特集 第1回石垣市視障協との交流会&創立30年沖縄八重山諸島周遊記念旅行
思い出のメッセージ(会員の皆様より)
福耳通信(江戸川区中央図書館より)
成田 貴美代
3月11日午後2時46分、東日本大震災となったこの地震は、三陸沖だけでなく福島沖・茨城沖と続けざまに地震が発生、そのために、揺れが長く続き、その後、巨大津波まで引きおこされ、近くの町や村を次々と飲み込んで行くという未曾有の大震災となりました。また地震により事故が起きてしまった福島原子力発電所の放射能問題はどうなるのか心配は尽きないところです。
東京でも大きな地震が2回も続き、近所の方達と近くの公園に避難しました。皆さんはどこで地震に見舞われたでしょうか? 交通機関やライフラインもストップし、駅で足止めになり家まで歩いて帰る人も多く、家族の安否が気遣われる大変な騒ぎとなりました。
清新町や浦安市では、液状化のために、家が傾いたり駐車場がしずんだりしたと聞きました。江戸川区役所でも、多くの職員の方達が交代しながら手分けして、浦安市や被災地へ出向き必死の手伝いをしているとの事でした。
被災された皆様の一日も早い復興をお祈りしたいと思います。
障害者自立支援法が改正され、10月から私たちに関係のある移動支援サービスが同行援護という別メニューに変わり、どうなるのか不透明な今、これも気になる一つです。
2年前から準備を進めてきた八重山周遊記念旅行へ、4月17日から行って参りました。石垣島での石垣視障協と江戸川視障協との交流会は、とても有意義でした。これを機会に縁が続けばうれしい事です。
本号では、定期総会の報告を始め同行援護の情報・防災に関する臨海公園でのフィールドワーク・記念旅行の様子などいろいろ掲載しております。
日本全国で節電を心がける今、せめて心の中は明るく歩んで行きましょう。
小林 智恵子
去る5月28日(土)、午後1時20分から4時20分まで、NPO法人 江戸川区視覚障害者福祉協会の平成23年度 通常総会が、タワーホール船堀・4階研修室にて開催されました。小雨降りしきる中、46名の会員と付き添いのご家族・ガイドヘルパーなど、たくさんの方が集まりました。
開会に先立ち、4月の江戸川区議会議員選挙で見事当選されました本会顧問の須賀清次先生と、都議会議員の田島和明先生から、大変心温まるご挨拶をいただきました。
さて、北澤とみゑ副理事長の開会の辞に続き、松本俊吾理事長の挨拶がありました。その中で、
@ 江戸川区から配布された防災ジャケットと防災手帳について『点字毎日』で大きく取り上げられ、全国の視覚障害者の関心を集めていること
A 実際に大地震が起きた時の避難の方法など、まだ具体的な対策が決まっていないので、皆さんと相談しながら、役所に要望していくこと
B 事業所開設5周年・創立30年記念八重山旅行を予定通りに実行したことが皆さんの活力になり、「視覚障害者でもやればできる」と示せる試金石になったこと
C 東日本大震災の被災者の方々が一日も早く元通りの生活ができるように願っていることと、都盲協の義援金募集に協力いただきたいという呼びかけ
D 都盲協が公益社団法人を取得するには、東京都盲人福祉推進政治連盟を別組織にしなければならないので、今年度から、個人の意思で会費を負担していただくようになったこと
などを話されました。
続いて、千歳事務局長から、職員の吉川・鈴木・増田さんが紹介されました。司会者の小野塚耕吉副理事長により、冨澤豊議長、議事録署名人に松本俊吾さん・田名後浩子さんが選任され、定足数の確認後、議事が進行しました。
【第一号議案】 平成22年度事業報告並びに決算承認の件
* 事業報告 : 以下、松本理事長からの報告です。
1. 事業の成果 : 大震災の影響もあり、3月・4月のガイドヘルパーの派遣実績は、前年に比べて少ないが、5月に入って回復してきた。通院介助(障害福祉サービス事業)は4000時間前後、移動支援(地域生活支援事業)は21000時間ぐらい、合わせて25000時間を越えて、前年より若干増えている。23年度の本会の予算は6000万円ぐらいであり、一つの組織としては大きな規模である。
2. 公的機関発行の録音物等の発受事業 : 4月1日より、予算を1本5000円から7000円に引き上げていただいた。
3. パソコン講座・研修会等開催事業
4. 城東ブロック行事の開催 : 幹事区として、支部長会、家庭生活訓練事業、スティックボール大会、親睦旅行(新潟方面)、サウンドテーブルテニス大会、交流カラオケ大会、三療研修会、生きがい教室、定期総会と、9回の行事を全て消化することができた。
5. 区の要望書案に基づく懇談会 : 昨年も、福祉部、土木部・災害対策課、広報課、文化課・スポーツ振興課・図書館・教育委員会・生活振興部地域振興課・都市開発部施設課の各部懇談会が行われた。急激な変化はないが、移動支援の報酬単価も、江戸川区は家事援助の報酬をそのまま連動していただけるようになり、これを行っているのは都内でも半分以下である。懇談会を開催することで、視覚障害者の外出支援について、良い条件にすることができた。
6. 5大行事の開催 : 徒歩訓練旅行(母畑温泉)、納涼懇談カラオケ大会、日帰り行楽行事の実施(茨城・さつまいも掘りと佐原・町並散策)、第26回文化祭、平成23年新年会。
7. 各ボランティア団体による支援・協力。
8. 区内の障害者団体・上部団体との連絡調整と行事に対する協力。
9. 総会・理事会・運営委員会・常任理事会開催 : 理事運営委員合同会議・理事会は、城東ブロック行事の関係で9回行われた。
* 現在の会員数 : 正会員84名・賛助会員31名・会員総数115名
ここで、新入会員2名(竹橋・藤原)の紹介と挨拶がありました。
* 小野塚副理事長より、役員の構成について、理事9名(理事長・副理事長2名・理事6名)、監事1名、運営委員9名、相談役3名、合計22名で運営されたことが報告されました。
* 田名後総務部長より、毎月発行されている情報連絡テープの内容と、第7号よりCD(デイジー方式)での発行も行われるようになったことが報告されました。
* 女性、熟年、文化、体育、職業、企画、広報事業、安全対策の各部長、都盲協の担当者の挨拶がありました。
* 平成22年度決算報告: 千歳事務局長より、収支計算書、貸借対照表、財産目録、特別会計等が報告されました。その後、`島三郎監事より、当会の財務面に関する説明と、事業内容・収支見通し、正味財産の推移等を含め詳しい監査報告がありました。
【第二号議案】 役員改選の件
池田・会長選挙管理委員長から、立候補者を募った結果、松本会長が再選されたことが報告されました。
松本理事長による挨拶の後、副理事長、常務理事4名、理事3名の他、監事、運営委員、相談役の各メンバーが紹介されました。ここで、新役員5名、退任される方3名の挨拶がありました。
【第三号議案】 平成23年度事業計画並びに収支予算承認の件
松本理事長より、今年度事業計画の中で、経費支払い規程、特別会計の規程、地域連絡網の規程など、八つぐらいの規程があるので、総会で議決を受けた上でご一任いただきたいということと、今回、常務理事という新しい役職ができたので、理事会運営規程の一部を差し替えることが説明されました。
続いて、千歳事務局長より、予算案が発表されました。
【第四号議案】 その他
1. 同行援護について : 視覚障害では、視力障害、視野障害があり、夜盲を含め、アセスメント票に示された一定条件をクリアすれば、同行援護のメニューが適用される。程度区分はなく、アセスメント票に基づき、一人一人のニーズに従って支給量を決定する。
過去の実績が評価されるので、今まで35時間目一杯使っているような人は、「これでは足りない」といって、ケースワーカーに書き込んでいただけば、支給量が補充的に決まってくる。
費用は、江戸川区が全額負担するのではなく、国が半分出す。また、経過措置はあるが、ガイド資格は「移動支援」ではなく、「情報提供支援」が基本となる。ガイドヘルパーの資格だけではむずかしい局面が出てくる可能性があるので、10月までにはホームヘルパー2級の資格を取っていただきたい。
2. 東京都盲人福祉推進政治連盟会費納入の件
3. 賛助会員入会について : ガイドヘルパー、ご家族の方など、是非皆さんにご協力していただきたい。
議事は順調に進行し、第1号議案から第4号議案まで、全て拍手をもって承認されました。
議長退任挨拶の後、成田貴美代さんによる閉会の辞で総会が終了しました。
※ 移動支援などが、新しい制度に移行する度に、多少戸惑いを感じますが、それを前向きに捉えて、「視覚障害者が暮らしやすい社会」の実現を願って、できる限りの活動をしていきたいと思います。
安全対策部
去る3月11日(金) 14時46分に有史以来未曾有の東日本大震災が発生し、同時に大津波を伴い、行方不明を含め犠牲者は2万数千人を数えています。
その上、事後処理もまだまだ追いつかず、全国各地から支援の手がさしのべられていることが、テレビやラジオ、或いは新聞報道で伝えられています。
また、福島での原発事故は未だに放射能漏れが続き、農産物や魚介類にも被害が及び、いつ収まるのかも見通しが立たない状況下にあります。
このような中、5月31日(火) 午後1時30分から約1時間、平成23年度第1回災害対策意見交換会がグリーンパレスで開かれました。
同会議には、土木部秋元災害対策課長ほか1名、福祉部岡村障害者福祉課長が出席。橋本障害者福祉課計画係長の司会により行われました。
本会からは、松本理事長、小野塚副理事長、常務理事(高田・成田・田名後・橋谷)の各役員が出席しました。そして後段に掲載しています点字毎日の東北地方の被害の模様を取材した関連資料をもとに、意見交換を行いました。
松本理事長からは、昨年まで要望書に基づく話し合いを継続し、防災ジャケット・防災手帳の作成配布等、江戸川区の格段のご配慮によって、視覚障害者の発災時対策がすすめられていることに対し謝意が述べられました。
そして、この度の大震災を教訓に、江戸川区に於いても様々な対策がすすめられていることが、会議の席上で説明されました。さらに、区の職員が宮城県気仙沼や、隣の千葉県浦安市に派遣され、各自治体に協力支援を行っていることも大きな話題となりました。
本会では、次の視点に立って、今年度も話し合いを継続することとしました。
@ 一人暮らしの要援護者リストに基づく救援策の具体化。
A 1次避難所から2次避難所への視覚障害者の移送問題。
B 避難所内での視覚障害者への対応策。
C 各町会・自治会単位での災害時の要援護者対策。
この他、区内の中学校に設けられている弱視学級の担当者は視覚障害者の行動などについての予備知識があることから、「該当する校内施設を避難所として活用したらどうか」と、出席役員から具体的提案もなされました。また、行政サイドからは、各自治会・町会の避難訓練に積極的に視覚障害者が参加し、各地域内でのコミュニケーションを深めることが肝要であり、発災時に相互の人間関係によって、スムーズな避難が行われることなどが問題提起されました。
今回の他に、本年度はあと数回の災害対策意見交換会を予定しています。
それでは、点字毎日の関連記事を次に掲載します。また、葛西臨海公園における防災訓練の計画についてご紹介します。
防災ジャケットと手帳 避難時に有効
(点字毎日・2011年4月28日号より)
東京都の江戸川区視覚障害者福祉協会が2年前から取り組んでいる防災の取り組みが、東日本大震災の後、改めて注目されている。会員に「防災ジャケット」と「防災手帳」を配布しているもので、同会では被災地の避難所で視覚障害者のニーズ把握が容易でない現状を参考に、利用の周知を進めることにしている。
同会と区が視覚障害者の災害時対応について協議をした結果、安否確認や避難時の誘導、避難所での支援などがスムーズに行われるようにする目的で、避難時に着用する黄色のナイロン製のジャケットと防災手帳が会員に配布されている。
ジャケットは、一般区民にも着用者が視覚障害者と分かるように、白杖を持つ視覚障害者をデザインした国際シンボルマークを背中と左胸に配している。これを着用することで、避難所などで手助けが得やすくなると期待できるほか、防災訓練の時から着用しておけば、早くから地域住民の理解と協力につながるとも考えられている。
防災手帳は黄色い表紙で、身体障害者手帳と同じサイズ。最初のページには、個人情報の取り扱いに注意を促したうえで「私は視覚障害者です。ご協力をお願いします」と太字で書かれ、氏名、生年月日、血液型、住所、電話番号、携帯電話番号の記入欄のほか、顔写真の張り付け欄がある。ほかには、治療中の疾患や服用している薬、アレルギーの有無、「身体に関する特記事項」をはじめ、「健康診断の記録」「関係機関連絡先」(水道、ガス、電気などライフラインの問い合わせ先)などのページや、かかりつけの病院、利用している移動支援やホームヘルプサービスの事業所、各種証書や手帳番号、災害時の1次避難所、2次避難所、所属する自治会・町会の連絡先など、個別の情報がメモできる。避難先などで行政やボランティアから安否確認や支援ニーズの調査があった場合、これを見せれば素早い対応も期待できる。
同会の松本俊吾理事長は「持っていることで自分の身を守ることになります」と話し、今後も区とは2次避難先の確保など協議を進めていきたいとしている。
(点字毎日・2011年5月26日号より抜粋)
日本盲人福祉委員会の「東日本大震災視覚障害者支援対策本部」は4月6日に、宮城県視覚障害者情報センター(仙台市青葉区)に拠点を置き、活動を続けている。まず行ったのは、電話による安否確認だった。盲導犬協会や点字図書館、視覚障害者団体などから提供された名簿を元に連絡。続いて、2人一組で住所地や避難所を回った。避難所では対策本部のポスターも掲示した。
次に取り組んだのが、グッズの配布。白杖や音声時計、点字器、ラジオ、ルーペ、携帯電話用充電器などを配布した。ラジオは、「手元に置いて緊急地震速報だけでも聞きたい」との声が多かった。これらは、日盲委への義援金で購入したり、寄付されたもので、4月23日時点で57人に147品目を届けた。
そのほか、病院情報の提供、瓦礫や泥の撤去、三療免許の再発行にかかわるサポート、他地域への移転の橋渡しといった支援を行った。中でもニーズが高かったのは、訓練センターを開放しての浴室提供サービスだった。
こうして把握できたのは、ごく一部で、障害者手帳を持たない人などを含めると、多くに支援の手が届いていない。そのため、対策本部でつかんでいる数値を示し、各自治体による把握を促すことにも取り組む。
課題も見えてきた。人のつながりや災害時のマニュアルがしっかりしていた地域では、近隣住民や民生委員に助けられた事例が少なくない。災害弱者へ声かけする担当者を決めていた宮城県の町では、避難するつもりのなかった視覚障害者が、「逃げますよ!」という担当者に従い、津波に飲まれずにすんだ。また、ヘルパーが安否確認に回り、その後の生活が保たれているケースもある。
チーフコーディネーターの原田さんは、「テレビで流れる地元情報は、すべてテロップ。副音声解説を付けるべき」と指摘。日盲連の協力を得て、生活情報を被災地にメール配信している「点字毎日特別号外」などを視覚障害者向けに電話案内するサービスが生まれた。原田さんは、「被災したときにさまざまな情報が得られる所や仕組みを作ってほしい」と提案する。
「視覚障害」を知らせる 中野 久さん
宮城県多賀城市で治療院を営む中野久さん(60、強度の弱視)は、自宅で地震に遭った。「けっこう大きいな」。すぐにラジオをつけると、10メートルの津波警報が出ていた。港までは約10キロ。いつも貴重品を入れている袋をつかみ、妻の千恵子さん(59)の運転する車で孫の通う小学校へ避難した。
教室での避難生活では、久さんに視覚障害があることが周りに分からず、当初はサポートを得られなかった。その経験から「避難所では、いつも白杖を持って、周りに視覚障害であることを知らせた方がいい」と話す。その後、宮城県立視覚支援学校の教員の提案で、避難している人たちのマッサージに毎日励んだ。
4月に入り、学校の再開で、他の避難施設への移動か帰宅かの選択をせまられ、自宅に戻ることを決めた。久さんは、その理由を「トイレへの誘導や食料配給など、家内にすべてしてもらっていたから」と話す。とは言うものの、治療院の改修は、職人や機材の手配が難しく、めどが立たない。「気持ちは焦っているが、仕方がない」。地震時にいた1階の部屋で久さんは静かに語った。
ようやく移った福祉避難所 中村 亮さん
中村亮さん(57、全盲)は、釜石市内の福祉センター1階の図書室に畳を敷き、妹(弱視)と避難生活をしている。50メートル先にせまる津波を前に「もう、危ないから逃げよう」と近所の人に腕を抱えられ、妹と近くの寺に逃げ込んだ。ピーク時は500人ほどが避難。小部屋を割り当てられたが、「周りの状況を把握したり、食事や風呂、掃除の規律に従って動くのがたいへん」だった。福祉センターが避難所になっているのではと考え、詰めている職員に尋ねたが、把握していなかった。やがて、避難所の統合の話も出て、「環境が変わるなら、いつも使っている施設に行きたい」と再び問い合わせ、3月25日に移れた。
大変だったのは入浴。自衛隊が釜石駅近くに用意した風呂に入ったが、待ち時間が長く、大勢で入るが、介助は頼みにくい。中は暗く足下も悪いため、弱視の妹も使いにくかった。今は、センター長の好意で、自宅の風呂を借りている。「自宅に近い仮設住宅ができたら移り、自宅と治療室を直したい」と再起を誓う。
「葛西臨海・環境教育フォーラム」が主催する「葛西臨海公園における防災訓練」が、以下のプログラムで実施される予定です。昨年10月より本会代表者と数回懇談会を重ね、障害当事者の意見を採り入れた上での防災訓練となります。
1. 日 時 … 10月30日(日) 9:50〜14:00
2. 内 容 … 広域避難場所の葛西臨海公園での実際の震災時を想定した訓練。
葛西臨海公園は自然環境についても考えられる防災公園であり、震災時等には区民20万人以上がここに避難する。その防災公園で実際に設置されている機能や防災ボートの体験をし、発災時に視覚障害者の補助を期待されるボランティアや中学生との連携を検討する。
3. 参加者 … 本会会員12〜13人、アイフレンズ江戸川12〜13人、中学生
4. スケジュール
09:50 受付 噴水前
10:00 オリエンテーション(研修の位置づけ、スタッフ・スケジュール紹介)
10:10 防災施設案内(揚水ポンプ、ソーラー街灯、災害対応トイレ)
10:40 かまどベンチ火おこし体験
12:00 クリスタルビューにて昼食
13:00 西なぎさでボート体験
14:00 終了
※ この行事の予行演習が9月4日(日)に、葛西臨海公園で行われる予定です。
葛西臨海公園 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index026.html
松本 俊吾
かねてからの視覚障害者の外出にかかせないサービスである「移動支援」に代わり、新たに位置づけされます「同行援護」を含む障害者自立支援法の一部が改正され、平成22年12月3日に国会で成立しました。これによって、現在利用しています地域生活支援事業の「移動支援」は、本年10月1日から障害福祉サービス事業(個別給付)の「同行援護」として全国で一斉に開始されます。
そして、この「同行援護」のサービス内容が、去る6月20日に厚生労働省から施行案として提示されました。これからパブリックコメントによる精査を経て、7月中には政省令が告示の形で示され、江戸川区に於いても施行準備が本格的に始まると思われます。
本欄では、日盲連移動支援事業所等連絡会で配布された資料を基に、「同行援護」の概要を出来るだけかみ砕いて解説を加えてみましょう。なお、今後この内容は一部変更があるかも知れませんので、ご留意頂きたいと思います。
同行援護の事業内容等について(案)
(厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課)
1 支給対象者
○対象者については、法律において、「視覚障害により、移動に著しい困難を有する障害者等」とされていることを踏まえ、一定の要件を設ける。
○「同行援護」対象者の要件としては、障害程度区分を用いず、支給対象者を特定するための独自の評価指標「同行援護アセスメント票(案)」及び「同行援護対象者(夜盲等)に係る意見書(案)」)を新たに設け、この基準を満たす者とする。
【解説】 対象範囲として、視覚障害・視野障害・夜盲の3障害を基本として、障害程度区分は判定材料とはしない(介護付きは程度区分を用いる)。
2 サービス内容の範囲
○外出時における以下の支援を対象とする。
・ 移動時及びそれに伴う外出先において必要な視覚的情報の支援(代筆・代読を含む。)
・ 移動時及びそれに伴う外出先において必要な移動の援護
・ 排泄・食事等の介護その他外出する際に必要となる援助
【解説】 移動時に於ける情報提供が全面的に打ち出され、排泄・食事等の介護が明記されたことが特筆されよう。
3 事業者の指定要件(人員に関する基準)
@ 職員の配置に関する基準(以下の職員を配置すること)
・管理者(1人以上) ・サービス提供責任者(事業規模に応じて1人以上)
・従業者(常勤換算で2.5人以上)
【解説】 この内容は平成15年の「支援費制度」の事業者指定要件に準じている。が、サービス提供責任者の人員配置が事業規模に応じてという点において問題になり、本会のガイドヘルプセンターの事業規模では、5〜6人のサービス提供責任者が必要となる可能性がある。(現在の居宅介護事業のサ責は2名)
A 職員資格に関する基準(関係部分の要約)
〈ガイドヘルパー(従業者)〉
下記のいずれかに該当する者。
・ 同行援護従業者養成研修一般課程(20時間)(それに相当すると都道府県知事が認めた研修を含む)を履修した者。
(ヘルパー2級以上の有資格者は、平成26年9月30日まで猶予期間あり)
・ ヘルパー2級以上の有資格者で、1年以上のガイドヘルパー経験がある者。
【解説】 同行援護従業者養成研修には、一般課程(20時間)と応用課程(12時間)があり、サービス提供責任者はその両方32時間、ガイドヘルパーは一般課程20時間が要件とされている。「それに相当すると都道府県知事が認めた研修」とは、これまで行われていたガイドヘルパー養成研修が当たると思われ、現在の移動支援ガイドヘルパーは、そのまま同行援護のヘルパーとなれるのではないかと理解する。
なお、サービス提供責任者は上記研修の履修のほか、これまで通り、介護福祉士・介護基礎研修終了者・居宅介護従業者(訪問介護員)養成研修1級課程修了者又は同養成研修2級課程修了者であって3年以上介護等の業務に従事した者、という資格が要件とされている。
4 国庫負担基準
9,890単位 ※ 障害程度区分の有無や程度にかかわらない。
【解説】 9,890単位とは、利用者1人あたりが1ヶ月に利用できる範囲を概ね50時間と規定したものであり、これを上限に国が「同行援護」の2分の1を負担するということである。つまり、50時間×利用者総数の2分の1を国が保証し、その総額が自治体の運用範囲となる。ある利用者が1ヶ月50時間のうち30時間しか支給量を利用しなかった場合に、残りの20時間は他の必要とする利用者に加算し、全体の上限時間の範囲内での運用が可能であることを示唆していると思われる。
5 その他
○介護保険対象者であっても、障害者自立支援法において新たに創設される同行援護のサービスを利用できることを自治体に周知する予定。
○移動支援事業として提供されてきたサービスの内、同行援護へ移行した部分以外のサービス(同行援護では対応ができない移動支援類型など。)については、そのサービス水準が低下されることなく、引き続き必要なサービスが、地域の実情に応じて柔軟に提供されるよう自治体に周知する予定。
また、制度施行時において、地域によって同行援護の体制整備が十分でない場合にあっては、地域生活支援事業を柔軟に活用し、移動に支援を要する者へのサービスの停滞がないよう配慮されたいことを周知予定。
この他、「同行援護」による宿泊を伴う利用についても、厚生労働省の見解は、1日を限度にサービスを提供することで、その都度区分して記録し、2日目についても、同様に「 1日を限度として利用できること」を明確に回答している。従って、支給量の範囲内であれば、宿泊を伴う旅行についても、「同行援護」のサービスを受けられることになると思われる。また、一定要件の下で2名で一人の利用者を介護が可能とされており、要件について注視して行きたい。
江戸川区福祉部障害者福祉課では、9月8日(木)にグリーンパレスにおいて、この「同行援護」の内容について視覚障害者向け講演会を開き、詳細説明を行うことになっています。
去る3月11日(金)に日本有史以来未曾有の東日本大震災が発生し、未だにこの災害が私たちの心に深い傷跡を残す結果となっています。この震災を自らの身に置き換えて考えたときに、この苦難を乗り越えて、少しでも前向きに生きる勇気を読者の皆様と共有したいものです。
さて江戸川視障協では、10年ごとの節目の年に記念旅行を企画、過去2回はオーストラリア・ゴスフォード市視覚障害者グループとの交流行事を実施して参りました。それを受けて今回も記念行事実行委員会を立ち上げ、目的地の選定・内容についての話し合いが持たれました。その結果、今回の記念旅行の企画については、事務局を窓口に「アイフレンズ江戸川」の協力をあおぎ、ボランティアの皆さんを含め有志会員による2年間の積立金をもとに、行程及び会費の設定等の準備を開始しました。そのうえで区社会福祉協議会の福祉バス助成を申請、本年4月17日(日)から20日(水)の3泊4日の沖縄八重山諸島(石垣島・小浜島・西表島・宮古島)の周遊旅行が実現したのです。
ところが、交流記念旅行の1ヶ月前、予想もしなかった東日本大震災が起こり、参加申込者の一部の方から辞退の申し出もありましたが、最終的には34名が参加し予定通り実施することになりました。
ところで八重山諸島の一つ、石垣市視覚障害者との交流行事については、笹川吉彦日盲連会長から山田親幸沖縄視障協会長をご紹介頂き、平良常石垣市視障協会長とコンタクトを取ることができ、交流行事の準備を進めてきたのです。そして私たちの期待通りに沖縄県八重山諸島は、ヤシの木・ソテツの緑とハイビスカスの赤、コバルトブルーの海、白砂の見事なコントラストの景観と人情に触れる旅を満喫、特に石垣市視障協との交流は、相互に心の触れ合いと一期一会に感動、無事終えることが出来ました。果たしてどんな出会いが私たちを待っていたのでしょうか? この交流会に参加した皆さんの手記を含め、「あの日あの時」の楽しい思い出の1ページをひもとくことにしましょう。
第1日・4月17日
石垣島観光と第1回石垣市視障協交流会
松本 俊吾
東京地方の朝5時の天候は晴れ、幸先がよい。沖縄の八重山地方は曇りで雨も降りそうだとのラジオの予報を聞いていたので、雨模様は覚悟していた。空港に降りたって、石垣視障協の平良さんをはじめ5人の皆さんの笑顔がそこにあった。霧雨で思ったより気温は低く、やはり空気は澄んでおり、東京からの一行35名は出迎えの観光バスに乗り込んだ。
私は前から3番目の窓際の席に座り、左側には平良会長と介助者の大城さんが座った。松浦添乗員の挨拶のあと、小野塚副会長が、石垣視障協の平良会長にマイクを渡した。「日本の最南端石垣にお出で頂き有り難うございました。石垣島は地図にも載らないような小さな島なんですけれど、世界で名高い黒真珠とパインの薫りのする自然豊かな島です。皆さんにお出で頂き大変喜んでいます。天気もあいにくですけれども皆さんのパワーで太陽も出てくると思います」と、素晴らしいスピーチであった。これに応えて私から「こちらの勝手なプランニングでこのようなことになりました。何か後に思い出が残るような行事をしたいなあと言う気持ちで、記念旅行として八重山諸島を選んだわけですが、今日は特に交流会と言うことで、一日お世話になります」と出会いの挨拶をさせて頂いた。
大城さんが「今日はトライアスロンが行われているので裏の農道を通って川平湾に向かっています。水牛が草をはんでいます」と、車窓からの景色やサトウキビ畑の様子を説明してくれた。このあたりは石垣の森林公園である「バンナ岳」を仰ぎ、ジョギングコースにもなっているようである。石垣島で最も高いのが茂登岳で525m余りだそうだ。ハイビスカスやブーゲンビリアの赤い花がそこここに咲いている。
やっと川平観光交通のガイドさんがマイクを取り、「デイゴの花が咲き風を呼び嵐が来た…」の島唄にある「デイゴ」を紹介してくれた。台風シーズンの到来を知らせるとも例えられ、梢に咲く坊主のような丸い形の深紅の沖縄の県花である。バスはやがて石垣の景勝地である川平湾に着き、集合写真を撮ることになり、私は平良会長のそばに座った。平良さんとの会話を再現しよう。
平良:視覚障害者の方は何名きているのですか?
松本:17名くらいでしょうか。うちは会員が84名です。
平良:石垣は会員が高齢化してしまって、10人そこらですね。
若手の人は特に弱視の人は会に入らないんです。それで困っているんですよ。
小野塚:どこでもそうですよ。若い人はマッサージなどをやっているんですか?
平良:こちらでは視覚障害者が鍼灸をしているのは2人くらいです。
と話しているうちに、写真屋さんの「皆さん撮りますよ」の合図に応じて、それぞれが思いのままにポーズを取り、カメラに向かった。
桟橋までの途中、左右の庭には珊瑚で作られた石垣の間から様々な亜熱帯の植物が生えており、ガジュマルの木を大城さんが触らせてくれた。また霧雨に濡れたハイビスカスの花びらは柔らかく、生き生きと指先に優しく感じた。
桟橋に繋留している2隻のグラスボートに分かれて乗船し海底探索である。珊瑚礁と石垣の魚を舟底の窓から覗きみるのだ。私が視覚障害者がいることを伝えると、船頭の若いガイドさんが高いメリハリのある声で判りやすく説明してくれた。「天気が余り良くなくて冬の風が吹いています。青い物や黄色の珊瑚、ジャガイモを積み重ねたような大きさが6畳くらいある珊瑚が見えます。これは1500年くらい生きているんですよ。色は様々で青・緑・黄色・茶色などがあります」。家内に「魚は泳いでいるの」と問いかけると、「ああ、あそこに青い色の魚が泳いでる」と言う。平良さんが「青武鯛です。お刺身にすると白身で美味しいですよ」と教えてくれた。緑色のテーブル珊瑚の群生も見られ、「珊瑚は5月の大潮の時に黄色の卵を産むんですよ」という船頭さんの声を後に湾の外に出ると、大波が舟底を持ち上げるようにパタンパタンと水しぶきを弾き、約40分くらいの珊瑚礁湾内探索を終えたのである。
桟橋に続く坂道を上って程なく「高峰酒造」に立ち寄る。泡盛は、原料の「タイ米」を蒸して黒麹菌を混ぜ40時間、約2日間おき、それに水と酵母を一緒に入れて朝仕込むと夕方には発酵が始まるとのことである。別室に移り43度の泡盛の試飲をしたが、マロミと香りがほどよく、グラスに入れて頂いた泡盛の喉通りは芳醇で全身の血が熱くなり、これは一本買わねばと思い買い求めた。
霧雨が小やみなく降り続く中、やがて交流会場の「やいま村」にバスは到着。この会場の建物全体が沖縄県の重要文化財に指定されているとのことで、たたずまいに趣があり、玄関のくぐり戸の脇の柱は太く、その先の上がりがまちに座り、八重山のいにしえの雰囲気が私の居心地を良くしてくれた。
午後1時少し前、今回の記念旅行の目玉である石垣視障協と本会との第1回交流会の始まりである。会場の座席は向かい合わせのテーブルが3列レイアウトされ、私は舞台脇の真ん中のテーブルに平良会長と向かい合わせに座った。宴席の会場には八重山民謡のゆったりした歌が流れていた。平良さんは三線を持ち込んできており鳴り物も入るようである。平良さんに「全盲ですか」と問いかけると、「30代でケガがもとで失明しました」とのことだった。小野塚さんの司会でセレモニーは始まり、厳粛の中にも温かいムードが感じられた。
松本:この石垣やいま村で、このような交流会を開くことになりました。やはり日本人は私たち視覚障害者を含めて、こういう時にこのような行事をやることによって皆さんの気持ちを一つにして、特に私たちは福祉の向上を図らなければなりません。今は震災の処理が優先され、数が少ない視覚障害者にあっては、その位置づけがなかなか出来ない状況になるんですね。石垣視障協の5名の皆さんには、朝からおつき合いを頂いて有り難うございました。これを機に交流の輪が広がれば大変有り難いなと思います。後で三線などもご披露頂けるようですので、楽しみにしています。
平良:日本の最南端にはるばるとお越し頂いたことに心から感謝しております。この石垣島は観光地としては皆さんよくいらっしゃっているようで、視覚障害者も単独やご夫婦で石垣に来られていることは良く聞きます。しかし交流ということは初めてです。江戸川区の皆さんとこんなに素晴らしい交流が出来ることを、とっても嬉しく思っております(感無量で涙)。石垣市と江戸川区は考えるだけでも遠いというのが実感です。松本会長も話しておられましたが、この機会をもって皆さんとの交流がもっと出来るといいなあと思っています。本当に石垣島や八重山諸島にきて良かったなあという思い出の1ページが綴られるといいなあと思います。江戸川区視覚障害者福祉協会は創立30周年ということですが、石垣市視覚障害者協会は来る6月11日で創立40周年になります(大拍手)。記念すべき年に皆さんと交流が出来たことを、本当に最高だと思っています。私は75才になりましたが、マラソンをやっておりまして、「やまねこマラソン」で3年続けて表彰台に上がりました。目は見えなくても心が第一だと思います。皆さん、視覚障害者だから、見えないからでなくて、心を大きくもってこのパワーで頑張っていきましょう。(大拍手)
続いて感謝状と記念品の贈呈が行われた。こちらからは江戸川区名産の「江戸風鈴」を贈り、石垣からは八重山諸島で旧盆のお祭りで使う「アンガマ面」と「パーランクー」という太鼓を頂いた。「アンガマ面」はあの世からの死者で、お爺さんとおばあさんの二つのお面を飾ると福が訪れるそうで、副会長の浦浜元光さんが勤める「大浜工房」で作ったものとのことだった。大城さんが「何か行事の時に賑やかに使ってください」とバチでトントントンとパーランクーを鳴らし爆笑がおこった。
そして、本会職員の千歳事務局長と吉川さんを紹介したあと、池田定道文化部長が「これからの交流の益々の発展と、私たちの“クオリティ オブ ライフ”の向上に一緒に努力していきたいと思います」と乾杯の音頭を取った。 (伊勢エビがメインの豪華な昼食に舌鼓をうちながら和やかに懇談)
松本:このように交流が出来て有り難いです。平良さんに快く受け入れをして頂いたので、助かりました。
平良:こちらこそ大勢の皆さんにお出で頂き、最高だと思っています。山田沖縄視障協会長から、「自分は何も出来なくて、ごめんね」と電話がありました。
松本:山田会長には平良さんをご紹介頂いただけで充分です。せっかく八重山を回るので、視覚障害者同士が接点を持って交流したいと思いました。今年でも来年でもいいですから40周年記念の行事として是非江戸川区にお越し下さい。
平良:東京に是非行きたいですね。主食のまぜご飯はこちらでは「ジューシー」。またこれは石垣名物の野菜が入った揚げかまぼこで、天ぷらと言っています。沖縄本島の方が来られてもこれを買って帰りますよ。
大城:溢れるほどにモズクが入っていますよ。
松本:美味しいですね。浦浜副会長さんは工房に勤めているのですか?
平良:就労継続支援B型事業所です。つまり昔の授産所に相当します。
大城:私もそこに職員として勤めていて、音訳ボランティアもやっています。現在23名います。事業所には色々なボランティアの会があります。
小野塚:それでは石垣視障協の皆さんの三線をやって頂きましょう。
浦浜:皆さん、今日の八重山の料理はお口に合いますでしょうか? これが八重山の食事です。私は姓は浦浜、名は元光です。目の障害は「網膜色素変性症」で、左は全く見えません。右の方は0.1です。そういうお陰かも知れませんが、今日は女の方がきれいによく見えます。(笑い) 石垣の視覚障害者はマラソンをやったり、三線をやったり色々とやり、明るく頑張っております。ということでこれから三線をやります。この会で一番若い小浜史江さんを紹介します。
小浜:皆さんこんにちは。小浜史江です。宜しくお願いします。(大拍手)
大城:視覚障害者の事務局をみています、大城直子と申します。まず最初に石垣市視覚障害者協会の歌をやります。何か会を開くときにこれを最初に必ず歌います。それから次に進むことになっています。私どもの平良会長は、八重山古典民謡保存会の教師免許を持っています。そして弟子が小浜文江さんです。
年間行事として、沖縄視障協から委託を受けて、年に5〜10回みんなが集まって弾く程度の練習ですけれども、忘れないように稽古をしています。
小野塚:校歌を歌うんですか?(笑い)(「会歌ですよね」と会場から声がかかる。)
「八重の潮路にかこまれて、友と集う八重山に、視覚障害乗り越えて、会員手を取りスクラム組んで、石垣視協育てよう……」(3番まで合唱・大拍手)
小野塚:さすが40年の歴史が伺えます。素晴らしいですね!
2曲目は三線と太鼓の伴奏で「安里屋ユンタ」。会場から手拍子と合いの手があり、宴は最高潮に達した。次に、浦浜副会長が朗々と「八重山育ち」という石垣民謡をアカペラで歌ったが、これはなかなか良かった。どうも恋の歌のようである。「NHK」と最後に言って大笑いだった。
小野塚:浦浜さんは5時間くらいでフルマラソンを走ると言うことで凄いですね。恐れ入りました。それではお返しに我々の代表に一つカラオケを、鈴木先生、「二人酒」をお願いします。
鈴木:鈴木和子と申します。横浜から参加させてもらいました。夫の三郎と息子の大介の家族です。沖縄の八重山諸島に是非いきたいなあと前から思っていたら、松本会長から江戸川区の30周年旅行の話を聞いて、行きたいと無理にお願いし参加させて貰いました。第1回交流会と書いていますが、第2回を江戸川区でやるなら、是非呼んでください。
その後、江戸川からは高橋満子さんが「女の酒」、住山浩子さんが「涙そうそう」、を披露し、私も江戸川にちなみ、「矢切の渡し」を歌わせて貰った。
石垣からも、平良会長が「芭蕉布」を朗々と歌い、浦浜副会長も「八重山」という島唄をアカペラで歌ってくれた。
宴席が進行する一方で、琉球衣装体験も行われ、女性陣はそれぞれ琉球衣装をまとっていたが、住山さんはその衣装をつけての「涙そうそう」だった。本場で「涙そうそう」を歌うのは恥ずかしいのですが、東京の「涙そうそう」と思って聞いてくださいという住山さんは、赤い花笠を手にしての登場だった。
私も黄色の琉球衣装を着て丸い筒のような帽子をかぶり、住山さんと2人でポーズを取り新婚さんのような記念撮影。会場から「似合う」と声がかかった。
大取は田名後浩子さんの「いい日旅立ち」。小野塚さんが、池田定道さんと田名後さんは全日本ブラインドダンス選手権で連続優勝していることを披露すると、「踊って!」と声がかかったが、会場が狭くて残念。
そのあと、大城さんがビデオ担当の増川育代さんを紹介する。
増川:視覚障害者の皆さんはマラソンをやるので、週に2回水曜日と日曜日に練習会を開催してその伴走をしています。伴走ランナーのネットワーク「バンネットやいま」の事務局長をやっています。
小野塚:さすがにスタイルは抜群でございます。(笑い)
そして、江戸川視障協北澤副会長が「旅の初日から沖縄に引き込んで頂き、ありがとうございます」と閉会の言葉を述べ、小野塚さんの「石垣視障協の益々の発展と、この友好が長く続きますように、万歳〜!!」の掛け声のもと、万歳三唱で締めくくった。
赤がわらの古風な琉球王朝の名残のある建物を出て、庭のソテツの前で記念写真を撮ってもらい、初日の最終見学場所である石垣名産のパイン畑に立ち寄った。ここではまず皆さんが約70cmくらいに立ち上がったパインの果実を触り、感動していた。カラスに実がつつかれないように糸状に縦横に線が張り巡らされて、大切なパインを保護しているのが良く分かった。試食の場所に行くころには小雨が横殴りに降り注いで、傘が必要なくらいの空模様に変わった。
パインの試食にありつき、皆さんはパイン畑の農場の方々が用意して下さったパインの切り身を美味しく頂いた。昼休みに泡盛を頂いたお腹にはこのパインの味はまた最高であった。私は4切れは頂いただろうか?
そして午後4時過ぎに本日の宿である「ホテル日航八重山」に到着、旅装を解いた。石垣観光と素晴らしい交流の一日はあっという間に終わったのである。
そして、来年の再会を果たし、交流の輪を深めたいと願うものである。
第2日・4月18日
ちゅらさんの島へ
成田 貴美代
4月18日朝、石垣港からフェリーに乗り、小浜島に着いた。沖縄本島からも、440キロは離れているという、イノーに浮かぶ島。ちゅらさんで有名になった島でもある。イノーとは穏やかな海という意味らしい。早速、バスに乗り島内見学に出発する。運転手さんがガイドを兼ねて案内してくれる。周りはサトウキビ畑ばかりだ。このサトウキビは、収穫は1月から3月、その後は製糖工場で、砂糖に出来上がり販売されるという。
変わっているのは、道路のそばに、お墓がある事だ。風習なのかけっこう多い。運転手さんの話によれば、どこの家よりも、自分の家のお墓が大きいのを自慢にするという。また多いといえばシーサーも多い。魔除けの意味で置いてあるようだ。ブーゲンビリアやハイビスカスの花も彩り鮮やかにきれいに咲いている。見えないのが残念だ。
バスはこはぐら荘に到着、平屋のようだ。ドラマを見ていた人にとっては懐かしい場所であろう。このこはぐら荘、人気スポットとはいえ、実際には人が住んでいるので、「家の中には入らないで下さい」との注意。ここでも家の前に、シーサーがあった。近くの展望台にも行ってみる。あまり高いところではないが、見晴らしは素晴らしく、あちらこちらに島が見えるとガイドのHさんが教えてくれた。
バスは、宿泊予定の、はいむるぶしリゾートホテルへ向かう。有名なホテルらしく予約を取るのも大変という事だ。広々とした敷地の中に、そのホテルはあった。私たちが泊まるところはロッジ風になっており、ハーブ棟と名前がついている。部屋は広く、ベッドは大きい。落ちる心配はない。このハーブ棟から海ははるか先のようだ。フロントで道を聞いたら、車に乗せて海まで案内してくれた。歩かないですんで、ラッキー。途中で仲間の皆さんが帰るところに出会ったので、海へ着いても誰もいなかった。静かに波音が聞こえるだけだ。海へ来たのは久しぶり、潮の匂いもそれほどしない。砂浜を歩いていたら、オーストラリアの海を思い出した。あちらの海も静かであった。誰か泳いだ人はいたのかな? 水は冷たそうな感じがした。
海から帰り、今度は少し歩いて展望大浴場へ。そこにはドリンクバーならぬシャンプーバーがあった。いろいろなメーカーのシャンプーが揃っている。お好きなのをどうぞに、普段使っていないメーカーのものを試してみる。いつも旅行に来て思うのは、見えない私にとって、大きいお風呂に入るのがなにより一番良い。気分が落ち着く。またサウナがあれば更に良い。汗をいっぱいかいて、ダイエットとはいかないだろうがまあ満足だ。
ハーブ棟へ帰る途中、ハンモックがあるのを見つけた。さすが広いところだけに、珍しいものがある。初めて乗ってみた。ひと揺れしただけで、めまいがした。情けない。みんなはたのしそうに揺られている。ああなぜだろう。平気な人が多かった。私はか弱いのだと自分を慰める。ブランコもあるようだ。夏になれば子供達がこれらに乗って楽しく遊ぶ事だろう。
夕食をすませ、今日はライブコンサートがあるという会場へ直行。そこへ現れた仲間のOさん、この方は、何時も私たちを笑わせ、その場の雰囲気を盛り上げ、楽しませてくれる天才だ。ライブの前に、人気を独り占めにするつもりか?ステージで、Fさんを相手に、社交ダンスの特訓が始まった。実に面白いと言っては失礼だが、笑いがとまらない。拍手大喝采の中で、受け狙いだったらバッチリ、それとも泡盛の飲み過ぎのせいかな?
気分一新、いよいよ真打ち登場、つちだきくおさんのライブが始まった。「涙そうそう」から歌い出すが、方言を交えたり普通に歌ったりするので、ずいぶん言葉が違うものだと感心する。それにしても、いい声だ。聴き応えがある。皆を笑わせながらのトークも、こちらをあきさせない。ちゅらさんのドラマでは小学校の先生役で、俳優デビューをし、琉球放送のラジオ番組にも出ているそうだ。「千の風になって」を歌ったり三線を引いて聞かせたりと、周りを盛り上げて行く。小浜島が気に入り、住み着いてしまったという、つちださんは、毎年、東京のヤマハホールで、コンサートも開いているという話だ。楽しい時の時間はあっという間に過ぎて行き、はいむるぶしの夜は静かにふけて行った。
珍しき ハンモックありて 湯の帰り
揺られ揺られて 今宵はここで
第3日・4月19日
自然の宝庫西表島
田名後 浩子
小浜港からフェリーで西表島の大原港へ。西表島で2番目に長い全長17.5キロのマングローブに囲まれた仲間川を6.5キロ上流までの、クルージングを楽しみました。船長さんが運転しながら、色々なことを教えてくださいました。海から一本目の橋が海と川の境界と日本全国統一されていること。この仲間川は、非常に潮の満ち引きの影響を受けており、海から10キロまで海水が入り込んでいること。仲間川では、カヌーを楽しんでいる人達がたくさんいました。行き交う船に手を振り、大声で叫ぶと向こうの船も笑顔で応えてくれました。マングローブというのは植物の総称で、亜熱帯地方の潮間帯にはえる植物をいうそうです。日本にはマングローブと言われる木が7種類あり、その全てが西表島で見られ、その内、6種類が仲間川で見られるとのことでした。
八重山地方は毎年台風に見舞われ、樹木が風でなぎ倒されてしまい、その木が仲間川に倒れていましたが、天然保護区に指定されているためにそのままになっているとのことでした。途中の桟橋でおり、樹齢400年のサキシマスオウノキを見に行きました。この木は高さ20メートル、直径3.5メートル、板根の高さは3メートルもあり、屏風のように立っていました。仲間川の所々にペットボトルが浮かんでいましたが、鋸ガザミ(カニ)のいる目印で大きいものは3キロにもなるとのことでした。とても美味しく値段も高いそうです。また、シレナシジミという世界最大のシジミも捕れるとのことで、船長さんが拳大くらいのシジミの殻を見せてくれました。何と大きいものは、直径15センチにもなるとのことでした。食べることもできますが、砂抜きに1週間もかかり、もう食べなくてもいいというような味だそうです。川と言っても海水なので黒鯛、サヨリ、鯵、ボラなどがいて、この辺の生き物は、みな大きくなるらしくヤシガニも3キロ、島鯵は1.5メートル・重さ50キロにもなるとのことでした。心地よい風に吹かれて楽しい船長さんのクルージングでした。
次は、いよいよ水牛車で西表島から由布島へ。43頭いる水牛車に8名〜10名で乗り込みました。私が行きに乗った水牛はマコ様と言う13歳のメスで3倍にすると人の年齢と同じということで、39歳。前に他の水牛がいるとごぼう抜きする負けず嫌いな水牛です。大潮の時は水牛の首まで深くなるそうですが、水牛には、汗腺がなく水に漬かるのが大好きなので喜んで行くそうです。マコ様はバッシャバッシャと水を掻き分けて進みます。牛車を扱うおじいさんの三線に合わせて沖縄の民謡をみんなで歌い由布島に着きました。由布島では、植物園に行きました。色とりどりの花の中を進んで行くと水牛がいました。人にとても慣れていてその水牛を触ることができました。牛のような毛並みなのかと思っていましたが、毛並みはボソボソとしていて短毛で、暖かく大きく呼吸をしていました。今でも、あの大きな息遣いと暖かさを思い出すことができます。植物園の中に、蝶蝶園があり、葉には蝶の幼虫や毛虫、サナギなどがいて、たくさんの蝶が飛び交っていました。ちょうど羽化している蝶もいました。このセンターは見えていれば色とりどりの南国の花や、様々な蝶が飛び交ってきれいだったと思います。
由布島から西表島へは、今度はゴンタ君に乗って帰りました。ゴンタ君は8歳、人年齢では、24歳のイケメンです。(?)水牛は若い時の毛の色は白赤で、歳をとると真っ黒になるとのこと。人とは反対ですね。最近の水牛は何世代も飼われているのでペットのようにおとなしくなったが、本来は気が荒くスキあらば人をやっつけようとしていたそうです。昔は、獣医さんは家畜の牛までしか診なかったので、自分達でオスの水牛が2歳になるとヤットコで玉を取って虚勢したとのこと。水牛の眼が真っ赤になり、暴れて大変だったそうです。特にオス同士、角で内臓をえぐるほど喧嘩をしたとのこと。ゴンタ君を扱う西表さんが、由布島での生活をたくさん話してくれました。子供が小学校に行くのに毎朝、水牛車に乗せて西表島まで通ったこと。好きな時に飲んで、仕事をして、寝るのでストレスがたまらない。家を留守にしても鍵はかけない。小さい時から鴨や鶏、ヤギを絞めることを教えるので、生き物を大事にすること。以前はNHKしか映らなかったので、CMの入ったビデオがお土産だった。今でも海に囲まれているので潮の満ち引きでの陰暦を使っていること。毎年来る台風に丹念に育てたマンゴをやられてしまうこと。「大変ですね」との私達の言葉に「仕方ないさあ。」と、方言で返してくれました。
時間に追われて失いかけている本来の人の生き方を考えさせてくれる貴重なお話でした。
次に西表島野生生物保護センターへ行き、イリオモテヤマネコの説明を聞きました。実物大の6kgのイリオモテヤマネコのヌイグルミを抱かせてもらい、去年亡くなった大きな猫を思い出し、胸がキュンとなりました。また、大原港からフェリーに乗り、今度は石垣港へ。そして、石垣空港から飛行機で宮古島へ行きました。石垣空港では、石垣市視障協の平良会長が笑顔で私達を見送りに来てくださっていました。思いがけないお見送りに平良会長の、沖縄の人達の人情、温かさを感じました。ありがとうございました。
宮古島のホテルブリーズベイマリーナには、18時半過ぎに到着。大急ぎで支度をして、食事会場へ。私達江戸川視障協だけの宴会席で、フランス料理のコースでした。松本会長の挨拶の後、小野塚さんの名司会でカラオケやダンスをして、最後の沖縄の夜を楽しみました。
マヤプシキ … 高さ5〜7メートルで横に広がる。
根が水面から上に筍のように出ている(筍根)。直接空気を取り込む呼吸根。
オヒルギ(アカバナヒルギ) … 高さ10メートルになり、仲間川の7割を占める。根が竹箒のようになっている。膝を曲げたような根(膝根)。硬くて重く、住宅建材に使用される。皮が茶色でマングローブ染めに使われる。年中赤い実がなっている。
サキシマスオウノキ(先島蘇芳) … 板のような根を持つ(板根)。この根で洗濯板、まな板、船の舵などが作られる。
第4日・4月20日
エメラルドグリーンの海に浮かぶ島宮 古
金子 曜子
最後の日を宮古島のホテルブリーズベイマリーナで目が覚めた。
「散歩に行ってらっしゃいよ」の声に押され部屋を出る。ホテルの玄関前は広いサトウキビ畑が続いていた。ホテルを半周してから中庭に入ると、遠浅の入り江、聞こえる波の音に心洗われるひと時でした。暑くなくとてもすがすがしい気持ちです。Mさんが話していましたが「八重山の海は潮の香りが感じられない」そうです、確かにべたつくような潮の香りがありません。他の方はどのように感じたのでしょうか。そう思ったのは私達だけだったのでしょうか。
朝食後、肉料理が食べられないMさんの昼食が心配だったので、昨日のホテルと同じように訳を話して「パンを下さい」とお願いしたのですが、なかなか返事が返ってきません。何となく気まずい感じ。前日のホテルは即答で「はい、どうぞ」と言ってくれたのに。最終的には承諾してくれましたがいただく量も遠慮がちになってしまいました。
10時30分 ホテルを出発
バスの中でガイドさんが宮古島についていろいろと説明をしてくれました。
島は東京より2000キロ、台湾に行く方が近いのに島民は東京に行きたがります。四季の変化がなく、一年中真っ赤なハイビスカス、ブーゲンビリアなどいろいろな花が咲きます。朝顔もそうです。朝顔は朝の早い時間帯は紫、昼はブルー、夕方はピンクと一日3回お色直しをするそうです。2月が一番寒く、気温17度から18度、平均気温が29度。夏場でもドアを開けていると風が通るのでクーラーはいりません。しかし、日差しが強いので日中は歩きません。そのため生活がどうしても夜型になってしまい子供達も夜の10時頃ゲームセンターで遊んでいます。大人は夜の8時頃からお酒を飲みに行くので、朝に酒気帯び運転の取締りがあり、結構捕まる人が多い。これにはびっくりです。海に囲まれているのに、島民は泳ぐ習慣がない。最南端のファミリーマートがあり、石垣島にはない。
これってもしかしてバスガイドさんの自慢でしょうか。
雨が降ると、畑の下の地下ダムに水を貯めるので、川がないのに水が豊富。地下ダムとは初めて聞く言葉です。畑に散水しても年間の水道代が1500円ほどでこれは電気代だそうです。みかんやパイナップルが出来ない。はぶが生きていけない。風力発電や太陽光パネルの実験場所でもある。宮古島はとてもユニークな島と感心しました。
ガイドさんの話しを聞いているうちに東平安名崎に到着です。
ここは宮古島の最東端です。バスを降りて岩壁の上を散歩。下をのぞき見ると岩にぶつかって散る白い波に、足元がすくわれ吸い込まれそうになります。遥か遠くまで紺碧の海が続いています。県の天然記念物、天の梅の群生落に年中おおわれているということですが、目にすることはできませんでした。私だけが気がつかなかったのかな。太平洋と東シナ海に挟まれるように突き出た美しい岬は、青い空にそびえる白い灯台と一面に咲いている鉄砲ユリがとても印象的でした。灯台には登りませんでしたが、鉄砲ユリの咲いている小道をMさんと二人でのんびりと散歩しました。
次は宮古島海宝館へ移動です。東平安名崎からバスで5分くらいのところにありました。併設されたレストランでの食事です。お刺身が出て、朝頂いたパンが無用になってしまいましたが、美味しそうに昼食をいただいている、Mさんの様子を見てほっとしました。少し元気がでたようです。
貝宝館前の売店では、採れたてだという海ぶどうに目がいき、試食したら美味しかったので購入。貝宝館は見学しないで、小高い丘に建っていたあずまやに座り、海を目の前にしてみんなでおしゃべりの花を咲かせました。天高く、青く、白く続く海、流れる風、南の島に来ているとの思いで胸がいっぱいになる。
前浜ビーチは白い砂浜が7キロも続く東洋一美しいビーチ。バスを降り、開放されたように、砂浜を掘って貝を採ったり、波と戯れたりと思い思いの行動。八重山諸島は珊瑚でできた島。珊瑚が砕けた砂浜は粒子が細かく手に取ると水が流れるようにすべり落ちました。Iさんがスーパーのビニール袋いっぱいに砂を入れていたので「どうするの」と尋ねたら「Tさんへのプレゼント」との返事。「ああそういうプレゼントもあるんだ」と感心しました。あまりにも量が多かったので、帰って来てから尋ねたら、「植木に入れた」とのことでした。我が家はワイングラスに入れて台所の窓辺に置いてあります。Mさんはかびら(かびら波)湾で拾った珊瑚やホテル小浜島はいむるぶしで買った真っ白い大きな貝と一緒に、お孫さんへ八重山旅行のプレゼントとしてあげたそうです。思い出の品の使い方はさまざまですね。ここのビーチは「全日本トライアスロン宮古島大会」の水泳のスタートとゴール地点にもなっています。
宮古本島と来間島を結ぶ、農道来間大橋の下は潮が引いて珊瑚礁の上で遊んでいる人達がいました。八重山諸島は魚や貝、海草でも好きなだけ採っていいとのこと。入魚料が取られないとはなんと羨ましい話です。こちらでは考えられないことですね。
来間島に渡り、竜宮城展望台へ上りました。遠く広がるエメラルドグリーンの海、前浜ビーチの真っ白な砂浜が一望に見わたせました。今渡って来た来間大橋の下も珊瑚礁がどこまでも続いているのが見えました。
旅の締め括りは宮古島窯元で沖縄の守り神シーサー作り体験です。
シーサーらしき型が目の前に置かれています。最初に口を開けて、目、鼻、耳、歯を思い思いの形で付けて、自分のシーサーを作っていく。なかなか上手くいかない。時間も少なくなり気持ちがあせる。出来上がったのを見てうんざり。3週間後に送られてくるという。これを見たら家族が何というかと思うと冷や汗がでる。共同作業をしたMさんにも申し訳ない。何かの手違いで送られてこないことを祈る。
さあもう帰るだけです。バスは宮古島空港へ。しかし途中、バスガイドさんの紹介で道の駅に入る。安い。海ぶどうもゴーヤも全部安い。海宝館で買った海ぶどうの3倍もの量で400円。ホテルで買って送った海ぶどうはなんだったのでしょうか。がっくりです。ゴーヤもみかけは悪いが3本も入って180円です。東京の一本分の値段です。みなさんもいろいろと野菜を買い込んでいました。これから飛行機に乗って東京に帰るというのに、ああなんとすごい荷物です。時間を気にして、添乗員さんがハラハラしながらバスのそばで待っています。
宮古島空港では八重山諸島最後の食事です。それぞれ好きな物を注文して食べました。私の旅の締めは沖縄ソーキそばです。豚肉(共食いかな)がたくさん入っていて、食べられるか心配でしたが完食です。お肉が多いわりには油っぽくなく、麺は少し太めでぼきぼきした感じ。やはり麺はつるつるした方が美味しいですね。Mさんは海ぶどう丼を食べました。海ぶどうが半分くらいとまぐろ、いくらが入っています。そちらも美味しそうです。
まだ何となく見残した物があるような気持ちで、19時45分宮古島空港を後にしました。22時20分羽田到着。ほっとすると同時に真っ赤なハイビスカスが咲き、エメラルドグリーンの海が続く八重山諸島に又行きたい衝動にかられる。
シーサーが届きました。宮古島窯元でのできばえを思ったら、箱を開ける勇気がありません。一晩玄関に置きっぱなしです。娘が来て「お母さんシーサーでしょう、開けて見ようよ」恐る恐る開けました。ああ、笑われるだろうな。
「お母さん、結構いいじゃない、色が付いていたらもっとよかったのに」
本当です。なかなかいけます。私の頬も緩みます。心の中で大きくバンザイ。
あのがっかりした窯元での気持ちとはまるで違います。焼いたことで出来ばえが一ランク上がったようです。
今、我が家の玄関に自慢げに飾っています。大切な旅の思い出として…。
会員の皆様より
伊東喜代子さん
沖縄八重山記念旅行に参加して
久し振りの超早起きで始まった今回の旅行ですが、飛行機を降りて最初に私達を迎えてくれたのは、石垣島の視覚障害者協会の皆さんの賑やかの声と素晴らしい青空…ではなく曇り空でした。しかし流石沖縄、外に出た途端、汗がジワッと出てきました。
私には今回が3度目の沖縄旅行でした。今までは一般のツアーでの旅行だったので、『皆に遅れてはいけない』『迷惑をかけてはいけない』等と気を遣い、人より少し時間が掛かってしまうので、細かい所までゆっくり時間をかけ見る事が出来なかったけれど、ガイドヘルパーさんをはじめ、参加された皆さんのお力添えとユーモアに助けられ、隅々まで思う存分楽しめました。
沢山の思い出の中でも特に印象に残っているのが、砂浜での散策でした。童心に帰り足を海水に付けて綺麗な貝やサンゴを拾ったり、サラサラの砂を延々と掘ってみたり。はたまたナマコの気持ち悪さにキャーキャー騒いだり…。小さなカニやヤドカリが手を這う感触はあまり気持ちイイものではなかったけど、すごく懐かしい気持ちにさせてくれました。『一体こういう事をするのは何年ぶりだろう…。』と、考えてみたけれど思い出せないほどでした。
そして最後に体験したシーサー作り。
まず、シーサーは買うものと思っていたので、作ると聞いて驚きました。そして、はたしてちゃんと出来上がるのか心配でした。始めは何となくシーサーっぽくなればいいか、と思って作業をしていましたが、いつの間にか集中して夢中で作っていました。悪戦苦闘の結果、家族が言うには個性的ではあるけど可愛げのある仕上がりだそうです。世界に1つだけのこのシーサーを触る度にあの時の苦労が蘇ります。
他にも、鮮やかなピンク色のブーゲンビリアや、様々な色のハイビスカス、東京では聞けない面白い鳴き方の小鳥の声、沖縄でも時には東京と同じくらい寒い日もある事等、今では全てが良き思い出です。
沖縄の海の青さは分からなかったけど、匂いや音、様々なものの感触と温度、そして味。普段の生活では味わうことのできない事が沢山経験できました。
会長さんをはじめ会員の皆さん、センターの方々、石垣島の視覚障害者の皆さん、ヘルパーさん、いつまでも心に残る最高の旅行を本当にありがとうございました。
岡畠信子さん
出発の朝が早くてぼーっとしながら息子に送ってもらい、葛西で待っている人達と合流して一路羽田に行きました。忙しく飛行機に乗り沖縄石垣島に到着。バスで移動。
お昼にはあちらでは石垣島の盲人で平良常さん、他4名で楽しく交流会。
わたしは沖縄の民族衣装を着ました。
そこで1泊、あまり食事は美味しくなかった。
あと、小浜島での夕食は美味しくてみなさんと楽しくすばらしい夜でした。
また水牛にのったり、大きなしじみ、あんなに大きなしじみ、見たことがないです。
島にわたり主人がネックレスか指輪を買ってくれると言ったのですが、値段とサイズがあわなくて、お手頃なブレスレットになりました。
そしておみやげに色さまざまな貝をいただいて家に帰ってから楽しんでは思い出にふけっています。最近の私たち夫婦は二人か息子とでゆっくりと旅をしているので少々疲れました。
私たち夫婦はバスがとまると一目散にトイレさがしに走りだして、トイレさがしのくたびれた旅でもありました。
でもとても楽しい事でした。
夜な夜なお友だちの部屋で楽しいひとときを過ごすこともできたし、本当によい思い出ができました。
小野塚耕吉さん
宮古島からシーサーが届きました。慎重に慎重に箱を開けました。中から新聞紙の塊が出てきました。一枚一枚新聞紙をはがしてゆくと、出てきました現れました10万円のシーサーが、怪我は無いかと撫で回す。
それ見たかーちゃん「わ〜凄い、それ自分で作ったのぉ〜天才じゃないの」だって。白いヤギが覚めた目で見ているという歌詞が頭を掠めて飛んでいった。もう一匹作っちゃおかな〜。
北澤とみゑさん
わずか3時間で、沖縄の石垣島へ、4月17日朝9時半過ぎに到着、石垣市視障協の平良会長以下5名が出迎えてくれた。昼食をしながらの交歓会、三線、島唄、皆明るい、一気に島のムードにとけこませてくれた。
住山浩子さん
沖縄の海のにおい
私が一番違って感じたことは、海岸のにおいでした。
4日目の朝、ホテルから海岸に降り散歩をした時に、思わず、「わあー、潮のにおいがしない・・・」叫んでしまった。
海と言えば湘南海岸や、房総の海のにおいが私にとってのものでしたので、その違いを鼻で感じてきました。それと、砂の細かさ、白さ、きっと青く澄んで、きれいなのでしょうね。
楽しい旅行、本当にありがとうございました。
高橋満子さん
今回の旅行で一番よかったのは、西表島です。また水牛の引く車に揺られながらの御者さんとの会話がとても印象に残りました。言葉の後ろに「さ」とつける人なつこい話し方が優しく聞こえ、感動しました。
橋谷道子さん
石垣市視障協の方々とバスでパイナップル畑にもご一緒し、実に触ってみて、こんな風になっているんだなと、初めての体験で感激しました。昼食の時は伊勢海老など郷土料理を食べながら歌を聞いたり、和やかな一時を過ごしました。
宮古島では砂浜を歩いたり、海辺一面に咲いた百合の花の香りも満喫しました。
自分の人生の節目の忘れられない思い出になりました。企画された方々やガイドの皆様に感謝申し上げます。
藤澤正幸さん
お肉で石垣牛がとっても美味しかったです。
初めて食べたゴーヤが好きになり定期的に食べるようになりました。また、沖縄に行きたいとおもいます。
松田恵子さん
沖縄の歌がラジオから流れると石垣島で交流した時に聞いた歌のゆったりした気持ちに再びなります。やさしい波音と花とサトウキビの島、、、また訪れたいと思いました。
丸山美代子さん
風景は見えないし、最後の頃は体の調子も良くなかったので楽しくないと思っていましたが、帰って来てガイドさんが入れてくれたテープを知人に聞いてもらったら「楽しかったようだね」と言われました。家族に琉球衣装を着て映っている写真を見せたら「にこにこ笑ってとてもよく撮れてるね、楽しかったようね、羨ましいわ」と言われました。
旅行中は池田さんの皆さんに対する、心配りがとても好ましく思いました。
ガイドの金子さんには、お肉の嫌いな私に昼食用にホテルの人に頼んでパンやヨーグルトを戴いてもらったりして大変お世話になりました。
シーサーが届き触っていると行ってきて良かったと思うようになりました。
吉田聰子さん
沖縄には、本島にだけ10年ほど前に行ったことがあるのですが、八重山諸島は、ずっと念願でしたのでとても心待ちにしていました。観光はもちろんのこと、食べ物、お買い物、そして夜の宴会…と、たくさん楽しませていただきました。
社交ダンスに来られていない会員の方々には、お会いする機会が少ないのですが、旅先ということも手伝っていろいろお話ができ、4日間ずっと大笑いしていた気がします。楽しい旅の思い出が一つ増えました。今回、単独での参加でしたが、皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。
吉川佐登美さん
♪ デイゴの花が咲き… ♪
一昨年より着々と準備を進めてきました江戸川視障協創立30周年記念旅行は、去る4月17日(日)〜20日(水) 3泊4日の日程で無事遂行されました。
当初39名の参加メンバーでしたが、直前に5名の方が体調不良やご家庭の事情によりやむなくキャンセルとなり、総勢34名での沖縄八重山諸島巡りでした。
同じ日本でありながら異国を思わせる亜熱帯の豊かな自然が一行を優しく迎え入れてくれ、ゆったり・まったりとした時の中で貴重な体験と良き思い出を作ることが出来ました。そうして、皆さんと共に旅の思い出とお土産を一杯しょって帰還し、今回の記念行事が無事終了した事に胸をなでおろしたのであります。
末筆になりましたが、石垣視障協の方々には初日に石垣空港でお出迎えを受け、楽しい宴の交流会をご用意下さり、最終日にもまた空港でお見送りをして頂きました。たいへんお世話になりましたこと感謝いたします。東京から2,000キロも離れた石垣島と強い絆が出来たように思います。いつの日か、今度は江戸川区で再会できる事を楽しみにしています。
石垣視障協の方々とデイゴの花に見送られて旅が終わりました。
み〜ふぁいゆ〜(ありがとう)
旅行が終わってからも私の頭の中で♪でいごの花が咲き〜
と言う島唄がぐるぐる回っています。
八重山病かなぁ…
千歳雅行さん
沖縄八重山諸島記念旅行の唯一の楽しみは、あの青い空とエメラルドグリーンの海をカメラにおさめようといざ出発・・着いてみれば曇った灰色の空ばかり
残念!残念!
雨男いや雨女は誰だ?それでも1,000枚を超える写真を撮ることが出来ました。
4日間、たいした事故など無く皆さん笑顔で帰れたことで、ガイド・ボランティア・付き添いの方々に感謝・感謝でした。
今回の写真の中で、1番のお気に入りです。心当たりの方はご一報を。
鈴木大輔・和子・三郎さん
八重山周遊にて
江戸川区のみなさん、突然横浜から妙な3人家族がお邪魔しましてすみませんでした、そして有難うございました。とかく人間関係の希薄さが取りざたされる大都会、でも、松本さんはじめボランティアさんを含め皆さん、江戸っ子気質の長屋づきあいのようなぬくもりがつたわり、今なお安らぎを感じています。
さてあれから一ヶ月ほどたった頃、我が家に小さな段ボール箱が届きました。ふたを開け新聞紙をはがすまで遠くかなたにかすんでいた八重山がこの粘土の三つの塊、シーサーの感触によって、次々に浮かんできました。だだっぴろいリゾートホテル小浜島はいむるぶしでは、敷地内の海水浴場をたずねること30分,水に入って進むこと100m、いまだひざ小僧も隠れず。マングローブの遊覧船や水牛に引かれてのんびりピチャピチャ、まったく日常ではありえない島そのものの体験でした。そのほか1日目和子は民族衣装で記念撮影、大輔はパイナップルをたらふく食べ、三郎は近年禁酒生活のためせっかくの泡盛は断念したものの3人おいしい料理に舌づつみ。現地の仲間たちとの交流と出会いは友情と連帯は勿論、三線や歌でのもてなしに旅情は高まり触れ合うことの暖かさに包まれました。そしてこのふれあいを作りだした江戸川区の皆さんのあのぬくもりがあらためてよみがえってきました。
最後に一言、今回であった美しく穏やかな景色や人々、でもその奥深くに潜む戦争の悪夢と今なお続く苦しみを、この楽しかった旅行であっても忘れてはいけないのではないか、そんな思いは我が家族だけなのでしょうか。
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石垣市視障協の平良会長は、とてもハツラツとしていて、75歳には見えませんでした。みなさん明るくて、初めてお目にかかったのに以前からの知り合いのように接してくださり、本当にありがとうございました。交流会では、自慢の素晴らしい歌声、民謡や、三線を披露してくださいました。今年6月40周年を迎える記念の年に江戸川視障協との交流ができて本当に良かったと、うれしいお話をいただきました。私達も沖縄の海・風・自然に触れて、沖縄の人達の明るさ、おおらかさを感じ、ゆったりとした時間を過ごす事ができました。この交流を第1回として、今度は石垣市視障協の方達に是非江戸川区に来ていただき、第2回、3回…と交流を深めていきたいものです。
最後に、このような記念旅行を企画してくださった松本会長、ジャパンスタートラベルの松浦さん、事務局のみなさんありがとうございました。そして1人も怪我もなく無事に楽しい旅行ができましたのも協力してくださる家族、付き添いの方、ガイドヘルパーさんのお陰です。たくさんの素晴らしい思い出をありがとうございました。
(T)
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八重山毎日新聞 掲載記事より
2011年4月20日(水)
視覚障がい者が交流 東京・江戸川と石垣
三線・カラオケ・琉装体験も
東京都の江戸川区視覚障害者福祉協会(松本俊吾会長)のメンバー34人が17−19の3日間、設立30周年記念の旅行で八重山を訪れ、石垣市視覚障害者協会(平良常会長)と交流した。
交流会は17日午後、石垣やいま村で開かれ、両会と関係者合わせて約40人が出席。平良会長らは三線やパーランクーで八重山の民謡を披露。カラオケ大会や琉装の体験もあった。記念品の交換では、江戸川側から風鈴と菓子、石垣側からアンガマの面1対とパーランクー1個をそれぞれ贈った。
松本会長は「交流会は、平良会長の三線が上手で楽しかった。琉装もさせてもらい、印象深かった」、平良会長は「視覚障がい者の団体を迎えて交流するのは初めてで、何を食べたのか忘れてしまうくらい楽しかった」と話していた。
石垣島・八重山諸島全域の総合観光情報ポータル http://www.isigakizima.net/
星野 勇
結婚披露宴の服装は新郎は白いワイシャツに黒いズボン、エンジの蝶ネクタイをしめて、胸には金色の花を飾っている。新婦はちょっとよそいきか、ピンクの洋服にレースを頭から下におろして、胸には紫色のお花を飾っています。新郎は立ってソワソワして付添人に冷やかされ、ちゃかされて、新婦はどっしりと腰掛けてうつむき加減…と、Kさんは笑いながら楽しそうに語ってくれた。またEさんも通りがかって、ピンクのドレス風でとても清楚な感じがしたわ、と話してくれた。
ここは、深谷市ひとみ園の食堂で、時は平成23年6月14日火曜日、曇り、11時半、大安。披露宴が催されるという今日は、観光バス50人が深谷市ひとみ園見学研修に行った。迎えてくださった園長先生の歓迎を受け、甘酒などいただいた。で、結婚のことにふれて、5年前にもありました。今回は男性77歳、女性は76歳。二人とも視覚障害で入籍はしない。恋愛結婚で愛人同士を公認すると言っておられた。
それではこれから施設の概要などを資料、職員の話を簡単に述べてみたい。
施設の名称は養護盲老人ホームひとみ園。経営主体は社会福祉法人日本失明者協会(理事長・茂木幹央)、開園したのは昭和54(1979)年4月1日、入所者定員100人。施設の構造は鉄筋コンクリート3階建て(一部2階建て)、延べ床面積南館・西館・本館で4,686.675u、敷地は10,204u。なお施設の介護職員、生活相談員、事務員、看護師、栄養士等はすべて点字の読み書きができるという。それから新本館(新園舎)の南側園庭には盲人が草花に触れたり香りを楽しんだり、ミカンの収穫をするなど、これらを目的とした「香りの園」がある。
見学
バスは9時50分、ひとみ園に着いた。ネギ畑を行き園に入る。エントランスホールに園芸クラブの写真(スイカ・さつまいも・かぼちゃの収穫)、また去年秋の日帰り旅行、小諸リンゴ狩りが貼ってあった。通路の両側に木の手すりが続いていた。階段の手すりには点字シールがあった。2階に上がるとここは支援員センターですとスピーカーから流れていた。集会室に通された。園長先生の挨拶、歓迎、施設の話があった。資料配られて、点字を読む。次に盲人ゲートボールの体験をする。女子職員の説明を受ける。希望者はアイマスクをして大きめのボールを転がした。私もしたがかすりもしない。ほとんど0点。ただMさんのはかすって1点。終わった時、職員に聞く。足との距離は8m。ゲートには位置を知らせるドアチャイムが鳴っている。ゲートの中の左右に大きな鈴、真ん中に風鈴がぶら下がり、風鈴に当たると12点だと聞いて、手で鳴らしてみた。卓球教室、洗濯場を通過して次は。
居室
12.8u。洋室だが畳は自費でつけるとか。衣装ダンス、押入、トイレ、くくりつけてある。ベランダあり、棚、天袋つきだ。部屋数は1階が19室、2階・3階も19室ですと職員は言う。計算すると57室になる。だけど先ほど別のKさんから「夫婦の居室はあるのかしら」と聞かれたが、見あたらないのだ。どうなるのかなあ。ここで入所費用について。園長先生によるとひとみ園では園生年収0〜27万円以下は0円。障害1級基礎年金で月49,800円を出身地の福祉事務所に支払う。衣食住がまかなえる負担金は、270,001円から発生するようだ。
階段を降りて1階支援員センターと言っている、陶芸教室、通過。点字教室に入る。触れる。腰掛けて打つ。大きな点字器をそっとガチャガチャ動かした。Tさんも真似して動かしていた。製版機、印刷機もある。さっきの点字資料はここで作られたと職員が言っていた。次は浴室。いろいろ工夫されていて、広くて明るいという。インスリンを打ってる方もいるが、事務員に聞くと中等症、重症の方もおられる。介護4、5で、糖尿病で両下肢切断者が車イスで、また寝たきりの高齢者も来る。資料だと視覚、聴覚、言語の3重の方も来られるとあった。介護を必要とする方は、月・水・金に来るという。シャワー室も特別の工夫がこらしてあった。通路に陶芸品のお茶碗、葉っぱのお皿が飾られ、釉薬を塗ったのと素焼きがあった。演劇ホールに着いた。明るくて座席はたくさんあるという。休憩。
ここで盲人一人演劇が催される。司会者が紹介する。テーマ、音楽についで、上演者井山幸子さんが白い洋服、紺のスカート、胸に赤い花を飾り登場した。今日は木下順二の「夕鶴」を身振り手振りで話していた。そして鶴が何度も鳴いて鳴いて飛び去って行った。最後に我々にネギせんべいと栗まんじゅうが配され、感謝し辞した。
所在地 : 〒366-0811 埼玉県深谷市人見1665−3
п@ : 048-573-5222 FAX:048-573-6633
交 通 : JR高崎線深谷駅 八高線寄居駅
東武東上線寄居駅から いずれもバスあり
深谷駅からタクシー 8〜10分
************
サクランボ狩り
お昼になってひとみ園をあとに、バスは早くも埼玉グランドホテル深谷に着いた。お昼は和食、ビール、刺身、天ぷら、お吸い物、レタスなど美味しく頂いた。1階に降りても売店なし。深谷駅まで行ったが町は閑散としていた。カレーの店がポツンとにおっていた。バスに乗り一路赤城高原を経て沼田へ向かって行く。車内ではジュース、アルコールが回り、カラオケがにぎわっていた。しかし女性軍は8割余も乗っている。参加できなかった人たちもいたようだ。ひとみ園もよかったが、サクランボの魅力はこんなに多くの女性を集める力があったと思う。15時頃、バスは沼田原田農園に着いた。農園の人から無理に取らないよう、枝を折らないよう、持ち帰りはしないよう注意があったが…。
サクランボ畑に入る。下はでこぼこで枝々低い。こごんで歩くのだ。Kさんがとってくれて、それを食べる。昔、Kさんの実家で熟したのを食べたけど甘くてすごく美味しかったという。でも、ここのは甘くなく本格的でないわ。良さそうなのをとってくれる。私は少しすっぱいが美味しいと思った。Eさんが来た。赤、黄色だが、味よくないわ、ちっちゃいし。移動する。脚立あるが、美味しそうな色のところにないよ。地面はビニールで種をポトポト落とす。先輩のMさんが来て、色も良くないし、たくさん食べられないとか。また、Hさんもたくさんは食べないと言う。そう言いながらもたくさん食べている。種が絶え間なく地面、ビニールに落ちている。日のあたらないところは緑っぽい。移動する。いてぇ、枝が頭にぶつかった。女性軍が集まってにぎわう。赤いけどすっぱい。突風が吹いて来た。Tさんは食べてしゃべっているのが同時だ。まずそうでも口は絶え間なく動いている。甘いのがあったわ。Eさんも赤いのを取ってくれた。先輩のTさんも美味しいと言ってた。Mさんは種とばししてるとか。女性の胸は二つだが三つに膨らんだとか。地面でなくポケットに落としてるとか。サクランボの葉っぱは思ったより大きかった。でっかい玉ねぎが地面に植えてある。これは胸に入らないわと笑いあった。みんな満腹そうだった。
出口近くでイチジク、ハンカチの木があり花が白かった。それから2センチほどの紫の実を触る。何の木なのか。園の女性に聞いたらリンゴで紫の実はアルプス乙女と教えられ、観賞用で食べられないという。間違えて紫乙女と言ったら、園の女性はすかさず「それは私だわ」と言ってみんなで大笑いした。あの白い大きな花は山法師と聞いた。
みんなバスに乗る。15時45分発車。5分でドライブインに着いた。ここはリンゴバームクーヘン、こんにゃく、サクランボが名物だ。サクランボはパック1200円、2500円が売ってた。バスはこれから酒蔵誉国光に向かう。 終わり。
社団法人東京都盲人福祉協会傘下の城東地区盲協連絡協議会(足立・荒川・江戸川・葛飾・江東・墨田)の平成22年度諸事業は、4月の支部長会をはじめとし、平成23年3月の締めくくりの定期総会を含め、9回の行事を実施、成功裡に終了することが出来ましたので、以下に各行事の報告をしましょう。なお、長年にわたり城東ブロックの発展にご尽力頂きました江東区の池田治雄前会長が、本年1月3日にご逝去されました。会員の皆様とともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
1 支部長会 … 2010年4月8日(木) 13:00・タワーホール船堀 障害者協議室
※ 平成22年度の年間行事実施を決定したほか、会費を含む財務の件等、ブロック長に一任することを了承したあと、各支部間で情報交換を行った。
2 東京都委託・家庭生活訓練事業(リズム運動)
@ 実施日・会場 … 全8回(5/3・5/17・6/14・6/21・7/5・7/19・9/6・9/20) 13:30〜15:30・グリーンパレス4Fホール
A 参加者 … 述べ216人
B 講 師 … 高津容子・渡辺テイ子・手塚征子・石原忠美
※ 5月3日、開講式。9月20日の閉校式に、江戸川区障害者福祉課橋本推進係長を来賓として招き、参加者の労をねぎらうご挨拶を頂いた。
3 第1回スティックボール大会
@ 日時・会場 … 7月27日(火) 13:00〜16:30・グリーンパレス4Fホール
A 参加者 … 9チーム45名の選手(応援団、付添ボランティア120名)
B 成 績 … 団体優勝:足立区 準優勝:荒川区 第3位:江東区Aチーム
個人賞(1ゲーム最多得点者):足立区・坂巻英夫(11得点)
※ アイフレンズ江戸川の全面的なご協力を頂き、江戸川区障害者福祉課橋本推進係長を招き、小野塚審判長の進行により、試行錯誤の第1回大会は、盛会裡に終了した。
4 新潟県蓬平温泉宿泊・長野方面親睦旅行
@ 期 日 … 8月29日(日)〜30日(月)
A 目的地 … 新潟県蓬平温泉(奥只見湖・春日山神社・長野リンゴ狩等)
B 会 費 … 1人25,000円
C 参加者 … 46名
※ 残暑が厳しかったが、蓬平温泉は美人の湯で知られており、夏の疲れを温泉に流し、宴席では各支部代表の歌唱を楽しんだ。2日目の春日山では日本海の海の幸、そして奥信濃のフルーツ園ではもぎたての早生の「津軽」のリンゴに舌つづみをうち、支部間の交流の実をあげることが出来た。
5 第7回交流サウンドテーブルテニス大会(盲人卓球)
@ 日時・会場 … 9月9日(木) 12:30〜17:00・篠崎コミュニティ会館2F
A 参 加 者 … 各区4名の計24選手(応援80名)
B 試合形式 … 選手3名ずつ8グループ、1ゲーム2セット。
C 成績内容
1) 団体優勝:足立区 第2位:江戸川区 第3位:江東区
2) 個人優勝:坂本芳雄(江戸川区) 第2位:戸部明雄(足立区)
第3位 :吉岡千代子(足立区)・甲斐春美(江東区)
※ 1フロアに2台の卓球台で並行してゲームを行い、静粛の中にも緊張感が漂い、熱戦が繰り返された。開会式には江戸川区障害者福祉課橋本推進係長のご挨拶を頂き、田島審判長と、江戸川区から5名の審判員(星谷・金子・小倉・肥田野・大森)と、これに球拾いのボランティアさんのご協力により、スムーズに大会運営がなされた。
6 東京都委託・三療研修会
@ 日時・会場 … 9月11日(土) 13:30〜16:00・タワーホール船堀303号室
A 参加者 … 38名(付き添いを除く)
B 講演と実技公開
1) テーマ … 腰下肢の絞扼性神経障害に対する鍼灸マッサージ施術
2) 講 師 … 都立文京盲学校教諭 栗原勝美先生
※ 現代医学の観点から日常臨床に即応した、腰・下肢痛の実践的講義と合わせて、モデル患者を通して手技療法の実技を習得することが出来た。
7 第7回交流カラオケ大会
@ 日時・会場 … 10月14日(木) 12:30〜17:00・タワーホール船堀 瑞雲
A 成績内容
1) 団体 優勝:江戸川区(1318点) 準優勝:墨田区(1284点)
第3位:葛飾区(1282点) 第4位:江東区
第5位:足立区 第6位:荒川区
2) 個人表彰者
優 勝 江戸川区 高田孝治(285点) 「想い出の渚」
準優勝 江戸川区 三橋竹志 「津軽慕情」
第3位 足立区 岩辺好夫 「紅蓮の涙」
敢闘賞(第4位) 墨田区 舟山嘉勝 「舞酔い酒」
努力賞(第5位) 葛飾区 落合優子 「鳥取砂丘」
特別賞 墨田区 鍋島道男 「望郷列車」
特別賞 江戸川区 田中誠子 「紫雨情」
※ 来賓の江戸川区吉沢障害者福祉課長から歓迎のご挨拶があり、司会の田名後さん、成田さんの紹介で、城東6ブロックから各5名の計30名で熱唱。皆さんの歌唱力に加えて、応援の180名の声援で、盛り上がりのあるカラオケ大会となった。休憩の後、審査委員長をお願いした八汐由子さんの素晴らしい演歌を楽しみ、上記の審査結果が司会の小野塚さんから発表された。閉会の辞は次年度幹事の江東区・鈴木会長が行い、相互交流の実を上げ4時間の一大イベントを終了した。
8 東京都委託・盲高齢者社会生活教室(通称生きがい教室)
@ 日時・会場 … 平成23年2月10日(木) 13:30〜16:00・
タワーホール船堀3F障害者協議室
A テーマ … 心のすぽんじ
B 講 師 … 名取芳彦 江戸川区鹿骨・密蔵院住職
C 参加者 … 70名(会員38名)
※ 講師の名取先生のユーモアたっぷりの話術に笑いが飛び交い、内容のある講話を聞くことが出来た。
9 定期総会 … 3月4日(金) 12:30
タワーホール船堀303号室
※ 22年度事業報告及び決算承認を行った上で、23年度幹事の江東区へ引き継ぎがなされた。また諸規程整備の必要性を話し合った。
【総括と課題】
支部長会と定期総会を除く7事業を、各支部のご支援により無事終了することが出来ました。都盲協を支える城東地区6支部の会員間の交流が進み、支部間の融和協調の形が出来上がりつつあります。総会で問題提起された、「共済規程に変わる新たなルールづくり」については23年度の支部長会(4月12日・江東区障害者センター)において、本規約・共済規程ほか2つの内規を新たに決定し、幹事区となる各支部の引継ぎが行えるルールが整備されたことは、城東ブロックの事業の円滑な運営に道を開くことが出来たと言えるでしょう。本報告の結びに、6支部長様はじめ、諸行事にご参加ご協力を頂きました多くの関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。(M)
宮地 昭雄
平成23年5月25日の午後2時頃奥様の見守るなか、病との闘いも終わったのでしょう。静かな表情で眠る様に息を引き取られたと言う。しかしここに至るまでの病魔との闘い、心身の苦痛は如何ばかりかと心からのお悔やみと哀悼の意を表します。
永井さんはもうこの世には居ないと言う紛れもない現実と、それを信じられない気持が私の中を去来する。と言うのはつい今年の正月、新年の挨拶をかわして数日後腹痛にて急遽入院、1月15日の新年会には出席できないとの知らせがあった。本当に驚いたが、それにもまして驚いたのは退院後に聞いた診察診療の結果である。それは、膵臓にガンがあって肝臓にまで点々と転移しているので手術は出来ない、抗ガン剤で治療するとのことである。「後ほど手術はすることになった」電話であったが取り乱した様子もなく淡々とした話しぶりに、聞いている私の方が胸ふさがる思いであった。慰める言葉もない。一見温和に見える人柄の中にどこにあの様な気丈さが潜んでいるのでしょうか。無信心な私など到底達しえない心境である。
永井さんが江戸川区に来たのは私と同じ昭和45、6年頃ではないかと思われる。そして彼の存在を知ったのはNHKの盲人の時間で、永井さんとアナウンサーの対談が放送された時である。治療院開設の経過と注意点等が話題の中心であったような気がする。
このように永井さんは障害に屈せず、前向きに社会参加しようと言う意気込みが感じられた。特に日曜日には教会に通う熱心な信徒でもあった。教会の活動は永井さんの生きがいでもあり心の拠り所でもあったようだ。また、公的には若い頃から江戸川視障協の役員を務め、平成3年には立候補して会長になっていただいたり、この度は相談役になられたばかりのところ、急に亡くなられたことは会員一同痛恨の極みであり残念でなりません。
天国でのお幸せを祈って追悼の文と致します。
蒸し暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?
3月の東日本大震災では、今まで経験したことのない怖い思いをしました。被災地には及びませんが、江戸川区や近隣の町でも大きな被害に見舞われました。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
また、夏至を境に今年もとても蒸し暑くなってきました。節電に努めながらも熱中症対策しながら、元気に夏を乗り切りましょう。
そんな中、今回の福耳通信は、ほんの少しですが明るい話題をお届けします。
昨年3月、多くの読者に惜しまれつつ発行を終了したオール読物(月刊)でしたが、終了と同時期にDAISYデータのダウンロードサービスが開始していたことはご存知でしたか?昨年夏頃、利用者の方から区で用意して貸し出して欲しいというご意見も頂いていました。大変お待たせ致しました。江戸川区でもご希望の方に貸出しができるようになりました。以前カセット版をご利用いただいていた皆さんにご連絡させていただいた処、多くの方から「是非に!」とか「待ってたのよねぇ」との声が寄せられました。私たちも皆さんが待ち望んでいた雑誌をお届けすることができてとても嬉しいです。毎月20日前後にお届けできる様、作業をしています。今回はDAISYをご利用の方に限られてしまいますが、まだご存知なかった方も、ご希望の方はどうぞお気軽に担当までご連絡ください。
サピエの便利な機能を一日も早く覚えて、今後も皆さんにより良いサービスを提供できたらと担当一同やる気満々です。とはいってもまだまだ会員となって日が浅いので、日々勉強です。(一つ白状しますが、せっかく用意した資料を、ケースに入れ忘れ、空っぽのまま郵送してしまい…なんてことも…きっとこの記事を読みながら、「あぁ、あの人そそっかしいものねぇ〜」なんて私の性格見抜いている方いますよね…以後気をつけます。厳しく温かく見守ってください。)
また、他にも気になる雑誌・図書がありましたらご相談ください。
お待ちしています。
住 所 江戸川区中央3−1−3
電 話 3656−6298〔直通〕
中央図書館の担当は私たち4名(秋山 高津 川原田 豊嶌)です。
江戸川図書館 https://www.library.city.edogawa.tokyo.jp/toshow/index.asp
小野塚 耕吉
会員の皆様、ようこそカラオケ同好会にお出でいただき有難うございます。この会には特に会則は有りません。ワンコイン(500円)ポッキリで3時間半飲み放題、喋り放題、2〜3曲歌って大喝采はおまけ、見事お喋りを黙らせたらあなたの歌唱力は一級品、デイトのお誘いがあるかも? 毎回30人以上の参加を頂いておりまして、勿論半数は若く(我々より)素敵なガイドヘルパーさんです。デュエットも大歓迎です。歌詞は優しいボランティアさんが耳元で囁いてくれますのでご安心ください。お問い合わせは、花見とみ子さん(電話3685-3560)。当会で使用していますカラオケセットは平成10年5月、中ノ郷信用組合様よりご寄贈頂きましたパイオニアのレーザーカラオケセットでステレオタイプであります。出力が大きいのでどなたにも対応できます。マイクはプロ仕様の高感度マイクであります
。ソフトはレーザーディスクとCDカラオケ、その他テレビ用のパーソナルカラオケ「オン・ステージ」を使用しています。曲数は1000曲以上ありますが、新しい曲はご自身のカラオケカセットテープをお持ちいただきますと歌うことが出来ます。なお、マイク2本と「オン・ステージ」は当会の篤志家HHさんからご寄付頂いた物であり、大切に扱って頂きますようお願い致します。
ここで未だお時間が有りますのでカラオケ同好会発足までのエピソードをご披露いたしましょう。平成10年5月にカラオケセットを頂きましたが、そのころ未だ事務所はありませんでしたので大きさもあり置き場所に難儀しましたが、幸い春江町の片岡さんが保管してくださいました。利用は年2回がせいぜいでした。年が明け平成11年4月、区役所のご配慮によりましてタワーホールの3階に事務所を開設することが出来ました。早速カラオケセットを持ち込みました。カラオケクラブを立ち上げ、機器の利用を考えましたが、その頃はガイドさんの申し込み受付は区役所が行っており、趣味の為の利用は厳しい状況でした。そこでカラオケクラブをボランティアで支援してくれる人の募集を考えました。平成12年4月ボランティア新聞「やまびこ」に募集をお願いしましたところ、9名の方が応募してくれました。感激でした。会員の送り迎えをして頂き、記念すべき第1回カラオケ同好会を平成12年5月8日(月)タワーホールの306号室で開催しました。参加者は会員10名、ボランティアさん13名(一人は深町さん)でした。
和田 彰
皆さんは平成23年の誕生日には何歳になりますか。私は昭和9年10月生まれですので、10月になると77歳になります。これは、もう77歳になったのかというのと、まだ77歳なのかということになります。皆さんは、どちらに思いをいたしますか。年齢を意識することとなりますと、もう77歳になったのかということですが、私の顔を見た人は「まだまだ若いですね。年には見えませんね」と言われます。
日本では、年齢を祝う言葉がたくさんあります。60歳で還暦、70歳で古稀、77歳で喜寿、80歳で傘寿、88歳で米寿、90歳で卒寿、99歳で白寿、100歳で百寿と書いてももじゅと言います。
120歳で大還暦となり、長寿としてのお祝いをされます。
統計上では65歳から高齢者で、65歳から介護保険と前期高齢者保険となり、そして75歳から後期高齢者保険となります。寿命は、昭和20年以前は人生50年でしたが、現在では平均年齢が男79歳、女84歳ということで、世界一の長寿国となりました。平成23年4月、日本の男で114歳、世界一という最高年齢者がテレビに映りました。その人の言葉で「120歳までは生きます」とのことです。
その他に健康年齢とか精神年齢があります。健康年齢とは、日常生活を他人の手を借りずに、自分で生活を送る人のことを言います。精神年齢とは、気が若いとか、年とったとかいうことです。
私は今、毎週土曜日に老人ホームへマッサージのボランティアをしていますが、60歳から97歳の人をマッサージしています。しかし、歩行器や車椅子の人や、認知症の人が多くなってきています。そこで健康という言葉が、身近に感じられます。マラソンの会では高齢者になりました。マラソンレースに行くと、75歳から高齢者賞をもらえます。
平成23年5月、結婚50年の記念で金婚式になります。結婚25年で銀婚式、60年でダイヤモンド婚式となります。
中国の孔子に有名な言があります。「我、15にして学に志す、30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る。60にして従う。70にして心の欲することに従って矩をこえず」ということです。さて、皆様の今年はどこに当てはまりますか。
藤原 美子
思わぬきっかけで楽しい2年間の学生生活をおくることができました。
国際コミュニティ学科で、アジアの国々の授業をたくさん聞き、それぞれの国の方々のお国柄などを身振り手振りで説明をうけました。
フィールドワークということにも初めてお目にかかりましたし、ボランティアなどはしていただくばかりで自分が参加できるなどとは! すばらしい!
外国の力士を調べたり、老人施設にお話し相手にでかけたり、私のできることがみつけられたのです。
もっとすごいのは、この年になって沢山の同級生に出会えたことです。この喜びはものすごいですよ! 人生を一応過ぎた方の学び舎ですから、偉かった人もそうでなかった人も、みーんな同級生なんですからね。その方たちから学ぶことが大きいです。
沢山のきっかけを作ってもらったものすごく感謝している学び舎でした。
こうやってパソコンが打てるようになったのも、卒業のレポートを、ワープロで打って提出しなければならなかったことがきっかけでした。それからの出会いは今までになかった驚きの連続です。まだたどたどしいかぎりではありますが、友人とのメールのやりとりも楽しくおこなっています。
今大学で出会った書道の先生に根気よく教えていただいています。子供のころから大好きだった書道がまたできること
これこそ人生大学様様です。
こんなに元気あふれる江戸川視障協のみなさんの一人に入れていただけてうれしいかぎりです。見えなくなってもいやな思いはしたことがなかったのですが、こーんなに夢が広がるなんて!
人生大学からのいただきものは数えきれません。
1冊のノートが必要になりそうです。
めぐりめぐってみなさまとともに歩める幸せを、これからゆっくりかみしめたいです。
1.簡単おいしいクッキング
〔平良はるみさんのレシピ〕
◎ クーブイリチー(昆布の炒め物)
材料(4人分) 切昆布(乾)60g(戻したもの320g)
豚三枚肉120g こんにゃく80g かまぼこ40g
油大3 だし3カップ 酒(あれば泡盛)大1
砂糖(あれば黒糖)大1 みりん大1 塩少々
作り方(1) 切昆布は水でもどし水気を切る。
(2) 豚三枚肉はゆでて短冊に切る。
(3) こんにゃく、かまぼこは短冊に切る。
(4) 鍋に油大3を熱し、切昆布、豚三枚肉、こんにゃく、かまぼこを入れ、だし、酒、砂糖、みりんで昆布がやわらかくなるまで煮込む。
※ 昆布がカラカラに乾かないように、だしを適当に加えながら煮る。
◎ ニンジンシリシー
材料(4人分) ニンジン2本 卵1ケ 油大1
作り方(1) ニンジンは千切りにする。
(2) 油大1でニンジンをやわらかく炒める。
(3) とき卵を入れかきまぜる。
(4) 好みで塩少々、醤油をふりかける。
◎ ラフテー
材料(4人分) 豚三枚肉480g 泡盛5分の3カップ 砂糖3分の1カップ
醤油3分の1カップ だし汁3カップ
作り方(1) 豚三枚肉はゆでて2cm厚さに切る。
(2) 鍋にだし汁、泡盛、砂糖、醤油を入れ最初の5分位は強火に、あとは弱火にして1時間位ゆっくりと箸でちぎれるようになるまで煮る。
2.便利グッズの紹介
◎ かんたん君(プルタブ式の缶詰を開けるグッズ)
かんたん君は、プルタブのリングにフック状の先端部をひっかけてからグリップを倒すと、テコの原理で簡単に缶を開ける事ができます。高齢者に便利です。
大きさ : 幅5.5cm×高さ14.7cm
重 さ : 115g 価 格 : 1575円(税込)
お問い合わせ : DAN 0266-57-0702
◎ プレクストークリンクポケット
小型軽量で外出先でも気軽にデイジー図書・音楽を楽しめ、会議等をデイジー形式で長時間録音できるプレクストークポケットに、新機能が付いた「プレクストークリンクポケット」が9月に発売される予定です。この新製品は無線LANを搭載し、パソコンを介さずにサピエから自由に図書を探して聞くことができます(インターネット回線があることが前提)。テキストデータやワードデータを読み上げる機能も加わりました。8GBの内蔵メモリ搭載、外付けCDドライブ付属。
価格 : 85,000円(税込)
お問い合わせ : シナノケンシ株式会社 0570-064-177
プレクストークのホームページ http://www.plextalk.com/jp/
◎ よむべえ(2011年型モデル)
本誌15号・22号ですでにご紹介した「よむべえ」に、新機能が加わりました。「よむべえ」は、印刷物(文書・通帳・本など)を音声で読み上げる読書機です。画面をつなぐことにより、画像や文字を拡大しますので、拡大読書機としても利用できます。デイジー図書の再生も可能です。新モデルでは、スキャナーで読み取った文書を携帯型デイジープレーヤにデイジー図書として転送できるようになりました。江戸川区では、平成19年から日常生活用具に認定されています。
大きさ : 幅260×奥行385×高さ110mm
重さ : 6.6kg
価格 : 198,000円(非課税)
お問い合わせ: アメディア 03-5286-7511
視覚障害者向け音声読み上げと読書機のアメディア http://www.amedia.co.jp/
〈和田 彰〉
大津波すべてむなしき野の原に 桜は咲きて春を告げしか
冬を越し梢に並ぶ雀たち 一足先の若葉のごとく
〈松田 恵子〉
三線と島唄のどか石垣島(イシガキ)の何故か懐かしオジーとオバー
〈岡畠 信子〉
天国に召された息子あの笑顔 幼き日々の面影悲し
〈長谷川 とくよ〉
深谷ねぎ麦の畑をなつかしみ 車窓に見たり水無月の旅
ひとみ園ついの住みかとする人に 逢わざりしかど土産いただく
〈松本 俊吾〉
石段に紫陽花の葉さき影おとし 一畑薬師の参道に立つ
釣り人の竿先しなり波紋たち 深紅の夕日宍道湖に映え
〈成田 貴美代〉
手作りのシーサー届きすぐる日の 島唄なつかし安里屋ユンタ
〈渡邊 登〉
老いざかり「ちゃんづけ」とび交うクラス会 俺 登ちゃん二度わらしかや
視野失ければ声もて包みくれたりき 五月の心風に乗りゆく
皆さん、早いもので今年も「アイネット」をお届けする季節となりました。
本号では、本会創立30周年を記念した沖縄旅行の関連記事、5月の通常総会記事、そして会員の投稿記事など、盛り沢山の内容です。特に、3月に発生した「東日本大震災」を踏まえ、防災対策に関する記事も付け加え、より内容の濃いものとなっています。
3月の「東日本大震災」では多くの家屋が津波に流され、美しい三陸の海岸が無残な姿に変り、多数の死者・行方不明者を出し、その上、福島では原発事故の終息が予想がつかないまま、今も尚、多くの被災者が全国各地で不安な日々を送っています。震源地から遠い東京でも、依然として余震が続く毎日・・・。
一日も早く、地面の「神様」のご機嫌がおさまるのを祈るばかりです。 (I)
情報誌編集委員 (50音順)
井草 恵子 金子 曜子 小林智恵子
鈴木 洋子 田名後浩子 成田貴美代
日高真木子 藤原 美子 松本 俊吾
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