくよ〉
深みゆく青葉清しも阿賀野川 ゆたけき水面船上に見ゆ
ユーモアをまじえて語る男性の 船のガイドの声艶めきて
〈松田 恵子〉
憧れの南房総より花数多 目覚むる思い吾の部屋に春
〈和田 彰〉
梅雨空にあじさいの花よく似合う 手にふれて見し丸き花びら
妻の手に引かれて走る公園の つつじは真っ赤に風はさわやか
白杖(ツエ)を手に頭にえがく地図たより この一歩にぞ我道を行く
〈渡辺 登〉
後前(アトサキ)のあるなど夢にも思はざり 老い夫婦(フタリ)花の散る下にたつ
存分に生くるも更に八十路(ヤソジ)越え ふみたし六方つづく花道
〈長谷川 とくよ〉
指先に紫蘇の香しむもよろこばし 鉢植えのシソ折おりに摘む
なが月の風のさやかと思う日よ おすましにせんみつ葉を摘みて
〈工藤 博史〉
あれこれと思い巡らし床の中 夜のしじまに虫の音ひびき
秋風に膝掛け直し語りかけ 車椅子押す老老介護
〈松田 恵子〉
恐れつつ幼き身に見し彼岸花 いくつかの名の言われ知りたき
〈田名後 浩子〉
エサねだり足に擦りより泣く猫の ぬくもりの無いひとり寝の床
〈成田 貴美代〉
伊豆の海夕日沈みて露天風呂 波の調べに眠り良きかな
〈福岡 明夫〉
みなしごは他人にもまれ九十年 浄土でみなに甘えろ母よ
いつの世も変わり目に泣く女あり 母よ安らげ梅が香るぞ
〈和田 彰〉
いも掘りに自然の恵み手に感ず 喜びの顔収穫の秋
〈松本 俊吾〉
畝沿いに芋蔓分けて両手入れ 太根のしたに紅東あり
〈渡辺 登〉
生きているだけで幸せふたりなら 和して百五十五のいのち愛しむ
足音をしのばせ踊る「風の盆」 八尾の闇にとける哀しみ
〈工藤 博史〉
春雨にけむる湖面や瀬戸浜名 さざなみ立ちて水鳥去りぬ
学び舎に向かう親子の晴れ姿 弥生の空にこぶし花咲く
〈福岡 明夫〉
ヘルパーのかろき歩調に誘われて 10キロ制覇古稀近し我
冬枯れて川岸の土手風強し 群れて鳥達なについばむや
〈長谷川 とくよ〉
薫風のそよぎ愛(メ)でゆく花の道 友と踊らん一人の手など
菖蒲湯のしょうぶ一本頭(ズ)にまけば 香気したたる前頭葉に
〈和田 彰〉
さくら咲く時を待たずに友はゆく 花見の宴も一人酒飲む
〈松本 俊吾〉
ビューンビュンとリフトは鳴って横手山 カッコウの声抜き頂きはそこに
〈渡邊 登〉
コーヒーの豆挽く香りせつなくも 心にふれて蘇(ヨミガ)へるあり
息子(コ)と孫の遠乗り自転車かへり来る ビニール袋は泥鰌とめだか
〈長谷川とくよ〉
足さぐり手さぐりなれど前向きに 生きんと思う導びかれつつ
伸べくるる君の手ぬくし夕映えの ときながくあれいそしみゆかな
〈成田貴美代〉
コーラスの二部合唱に声あわせ 歌うもみじに秋が来たりぬ
おいしさに頬ふくらませ食べまくる 巨峰の味に満足の笑み
〈工藤博史〉
我知らず円舞太鼓に酔いしれて 秋空高く舞うはエイサー
〈和田 彰〉
朝に咲き夕べにしぼむ朝顔の 日々を彩る可憐な命
風さやか舟は静かに山中湖 見たしと思う富士の峰(たかね)を
〈松本俊吾〉
祖谷渓(いやだに)の葛(かずら)の綱に触れあゆむ つり橋ひと揺れ渓流にたつ
〈渡邊 登〉
猿田先生の遺せし「リズム」素晴らしき 夢追うごとく花舞うごとし
濡らすまいかばい合いつつ一つ傘 日照雨(そばえ)に妻と白杖の吾(あ)と
〈工藤 博史〉
五月雨に銘石濡れて清澄の 江戸の風情を今に残さん
〈長谷川 とくよ〉
鮭の皮うましと食(は)める歳となり 筍ゆでる湯をかえながら
すべらない室内履きは牡丹色 リズム運動朝に夕べに
〈和田 彰〉
節分の豆を年ほど数えつつ あまり多きに我は手を引く
竹の子の炊込みごはん口にして 春の息吹の命いただく
〈福岡 明夫〉
雪解けの水滴枝をうつたびに ふとにおいたつ白沈丁花
「咲いたよ」と白梅の鉢手みやげの 老女のひざをねぎらいて揉む
〈松田 恵子〉
思わずも頬伝うもの熱くして 心に深くさだまさししむ
〈成田 貴美代〉
初めてのポニーの背なにゆれゆれて 地より高きにこわごわ乗りて
〈渡邊 登〉
一人にはなりたくないと思いつつ ひとりにしたくない顔見つむ
左目の目尻にのこる粟ほどの 視野にて見たり首里城は朱(あか)
〈工藤 博史〉
稀に見る暑さしのいで仰ぐ空 日の傾きに秋の気配を
夏の宵空を彩る大輪の 散りぎわいとし江戸の花火よ
〈和田 彰〉
ゴーゴーと岩にくだける水の音 寒きに氷る袋田の滝
名月がスカイツリーの上にあり 灯籠のごとく東京照らす
〈長谷川 とくよ〉
白萩は風にそよぎて陽に映えり 上野の森に曼珠沙華炎ゆ
手をつなぎ友と踊ろうレクダンス 動きやさしも「世界はひとつ」
〈田名後 浩子〉
秋風と水琴窟の音涼しげに 心やすらぐコーヒータイム
〈松田 恵子〉
肌寒く秋雨軒にとよもして 月は何処に今宵十五夜
〈成田 貴美代〉
雨やみて流る小野川蔵の町 過ぎし時代を見つめつ今日も
〈松本 俊吾〉
有明の海を抱いて吉野ヶ里 古代の道は遥か彼方へ
クルクルと回る轆轤の姿変え 掌滑べし碗丸み帯び
(有田焼工房にて)
〈渡邊 登〉
朝なさな数値気にしつそっと乗る 音声秤の声は高らか
幾人の会いたき人をいづこにか 隠して無窮の秋の空澄む
〈和田 彰〉
大津波すべてむなしき野の原に 桜は咲きて春を告げしか
冬を越し梢に並ぶ雀たち 一足先の若葉のごとく
〈松田 恵子〉
三線と島唄のどか石垣島(イシガキ)の何故か懐かしオジーとオバー
〈岡畠 信子〉
天国に召された息子あの笑顔 幼き日々の面影悲し
〈長谷川 とくよ〉
深谷ねぎ麦の畑をなつかしみ 車窓に見たり水無月の旅
ひとみ園ついの住みかとする人に 逢わざりしかど土産いただく
〈松本 俊吾〉
石段に紫陽花の葉さき影おとし 一畑薬師の参道に立つ
釣り人の竿先しなり波紋たち 深紅の夕日宍道湖に映え
〈成田 貴美代〉
手作りのシーサー届きすぐる日の 島唄なつかし安里屋ユンタ
〈渡邊 登〉
老いざかり「ちゃんづけ」とび交うクラス会 俺 登ちゃん二度わらしかや
視野失ければ声もて包みくれたりき 五月の心風に乗りゆく
〈和田 彰〉
青い空若葉青葉の風かおり せみの声今夏の日盛り
名月は地震津波と原発の 人にも我にも照らしておりぬ
〈長谷川 とくよ〉
被災地の人の平安はやこよと 祈りつつ視る秋草の花
知ることのこの頃多し八十路 わが青春と謝しつつぞ生く
〈松田 恵子〉
甲斐の里夕日を浴びてすすきの穂 ワインを飲めば我も染まりぬ
〈藤原 美子〉
ゆくさきを落ち葉の音符秋しらせ 心も高く靴音も高く
隣人の声さえとおる秋の夜 鉄橋の響きさえ時を教える
〈成田 貴美代〉
輪になりて国体終えし露天風呂 明日の別れにこころ波打つ
〈松本 俊吾〉
(寸又峡温泉にて)
ゆらゆらと山の吊り橋綱揺れて 寸又の谷に晩夏の雨おつ
〈渡邊 登〉
若し逝かば天国にすこし地獄にも 友あまた居て行き来いそがし
十六夜の鬼灯いろの妖し月 秋の夜空の深みを点す
〈`島 三郎〉
朝顔に今朝も笑顔でおはようさん (俳句)
〈長谷川 とくよ〉
美しき声のうたびと藤田さん 逝ってしまいぬ妙音日菊信女(みょうおんじつきくしんにょ)
乾杯の声高らかな藤田さん 空か翔けたまえ薫風のなか
〈松田 恵子〉
盲いにもふるれば分かるガイドあり 落ち穂拾いは山梨美術館
〈和田 彰〉
きれいよと桜満開手にふれて 春風さやか妻と楽しむ
走友の急死に接して
君の声 心に響き 聞きおりぬ 生けるがごとく 共に走りて
〈松本 俊吾〉
白樺の梢遙かに穂高岳 山なみ抱いて梓川いく
(梅雨の中休みの7月5日、上高地にて)
〈藤原 美子〉
こもれくる光と風のそのなかに 加賀の栄華の時にたたずむ
(駒場公園の前田様のお屋敷にて)
花おえて枝をねぎらう春の雨 (俳句)
〈渡邊 登〉
庭にまた河津桜が咲きつれば 天(あま)つ空なる母よ訪(と)いませ
盲いては鏡はいらず吾(あ)と妻の 老いゆく容貌(かお)の知れぬしあわせ
〈藤原 美子〉
おちゅうどのかげさえみえし壇ノ浦 静かな波音いにしえを語り
はぎをたべ 菊とすすきと 月見する (俳句)
〈成田 貴美代〉
羽音して蝉が舞い込む夏の宵 逃げ惑う我 夫はあわてず
〈長谷川 とくよ〉
被災地にコスモス咲きて仮設なる 図書館成るをラジオにて聞く
木犀の香れる園に被災地の 人らをおもうふたとせの秋
〈和田 彰〉
稲と蕎麦 秋たわわなる猪苗代 友に引かれてマラソン走る
広々と澄み渡る水 猪苗代 風はさわやか汗するほほに
※ 猪苗代湖フルマラソンを走る
〈松本 俊吾〉
オホーツクの白き渚に昆布寄せ まだら模様に朝陽さしおり
※ 北海道・知床ウトロの海辺にて
〈松田 恵子〉
渚より誕生せしとや人類は 子等の不思議にロマンで語る
〈渡邊 登〉
負けまいと力みいし日よ若かりき 齢(とし)では負けぬとなりてさみしも
ぬすみたしひとつの心遠き日の 歌は古りしも思いはあらた
〈藤原 美子〉
光圀も巡りし庭の隅にさえ 弥生の梅のかおりぞ雅
(3月 水戸様のお屋敷にて)
らっきょうとうめとしょうがとつぼにいれ 四季のめぐみに梅雨もまたよし
〈成田 貴美代〉
ひらひらと肩に止まりし花びらを そっと手にのせ行く春惜しむ
生徒たち澄みし歌声聞かせたる 歌うビリーブ心にとどく
〈松田 恵子〉
こなたみてひと声高くうぐいすの
亡父(チチ)訪(ト)いたもうや伊豆の里山
〈小林 智恵子〉
公園で無邪気にはしゃぐ子どもたち
祈り続ける未来の平和
〈松本 俊吾〉
通り雨雲の合間に薄日さし 永平寺の甍目前にあり
五月雨の緑に映えて紫陽花の 芦原の宿は薄暮が似合う
〈渡邊 登〉
いつまでもこの現世(ウツシヨ)にふたりなら 廻れよめぐれいくつもの春
小(チ)さき花一つ心に咲く思い バレンタインのチョコがとどきて
〈和田 彰〉
声高く命のかぎりせみしぐれ 暑さなおさら我が身にしみる
〈藤原 美子〉
尊徳のおしえまもりし今市に 豊かな水に青空も溶けん
(二宮金治郎をたずねて 下今市にて)
〈成田 貴美代〉
勝負かけ最後の1球夢乗せて 狙うポイント闘志燃やして
〈長谷川 とくよ〉
プールにて若きコーチに導かれ 三百メートル背泳ぎこなす
容赦なく列島おそう豪雨あり 土砂流されし大島おもう
〈渡邊 登〉
驚きぬ妻の悲鳴に何事か なあんだゴキブリまたもおどろく
桐の葉は遠くへとばずゆったりと 幹の片辺に音たてて落つ
〈松本 俊吾〉
農夫穫る豊水なしはざらつきて 果皮のぬくもり掌にあり
〈松田 恵子〉
さわやかな木犀薫る散歩道 歩きタバコに心が痛む
〈小野塚 耕吉〉
星空を背負いて富士を這い登る 黄金に燃ゆる頂に立つ
〈長谷川 とくよ〉
背泳ぎの五百メートルこなす日よ かかわりくるる友多くして
ブランコを百回こぎて目に入りぬ おおむらさきとわれ見守(みも)る夫
〈渡邊 登〉
切り餅をグリルに五分小皿もち ふくらみ焦げる香り聴(き)きつつ
こののちは耀(かがよ)い生きんふたりして 幾漠のこるいのち愛(いと)しみ
〈成田 貴美代〉
旬の味竹の子ご飯待ち受ける 兄の笑顔に来年もまた
船頭の櫓をこぐ音やギイギイと 水しぶきはね湯の街を行く
〈松田 恵子〉
胡蝶蘭胸に穴あく寂しさに 独(ひと)り語(ご)ちつつ母に供えぬ
〈和田 彰〉
きれいよと開きしぼけの花びらに 手を触れ見せし春のおとずれ
ゴリラ岩 犬岩 それにゆうれい岩 景色は流れて鬼怒川の静流(みず)
川風に気持ちいいわね人の言う 静かな流れろかいの音が
〈松本 俊吾〉
川場(かわば)の邑(さと)梅雨の晴れ間にこぼれ陽は ブルーベリーの青き果実
に (群馬県川場村にて)
ぼこぼこと泡のごとくに源泉は 硫黄漂い西(さい)の河原に
(草津温泉にて)
〈古山 幸子〉
夏まぢか 櫓漕ぐ船音 鬼怒川の風 (俳句)
〈渡邊 登〉
半年の書道学びし孫われに とめ・はね・はらいを手ぶり身ぶりで
残る生(よ)になにおかひとつ繚乱の ふたりにめぐれそっと静かに
〈藤原 美子〉
小田原のさきをいそぐは二人づれ 昼飯めざしてただあるくのみ
(江の浦港の飯処をめざして)
根府川に江戸をたずねて二里ばかり ジャリトラゆきかい関所はいずこに
(俳句) 災害に みのりのあきも かたすかし
〈和田 彰〉
さわやかな冷気を肌に奥飛騨を 妻に引かれて急坂走る
登山者の多く集める河童橋 ゆれる木橋がアルプスの道
〈岡畠 信子〉
病院で結果聞くまで憂い顔 出て来た時は笑顔満開
コスモスが風に揺らいではかなげに そっと手に取りほのかな香り
〈成田 貴美代〉
卓球の交流ワクワク仙台へ 初の手合せスカイプの友
寅さんの足跡たどる記念館 人出おおしは矢切の渡し
〈松本 俊吾〉
朝凪に霧笛残して一筋に 白きフェリーは土庄港に入る
(小豆島にて)
〈長谷川 とくよ〉
数匹の猿が人間みてる道 土掘りいるは白(はく)ビシンらし
わが背なにやぶ蚊あまたと若き娘(こ)が 手にはらいつつ追い越して行く
(上高地にて)
〈藤原 美子〉
はつまごは春といっしょにやってきて 野山も川もさくら一色
〈和田 彰〉
正月の寒空の下桜の木 春咲く待ちて芽吹きふくらむ
これ鮪これかずの子と妻の言う 口に極むる正月の味
〈長谷川 とくよ〉
背泳ぎの六百メートル成してきて 定家葛(ていかかずら)の香(か)に励まさる
パンジーがハイビスカスにかわりたり 友と踊らんエーデルワイス
〈渡邊 登〉
悪(あ)しきこといつしか忘れ追憶は 唯(ただ)美しく裡(うち)につもれり
「満月よ星もきれい」と妻云えば 視野はなけれどどのあたりかと
〈松本 俊吾〉
中世の貴族が奏でたショパンの調べ オルゴールはうたう夢ごこちなり
ラベンダーの紫の穂に頬寄せて 富士山麓の梅雨の晴れ間よ
〈成田 貴美代〉
怖い顔イワトビペンギン悠々と マリンパークで凄味を利かす
城ケ島マグロづくしのごちそうに 笑顔の裏でダイエットの文字
〈渡邊 登〉
落ち日背に影ふみ渡る踏切の 鐘鳴れば心かげも急(せ)くなり
二度三度呼ぶ声は母夢の中 八十七歳少年となる
真夜(まよ)ビルの高処(たかど)に光る窓ひとつ 今日まだ了(お)えぬ人の在るらし
〈和田 彰〉
手拭いを肩にカラコロ下駄の音 渋温泉の湯めぐり歩く
台所まな板音コトコトと 聞こえ伝わる幸せの音
二階家の屋根が浮いてる土の上 地震の跡を今に伝える
朝早く澄みたる池の錦鯉 底に沈みて動かず眠る
〈松本 俊吾〉
棚田には黄金(こがね)の稲穂頭(こうべ)たれ 実りの秋の山古志の郷(さと)
アルパカのまるき背にふれ手のひらは 毛並みは深く柔きかな
〈藤原 美子〉
さわやかな山古志里にすすきゆれ 十五夜の月今かと待たん
山古志は緑深きし情けあり 清き流れに秋茜舞う
〈長谷川 とくよ〉
幾重(いくえ)にも重なりたる赤き実よ 触(ふ)るるはたのし庭の万両
カトレアの友と踊ろう文化祭 エーデルワイス・ラッキーセブン
〈井草 恵子〉
心臓の鼓動が飛び交うステージ上 届けて欲しいなあなたの胸に
アルコール泡に紛れて紅葉より 赤く染まる私のほほよ
〈小野塚 耕吉〉
杖かすめ左折の車身が凍る 一歩で奈落神に感謝
〈成田 貴美代〉
三度(みたび)来て秋田でまみえ友たちと 熱き戦い笑顔で握手
山古志の里はいずこに震災の いえぬ傷跡沈みし家か
〈渡邊 登〉
指先にのこる香りは江戸川の 斜面(ナダリ)の蓬(ヨモギ)なぜかなつかし
婚の日と何かわるなし清澄園 六十年(ムトトシ)今日も池に雲映ゆ
〈長谷川 とくよ〉
湯あみしてマッサージするわが身体(カラダ) 普通のことのできる喜び
熊本の地震のこわさ悲しけれ あまりに長し明日はわが身ぞ
〈井草 恵子〉
青空に新緑眩しい草たちの ひそひそとまるで私に囁くように
公園で若葉踏みしめ子供たち どうかその声届け被災地の空
〈和田 彰〉
(熊本地震にて)
地震あり家の傾き見守りて 成すすべもなく恐れるばかり
「満開よ」つつじの花びら手に触れて めぐる季節を妻と楽しむ
(平井第二小学校閉校によせて)
小学校子供等の声今いずこ 閉されし校庭鳥の声満つ
〈成田 貴美代〉
座席上色とりどりの風船が ガタゴトゆらゆら銚子電鉄行く
暑くてもディズニーシーはざわめいて ゆるりゴンドラ チャオと挨拶
〈松本 俊吾〉
湾岸の汐風受けてディズニーの 潮の香ゆかし下り坂歩む
〈藤原 美子〉
秋雨に寂しくぬれしすすきさえ 明日の月夜をゆめみつ揺れん
秋晴れに万国旗ゆれてたからかに 孫泣き出してる運動会
寺巡り心ははるか鎌倉の 戦国の世の香りみつけん
〈長谷川 とくよ〉
あんこ練りお萩を供え栗おこわ そなえて祈る日日の平安
彼岸花赤あかもゆる秋津洲(あきつしま) 災害あまた涙ぐましも
手鞠うた友と踊れば幼日(おさなび)の 父買いくれし手まり思ほゆ
〈井草 恵子〉
汗雫白杖突き突き路面(ろおもて)に ポタポタ汗流れ落ち
ドキドキと鼓動が響くステージに リズムに乗れ私の心
〈成田 貴美代〉
いくつかの時代を過ぎし真田邸 上田にありて何を思うや
さわさわと小時雨(こしぐれ)の音聞こえくる 紡ぎ出されるひとすじの絹
〈松本 俊吾〉
温かく丸き繭玉なめらかに 冷たき蚕掌(てのひら)に這う(岡谷の蚕糸博物館にて)
頭領のエイオーの声高らかに 杉山弁天棟上げの朝
(昨年11月の杉山和一記念館上棟式にて)
〈渡邊 登〉
ささやかに置かれた場所で咲きました 未だ咲いてます米寿のあした
何処(いづこ)へか行方もしれぬはぐれ雲 北指すならば若しやふるさと
赤き薔薇庭にひとつと妻云えば しばし晴眼の追憶をよぶ
〈和田 彰〉
この道もこの橋も今上田城 手に触れて見る大手門かな
朝冷気諏訪湖のほとり遊歩道 かも百羽浮く妻共走る
(平成28年度 徒歩訓練旅行にて)
〈小野塚 耕吉〉
走りきてただ朦朧と夜更け道 これが良いのだお湯割り二杯
〈渡邊 登〉
上のやま爛漫なるも陽は西に うすむらさきの花の下ゆく
天下をも取ったかに「宏暁(まご)」うれしそう 可愛ゆげな娘(こ)をつれて なるほど
悪しきこといつしか忘れ追憶は 只うつくしく裡につもれり
〈藤原 美子〉
弘法寺(ぐほうじ)にしだれざくらと涙石 春の日あびて仁王ほほえむ
〈和田 彰〉
寒空の中に早咲くつぼみあり 季節はめぐる春待つさくら
雨の日にさくら満開見る人も なくてさびしき春けき思い
竹の子の御飯を食べる歯ざわりと 心地よき音季節の味覚
〈長谷川 とくよ〉
嫁ぐ日に持ち来しひとつ絵唐津の抹茶茶碗に茶を点(た)てんとす
お揃いの赤いスカートひるがえし友と踊るよ不良バアさん(米寿)
〈松本 俊吾〉
五色沼木立にはるか春蝉の ジイジイの声脳裏に響きおり
(初夏の裏磐梯五色沼にて)
夏草をざくざくと踏み桃はたけ 枝葉に重きうぶ毛やわらか
(甲州路・桃狩りの一コマ)
〈成田 貴美代〉
初夢は縄跳び100回空を飛ぶ お告げありしか身を鍛えよと
〈藤原 美子〉
早朝にがんばれの声うれしくて 流れる汗も秋風かおる
土手かぜに彼岸花やら沈丁花 色づく銀杏に守られ走る
〈長谷川 とくよ〉
ふじばかま水引草にほととぎす 玄関に活く秋草の花
さ庭べの秋の王者かこまやけき 実のあまたなり紫式部
先斗町行きしもはるか京の旅 友と歩みぬ哲学の道
〈井草 恵子〉
富士山も恥ずかしそうに見つめてる 甲斐路を急ぐ我らを乗せて
富士の山頬赤く染め秋の空 日差しの中で友と食べらん
夢乗せて心ときめくモーターカー 未来に向かって出発進行
〈成田 貴美代〉
震災の傷跡残す仙台は 皆生き生きと暮らしありたり
〈松本 俊吾〉
奥能登の畦道下り千枚田 穂先尖りて天を仰ぎぬ
能登弁の老婦手さばき串さしの 貝柱香ばし輪島朝市
夏くさをざくざくと踏み桃はたけ 枝葉に重きうぶ毛柔らか
〈渡邊 登〉
気がつけば孫社会人我卒寿 夢みるさまに歳月はゆく
裕次郎の(俺は待ってるぜ)口ずさむ 病院帰りの妻待つ角に
九分九厘当たりっこない宝くじ 当たる噂の列にまたもや
世の更けに江戸川鉄橋ゆく電車 音冴えざえとなつかしきかな
〈小野塚 耕吉〉
あけぼのに雲べにさして寒い朝 流れるニュース悪魔がいたと
〈和田 彰〉
亡き友の受けしサボテン咲きほこり 見るたび我の胸に生きおり
寒空に枯れすすきの根すずめらの お宿にしてか冬越ししてか
秋田節 石投甚句晴れた声 心に浮かぶふるさとの空
〈岡畠 信子〉
きらきらと小雪舞い散る信濃路に 空に輝く満天の星
〈松本 俊吾〉
ゆらゆらと揺れる吊橋 板のした アルプスの色深緑に映え
飛龍橋眼下に望む寸又峡 青色(せいしょく)一筋(いっし)吊橋浮かぶ
〈長谷川 とくよ〉
友給(た)びし“ダンスパーティー”紫陽花の 枝えだの先 花咲き初めり
頭ほどおおき毬花(まりばな)あじさいに 触るるは愉し赤むらさきよ
〈成田 貴美代〉
初渡り夢の吊橋ゆらゆらと 水清くして山あいに映ゆ
SLの汽笛響いて大井川 右に左に煙たなびく
〈渡邊 登〉
江戸盲の月例会にゆく朝(あした) 会いたき面影次ぎつぎ浮かぶ
愛らしき爺ちゃんに是非なりたきを されど容赦なくしょぼくれてゆく
若き日よ妻に語るとき嘘すこし うそが追憶に光を放つ
〈小野塚 耕吉〉
祈り込む鐘こだまする湖上駅 湖面キラキラ山緑(みどり)濃く
(寸又峡徒歩訓練旅行)
〈藤原 美子〉
心には揺れる吊橋 大井川 道もいろいろ山坂たのし
〈和田 彰〉
今年来るはずがこないな年賀状 君の安否に思いぞ至る
今にあるSLの声揺れ動く 汽笛を鳴らしてトンネル入る
最高齢走る力は衰えて 力はあれど歩むがごとく
〈藤原 美子〉
秋きたり土手にコスモスひがんばな 足をくすぐる ねこじゃらしゆれ
この夏の暑さまさかとおもうほど 心しずかに秋となりゆく
足早にすぎゆく季節としかさね 春をむかえに木枯らしがふく
〈渡邊 登〉
わだつみのいづこに春は生(あ)るるとや 南風(はえ)ともないて花芽訪(と)い
灼熱の夏輝きてさるすべり いま秋風にその紅(こう)散らす
インターホン受話器も鳴らぬ侘び住みも 静かでいいやふたりでならば
〈長谷川 とくよ〉
ガイドなる酒井さんらに支えられ プール通いも十余年経ぬ
背泳ぎの八百メートルこなす日よ 結縄(ゆいなわ)先生有難きかな
カトレアの友と踊らんフォークダンス 先生方に深ぶかと謝す
〈松本 俊吾〉
益子焼き小皿に描く花一輪 枝葉に浮かぶ淡き紅色(べにいろ)
〈井草 恵子〉
手のひらにたわわに実った葡萄の実 友と語らうときは短し
手術台僅かに聞けた我が耳に 一緒に唄う友と舞台で
湯上りにどこかで聞こえる夏の音 リズムあわせ届け夜空へ
〈成田 貴美代〉
絵付けして出来映えいかに益子焼 届く日を待ち心そわそわ
カラオケの応援合戦賑やかに 舞台にとどけエール送らん
〈和田 彰〉
そよぐ風 桜満開 葉桜も 季節はめぐる公園走る
びわ さくらんぼ季節の味覚口にあり 今年も生きぬ恵みありしか
〈松本 俊吾〉
柳川の掘割進むどんこ舟 初夏の薫風背中すり抜け
軍艦島令和に生きる吾は知る 鉱夫の苦闘維新の証(あかし)
〈成田 貴美代〉
昭和初期に栄えていたとガイド言う 荒廃哀し軍艦島よ
川下り柳川の風そよそよと 船頭の歌に皆で手拍子
〈井草 恵子〉
何気なくそっと伸ばした枕元 深夜のラジオが私のエール (入院中の病院にて)
早春の地面踏みしめ力込め わがみ喜ぶ一歩かな
〈長谷川 とくよ〉
茎太き蕾弾けて15個の 花開きたりハマユウ揺るる
寒暖の激しかれども次つぎと 花株の増(ふ)ゆ平和よ永久に
〈藤原 美子〉
早朝の八幡様にも人おおく 休む時なし鎌倉の神
〈渡邊 登〉
何ひとつ叶わぬ老いの盲目(めしい)なら 美(は)しき追憶の小舟に乗ろう
光るとも小石がほどの幸せを 語りていくつ夜の更けるまで
六十年(むととし)の夢のかけらをひろいつつ 生きゆかんかなさやかにふたり
〈藤原 美子〉
歳月はみえぬ見えるの区別なく 無色透明においなしかな
いつの日かいつの日にかとこの日まで 春夏秋冬かぜまかせかな
〈長谷川 とくよ〉
ふるさとの漬物うまし少しずつ 食べるはたのし生きいる限り
両手持てたたき励ますわが体 痛むとこなし感謝して生く
〈渡邊 登〉
目路(メジ)なくも心のほとり花は散る 香りなきほど色なきほどの
七十年江戸川区に生きひとりから 家族(ウカラ)十一人ここがふるさと
三本の河川の街に住みなれて 地震(ナイ)おそれつつも「住めば都」と
〈松本 俊吾〉
江戸川の地元に根付き四十路過ぎ 今日より後は流れるままに
じゃりじゃりと砂をすくいて重みまし 夢心地かな指宿の初夏
〈成田 貴美代〉
噴水の水流れども道の駅 涼求めつつ土産さがさん
絹織りの手触り優し富岡の 明治の御代にはるけき思い
〈井草 恵子〉
アスファルト暑い日差しを照り付けて ポタポタ落ちる汗の雫よ
15号静まり返った建物に いつか灯るる希望の光
〈窪田 あずさ〉
毎年の秋を伝える金木犀 街いっぱいに香り広がる
〈小野塚 耕吉〉
江戸川視協四十周年染めあいて 揃いのTシャツ ヘルパーとダンス
〈和田 彰〉
風は秋 陽光は夏 杖を手に 妻に引かれて町中歩く
石段をたどりて歩く杖の先 昔を語る太きさくら木
(伊豆山神社の参道歩きて)
〈渡邊 登〉
ちょっと気取り素足サンダルで行ったっけ 地元ふりして昭和の銀座
声だけで優しく綺麗親切な 人だとわかる盲(シ)いて十年
旅人となりし思いの老いふたり 追憶たどる心の旅路
〈和田 彰〉
そよぐ風冬は必ず春となる 桜咲いたり日の光あり
遅くても走れることの喜びを 妻とロープ持ち大地を蹴りて
青空に桜満開色彩(イロドリ)し また来て見れば散りて寂しき
白鷺は釣人の横立ちて降り 釣りし魚を待ちて降りしか
〈藤原 美子〉
江戸川につつじ あじさい はなしょうぶ 川風ほほに過ぎし日かたに
〈長谷川 とくよ〉
健やかな日日であれかし師よ友よ 見えざる眼(マナコ)凝(コ)らしておもう
この頃はコロナ怖しと家ごもり アイスクリーム食(ハ)むこと多し
〈窪田 あずさ〉
世は戦乱祖父フィリピンの海でゆく 六月十日父を残して
かわはぎを頬張る二人幸せと 確認不要星降る夕餉
〈成田 貴美代〉
遊歩道江戸風情たる新川を 親鴨スイスイ子ら10羽可愛なり
久しぶり散歩に出でて深呼吸 自粛も限度か気持ち晴れ晴れ
〈松本 俊吾〉
夕暮れの川面に響くボラの音 ボチャンボチャンと三段飛びかな
〈井草 恵子〉
コロナさん 日本列島 駆け巡る みんなで願う 早い終息
いつもとは 勝手が違う 夏の日々 マスクの下に 流れる雫
ドリフ見て 早口言葉 ヒゲダンス 笑いの天才 今も忘れぬ
〈藤原 美子〉
七五三 はらいきよめて まごたちの はしゃぐ姿は ふたたびの幸
雨や風 かみなりにのせ つたえしは 先祖の教え ふたたびまなべ
〈和田 彰〉
公園を 走りておれば 蝉の声 今が盛りと 聞こえてきたり
炎天の 夏の日のもと 走りたり なにもせぬ身を 動かすために
風さやか 季節はめぐる 走る我 蝉の声から こおろぎの声
〈長谷川 とくよ〉
敷布団 二枚を干して 掛け布団 毛布も干しぬ 背なの温(ぬく)とし
木犀の しるく香れる 公園に 二人し座せば すずめ寄りくる
水害の なきこと祈り 生きるべし ここはふるさと 平和よ永遠に
〈渡邊 登〉
いくつかの 見果てぬ夢を そのままに 加齢九十二 断崖に立つ
残るいのち 神よいささか 伸ばしてよ コロナ恐れて ちぢんだぶんを
歳月は 夢かまぼろし われ老いて イヴも老いたり 陽はなお照るも
すがやかな 涼南風(すずはえ)につい さそわれて 弓張月の 見おろす小庭
〈成田 貴美代〉
公園の 中走りいく ガタゴトと パークトレイン 子供に人気
散策の 臨海公園 広きなり 日本庭園 コスモス咲きぬ
滑(すべ)らかに パドル両手に カヌー乗り 親子ワイワイ 川走りいく
〈松本 俊吾〉
穏やかに 寄せるさざなみ 沖合に 返す彼方は 故里の海
〈窪田 あずさ〉
しその実が プランターたわわ 秋の午後 しその実可愛 ためらう収穫
〈窪田 謙(ゆずる)〉
横浜の サザンライブに おうちから 無観客でも 大歓声
コロナ禍で 自粛のイベント 復活し 早押しボタンに イントロドン
〈藤原 美子〉
まぼろしは 時代のぼりし 安宅船(あたけぶね) 湾内めぐりて家光しの
抱きしめん ランドセルせおいて てれる孫 拍手喝采 春のよきひよ
コロナなど 知らぬと咲くは 花ばかり 公園通りの 病しらずよ
〈渡邊 登〉
凛として コロナごときに 負けるなよ 霊長としての 威信にかけて
ふたりっきり 笑っていたい 老いの日は 米粒ほどの 嬉しさあって
美ら海(ちゅらうみ)とは なんと雅な 沖縄(うちな)再た(また) 訪いたき思い つのりつのりく
〈和田 彰〉
手を合わせ 心に迎える 初日の出 今年一年 幸せ祈る
遅くとも 走る喜び 我にあり 公園走る さくら満開
楽しみは おいしきもの 食べるあり 初物食う びわとそら豆
〈長谷川 とくよ〉
外歩き 一人でできぬ われなれば 片足立ちを 日に幾たびも
九十を 一つ越えしも 手まりつく てんてん手鞠 てんてんてまり
〈井草 恵子〉
われ祈る 友と語り 想い出を マスク不要で いつまた会える
ラジオ聴き 今日も驚く 人数に 早く飛んでけ 憎きコロナよ
〈松本 俊吾〉
梅雨晴れの 小高き丘の サクランボ 実り豊かに 喉を潤す
藤棚の 一輪(いちわ)の枯房(こぼう) しずく落ち 薄暮の水面(みなも)に 波紋ひろがり
〈窪田 あずさ〉
水無月の 夏越(なごし)の祓え(はらえ) 愛宕山 茅の輪をくぐり 思い新たに
〈成田 貴美代〉
満開の 河津桜が 春を呼ぶ 視線集める フラワー公園
摘み取りて ほおばりしかな さくらんぼ 佐藤錦の うまかりしこと
〈藤原 美子〉
暑い夏 一雨降りて 秋連れて パラリンピック またいつの日か
秋風と ススキとトンボ 靴の音 澄んだ河原に 鉄橋ひびく
〈井草 恵子〉
一年も 月日が過ぎ去り コロナ禍で いつまで続く マスク生活
はつらつと 地面を蹴飛ばす スケボーの コロナを忘れる 若者の汗
争いも コロナもなくなれ 東京の 夜空に浮かぶ 大輪の花
〈和田 彰〉
走る道 頬に伝わる 秋の風 並びて聞こゆる こおろぎの声
燕尾服 君と踊らん 今宵また 心に楽しき 魅惑のワルツ
歌を聞き 歌を覚えて 歌う我 心伝えん 君が心に
〈長谷川 とくよ〉
音楽の 大好きなりし 君なりき 渡邊登氏 天におわすや
うしろより 君の歌声 聴こえたり フルートの音の 響くホールに
しとど降る 雨に大地も 清まりぬ ふっとばすべし コロナの菌も
〈松本 俊吾〉
トーチの聖火 右手に掲げ 駆け足の 晩夏の薄暮 天高く燃ゆ
仲見世の 賑わい懐かしく 観音を背に 老歌手の声 能舞台に聴こゆ
〈成田 貴美代〉
コツコツと 蹄の音も さわやかに ポニーの背にて 秋を満喫
柔らかき ピアノの音色 響かせて 七本指で 心伝えん
面白き 話に笑い さりとても ピアノを弾けば 心うっとり
〈松田 惠子〉
なじみこし フォークダンスの メロディに 偲ぶやさしさ テイ子先生
多(さわ)さわと 咲きしあかきの 鶏頭や おどるが愛(は)しく 秋風受けて
〈井草 恵子〉
ありがとう そっと添える 母の手に 感謝感激 カーネーション
あの日から 一気に変わった 街並みを 遠い国から 哀れに思う
〈長谷川 とくよ〉
クスノキと イチョウ十本 カリンの木 木樹に囲まる 人間われら
小鳥らの さえずり高し 励まされ 九十二歳 抹茶を点てる
〈和田 彰〉
いつの日か ダイヤモンド婚 きにけらし 我ら夫婦は 今日も元気だ
川のそば 妻に引かれて ひた走る 三十五年 走りておりしか
青空よ 風がいいねと 走り出る 足音だけが 続いて走る
〈松本 俊吾〉
修善寺に 河鹿がえるの ころころと 源氏の御世に 思いを馳せて
〈窪田 あずさ〉
夏至の朝 秘伝受け継ぐ 母の味 赤紫蘇ジュース 夫に手渡す
〈藤原 美子〉
秋風が 怒って散らした プラタナス 歩道の雨水 行き場失い
つかの間の 花火の音に 胸も鳴る 孫が伝える 色のかずかず
〈松本 俊吾〉
パン生地に 七転八起(シチテンハッキ)の だるま像 我が人生に 思いをはせて
(内房木更津の「八天堂」パン工場にて)
九十九里 台風一過の 白浜に 引き潮長く 沖に返して
(東金のホテル裏の白浜にて)
〈長谷川 とくよ〉
わが部屋を 時折のぞく 娘いて 安否確認 しているらしも
ひとりでも 踊れるけれど 輪になって 踊るはよけれ 世界はひとつ
台風を やりすごしては 災害の なきをば謝さん さいわいとして
〈井草 恵子〉
星空に 願いを乗せて ステーション けれど遠いし 地球の平和
我が顔と どこまで付き合う マスクちゃん 聞いてみようか 遠い夕焼け
〈窪田 あずさ〉
木枯らしの 吹きすさむ朝 かじかむ手 亡き愛ねこの ぬくもり恋し
〈成田 貴美代〉
伸びやかに 歌うカラオケ 響き行く 応援にこたえ 笑顔あふれて
〈和田 彰〉
誕生日 歳八十八歳 米寿とか 良くもここまで 早 来たもんだ
風は秋 紅葉は夏 時はうつり ふとんの重み 身にしむ我は
コトコトと まな板の音 今日食べる 命の支え 幸せの音
〈松田 惠子〉
右のばち たかく掲げて 打つ太鼓 クラブ名「楽鼓(ラッコ)」 ト ト ンガ トン と
先生の みちびく声に 手をつなぎ 広いホールで 踊るたのしさ
〈田名後 浩子〉
「お姉ちゃん」 静かに語る 秋の風 瞼に浮かぶ 弟の笑み
〈窪田 謙〉
小春日の 青梅の里は 穏やかで 日差しに微笑む 父の影
〈冨澤 洋子〉
秋晴れの元 荒々しい波音に しばし歩を止め 想いは彼方へ
(犬吠埼にて)
〈窪田 あずさ〉
えども歌壇 創作の旅 ローカル線 指を折々 名物ぱくり!
知りたくて 広島渡航 触る模型 黙して語る 原爆ドーム
〈窪田 謙〉
新型の 新幹線に 身もそぞろ 見知らぬ土地に 望みを抱く
〈長谷川 とくよ〉
大きなる リボンの付きし 帽子をば 子は買いくれり わが誕生日
百歳の 玄室さんは 手本なり 「どうぞ一服」 平和よとわに
〈藤原 美子〉
かみなりに うたたねおわりを 告げられて 夢のつづきを 心にえがきぬ
いにしえに 思いははせし 中山道 小雨もいきに 光前寺(コウゼンデラ)に
〈井草 恵子〉
快音が 歓声響く 球場に 勇気をくれた サムライたちよ
(WBCのラジオ中継を聞いた時の感想)
妹と 小さい衝突 繰り返し それでも時が 仲を取り持つ
(何気ない妹との喧嘩での反省を込めて)
〈和田 彰〉
しら鷺や 青鷺を見る 川のそば いやしになるね 心なごやむ
咲く花と 鳴く鳥そよぐ 風の中 自然を共に 我走りおり
米寿とは よくもここ迄 来たもんだ 今日も生きてる 幸せ思ゆ
〈山口 冨美子〉
右筑波 左に富士を のぞめたが 今ははるかに かすみのかなた
ベランダに ハトが巣づくり おおいそぎ 小枝はこんで ああ卵二個
(かたづけても かたづけても何回も産んでるの)
〈井草 恵子〉
久しぶり 太鼓の響きに 誘われて 思わず涙の 私の感情
いつの間に 月日は流れ あの頃に 耳を傾け シティポップス
〈山口 冨美子〉
ガリガリと 食べるアイスに 目を細め 暑さしずめて あゝしあわせだ
せみしぐれ いつしかやんで 三年の 短いいのち 秋のおとずれか
〈長谷川 とくよ〉
楽しげな 子供らの声 公園に 満ちみちており 午後の四時ごろ
ゆく秋の 風のすがしも 床掃除 階段そうじ 勤(いそし)みゆかな
わがあさげ ひるげも用意 して行く子 帰り待ちおり 幼(おさな)のごとく
〈和田 彰〉
咲く花と 鳴く鳥そよぐ 風の中 自然を共に 我走りおり
〈藤原 美子〉
信頼の ふた文字のせた わが船は 秋ぞらのもと こうかいつづく
ばあちゃんと 助け求めて まごがきた ぎゅっと包むと とけてながれた
五歳児の 組体操に 拍手わく しずまる園庭 ひびくホイッスル
〈成田 貴美代〉
サウンドに 耳を澄まして 打ち返す 審判コールに 一喜一憂し
素晴らしき 歌声聞かせ 競いあう 誰が一番 審査白熱
〈窪田 あずさ〉
コスモスは 恩師が愛した 清い花 花弁に触れて 思い出辿る
〈窪田 謙〉
烏帽子岩 人生時折 波ありき ライブにはせる この10年
〈伊藤 丈人〉
白杖の 先で感じる ふかふかの 落ち葉に秋の 訪れを知る
カフェの角 焼き鳥の路地 カレー店 街を彩る 香りの目印
ご無沙汰と 親しく声を かけられて その名浮かばず 流す冷や汗
バリアフリー インクルーシブ エスディージーズ 単語並べる むなしさを知る
春の午後 ゆらり揺られて 夢心地 耳にやさしい バスアナウンス
足音で 機嫌斜めか ご機嫌か 妻の様子に 耳そばだてる
六点の 文字が力を くれたから 君の名として 輝け六(す)連星(ばる)
パスワード 作って忘れの 繰り返し みんなほんとに 覚えてるのか
〈山口 冨美子〉
ゆらゆらと 春の嵐に クレーンが たおれないかと ハラハラ見てる
また来たか 今年2度目の 巣づくりに ホーキ片手に ハトを追いかけ
〈和田 彰〉
ピューピューと 寒き音する 窓の外 春はまだまだ 寒き音する
走るから 歩くへ変わる 年歳(とし)のすえ 老ゆると言うは かくの如きか
青空と 新緑の木 公園を 歩むが如く 走りおりたり
〈井草 恵子〉
悲しいな 冬の光に 照らされて まだ暖かい 母の温(ぬく)もり
祭壇の 母の遺影に ありがとう 感謝感謝の オンパレード
〈藤原 美子〉
夏が来て 花火にゆかた ぼんおどり まっさおな空 ふうりんの音
大江戸線 めぐる駅の名 いにしえに ゆられて心 江戸のまち中
〈長谷川 とくよ〉
朝ごとに 花の水やり せっせとす フジバカマかな 花どきは秋
風呂掃除 せしほうびにと アイスをば もらいて嬉し 舌なめずりす
〈成田 貴美代〉
バスハイク サクランボ狩り 雨の中 味もいまいち 旬に遅きか
ワインとは 赤白ロゼと 数あれど 飲めぬ身にては 試飲で染まる
楽しかり 新中川で 船体験 また乗りたいね 桜の頃に
〈伊藤 丈人〉
隣家より 蚊取り線香 香るとき 思い出さるる 遠き夏の日
パチパチで ジーと鳴って ジュッと落ち 線香花火を 耳で楽しむ
縁側で 皆ですいかに かぶりつく 僕も子供で 君も笑顔で
夏休み 元気もなくて ぶらぶらと アリオで涼む 葛西の人々