世界遺産の旅
白川郷の想い出
世界遺産「知床」を訪ね道東の旅
水と緑の島・屋久島を訪ねて
暮らしのアラカルト
1.簡単おいしいクッキング
2.便利グッズの紹介
秋の長雨が例年よりも続いていると思っていたら、いつの間にかもう各地で紅葉の便りが聞かれるようになった今日この頃ですが、皆さん益々お元気で毎日をお過ごしのこととお喜び申し上げます。アイネット第12号をお届けします。
世界中を見ればアメリカでの甚大なハリケーン被害や最近ではパキスタンで発生した大地震でインド側と合わせて死者が5万人を越えるという恐ろしい自然の大災害が起こり、国内では阪神淡路大震災から10年、新潟中越地震から1年となり、関東地方でも震度5前後の地震が頻発しています。首都高速と東急田園都市線のトンネルが構造上の問題から大地震で損傷する恐れがあるので補強工事をするという報道があり、7月の地震ではビルのエレベーターが止まり、人が閉じ込められるという事故が多発しました。
都市部では一度大地震が発生すると多大な被害が引き起こされる恐れがあります。私たち視覚障害者はこういう災害に対してはとても不利な立場にあると思います。一人では避難する事も人と協働する事もできないで孤立するかもしれないからです。夫婦二人共視覚障害者という世帯も少なくないし、更に一人暮らしということであれば尚更困難を来たす事は間違いありません。日頃から近隣の方と孤立をしないように交流することも大切な事だと思いますが、視覚障害などを考慮した防災対策も重要なのではないでしょうか。
さて、福祉においては、医療制度、介護保険制度、障害者自立支援法と視覚障害者をはじめ他の障害者を含め、大きな変動の時期を迎えて、益々福祉が後退する恐れがあります。そんな中で私たちの協会の事業、特にガイドヘルプセンターの運営は順調に推移しており、安堵しています。
会員の活躍も目覚しく、先日の都盲協福祉大会でのカラオケ大会では、工藤博史さんが優勝されました。また、城東ブロックの活動のほうにも積極的に多数の会員が参加しています。各同好会、サークル活動も盛んです。さて、今回のアイネットですが、文化祭の紹介、区役所との懇談会の報告、講座講習会では防災について、ガイドヘルプセンター便りでは楽しかったぶどう狩りについての報告などがあります。
クラブ、サークル関係では新しく「スティックボール」の紹介があり、世界遺産の旅、暮らしのアラカルト、ニュースあれこれ、えどもう歌壇へと盛りだくさんの内容となっています。寒い季節になりますので風邪など引かれませんようにご自愛ください。
主催 : NPO法人 江戸川区視覚障害者福祉協会
後援 : 江戸川区社会福祉協議会
協力 : 音訳百舌の会・朗読ボランティアなずなの会・音訳ボランティア風の会
江戸川点訳メイト・なぎさ点訳友の会・つぐみ点訳友の会
在宅福祉グループ・デイジー江戸川・アイフレンズ江戸川
日時 : 平成17年11月23日(祝日) 午前10時〜午後3時40分
会場 : 区立松江コミュニティ会館 1階ホール
〒132-0025 江戸川区松江7−5−12 電話(03)5662-5320
受付 : 午前9時30分より(1階ホール前)
《プログラム》
【午前の部】
1 開会の辞
2 文化講演(区講座講習会を兼ねる)
演題 … 『語りと文学で学ぶ江戸川区の歴史』
講師 … 樋口政則(江戸川区郷土資料室学芸員)
3 朗読三題 … 音訳ボランティア
@ 字のない葉書(向田邦子著) 藤村 礼子 (風の会)
A 「子守唄」の謎(西舘好子著) 大川原幸子(なずなの会)
B 日本経済新聞記事より 梅原 光子 (百舌の会)
4 短歌選評 … 松原信孝(短歌会冬潮主幹)
5 来賓・ボランティアグループ代表 テーブルスピーチ
【休憩】
【午後の部】
6 式典 『多田区長さんと共に心と文化のハーモニー』
@ 区歌斉唱 … 全員
A 歓迎の言葉
B 多田区長祝辞
C 花束贈呈
D 来賓祝辞
E 乾杯
F 文化クラブ発表
☆民謡 … 民謡部(若竹) (司会 和田 彰)
『庄内おばこ』 『十日町小唄』
指導・三味線 / 上野榮美先生
☆合唱と合奏 … コーラス部(若草) (司会 藤田菊江)
『母さんの唄』 『モーツァルトの子守歌』 『夏の光』
ピアノ / 瀬沼淳子
☆リズム運動 … 婦人部有志 (司会 北澤とみゑ)
『ソーラン節』 『オー・シャンゼリゼ』
指導 / 渡辺テイ子先生他
【休憩懇談 20分間】
7 カラオケ競演 … 来賓・会員有志
8 閉会の辞
● 尚、1階ホール前において会員の生花を展示しております。
文化講演
語りと文学で学ぶ江戸川区の歴史
講師 江戸川区郷土資料室学芸員 樋口 政則
1 語りと歴史のあまい関係
歴史は、つまるところ「語り」です。語る人の数だけ歴史があるといえます。歴史の本質について、ちょっと考えてみましょう。『南総里見八犬伝』のようなフィクション、『徳川実記』のような編纂物、そしてリアルタイムに書かれた行政文書(古文書)に描かれたようすをくらべてみます。
2 紀行文に描かれた江戸川区
『更級日記』、『東路のつと』、『十方庵遊歴雑記』、『江東歳時記』など、ノンフィクションの代表である紀行文に描かれた江戸川区の姿は、どれほど事実を伝えているのでしょうか。また、書かれた内容から、どのような事実が読み取れるのでしょうか。
3 思い出の中の江戸川区
北原白秋「葛飾より以太利へ」、永井荷風『断腸亭日乗』、江戸家猫八『吾輩は猫ではない』など、随筆や日記に登場する江戸川区の風物に、それぞれの時代のくらしをさぐってみます。登場する品物のほんものを実際に手にとって確かめてみましょう。
4 歴史を読むたのしみ
歴史はフィクションと区別がつくのでしょうか。それぞれに登場する歴史の実体、その紙一重のきわどさを味わいつつ、歴史を読むたのしみを感じていただけるでしょうか。
7月23日夕刻に東京地方に震度5弱の地震が発生し、高層ビルのエレベーター等では昇降不能になった所もあり、今更ながらに地震の怖さを実感した人も多いと思われます。また8月から9月にかけて2つの台風が本土に上陸し、全国各地に大きな被害をもたらしました。このような天変地異に私達の江戸川区ではどのような対策がなされているか不安になります。障害者施策も自立支援法の今後の推移によっては、視覚障害者の自立や社会参加の活動に影響するのは避けられません。このような中で平成17年度も例年通り多田区長宛要望書を提出し、視覚障害者関連各部との懇談会が開かれました。意見交換は時間切れになるほど白熱した場面もあり、江戸川区からは問題解決を図ろうとする新たな提案もありました。本欄では、7月に行われました福祉部懇談会を始め、土木部・防災課・広報課・図書館・教育委員会の順にこれらの内容をQ&A方式にまとめ報告します。
T 福祉部懇談会 田名後 浩子
日時・会場 … 7月25日(月) 15:00 区役所4F会議室
区出席者 … 渡辺福祉部長・鈴木障害者福祉課長・原野支援費事業係長・
関口身体障害者相談係長 他
本会出席者 … 松本・小野塚・北澤・柏谷・藤田・成田・田名後
まず渡辺福祉部長から、「皆さんが地域の中で自立した生活をし、社会参加するためには何ができるかをしっかり考えていきたい。」とのお話がありました。以下は、その時の質疑応答を報告します。
※ 1)・2)の表記は具体的項目を示す。
@ 障害者自立支援法施行に対し視覚障害者の生活環境を守る諸施策
1) 審査会(障害程度区分・支給量の決定機関)の委員に障害者を加えること。
2) 支援費の移動介護より新法の地域生活支援事業(移動支援)ガイドヘルパー派遣事業の位置付けの明確化と安定予算の確保を計ってほしい。
A (渡辺福祉部長):審査会の委員については法律の施行に際し検討課題。移動支援については高いレベルに持って行くとそれだけ持ち出しが多くなるので義務的経費以外の予算化は難しい。必要な事業の裁量的経費は考慮します。
Q (M):新法移行時に際し、利用者負担を出来るだけなくし、江戸川区独自の応益負担の軽減措置を講じてほしい。
A (福祉部長):あくまで法律上の軽減措置のみで、区独自の措置は今申し上げることは出来ません。
Q (M):利用者負担の軽減措置について生活保護世帯に加え、非課税世帯及び均等割課税世帯の利用者は、負担金を「0」とするよう計ってほしい。また、介護保険導入時にならった3〜5%程度の負担を希望します。
A (福祉部長):気持ちはわかります。大変厳しい層がでる事も推測できます。
3) 移動支援支給量の引き上げ。
A (原野係長):通院など必要な分は出しています。趣味目的の移動介護については、社会参加の解釈について混乱があります。支援費の量自体は23区の中間だと認識しています。知的障害よりも多く出しています。
Q (M):65歳以上で介護保険利用に切り替ると病院の送迎のみしかして貰えず不便を生じています。区役所内での支援費担当と介護保険担当の連携は?
A (関口係長):細かい聞き取り調査の上、必要な分は出しています。介護保険との話し合いが充分かは難しいですが、今のところトラブルはありません。
(移動支援支給量の引き上げについての関連質問)
Q (O):視覚障害者が病院に行くのは社会参加以前の問題です。ガイドヘルパー制度を根本から見直し、支給量を配慮してほしい。
Q (K):支給量の制限でサークル参加者が半減。支給量増加を希望します。
Q (N):調査時の担当者の説明に食い違いがあり、統一してほしい。
Q (T):社会参加以前に、視覚障害者が生活するために支給量を使わせてください。生活環境の変化、必要性を重要視してほしい。
Q (K):江戸川区内の社会参加ができるくらいの支給量を頂きたい。特に、一人暮らしの人は移動介護に頼っている現状を踏まえてほしい。
Q (M):私達は視覚障害者団体で福祉を受ける立場ですが、反面福祉を支える一助を担っています。「視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会」発足等、支給量不足を自助努力で補っている現状を配慮し支給量増加を希望します。
A (福祉部長):支給量が一番の関心事であると認識しました。江戸川区は弾力的な予算運営を行なっています。福祉予算の中で融通しあうことはありますが、一定の枠を越えてということはないでしょう。
4) 支援費の自己負担額(応能負担)決定は、障害者本人の所得を算定基準に。
5) 居宅介護事業者への制度上の支援。
6) ガイドヘルパー派遣事業所への適正指導と支援策。
Q (M):江戸川ガイドヘルプセンターの活動について所見をお聞きしたい。
A (福祉部長):障害者自身による福祉の取り組みはすばらしい。地域の障害者が生活する上で、手本にすべきという印象を持ちます。
A 「視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会」への支援
B 特別養護老人ホームの視覚障害者入所特別枠を設けること、及び、中間施設(ケアハウス・グループホーム)の開設。
A (福祉部長):特別養護老人ホームには客観的判断に基づき困窮度の高い順に入所を認めています。現在の定員(1046)から増はありません。視覚障害者特定枠設定は介護保険との兼ね合いで出来ません。中間施設等についてはこれから施設に対する考え方が変わっていき、グループホームのあり方も自宅に近い環境の中でどんなサポートができるか介護保険等で模索していきます。
Q (M):震災に備え防災関連協議会の発足を希望します。
A (鈴木障害者福祉課長):重要問題だと認識しており前向きに検討します。
Q (F):私達は何かを取りに行くにしても、ガイドヘルパーさんが必要です。震災時の対処についての具体的な返答がほしいです。
C 障害者支援ハウス利用。
D 視覚障害者用パソコン機器・音声ソフト等の区独自の助成。
E 江戸川区で発送する各種書類にSPコードを添付すること。
F 福祉バス団体助成制度の年2回適用。
G 障害者の雇用策として区内の特別養護老人ホームに、視覚障害者マッサージ師を、機能訓練指導員として採用すること。
Q (M):新法移行を見据えた重要な時期、障害者施策の中で行政サイドの明確な指針を示してほしい。視覚障害者の立場で、福祉部との今まで以上の意思の疎通を図っていきたい。
A (福祉部長):予算の面から物事を見ていましたが、皆さんのお話を聞かせて頂き、見えてくるものが違ってきたと実感しました。それぞれの施策の中で、また、限られた予算を最大限に活かすことが重要だと感じました。
☆ 今回の懇談では、私達の切実な要望は通じたと思いますがこれからの障害者施策も不透明です。特に、何時起きるかわからない災害に対しては、一人暮らしの障害者は、非常に不安だと思います。行政に頼るだけではなく、積極的に社会参加し、自らが努力して行かなければならないと感じました。
U 土木部・防災課懇談会 松本 俊吾
日時・会場 … 8月19日(金) 13:30 グリーンパレス403号室
区出席者 … 土屋土木部長・高井計画課長・千葉防災課計画係長・
小松川・小岩・葛西警察署担当係長 他
本会出席者 … 松本・小野塚・北澤・藤田・柏谷・坂本幸枝
今年は新たに区内3警察署から音声信号機担当係長の出席により、総勢20数人の関係者との意見交換がなされました。土屋土木部長から「問題点解決のための意見交換会にしてほしい」と挨拶があり、活発な懇談会となりました。
@ 駅周囲の点字ブロック上の違法駐輪・違法駐車・諸物撤去。
A (駐輪課担当):今年4月から駐車、駐輪ゼロの町にしようと取り組んでいる。平成20年迄に駐輪場を5万台分作る予定。放置禁止区域を駅から300〜500mエリアときめ取り組んでいる。赤い警告札をつけ1時間後に撤去する。
Q (F):車が歩道に乗り上げ止まっていて車道を歩くしかなく危ない時がある。
A (土木部):歩行者が通りやすく、車が止められないように手配する。
Q (M):罰を科す等、行政が強く言ってほしい。
A (土木部):置き看板、商品のせり出しについて、駅周辺をパトロールして随時改善指導をしている。聞き入れない店については責任者を呼び出し改善について書面をもって指導している。今後も繰り返し指導していきたい。
A 点字ブロックの色(黄色・同系色調)、ゴム製点字ブロックの採用等。
Q (M):周りの色との調和で他の色は弱視の者には見分けにくく危ない。
A (土木部):最近作られたものは規格品の黄色を使っている。今までの点字シートは工事が大変なので、ゴム製のものを試験施工しているところで来年フィールドワークをして結論を出していきたい。
Q (M):雨、剥がれ易さ等のデータを出してほしい。
B 公共施設(区関連施設・JR・私鉄各駅周囲・郵便局・各警察署等)の点字ブロック・音声誘導案内装置の設置。
A (土木部):音声誘導装置は49施設77機。都交通局と調整しているが、鉄道会社は視覚障害者への認識不足。必要に応じて視覚障害者から説明してほしい。
C 交差点・横断歩道2センチ段差斜面ブロックの新方式を検討課題に。
A (土木部):8500ヶ所あるうち、今年度末までに5400ヶ所完了予定。フィールドワークをして改善していく。
Q (M):角度・幅等をより安全になるよう研究してほしい。
D 交差点・横断歩道の音声信号機の設置。
Q (M):音声信号機の設置箇所・数のリストがほしい。
A (土木部):後日出したい。 ※ 10月に信号設置リストを頂いた。
A (警察署):要望箇所のリストを持ち帰り信号機設置担当に今日の趣旨を伝え検討してみる。少し時間を頂きたい。
E バス停の線・点ブロックの敷設とグリーンゾーン敷設。
A (土木部):区道は整備完了。
F サイクリングロードでタンデム車走行と収納スペース確保。
A (高井計画課長):ポニーランド近辺の土手下の河川敷に整備できるよう進めている。葛飾区柴又に貸し自転車があり、リンクできたらと思っている。
(その他の意見交換)
Q (M):区画整理をやる所と、やらない所との仮舗装の時に、いつまでも水がひかない水溜りや急な傾斜等があるので十分注意と配慮をしてほしい。
A (土木部):仮舗装とはいえ安全性優先に作っているので再点検します。
Q (K):一之江駅はエレベーターに音声がないので使えないが、自転車が減り歩きやすくなった。また、駐輪場のおじさんの誘導がありがたい。
Q (O):歩道は歩行者が優先だから、自転車のマナー教育をしてほしい。
A (駐輪課担当):4月から自転車対策で、小学3・4年生にビデオを見せ、ペーパーテストをして、何が正しいかを教え、外で実技テストを行い免許証を発行している。これまで6校行ってきたが、来年以降も増やして行きたい。
【防災課関連事項】
@ 震災時災害に
1) 区内特定の防災マニュアルを作成・視覚障害者の第2次避難施設の確保。
2) 障害者団体の代表者と江戸川区及び防災関連団体間の協議機関の設置。
A (千葉防災課係長):広報8月10日号に防災マニュアルを掲載。震災時には、近くの小学校・公共施設に避難し、必要に応じ避難所に行く。ここで名簿を作成し、障害者・介護を要する方・乳幼児・けが人は状況に応じ施設等へ行く。
A 避難途中や避難場所等で視覚障害者の識別法、防災手帳の配布。
A (千葉係長):白杖がいいと思う。
Q (M):障害者と健常者との線引きをしてほしい。
A (千葉係長):後日よく話し合いましょう。
(その他)
Q (K):警察の巡回をしてほしい。
A (警察署):駐車苦情・事故等110番の対応で手一杯で、実質的には出来ない。
☆ 初めて警察署との意見交換が出来、今後の私達の取り組み次第で具体化される問題も多く、会員の皆さんと協力して、安全問題の解決に当たる必要があると感じる意見交換でした。
V 広報課懇談会 成田 貴美代
日時・会場 … 8月26日(金)13:30〜14:15 区会議室
区出席者 … 小田広報課長・岩瀬編集係長・橋本主査・中川主任 他
本会出席者 … 松本・小野塚・北澤・成田・田名後・橋谷・松田
@ 「声の広報」ダビング発受の支援。
Q (M):「声の広報えどがわ」や「声の区議会だより」等の発受・ダビング作業についてカセットテープに加え試験的にCDやデイジー化等を検討下さい。
A (小田広報課長):福祉課や区民施設と対応を決めてからの話合いになり、すぐにという訳にはいきません。江戸川区のホームページも完全に音声で聞けるシステムが出来上がっており、並行していくような方向も一緒に考えていけたらと思います。色々な方法があり一番の方法を検討し効率良く考えます。
Q (M):ダビング発受に関して機器類等も長年使用出来るものではなく、その場合に支払われている今の料金は妥当でしょうか?
A (広報課):事情はよくわかりますが、我々だけで判断出来るものではなく、各方面と話し合いを行い、その上で良い方向に進めて行こうと思います。
Q (M):「点字広報えどがわ」を便利帳的な用途として視覚障害者向け福祉施策等を取り上げ編集するよう進めて下さい。カレンダーのところでもう少し具体的な内容(イベント的なものや講演会等)も載せて下さい。
A (広報課):実は掲載したいものは他にもあるのですが、その枠の中であまり厚すぎても読むのは大変ですね。必要と思われるものは載せるようにしています。イベントや行事などはやはり全体的な区の行事になってしまいます。
Q (N):「声の便り」、「みんな友達」テープ版の編集内容について引き続き視覚障害者の意見の反映をお願いします。また中央図書館から出している録音図書の目録に新刊の部だけでも載せるように検討して下さい。
A (広報課):図書館の方と相談して検討してみます。
Q (M):区内公共施設周囲の詳細点字地図作成をご検討下さい。(前回6年前)
A (広報課):建物等も変わっていることもあり、検討してみます。
Q (M):選挙公報等について点字及びテープ化を検討して下さい。
A (広報課):法的条件の規制があるというのが大前提で、選挙管理委員会で出した物をそのまま掲載しなければならず難しい所がありますが検討します。
☆ 今回は非常に実りある懇談会ではなかったでしょうか。私達自身が毎日の暮らしを少しでも快適に過ごせるよう、役所との話し合いはとても大事な事と思いました。課題はたくさんあっても、皆さんで一緒に声を上げていきましょう。
W 図書館及び生涯学習課・スポーツ振興課懇談会
日時・会場 … 8月26日(金)14:15〜15:00 区会議室
区出席者 … 長田生涯学習課長・竹内スポーツ振興課長・市川中央図書館長他
本会出席者 … 松本・小野塚・北澤・成田・田名後・橋谷・松田
冒頭に「このような意見交換をする事により、視覚障害者の社会参加が進みます。卓球等では練習を重ね段々に力をつけ、城東ブロック大会等を開き楽しんでいます。」との松本会長の挨拶がありました。次に要望項目をあげ報告します。
@ 中央図書館での視覚障害者関連情報機器の利用。
A パソコン教室への支援。
B 区内図書館の対面朗読室への朗読者の配置・デイジー図書の紹介。
C 視覚障害者用図書(カセットテープ・デイジー・拡大文字図書)の蔵書。
Q (M):江戸川視障協で行っているパソコン講習会についてインターネットへのアクセスの円滑化とホットスポットの無料使用を検討して下さい。
A (市川館長):ホットスポット使用料は個人負担となっていますので、特別にと認める訳にはいきませんが、要望を承り今後の検討事項とさせて頂きます。
Q (N):パソコン講習で利用する時にホットスポット接続に時間がかかり、受講者に迷惑をかけます。事前に図書館側で接続して貰えないでしょうか?
A (市川館長):講習会を図書館でするなら事前接続は可能です。お約束します。
Q (M):カセットテープに加えデイジー図書の普及を計って下さい。
A (市川館長):中央図書館の利用者はカセットテープの希望者が多く、デイジー図書はご連絡があれば全国から相互貸借しています。デイジー化は皆様のご希望を聞き進めていきます。プレクストークはマスターしている人は少なく、マスターが先ではないでしょうか。声の図書も有ります。
【スポーツ振興課関連事項】
@ 視覚障害者用卓球台をグリーンパレスに新たに設置。
A 盲人卓球場の使用について、指導員養成・会場の確保。
B スポーツ施設内に盲人用スティックボールを行えるスペースの確保。
Q (M):平成13年に盲卓球台を購入して頂きましたが、部員もだんだんに増えて待ち状態も長くなってきました。もう一台の購入をお願いします。
A (竹内課長):卓球台を常時置いておくという事はなかなか難しいものがあります。グリーンパレスの学童クラブの後を空いている時に使えるような態勢や予算のことも含めグリーンパレスの館長とも相談してみます。前向きに検討していきたいと思います。 ※ Gスタジオが使用可能。
Q (M):11月の文化祭の講演「江戸川区の郷土史」に講師をご紹介下さい。
A (長田課長):教育委員会に学芸員がいますので、障害者福祉課と相談します。
☆ この後、長田課長から、本会会員が区内小・中学校の生涯学習の「出前ボランティア」に協力していることに、担当よりのお礼メッセージが披露されました。
意見交換は、各部共に本会の取り組みに対し積極的な答えがありました。本会はこれからも地道な活動を行わなければならないことを再認識する場面が多くあり、今年度の懇談会は終了しました。本欄をお読み頂いての感想等有りましたら是非お寄せ下さい。
10月26日(水)、土木部による瑞江駅音声誘導案内版及び誘導ブロックについて検証が行われました。
区出席者 : 江戸川区土木部街路橋梁課 田中さん、他2人の職員
池野通研株式会社 福祉システム部 田久保主事
本会参加者 : 松本・小野塚・北澤・坂本幸枝・藤田・岡畠・成田・田名後・井草・吉成 (含む20名)
13時に瑞江駅南口・音声誘導案内版の前に集合し、田中さん、田久保さんのご挨拶ののち、音声誘導案内版の説明がありました。
案内版には駅南口のバス乗り場、駅改札口行きエレベーター、トイレ、タクシー乗り場、交番などの点字がついており、8つのボタンを押すことによりそれぞれの音声案内があります。
そして実際に南口を歩いて位置を確認しました。以前は自転車で歩道があふれかえっていたのに、地下に駐輪場が出来たお蔭で道もスッキリ広くなり、誘導ブロックもすべりにくいゴム製の素材を使っているようで歩きやすくなりました。
改札口行きエレベーターは26人乗りで自転車も乗ることが出来るとのこと、かなりゆったりしているように感じられました。なお、瑞江駅南口・北口でも手持ちの発信機(メロガイド対応)を押すことにより案内が流れます。
瑞江駅周囲の整備を機に江戸川区のすべての駅周囲に音声誘導案内版を中心として音声誘導システムが導入され、これに合わせ誘導ブロックが設置されることを願っております。
〜視覚障害者の地域防災を考える〜
9月14日(水)、真夏を思わせる暑さの中、タワーホール船堀4F研修室に於いて、「江戸川区の防災対策」をテーマに視覚障害者向け講座講習会が開かれました。今夏は日本各地で大きな地震が続き、東京でも7月に震度5弱の地震が起こったばかりとあって関心も高く、40人を越える受講者が集まりました。まず鈴木障害者福祉課長、本会松本会長の挨拶に続き、江戸川区環境防災部防災課・千葉計画係長を講師に特に大地震の際の防災対策についてお話がありました。
<<江戸川区では主に自助・共助・公助の充実を図り“災害に強いまち”に>>
【公助】(区・行政の取り組み)
行政には、災害時の迅速な行動・的確な対応の他、災害に強い都市基盤整備が求められていると冒頭に強調されました。以下その内容を箇条書きにまとめます。
(1)ソフト面の拡充
・防災訓練・地域防災座談会の実施、及び自主防災組織(270団体)の推進
・災害時協力協定の拡充(医療・物資・情報等の分野で27協力協定締結)
・広報活動(防災ハンドブックの作成・区民ニュースでの放映)
・飲料水(全区民の約14日分)・食糧(乾パン等)・備蓄物資の確保
・応急救護(応急救護所の開設、医薬品・ベッド・担架等の配備)
・トイレ対策(応急トイレの配備)
(2)ハード面の推進 〜災害に強いまちづくり〜
・土地区画整理事業等(防災対策につながる町づくり)
道路を広くし救助活動ができるようにする。危ない物を建てない。
・公共施設の耐震補強 ・河川護岸整備事業
・公園の防災機能(かまどベンチ・防災井戸等)
発災直後は公助が機能するまでに時間がかかる。 → 自助・共助の重要性
【自助】(自分の身は自分で守る)
命を守ることが最重要。(阪神では死者の8割が家屋の倒壊による圧死・窒息死)
(1)家の中を安全に(耐震診断、家具の転倒防止、落下物対策の重要性)
・多くの時間を過ごす部屋・寝室(睡眠中は最も無防備)を重点的に。
(2)火を消す(自分の家から火事を出さない)
・消火用具の備え、防炎加工のカーテンなどの準備。
・消火のチャンスは3度(揺れはじめ、揺れがおさまった時、火災の発生直後)
(3)家族間の連絡(避難場所の確認、災害用伝言ダイヤル「171」の活用)
(4)水・食料の備蓄(区の配布が行き届くまでの間は自分の備えで)
・水1日3リットルを3日分、薬などの必需品を準備。
【共助】(自分達の町を自分達で協力して守る)
発生直後、頼りになるのは隣近所。(阪神では約6割が近隣住民により救出)
(1)災害に備えて
・防災訓練等を通じ地域の課題を明らかにし、地域防災力の強化を図る。
・地域の中で災害の時に役立つ人材や機材がどこにあるのかを把握しておく。
・災害要援護者(高齢者・障害者)の把握。
(2)災害が起こったら
・声をかけて安否確認、初期消火、救出・救助。 ・災害要援護者への支援。
Q&A
Q (H):発生直後は他人どころでないのが実際ですが、視覚障害者など災害要援護者の地域による安否確認・救助等を行政として啓蒙しているのでしょうか。
A (千葉係長):障害をお持ちの方の防災は、その点につきます。行政側から要援護者の情報を提示できないので、地域の自主防災組織で取り組んで貰うよう考えています。(民生委員個人では守秘義務もあり不可能なので地域で。)
Q (M):公共施設の耐震補強が済んでいる割合は。
A (千葉):体育館問題なし。校舎は小学校9校、中学校1校未補強。3、4年後に完了。
Q (K):船堀の堤防決壊による浸水が心配。液状化現象で堤防が壊れませんか。
A (千葉):江戸川区は全体的に0m地帯。堤防の耐震補強は進んでいます。液状化で死者が出るとは考えていません。……すこし自信過剰かな?
☆ 地震国に住んでいる私達は、「地震はいつか起こるもの」と覚悟しなければならないでしょう。防災は「災害」を「ふせぐ」と書きますが実際には不可能で、出来ることは被害を減らす「減災」だというお話が印象に残りました。障害者の立場からその時に備え、地元の防災訓練等に参加して隣近所を知っておくことの大切さを痛感した講習会でもありました。
── 2005年 No.2 ──
収穫の秋を迎え、今年も「お米」は豊作が見込まれ一安心です。秋も深まり菊花の薫る文化祭の季節となりました。「江戸川ガイドヘルプセンター」も早いもので昨年4月に居宅介護事業をスタートさせ1年半になりますが、利用者の皆様をはじめガイドヘルパーの方々のご協力を頂き、順調に運営されております。
さて、去る9月19日には当センターが初めて利用者の皆さんに呼びかけ実施しました甲州路を訪ねての「湖畔の散策とぶどう狩り」には、大型バスに満席の50人が参加しました。はち切れそうな丸い実がずっしりと重い大きな房をつみ取り、熟した甘みののった巨峰を腹一杯になるまで頂き、「おいしい!」とそこここで歓声があがりました。ぶどう園のなだらかな丘陵では、仲間同士の会話に花が咲き笑い声が絶えず、新しい仲間との交流を深めることが出来ました。また勝沼のワイナリーで美味しいワインを試飲し思わず「うまい」を連発、芳醇な薫りを満喫しました。またこれに先立ち河口湖ではボート遊びや湖岸の散策等、忙しいスケジュールではありましたが、思い出の多いバスハイクになりました。
今回参加されなかった皆さん、来年も年間行事として計画したいと考えておりますので、次回には是非ご参加頂ければ幸いに存じます。
ところで、去る10月1日の当協会の理事会に於きまして、新たにガイドヘルパーの方々に定年制を採用することが全会一致で承認されました。詳しくはセンター事務局までお問い合わせ下さい。一年中で最も過ごしやすい季節ですので、大いにガイドヘルパーの方々のご助力を頂き、外出しようではありませんか。
来年4月には、支援費に代わって「障害者自立支援法」の施行が予定されています。当センター利用者の皆さんがスムーズに新しい法律のもとで安心して外出が出来ますよう、事務局スタッフ一同、皆様との心の架け橋として、これからも努力をしていきたいと思います。
会員の皆様でガイドヘルパーの派遣を希望される方は事務局(電話3877-0089)までご連絡ください。
今年も会員並びにボランティアの皆様には、沢山のバザー品の提供を頂き有難うございます。去る10月9日(日)篠崎公園にて開催された区民祭りでバザーを行い、大きな成果をあげました。収益につきましては協会の運営に大切に使わせて頂きます。ご協力有難うございました。
今回は松本会長宅が区画整理により仮住まい中のため、集荷品は賛助会員水谷さん宅の車庫に保管していただき、ガレージセールは中止とし、小雨降る祭り当日午前6時半、車4台の応援を得て会場のテントに品物を運んでいただく。昨年はぬかるんでいたテント設営場所が舗装され、ベンチもあり、主催者の気配りを感じました。テントの周りに雨の吹き込みを防ぐシートを張る。中は品物が山積みとなり入り込めない状態で雨に濡れての準備作業となる。8時半にはスタッフも揃い、お客さんがポツポツ立ち寄り始める。雨で人出が少なく売上が上がらない。日本人は物が飽和状態なのか外国人の方が良く買ってくれる。
開会式を終えた多田区長さんが巡回にこられ挨拶を頂く。正午頃に雨は止み、賑わい始める。衣類はサイズと好みが合うとサッと買ってくれることもあるが、中古だと腰が引ける人がいる。やはり人気商品は石鹸やシーツ、タオルだ。午前の不振を取り戻すため呼び込みの連呼が続く。テレビショッピングで見かけるスチーム掃除機が安く出てたので、張り切って売ろうとしたが、人気なく、自分で買ったがお蔵入りになるかも。休息もとらずに奮闘してくれたボランティアの方々の頑張りもありほぼ売り切ることが出来ました。午後4時に店じまい。最後にバザーの成功を祝い、乾杯を行い終了しました。
ご協力を頂いたボランティアの方々15名、会員5名の皆様、お疲れ様でした。御礼申し上げます。特に車を出して頂いた岡畠さん、木田橋さん、細根さん、北沢さん、松本会長の皆様、有難うございます。また、この度も多くの方々から差し入れやご寄付を頂き有難うございます。詳細につきましては収支報告と合わせ後日報告致します。
来年度もバザーを予定しておりますのでご協力のほど宜しくお願いいたします。
【卓球大会】
平成17年7月15日(金)、午前9時から午後12時30分まで、グリーンパレス4階ホールを会場に、第5回江戸川区視覚障害者卓球大会を開催しました。今年は城東ブロック交流卓球大会の予選も兼ねておこないました。審判長に昨年に引き続き公認審判員の鈴木氏をお願いしました。予選に先立ち、松本会長と吉成さんによる模範試合が行われました。
試合のほうは例年はトーナメント制でしたが、今回は予選として参加者6名を2グループに分けて総当り戦を実施しました。その中から上位2名が決勝トーナメントに進めることとしました。
グループはAグループ(成田・星野・吉成)、Bグループ(北澤・花見・冨澤)で予選リーグを行い、成田・北澤・星野・冨澤の4選手が決勝トーナメントを戦いました。そして、この方々が城東ブロック交流卓球大会に参加できることになりました。優勝は私、冨澤が初優勝しました。試合結果は次の通りです。
決勝トーナメント
準決勝 成田 2 − 0 北澤
冨澤 2 − 0 星野
決勝 成田 0 − 2 冨澤
次に第2回城東ブロック交流卓球大会が、平成17年8月20日(土)の午後1時過ぎから、江東区の区立障害者福祉センターで行われました。優勝は江東区の清水さんで私、冨澤は準決勝で清水さんとあたりセットカウント2対1で敗れ3位に終わりました。他の参加者(成田・北澤・星野)の方々もそれぞれ健闘しました。
【水泳教室】
本年度の水泳教室が終わりました。
例年通り、春と秋の2期に分けて、区総合体育館温水プールの2レーンを使用して合計7回実施しました。コーチは前年同様で大橋、北條両先生に指導を受けました。
最終回の10月22日に参加された方々の感想の一部を紹介します。
「クロールができるようになりました。」(橋谷道子さん)
「プールへ入るのがたのしみです。」(長谷川とくよさん)
「まだまだ、あきらめずにもっと泳げるようになりたいです。」(北澤とみゑさん)
「なかなか体が思うように動かないけど楽しかったです。」(藤田菊江さん)
「あと3回あれば、平泳ぎができたのに残念です。また、来年もぜひ参加したいです。」(坂本幸枝さん)
「今年、初めて参加しましたが、ようやく水に慣れました。これからも続けたいです。」(福地千鶴子さん)
と言うように、皆さんとても水泳教室を楽しみにして参加して頂いています。
また、コーチの先生からのコメントも頂きました。
「水の中に入って、その爽快感を味わっていただければ最高だと思います。」(大橋コーチ)
「年々皆さん、上手になってきているので来年も更に上手になればいいなと思います。」(北條コーチ)
とあたたかい励ましの言葉を頂きました。
視覚障害があるとなかなかプールに入る機会がないものです。来年も続けていきたいと思いますので、多くの方に参加してもらって泳ぐ楽しさを味わってほしいと思います。
長年にわたり願望していましたスティックボールをグリーンパレス新館2階のスタジオをお借りして10月15日から練習を始めました。夏の教育委員会・スポーツ振興課の懇談の際に、グリーンパレスの学童クラブのGスタジオが使えるとのお話があり、区民公社及びグリーンパレスの館長さん始め職員の皆様のお取り計らいで、会場の手配が出来ました。
また都盲協老人部が備品準備に積極的にご協力頂き、これに応え会で備品を購入して頂き何とか練習を開始する事になりました。あれは平成10年のことだったと思います。何も練習もせず、ぶっつけ本番で、都盲協のスティックボールの大会に参加、その時は惨敗しましたことを昨日のように思い出します。
そして10月15日(土)と16日(日)の午前10時から12時まで、運良く会場のGスタジオを借りることになりました。このような練習は始めてなので、ガイドヘルパーさんにルールの説明書を読んで頂きながら、早速スティックでボールをたたくことから始めました。この競技は、ゲートボールとゴルフ或いはボーリングをミックスして、視覚障害者がやりやすいように考えられたゲームです。ペットボトルに砂を入れた大小のピンを倒して点数を争う競技です。板で出来た踏み台に足をかけ、5m位先のピンに向かい、方向を定めて鈴の入った盲バレー用のボールを叩くと勢いよく弾かれピンを倒すことになります。ガイドさんから「もう打っていいですよ」と声がかかると夢中で手に持ったスティックを振り抜きます。私は踏み台の板の具合や、鈴の入ったボールを動かしてみて堅さなどを触って確かめてみました。しかしなかなかうまく打てず難しさを知らされました。
15日の参加者は北澤・尾崎・才川・高橋・花見の会員の皆さんで、「わくわく、どきどき…」で始まりました。なかなかうまく当たりません。北澤さんや才川さんは上手にやっていたようです。翌16日は参加人数も増え、新たに大野さんや橋谷さんが加わり和やかに楽しい練習が続きました。
11月3日には都盲協の大会に江戸川区は久しぶりに参加します。この練習の成果を生かし頑張るつもりです。皆さんもこのボールゲームの練習を楽しみませんか。そして応援して下さいね。お世話になりました都盲協老人部のスティックボール審判部長の阿部さんに心から感謝申し上げ、報告とします。
私が森山さんとお会いしたのは平成7年、盲会に入会した時でそれから数えて10年となります。旦那さんは60代始め、奥さんは50代後半でした。元気溌剌のお二人が10年後にお亡くなりになるなど全くの驚きです。森山さんご夫妻が区にガイドヘルパー登録されたのは平成6年のこと。同年、本会は賛助会員制度を導入し、5人のガイドさんに入会を頂きました。その中の二人が森山さんご夫妻でした。
賛助会員の方々は、会の行事に率先して参加下さりご協力を頂きました。ガイド時間を超えてのボランティアも気持よく引き受けて頂き、この先輩達の精神は、その後のガイドさんに引き継がれており有難いことです。森山啓子さんは、民謡・コーラス・リズム運動のクラブ活動に積極的に参加され、会員と一緒に歌い、踊って盛り上げて頂き、また、水泳の上手な啓子さんは、水泳教室では一緒にプールに入られ介助されていました。その頃はコロッと太っておりトドなどと冗談を言ったほど元気でした。
平成11年4月、江戸川区のご配慮により総合区民ホール3階に本会の拠点となる事務所を開設、広報事業のテープダビング作業や日直が始まり、平成16年1月まで啓子さんにも月に数回従事して頂き、大変助かりました。森山信義さんは、自動車を持ち込んでのボランティアで本会に多大な貢献をされ、区民祭りのバザーでは、戸別訪問による提供品の回収から、梱包・積み込み・販売会場への物品搬入などテキパキとこなし、文化祭やカラオケ大会で使用するカラオケ機器の運搬も担当してくれました。その際、啓子さんも同乗され手伝っていました。啓子さんは旦那さんをおっちゃん、おっちゃんと呼びいつもご一諸でした。宴会では奥さんは陽気に演歌を歌い、旦那さんはニコニコ飲んでいました。信義さんはとても温厚で実直、信頼のおける方で大好きでした。お元気と思っていましたが誠に残念です。ご家族のお話では、今年3月上旬、ご夫妻ともに体調不良で診察を受けたところ、お二人とも悪性腫瘍で手遅れとのこと。啓子さんはそのまま入院となり、5月16日ご逝去、享年68歳。森山信義さんは10日ほど入院、8月上旬再入院。8月25日ご逝去、享年72歳。お二人ともに入院直前までガイド活動を行ったその気力に感服いたしました。ボランティア生活10年お疲れ様でした。ご厚情に深謝いたします。安らかに、ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
コーラス「若草」 藤田 菊江
毎月第1・第3の木曜日、コーラス「若草」のメンバー11人位、ガイドさんを合わせて20人、ないし22人。
9時半過ぎに「おはようございます」の元気な声。10時になると、まず出席を兼ねてガイドさんの紹介。ピアノ伴奏はガイド(ボランティア)で瀬沼淳子さん。お忙しい中、気持ちよく来て下さる。最初に発生練習。発音をはっきりするために、季節に合わせていろいろな歌を歌う。
さあ、文化祭に向かってレッスン。今年は『母さんの唄』・『モーツァルトの子守歌』・『夏の光』。『夏の光』は一度やったので、とてもうまく歌える。でも、『母さんの唄』・『モーツァルトの子守歌』は初めてなのでなかなか大変だ。平均年齢70歳位。でも、一つの曲があがると「覚えたよ、うれしいよ」と小谷さん。その言葉を聞いて、本当にコーラスを続けてよかったと思う。
本当は主人が亡くなった時に伴奏者もいないし、やめようかと…。でも瀬沼さんが、「私でよかったら伴奏をしてあげるわ。」本当に嬉しいお言葉、感謝、感謝。
私ははっきり言って音楽の指導をする立場じゃない。わからないことがあったり、声が出なかったりすることがある。「先生を呼びますか」と言うと、皆さんが一斉に「先生はいらない、堅苦しいから」との声。「わかった。じゃあ、みんなで頑張ろうね。」
皆さんがいらっしゃるかぎり、私はコーラスを続けたいと思う。
歌ってみたい方、第1・第3の木曜日にやっております。一人でも多く申し込んで下さい。
“追伸” どなたか私に力を貸して頂ければ、もっと嬉しいと思っています。
── 第37回東京都盲人福祉大会(墨田区曳舟文化センター)──
秋晴れが隅田川の水面に映え、例年より開花が遅れたようで、金木犀が薫るすがすがしい10月21日(金)の下町の朝です。
江戸川視障協から30名が第37回東京都盲人福祉大会に参加しました。
午前中の式典では笹川会長が障害者自立支援法の施行が本決まりになったことを受けて、この法律が今後の障害者福祉の増進に繋がる活動に結びつくよう共助の力を広めようと力強い挨拶がありました。
ついで大会宣言決議が採択され午前のプログラムを終え、いよいよ午後1時、各支部代表によるカラオケコンクールの始まりです。
都盲協・松本広報部長の司会で始まり、江戸川代表の工藤博史さんは8番目に紺のブレザー姿で登場しました。
お得意の「青葉城恋歌」をムードたっぷりに歌い上げ、見事出場20人の熱唱を勝ち抜き、第1位となりました。
このコンクールでは平成10年の中央区の大会で小松栄次さんが優勝して以来の快挙でした。
会場からは大声援が飛び交い、各支部代表の素晴らしい歌声に酔いしれた2時間でした。この後、警視庁音楽隊のマーチの演奏があり、大会に参加した800名は心地よい余韻を胸に来年の豊島区での再会を約し家路につきました。
当日、参加応援された会員・ボランティアの皆さん、応援有り難うございました。
江戸川区福祉ボランティア団体協議会活動部会による
出前!! ボランティア体験 山本 国子
「出前ボランティア体験」でお世話になっていますボランティア手配師の山本です。平成12年から始まったこの活動も5年目に入り、児童・生徒からの多くの感想文のほんの一部を9月に文章としてまとめました。
この「出前ボランティア体験」は小・中学校に出向き、見えない世界・聞こえない世界、車椅子での生活など、障害を持った方の話を聞いてから、ガイドヘルプ、点字、手話、車椅子の体験をしてもらうという活動です。
この活動の中で子供達に一番感動を与えているのが、たった10分程しか話をして頂けないのですが、障害を持った方の話です。
『今までの僕は障害者の人の気持ちを考えずに、平気で悪口をいっていたので、今頃おれって馬鹿だなーと頭の中で何度も何度も (中略) あんなことをいっていた僕を許して下さい』
これは文章のほんの一部ですが、皆さんが自分達のことを自分の言葉で話して頂いているからだと思います。子供達に体験によって自分達のまわりに目を広げ、多くの事を気づいてもらうために、これからも続けていきたいと思います。
それには皆さんの協力があってのことです。ありがとうございます。
子供達の前で話をするのは苦手だけれど、点字を読むぐらいならお手伝いをしても良いという方、どうぞ手配師の山本迄ご連絡下さい。(TEL・FAX 03-3653-2415)
山本国子さん、「緑綬褒章」受章!!
11月3日付で発令の今年度秋の褒章で、山本国子さんが「緑綬褒章」を受章されました。この褒章は「自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著な方」を対象としたもので、これまでの山本さんの活動が広く認められたものに他なりません。
本当におめでとうございます!
風呂上がりにはギンギンに冷やした日本酒を、愛用のクリスタルグラスで。おつまみには、日頃の野菜不足解消をもかね、セロリやレタスに塩かマヨネーズを付けてカリッとかじるのが私の晩酌。
その夜も風呂からあがると、冷蔵庫からお酒を取り出した中腰の姿勢で、座卓の器へマヨネーズをギュウッと盛大に絞り込み、パンツ一丁であぐらをかいて、まずは冷えたのを一口。それから、ボールにちぎっておいたレタスをマヨネーズの器にねじ込んでパリッとかんだ。
あれっ、マヨネーズがついていない。指で器の中を確かめたが、たっぷり入っているはずなのに、ひとたらしもない。座卓の上や畳にもこぼれていなかった。
もしかしたら「物の怪」とやらの仕業で、器の中を全部なめ取られてしまったのか? 裸にゾオッと鳥肌が立ち、パンツの中身も縮み上がっている。私はその手の雰囲気が大の苦手なのだ。
気を取り直そうと、グラスのお酒を一気に飲み干した。と、何だこれは? 飲み干したグラスの底からゼリーが口の中へ転がり込んできた。
気味が悪いゼリーを流しへ吐き出そうと思いながらも、口の中で押しつぶしていると、何のことはない、中腰の姿勢のまま、ろくに確かめもせずに、器だと思いこんで絞り出したマヨネーズが、冷えたお酒の中でゼリー状に固まっていたのだった。
詩 「百合のように」 福岡 明夫 作
百合は、ふつう 1本の茎に、花を4個付けるという
しかし 2個か3個のことが多い
人は、それを見ても 「障害百合」とは思わない
むしろ 良い香りを、あたりへ放ち 凛とした咲き姿を愛でる
私たちも、必ず 人にないものを持っている
百合みたいに咲ける
いつもお世話になっているガイドの栗原裕子さんのお宅には、一歳になるローティー君が暮らしています。生後2ヶ月後に栗原家にやってきました。
盲導犬になる訓練を受ける前に、一年間パピーウォーカーとなった栗原家に育ててもらうためです。ラジオからの情報によると盲導犬は現在全国に1000頭弱で30頭出すのに100頭必要とのことです。繁殖やリタイヤ犬の育成などのボランティアも必要とのことです。
栗原ご夫妻が作ったケージ(犬小屋)に入りクンクン泣きながらのスタートになりました。
以下、栗原さんのお話です。
ローティー君との一年間
昨年の10月12日に生後2ヶ月で我が家にやって来ました。ローティーの第一印象はとても整った顔で利口そう、良い顔でした。その時体重は4.2kg。
我が家に来たその日に親、兄弟と別れ、協会を経由して来ました。その晩から2、3日は人間の新生児の泣き声と同じく、まだまだ、あかちゃんの泣き声で、それは悲しそうに、でもでも、とっても可愛い声でクンクンクンクーンクンクンクンクーンと泣いていました。
来て1週間ぐらいは私を母親代わりとでも思っているのか、台所に立つ私の足にくっついていました。我が家に来て10日も経たない10月21日深夜の2時頃、ケージから脱走、テーブルの上の煮物と少しの魚をご馳走になっていました。
トイレはおしっこをワン、うんちをツウと言います。我が家に来てワンを7、8回、粗相をしたぐらいで1週間ほどで完璧に決められた場所でするようになりました。とても賢いローティー君です。
その賢い筈のローティー君が我が家に来て2、3ヶ月経っても、ローティーと呼んでも振り向きもしないし呼んでる人の所にも来ないので、自分の名前分かっていないの?? って思ってたら今年のお正月、千葉県太海(ふとみ)の近くの道の駅での3階から外にいるローティーを呼ぶと、どこから呼ばれているのかキョロキョロ探している。ヤッパ自分の名前わかってたんだと。
生後7、8ヶ月頃までは人が大好きで、散歩していても行き交う人が声をかけてくれるのが嬉しくて嬉しくて、あんまり声がかからない時は今日はおかしいな? と言った感じ。
最近では犬が大好きで人にはさほど反応がなく、声をかけてくださる人に愛想が少ないので面目がありません。生後1年を過ぎ犬の臭いも強くなり、生意気にワンをマーキングと言って1時間の散歩の間に4回ぐらいチョビチョビしたり、片足を上げてワンをしてみたりしています。
松田さんのお宅に行ったり、会社帰りの娘を小岩駅に迎えに行ったりした時、すこしの間はおとなしく待っているのですが待っている時間が長くなると、私にメチャクチャに跳びかかりはじめ手に負えなくなります。洋服も何枚破られたことやら。
ワンちゃんを二男と言っている方がありましたが、我が家でも三男坊と呼んでいます。言葉だけでなくローティーは、まさに4番目の子供で私たちの家族です。写真のフイルムも12本撮り、小さなアルバムが12冊になりました。少しの表情の違いもすべて可愛いのです。
タイムリミットが迫ってきている今の気持は複雑です。立派に盲導犬になって欲しい気持と、手放す辛さと。最初に聞かされていた言葉、「別れの辛さがボランティアなのよ」という言葉が身にしみます。
そんな栗原さんのお話を伺って私は、ローティー君が、早く一人前の盲導犬になって活躍することを期待すると共に、栗原家にご苦労様でしたの気持ちで一杯になりました。
今年7月に北海道・知床が世界遺産に加わったというニュースをご記憶の方も多いと思います。戦後欧米で文化財・自然保護が進む中、エジプトのアブシンベル神殿保存の国際協力を契機に、世界遺産条約が1972年に結ばれました。同条約に基づき、人類の宝である文化財や自然を保護していくために、世界遺産委員会がリストを作成します。
2005年7月現在、世界遺産リストに登録された文化遺産は628、自然遺産は160、複合遺産は24の総計812。これらの世界遺産物件をもつ国は137カ国です。日本には、知床を含め13の世界遺産があります。
日本の世界遺産
【文化遺産】
・法隆寺地域の仏教建造物(奈良県、世界最古の木造建築等) 1993年
・姫路城(兵庫県、5層6階の天守閣、17世紀初め完成し別名白鷺城) 1993年
・古都京都の文化財(京都、宇治、大津3市の神社、寺院など17ヵ所) 1994年
・白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜、富山に残る合掌組み民家) 1995年
・広島平和記念碑(広島県、核兵器の惨禍を後世に伝える原爆ドーム) 1996年
・厳島神社(広島県、厳島神社と前面の海および背後の原始林) 1996年
・古都奈良の文化財(奈良県、東大寺・興福寺・春日大社・春日山原始林・元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡) 1998年
・日光の社寺(栃木県、ニ荒山神社・東照宮・輪王寺) 1999年
・琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県琉球王国のグスク等9遺産) 2000年
・紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山、奈良、三重の三県に跨る霊場・参詣道) 2004年
【自然遺産】
・屋久島(鹿児島県、樹齢1000年以上のヤクスギなど多様な植物群) 1993年
・白神山地(青森、秋田県境に広がるブナ原生林でクマゲラ生息地) 1993年
・知床(北海道、知床国立公園や遠音別岳原生自然環境保全地域等) 2005年
皆さまは、何カ所ぐらい行かれたでしょうか。最近、編集委員会のメンバーが、白川郷・知床・屋久島を訪れましたので、その旅行記をご紹介したいと思います。
皆さんは白川郷へ行った事がありますか? 多分、行った事がない人でも、写真でその姿を見た事があるでしょう。日本の有形文化財でもある白川郷は、北陸の福井県と富山県とに跨がる山間の集落で、今でこそ車が通り賑やかな村ですが、それでも、まだまだ茅葺の屋根を見る事ができるのです。この地方の屋根は「合掌造り」と呼ばれ、両側の傾斜が非常に鋭いのが特徴です。白川郷は今から10年程前、世界遺産に登録され、それ以降我が国でも積極的な保護に努めています。観光客も多く、日本国内はもとより海外からもたくさんの人々がこの地方を訪ね、日本の文化に触れているのです。
都会に比べ空気が綺麗で、水も澄んでいて、私達が訪れたときには、川の中で1匹の鯉が元気そうに泳いでいました。私自身、学校の教科書の写真などでは、何度か見た事がありますが、実際、現物を生で見ると「日本人に生まれて、良かったなー。」と、思いました。
ところで、合掌造りの造り方をかいつまんで説明すると、早朝から村人全員が集まり片側の屋根に登り、古い茅を一段ずつ丁寧に外します。その後、屋根の骨組みを補強して、再び新しい茅をその上に積むのです。茅の交換だけで一日がかり…。しかも茅の交換は数十年に一度行われるそうで、展望台から見た屋根は、一目で古い茅と新品の茅の色がはっきり分かり、その景色が微妙なコントラストを作るのです。茅の値段は数百万単位と、とても高価なため、今では価格の安いトタン屋根に変わったそうです。
家の中は3〜4階建てで、1階は住居、2階は蚕の飼育部屋となっていて、夏は涼しく冬は暖かい、昔の日本人の知恵が今でもこの地にはしっかりと息づいているのです。村人達が今もなお助け合って、生活している白川郷…。ここには、現代の日本人が忘れかけている何かがあるのです。たった一軒の「茅葺き」の屋根を取り替えるのに、村人達はその日のために総出で手伝うのです。この村は、都会で忘れてしまった、1つの事を成し遂げるという大切さを、訪れる人達が自然に教わることのできる「教科書」なのです。もし1人でも茅の交換に協力しない村人がいたら、きっと村は成り立たなくなるでしょう。たかが屋根の取替え、されど屋根の取替え…。私はこの村の風景を心に刻みながら、同地を後にしました。
夏から秋へと移りゆく時の流れを感じながら、友人の鍼灸学校同窓の仲間9人と共に、人の優しさと北の自然に包まれながら、面積が四国と島根・山口両県を加えた広大な広さを持つ道東の旅を楽しみました。今年世界遺産に指定されたばかりの「知床」は数年前から是非行きたいと考えていました。晩夏の北海道は天候が定まらないとは聞いていましたが、案の定3日間とも曇りや小雨で霧も漂い悪条件ではありましたが、それでも素晴らしい自然とのふれ合いが随所にあり、脳裡に刻まれた幾つかをご紹介しながら足跡を追うことにします。
“阿寒湖毬藻を掌にのせて直に触れたあの堅い感触”、“霧の晴れ間に湖面を望み摩周湖の神秘をたたえたあの不思議な感覚”、“ウトロに咲いた薄桃色のハマナスの葉のトゲに驚き”、“小清水原生花園の浜昼顔の柔らかい花びら”や、“多くの湿原に咲き乱れる夏の花々”、また“蝦夷鹿の群れにも遭遇し、剥製の牡鹿の角に恐る恐る触れ感動したこと”の一こま一こまを昨日のように思い出します。
それでは日本の最東端に生活する人々との出会いの記録のページをひもとくことにしましょう。
【第1日】8月21日(日) 羽田発→釧路湿原→阿寒湖→温根湯温泉(泊)
東京地方は厳しい残暑が続き羽田空港のJALの出発ロビーには既に笑顔の仲間が私の着くのを待っていました。
一行は午後2時前に釧路空港に到着。ロビーをでて予報通りの小雨模様に加え、肌寒さに私は鳥肌が立ち、思わず首を竦めてしまいました。
北海道方面は前線の停滞で暫くぐずつき気味の天候が続くと報じられていましたので、すこしがっかりしましたが、私達グループは天候に左右されることなく元気に出迎えの小型バスに乗り込んだのです。早速、バスガイドのK.R子さんと後輩のY.S君との掛け合い漫談が始まり、全員大笑いが起こりました。
空港を後に、川沿いに広がる湿原をまず見学です。小雨に煙る釧路原野の西欧の古風な城の雰囲気をかもし出す展望台に全員で登りました。屋上に立つ私の顔を湿気を帯びた風が流れるように過ぎて行きます。屋上からは、霧に覆われて、木道を歩く人影の姿も見られず、雄大な湿原は望めませんでした。
バスに戻り発車してまもなく、ガイドのR子さんが、思わず奇声を発したのです。「右方の湿原につがいの丹頂鶴がえさを啄んでいますよ!」と指を指して知らせてくれました。このような姿にはなかなかお目にかかれないとのことでした。
この日の感動はやはり阿寒湖の湖畔の売店のお姉さんがゴルフボールよりやや大きい毬藻を水槽から取り出し掌に載せて頂いたことです。片方の指でつまんでみると、思ったより堅く締まっている感じでした。また表面は1mmの苔で覆われており、濃い緑は見えませんが、不思議な表現しがたい感覚でいつも描いていたイメージと少し異なり、ビロードのような藻の感触には驚きました。
白樺やとど松の木皮を触り北の寒風に耐えて生き抜く自然の素晴らしさを肌で感じたのは友人も同じ思いのようです。晴れていれば雌阿寒岳が湖畔に陰を落とす姿が見られるとのことでした。
アイヌ古潭の伝説で知られる、温根湯温泉に旅装を解いたのは夕刻6時を過ぎていました。露天風呂のすぐ脇に流れる小川は前日の雨で増水し湯船に流れ込むのではないかと思われるほどザアザアと川音をたてていましたが、腰を落としてゆったりと透明で単純泉のお湯は肌に柔らかく、旅の疲れをほぐしてくれたようです。湯上がりのビールは思わず「美味しい!」とまずは満足満足…。
【第2日】8月22日(月)
美幌峠→硫黄山→摩周湖→弟子屈→羅臼→知床峠→ウトロ(泊)
今朝の美幌峠は肌寒く、ドラマ「君の名は」で知られるこの地は、晴れていれば知床連山やオホーツクの国後・択捉の北方領土を望めるとのことです。今日は雲がたれ込め一時小雨は上がっていましたが、初冬の寒さほどに震え上がりました。レストハウスで蒸かしたてのジャガイモ(メイクイーン)の串刺しを頬ばり、これまた美味でした。硫黄山はその名の通り、車内に鼻を突く硫黄のにおいが漂ってきました。火山帯の中を通り、バスは摩周湖に向け山道を縫うように走り、まず上の第3展望台をやり過ごし、摩周湖の第1展望台に到着。バスを降りる頃、小雨がやみ、瞬間霧の中に湖面が眼下に見下ろせたのでした。
私の付き添いのAさんが「遠くに湖面に浮かぶ島が微かに見えますよ」と教えてくれました。低い手すりのある湖岸に前屈みになり斜め下を見ていると、神秘な空気が漂う何とも言えない感覚を覚える意味が判ったような気がします。火山の摩周岳はカルデラ湖であり、透明度が20m以上と言うのも驚きです。バスガイドのR子さんが「霧の摩周湖」を作曲した平尾昌晃氏が、10日間もここに滞在して霧の晴れる日を待ちそれがかなえられず、この歌が出来上がったというエピソードを紹介してくれました。その上で「霧の摩周湖」をアカペラで3番まで歌ってくれました。‘余り上手でなかったが…’。弟子屈のホテルのホタテのラーメンの昼食が道東の旅に似合っているなと思いました。ロビーに蝦夷鹿の牡の剥製が展示されており、私は鹿の角を手で触れ、立派な形の曲線に暫く感じ入っていたのでした。
そしてバスはオホーツクの海岸線から一路羅臼を経て、知床峠に入りました。途中「羅臼岳の頂上部が霧の合間から見えますよ」とR子さんが指さしました。そして、蝦夷鹿の群れを途中草原に見ることが出来ました。ウトロのホテルは豪華なバイキング料理が売り物の宿で大浴場は広くゆったりとしていました。露天風呂からは「遠くになだらかな丘陵が横たわっている国後島陰がうっすらと見えますよ」と、Aさんが眼前を指さしてくれました。日本国民の念願の一つでもある北方領土も早く返還して欲しいものです。
【第3日】8月23日(火)
知床五湖→オシンコシンの滝→小清水原生花園→網走→女満別→羽田着
3日目の知床での朝も小雨模様で明けました。一行に雨男がいるのかも知れません。フロントの方が今朝は16度ですよと伝えてくれ、私は夏背広を重ね着してバスに乗り込みました。「知床五湖から羅臼岳の眺めが最高ですよ」とR子さんの弁ですが、富士山に似た雄姿は見られません。現在は一湖と二湖のみが見学出来、三湖から五湖はシャトルバスに乗り換えなければ見られないとのことです。また知床半島のクルージングも今日は天候不良で出港が出来ない様子です。私達は次の「オシンコシンの滝」に向かいました。60mの岸壁を下る水量は山全体を覆うようにザアザアと水音を響かせ海に注ぐのです。半島のそこここで同じような滝模様を見ることが出来るとガイドさんの話でした。
折り返し網走に向かう山肌の狭い草地に、やはり蝦夷鹿の群れがそこここにみられ、このあたりにはヒグマの親子を見ることもあると説明してくれましたが、そんなことになれば大変です。
またオホーツク海に注ぐ川では、樺太鱒が遡上している姿をガイドさんに橋の上にバスを止め見せて頂きました。この樺太鱒はヒグマのえさにもなるそうですが、この知床の秘めた魅力はそんなところに有るのかも知れません。そして1ヶ月後には黄色を主とする赤・褐色に彩られた落葉樹が知床連山を包むことでしょう。
やがて絵はがきなどでも良く紹介されている網走・小清水原生花園に到着。ここではハマナスの薄桃色の花と浜昼顔の群落があり、花や葉っぱにふれ、感触を楽しみました。
釧網線の小清水原生花園駅に丁度2両編成の電車が入線しました。夏休みとあって、観光客の姿も多い様子です。木造の駅舎には、ボランティアの駅長さんのOさんが私たちの間に入り写真を撮らせて頂きました。私も駅長さんの帽子をお借りして、すました顔でポーズをとり駅をバックに1枚撮らせてもらいました。これが正にふれ合いの旅の楽しみの一つです。また売店のベンチに座りメロンソフトクリームは絶品で、思わず「うまい」とAさんと顔を見合わせたものです。最後は網走の海鮮市場で生ウニを試食、あまりに新鮮でしたので、東京の自宅に送る事にしました。
これで知床の自然と人との3日間の旅は終わりに近づき、女満別空港に到着。ガイドのK.R子さんとの楽しい会話にも終止符が打たれたのでした。
今度は6月から7月の好天の日に道東をのんびり旅したいものです。
「知床旅情」を唄っています森繁久彌さんの詩を、ガイドさんが手書きで書いてくれましたので、ここに書き添え筆を置きます。
この道はソリで行った道 この道は山の又、山の道
この道は昔なかった道 熊やキタキツネの通る道
今、この道は知床の二つの道をつなぐ文明の道
人はゆき、人はきたり 車はゆき、車はきたり
生きものは山にかくれ 1980年の人間達の道
友よ、いたずらに この道を汚さないでおくれ
テレビで見る屋久島は自然に満ち溢れている島でした。私を旅へと誘う。
5月8日から11日までの3泊4日の旅です。羽田から飛んだ飛行機は鹿児島でローカル線に乗り換える。空港の案内人の間違いで15分の遅刻。すでに乗車している人全員の注目を集め、仲間一人一人「すみません」と頭を下げて機内に入る。飛行機は、桜島、開聞岳、種子島の上を飛ぶ。15分遅れで屋久島空港に到着した。島内は交通の便が悪く、バスは一時間に1、2本、観光客は主にタクシーかレンタカーを利用する。私たちはタクシーでホテルに向かう。
一日目のヤクスギランドは屋久島自然休養林として管理されている。皇太子ご夫妻が見えたということで(私たちが泊まった屋久島グリーンホテルでも昼食を取られたという記念写真がありました)途中の道路や、ヤクスギランドの中も整備されていました。30分・50分・80分・150分の散策コースに分かれていて、30分・50分コースは木道、石張歩道で整備され、普通の履物でも散歩ができます。当然私たちは150分コースです。
今から250年から300年前に伐採された屋久杉切り株、樹齢1000年以上の屋久杉が生えている道をとおり荒川に掛かっている吊り橋、荒川橋を渡ります。下は断崖絶壁、恐ろしさに足のすくむ仲間もいてその中で「はーい、ポーズ」。りんご椿の花(東京で見るより花が小さい)が赤く可憐に咲き、目を和ませてくれます。太忠岳を横目に見ながら折返し地点に着く。樹齢1500年の天柱杉、樹齢2600年の母子杉(大小二本の杉が寄添っている)、樹齢1100年三根杉(根が複雑に曲がっている)これらの樹々を見ながら歩く。川の水はどこまでも清らかに澄み、時々ウグイスの泣き声も聞こえる。仏様のお顔に似た仏陀杉、二股に分かれたくぐり杉を通って出口へと向かう。屋久杉の表情の豊かさと大きさにただただ感心して歩いた一日目でした。
帰りはバスに乗ることができた。屋久島ではまだ新札の機械が導入されていず「つり銭のないように」と言われた。一緒に行った仲間は卓球、テニスと運動の愛好家、私はガイドで歩くだけ、そんな私でも一日無事過ごすことができた事に仲間と生ビールで乾杯。と、目の前に一匹の飛び魚のからあげ。味…?でした。揚げたてだったらもっとおいしかったでしょう。鹿のおさしみも柔らかく、臭いやくせがなく美味でした。
二日目、最大の目的地縄文杉です。朝4時起き、ホテルに頼んでおいたおにぎりを持って5時に出発です。外は真っ暗です。ヤクスギランドと道は同じですが途中から荒川登山口へと分かれます。荒川ダムのそばを通った頃から明るくなってきて、登山口に着いた時はすっかり夜が明けていました。5時50分に登山口を出発です。トンネルをくぐるとそこはトロッコ道。屋久島は九州で一番高い宮之浦岳(標高1,935m)が中央にそびえ、縄文杉は宮之浦岳の八合目位にあたるそうです。そこへ向かって片道5時間位かけて登ります。
線路道は素晴らしい風景で岩肌には、名も知らない色とりどりの小さな花が咲き、苔の間から絶えず水が流れ、反対側は遠くの山々が眺められ、つつじ、ニオイバンマツリ(花びらが紫陽花に似た花)が咲き木々の間からは風の流れる音が聞こえます。6時40分、小杉谷小・中学校跡地に着いた。ここだけは広い空き地になっていて昔学校が建っていたことを伺わせ、色鮮やかなピンクのつつじが目に痛かった。
屋久島では1000年を超えないとヤクスギと呼ばないということですが、進む道には朽ちて倒れた杉があちこちに見られ、3、4人でないと抱えきれない、名のない大きな杉がたくさん見られました。三代杉は珍しい杉で一代目の倒木の杉に二代目が育ち、二代目の切り株の上に三代目が育っています。一代目の杉の樹齢は約1200年、二代目は1000年、三代目は350年といわれています。いよいよトロッコ道も終わりです。大株歩道入口。ここから急な山道になり縄文杉に向かいます。トイレもここしかありません。その時です。仲間の男性が、突然見知らぬ人に怒鳴られた。最初は何のことか分からなかったがよく聞くと、途中で用をたした男性と間違えたようです。その人はインストラクターガイドで、屋久島でガイド業をしながら自然を守り、観光客に自然の大切さを知らせている人でした。このような人が屋久島にはたくさんおります。人間の排泄物は生態系を変えるので用は必ずトイレでするようにとのことでした。この人とは白谷雲水峡で会いましたが、その時の表情は穏やかでやさしい顔をしていました。
さあ山登りです。岩や木につかまり倒木をまたいで歩くのは大変です。みんなで声を掛け合い、水のあるところで休憩をとり休み休み登ります。翁杉、ウィルソン株と続きます。ウィルソン株は大正3年にアメリカの直物学者ウィルソン博士がヤクスギを調査した時に発見し、博士の名前を取って命名されました。伐採年代は16世紀末といわれ、その時で樹齢およそ3000年位というので屋久島で一番古い株といわれています。中は空洞で人の出入りができ、コンコンと清水が湧き出ていて水神様でしょうかお社が祭られていました。ここは水の霊、樹の霊が感じられる神秘的な場所でした。縄文杉に向かいながら利き酒会のように利き水会をして歩きました。どの水もくせがなく美味しく、しかし場所によって全て微妙に味が違っていました。私が一番美味しいと思ったのは縄文杉のそばを流れている水でした。大王杉、夫婦杉と樹から気をもらいながらとうとう縄文杉に11時30分到着です。
目の前の杉の樹の巨大さに目をみはります。枝葉の広がり、根の張り具合は見事です。写真を撮る時は下・上と分けて撮らないと全体が写りません。樹齢7200年さすが一番の貫禄です。でも悲しいことに杉に近づくことができません。根元を踏みつけると木が弱ってしまうということで柵がされていました。私たちが帰ったあと、「縄文杉キズつけられる」と報道されていましたが、どうしてそのような気持ちになれるか不思議です。きっと今ごろ樹々の霊魂の逆鱗に触れていることでしょう。
縄文杉の下で昼食をとっていると、屋久鹿がやってきました。「食べ物がほしそうね」「丁度昼食時間になると現れるんだ。餌付けをされたらしい」ガイドさんらしき人がいう。ここでも人間の傲慢さを知らされる。帰り道何度も屋久鹿に遭遇する。人間を恐れず、平気で木の実を食べている姿は何ともいえず可愛い。鹿の肉がこの日の夕食に出されたら、濡れた黒い鼻、つぶらな瞳を思い出してきっと食べることが出来なかったでしょう。
帰りのトロッコ道は重い登山靴が負担だ。スニーカーを持ってくればよかったと後悔する。休み休みとはいえ10時間近く経とうとしている。その時、疲れている心を引き立たせるかのように一台のトロッコが通り過ぎて行った。「見られたらいいね」と言っていたら思いが叶い足も軽くなる。現在は植林巡視や埋木の搬出、育林作業員の送迎に使用されていて日本では数少なくなったとのことです。15時50分荒川登山口に下山。万歳。登り始めてから10時間、予定どおりでした。
迎えのタクシーの中で運転手さんがガイドに早代わり。「昨日、今日と観光して歩きましたがゴミがほとんど見当たらないですね」「世界遺産になってからのほうがゴミが増えました」この言葉にへーと驚き。「昨日、ホテルで鹿のおさしみを食べましたがここの鹿ですか」「ここの鹿は保護されているので食べられませんよ。オーストラリア産のあか鹿です。養殖しています」尚もガイドさんいわく、「屋久島の500mから上は国立公園だから、民間の人が勝手に店を建て商売はできないんですよ」「インストラクターガイドがたくさんいますが、屋久島の人ですか」「70パーセントの人が屋久島以外の人、タクシーの運転手も同じです」屋久島に来て自然に魅せられて住み着いた人が多いとのことでした。何度か会う若い男性のガイドさんがいたので、親しく聞いたらその人も青森の人でした。帰り野生のサルの親子が道路で遊んでいた。「朝か夕方でてくることが多い」と言う。
三日目、経費節約のためホテルの前でバスを待っていると地元の人が話しかけてきた。皇太子ご夫妻がみえるということで道路の舗装やヤクスギランドを雨の中突貫工事の仕事をしたと言う。年は94歳、大変お元気で話が終わると何処かへ行ってしまいました。宮之浦港で昼食を調達して白谷雲水峡に向かう。土地の生活が見られるバスの旅もいいものです。白谷広場に到着です。
森林環境整備推進協力金を払い中に入る。原生林コース(2時間30分・4.8q)に向かう私たちを白たえの滝が迎えてくれた。憩いの大岩は歩くのに注意しないとすべってしまう。岩に手を付きお尻をおとして歩く。飛流おとしといわれる滝が目に飛び込んできた。絶壁から流れ落ちる水が白い泡をたててしぶきを上げている。そばに寄るのも怖い感じがするが、怖いもの見たさで柵につかまって下を見る。吸い込まれそうです。滝から流れでた水は下で濃紺に染まっていた。森の中(雲水歩道)に入っていく。青々とした緑が一面に茂り、時には日の光に反射してきらきらと輝いている。二代杉(切株の上に種子が落下し発芽生育した杉。このように世代交代が行われることを切株更新といいます。屋久島の山ではいたるところで見られます)三本足杉(幹が三本になっている)三本槍杉・びびんこ杉と変わった形の杉が現れる。二代杉のあたりから森は一段と深まり原生林歩道となる、岩や樹にも苔がはえ人間が踏み潰して歩くのがもったいないほどでした。色も形も違うさまざまな種類の苔が一面に続き、よく見ると苔の一部からしずくがゆっくりと流れ、そこに光がさし輝く様は言葉に現すことができません。ここでは時間が静かに流れていました。
二代くぐり杉、くぐり杉、白谷小屋を通ってもののけの森に入る。朽ち倒れた巨木、岩、樹全てに苔が蔽い時間が止まったような場所で何千年も変わらない姿がそこにありました。私たちが今そこに存在することが否定されそうな場所でもありました。もう一度来て見たい所の一つになりました。
四日目、今日は帰る日です。私たちは最後の最後まで、屋久島の観光に専念しました。タクシーを奮発して千尋の滝へ向かう。この滝は花崗岩の岩肌を鯛之川が刻んでV字谷を作り落差60mを水が滑り落ちます。水量の多いときは見事とのこと。滝の左側には巨大な花崗岩の一枚岩があり、それがV字谷の滝とマッチして絶妙な風景を作っています。最後の目的地トローキの滝に向かいます。千尋の滝展望台から近いというので歩くことにしました。しかし道を間違えたようでなかなか着きません。ゲートボール帰りのお年寄りに聞き、赤い橋を目印に歩きました。細い小道を下ると、滝は赤い橋の下にありました。鯛之川の河口にある滝がトローキの滝です。落差は6mしかありませんが屋久島でたくさんある滝の中でも海に直接流れる滝として有名だそうです。緑に囲まれた赤い橋、そこに流れる白い水、三色がマッチして絵のような風景でした。
「屋久島は一日に三日も雨が降る」といわれるほど雨量の多い土地ですが、私たちは幸運にも天候には恵まれました。しかし心残りは宮之浦岳に登頂することができなかったことです。このことを理由に又この地に来られることを祈って安房港からトッピーに乗りました。
◎ のっぺい汁 〔編集委員会のオススメ〕
(野菜たっぷりでとろみのある温かい汁もの)
材料(4人分)鶏もも肉100g 大根50g
にんじん20g 里芋50g こんにゃく1/4枚
長ねぎ1/2本 だし汁600ml 片栗粉大さじ1 塩 しょうゆ
作り方(1)鶏肉は一口大にきり、野菜はいちょう切り、こんにゃくは短冊切りにして、さっと茹でます。
(2)出し汁に大根、にんじんを入れ、火にかけ少し軟らかくなったら、鶏肉、こんにゃくを加え、あくを取りながら軟らかくなるまで弱火で煮ます。
(3)塩、しょうゆで味をつけ、水溶き片栗粉でとろみをつけ、小口に切ったねぎをいれます。
好みで粉山椒をふっても美味しいです。
◎ すき焼き風豚煮込み 〔岡畠信子さんのレシピ〕
材料(4人分)豚薄切り300g 車麩5、6枚 白滝1袋 長ネギ2本 卵4個
エノキ(しめじ・舞茸などでもよい)2袋 すき焼きのタレ適量
作り方(1)豚肉は大きめの一口大、白滝は3つぐらいに切り、ネギはハス切り、エノキは石づきを取り2つに切ります。車麩はふやかして手でちぎっておきます。
(2)鍋に豚肉、白滝、車麩、ネギ、エノキの順に重ねていきます。
(3)すき焼きのタレ(市販)を水で薄め、(1)にかけて30分くらい煮込みます。
(すき焼きのタレは、しょうゆ大さじ4・酒大さじ4・みりん大さじ4・だしの素小袋2で作ってもいいです。)
(4)煮上がったら溶き卵で戴きます。
◎ 海老ワンタン 〔岡畠信子さんのレシピ〕
材料(4人分)むき海老200g 長ネギ1本 ワンタンの皮2袋
塩・こしょう少々 中華スープ適量
作り方(1)海老は細かく切り、ネギはみじん切りにして、塩・こしょうをしてまぜます。
(2)(1)をワンタンの皮で包み、中華スープで煮ます。
(3)器に盛ってから白髪ネギを散らして戴きます。
(同じタネでエビ餃子にも応用できます。)
◎ ひかりdeきれい(多機能な靴の乾燥)
「ひかりdeきれい」は、靴の内部を殺菌し脱臭もできる乾燥機です。使い方は乾燥機内部の棒に靴を逆さにしてかけ、電源を入れるだけです。するとノズル先端部から温風が吹き出し、汗や雨で湿気を吸った靴を乾燥します。さらに紫外線が靴の内部に住み着いた悪臭の源になる雑菌や水虫菌を退治します。酸化チタンによる光触媒効果で悪臭も除去できます。
大きさ : 幅33.1cm×奥行き32cm×高さ43.5cm
重さ : 4kg
価格 : 19,800円
(ヨドバシカメラ、東急ハンズ等)
お問い合わせ : 島津サイエンス東日本 03-5542-3222
◎ ソックスター(靴下一足をとめて洗えるチップ)
靴下を洗う時「ソックスター」で靴下一足分を1つにとめておけば、片方だけがなくなってしまうということがありません。使い方は丸いチップの切れ目に靴下を一足にして差し込み、洗濯ネットに入れて、洗濯機・乾燥機に入れるだけ。外に干す場合はチップを付けたままの状態で干せます。収納する時もチップにはさんだ状態でしまえば、整理ダンスや引き出しの中で片方がなくなる事もありません。
大きさ : 直径約7cm
ベーシックパック : 10個入 998円(青・赤 各5個)
ファミリーパック : 20個入1890円(青・赤・緑・オレンジ 各5個)
お問い合わせ : ソニープラザ 03-5413-8700
(送料・代引手数料負担で取り寄せ可能)
◎ カードホルダー
このカードホルダーはカードを1枚ずつポケットに入れ、まとめて20枚をコンパクトに収納できます。1枚ずつポケットに収納しますので、それぞれに付箋紙などで点字や拡大文字で貼っておけばカードを探す時に便利です。ブック型で、手帳のようにホックで口を止めることができるので、カードが落ちる心配もありません。磁気層を汚染したり、剥離することを防ぐ素材を使用しています。
大きさ・重さ : 幅60mm×奥行15mm×高さ97mm、69g
色 : ピンク、グリーン、イエロー、
ブルー、バイオレット
価格 : 680円
お問い合わせ : 日本点字図書館 用具事業課 03-3209-0751
川柳
福岡明夫 たたずんだ 冷蔵庫前 なんだっけ
「ではまた」を 繰り返し妻の 長電話
持ち家を あきらめ 日の照る 墓地を買い
柏谷幸司 こんにちは 返しはしたが 今だーれ
言い過ぎか ブスがつまずき コロンブス
若いわね 言われる年に なっちゃった
選評:松原信孝先生
<成田貴美代>
原作 初春の帝釈天へ初詣味わう団子に寅さん偲ぶ
添削 初春の帝釈天へ詣で来て「寅さん」偲び草団子味わう
(評) 作者の素直な心境を表現されていて味わい深い作品ですが、初句に「初春の」とあり、三句目で「初詣」と言いますのは、内容が重複していますので、三句目は「詣で来て」としますと良いでしょう。下句も「寅さん偲び」とし、結句は「草団子味わう」としてもと思っています。
<工藤博史>
原作 立ち寄りし萩の花咲く百花園都会の喧騒しばし忘れつ
十六夜の日に、勤務先までの定期券を王子まで購入しに行った帰り、向島百花園に立ち寄りました。入り口には、虫かごに鈴虫が入っており、園内では野点の会が催されていました。萩のトンネルが見事で、その時のことをうたってみました。
添削 萩の花咲きてゆかしき百花園に都会の喧騒しばし忘れつ
(評) 作品の制作過程を作者の「こえ」で書かれていてよく判りますが、初句の「立ち寄りし」が少し軽いようですので、上句に「萩の花咲きてゆかしき」とし、それから「百花園に」と続けられるとよいのではと思います。よい作品になるとも思いました。
<和田 彰>
原作 蝉の声終りて聞ゆ虫の声時は流れて今は秋分
添削 蝉の声絶えて聞こゆる虫の音よ時の流れてさわやかな秋
(評) 時の推移の中で、蝉の声が絶えて虫の声が聞こえるという事で、季節感を見事に歌っていると思います。ただ、内容をより深くより温かに表現するための語句の斡旋があればと思い、下句をこのようにしてみました。
<岡畠信子>
原作 向島路地の向こうで母の声待ちきれないと玄関先に
添削 向島の路地にわれ呼ぶ母の声す玄関先にて待ちきれないと
(評) 作品の中に歌われていますのは深い母性愛だと思います。三句目で「母の声」とありますが、これは作者を案じて呼ばれた声と理解して、「路地にわれ呼ぶ」とし、「母の声す」と続けるとよいでしょう。
<福岡明夫>
原作 山茶花の散りしく里の無人駅腰病む祖母が日だまりに待つ
添削 山茶花の散りしく里に腰を病む祖母が無人駅の日だまりに待つ
(評) 作者は久し振りに帰郷されたのでしょう。上句の「山茶花の里」、それも「花が散りしく里」であり、腰を病まれている祖母が待っている里ですので、三、四句目は「腰を病む祖母が無人駅」として、最後のところに「日だまりに待つ」としますとよいでしょう。
澄み渡る秋の空の下、紅葉狩りやスポーツに出かけ、また秋の夜長、虫の音を聞きながらの読書にと何をするにも良い季節となりました。
日頃は情報誌アイネットの発行に関しご協力を頂き有難うございます。本年度後半にお届けする第12号では江戸川区役所各部との懇談会報告を昨年に引き続き取り上げました。私達の自立のための生活や社会参加活動に於いて、少しでも前進させようとする上での行政機関との話し合いはとても大事な事です。皆様にも是非関心をお持ち頂きお読み下されば幸いです。
その他、世界遺産の旅の紀行文なども載せておりますのでお楽しみ下さい。
最近のニュースでは、一度廃案になった障害者自立支援法案も特別国会に再提出され原則1割の自己負担も避けられないような記事が出ておりました。移動支援に係る障害程度区分や支給量の格差是正問題を含め詳細な情報が欲しいところです。
日の落ちるのも早くなり、朝晩はめっきり冷え込むようになりました。過ぎ行く秋を存分にお楽しみ下さい。編集委員一同皆様からの随想や紀行文・短歌等の原稿を随時募集しておりますのでよろしくお願いします。 (N)
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