盲導犬施設への見学
盲導犬訓練センターへの見学
風を感じて
盲導犬協会を見学して
【ボランティア団体紹介】 デイジー江戸川
暮らしのアラカルト
1.簡単おいしいクッキング
2.便利グッズの紹介
今年も紫陽花で知られる鎌倉明月院境内では、梅雨の雨に色を変え、見事に咲きそろった花が、見物に訪れる人々の目を楽しませたようです。その鬱陶しい季節から7月に入り、真夏の陽光が区内の深緑の街路樹に降り注ぐ季節の到来です。
江戸川区視覚障害者福祉協会は、17年度通常総会もお陰様で5月15日に無事終了、会員の皆様の行事への参加やサークル活動なども活発にスタートしたようです。6月5日・6日には徒歩訓練として猿ヶ京温泉への旅も行われ、大いに鋭気を養って来ました。
今年も昨年に続き城東ブロック事業も企画されており、江東区が当番区となり卓球大会やカラオケ大会なども開催される予定になっています。他区との交流もまた楽しいものですね。
そして今、一番心配なのは障害者自立支援法の行方です。厚生労働省はこれまで行われてきた福祉サービスや公費負担・医療などについて、色々と手直し、改正を行うと述べています。
気になるのは利用したサービスの量や所得に応じた「公平な負担」とあることです。それでなくても視覚障害者の就労に関しても門戸は狭く厳しい状況は変わりません。障害者にとってこれ以上の負担増は絶対に避けねばなりません。
私達の事として一人一人が自覚を持ち、声を上げていかなければならないでしょう。福祉の後退にならぬようにと願うばかりです。
さて昨年11月に記念号として発行された情報誌アイネット第10号に引き続き、第11号では総会の報告や盲導犬訓練センター見学の感想文・徒歩訓練旅行の楽しい様子・旅行記など、多くの会員の個性有る原稿が興味をそそることでしょう。昨年発足した「視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会」が呼称を「アイフレンズ江戸川」とし、ガイドヘルプセンターと協力の上、ガイドヘルプの技術向上と相互の交流を目的に研修会を開催する事になり、その関連記事も掲載しました。
また定番ですが暮らしのアラカルトや、えどもう歌壇も載せておりますので、どうぞお楽しみ下さい。情報誌アイネットでは編集部一同、会員の皆様の投稿やご意見などもお待ちしています。皆様の暖かいご支援をこれからも宜しくお願い致します。
ガイドヘルプ事業を開始後1年が経過し、平成17年度通常総会が、5月15日(日)タワーホール船堀4階研修室にて、13時30分から小野塚副会長の司会で開催されました。当日は、天候の優れない肌寒い日でしたが、会員43名がご家族や、ガイドヘルプの方々に付き添われて出席しました。
北澤副会長の開会の辞の後、松本会長からの挨拶では、ガイドヘルプセンター事業が利用者の方々、ガイドヘルパーの方々のお陰で、若干の黒字を出すことができたこと、また、障害者自立支援法のこれからの成り行きを、私達障害者がどのように取り組んでいくかの問題提起がなされました。
議長に伊藤 茂さん、議事録署名人に冨澤 豊さん、藤田菊江さんが選任され、議事が進行しました。
【第1号議案】 平成16年度事業報告並びに決算諸表(収支計算書・貸借対照表・財産目録)承認の件
*4つの主な事業
1 公的機関発行の録音物発受事業
2 居宅介護事業
3 ガイドヘルパー研修事業
4 音声パソコン教室、プレクストーク講習会
*その他の事業
4大行事の開催(奥飛騨方面への徒歩訓練旅行、カラオケ大会、創立25周年記念第20回文化祭、新年会)、城東ブロック行事、国際親善交流として、ゴスフォード市の現代画家・ウッドベリーさんの個展開催協力、地域諸団体との交流、障害者団体との意見交換・交流、上部団体との連絡調整・行事参加など。
*総務部から会員の動き
正会員87名、賛助会員16名。役員会報告として三役会を7回、理事会を2回、理事・運営委員会を4回行った。尚、情報連絡テープは10回発行。
また、各部、サークル活動など活発に行っていますが、支援費の限られた時間内での出席がなかなか難しく参加者がだんだん少なくなってきているとの報告がありました。さらに、昨年9月から始まった「アイフレンズ江戸川」の会員数は59名ですので、時間が足りない時は声をかけてくださいとのお話がありました。
一方、監事の`島さんからは、前年度開業費として計上した繰延資産をすべて償却でき、昨年4月から開始したガイドヘルプ事業は予想を上回る業績を上げているとのうれしい報告がありました。
【第2号議案】 役員選任(会長・理事長・理事・運営委員)の件
今年度は役員改選の年にあたり、永井宏さんを選挙管理委員長とした選挙管理委員会を設立。
松本俊吾さんが平成17・18年度引き続き会長となりました。また、新たに相談役として會澤重忠さんが、さらに、4名の新役員が任命されました。
【第3号議案】 平成17年度事業計画並びに収支予算承認の件
4大事業の他、新たに国際交流基金を設け、海外の視覚障害者の方が見えた時や、江戸川国際友好会(EIFA)、ホームステイクラブなどの交流に使用する。今年の徒歩訓練は、猿ヶ京温泉を計画、みなさんのご協力を得て、精一杯頑張りますとのお話がありました。
【第4号議案】 その他
江戸川区視覚障害者福祉協会に賛同される方は、賛助会員会費2000円でご協力お願いします。
Q&A
Q 三役会とは、どのような会ですか?(N)
A 会長、副会長、監事を三役と言い、理事会に提案する審議事項を整理し、理事会を行ないます。
Q サークル活動の会場の駐車場料金はお支払いいただけるのでしょうか?(K)
A 理事会で審議しなくてはなりませんが、予算の許す限りご要望に応えたいと思います。
以上、第1号議案から第4号議案まで、拍手を以って承認されました。平成16年度は、NPO法人として、初めて居宅介護事業を開始し、幸先の良いスタートができました。しかし、今後の障害者自立支援法の国会審議の成り行き次第では、まだまだ先行きが不透明です。私達障害者は、一人一人よく考え、取り組んでいかなければなりません。いずれにせよ、障害者にとっては、厳しい年になることでしょう。
※ 障害者自立支援法を考えるフォーラム開かれる
―― 障害者6600人が日比谷公会堂・野外音楽堂で全国集会 ――
松本 俊吾
本年2月に国会に提案された「障害者自立支援法」は、障害者の自立や社会参加を一層前進させることを主目的に、去る5月11日から衆議院・厚生労働委員会で実質審議が始まりました。
この状況に合わせ、日盲連等の団体で組織する日本障害者協会主催の「障害者自立支援法」を考えるフォーラムが“どうなる、どうすべき、私たちの明日を”をキャッチフレーズに5月12日に東京日比谷公園を主会場に開かれました。厚生労働省の二転三転する障害者施策の方向転換に不安な気持ちを隠すことは出来ず、先行き不透明な状況を少しでも前進させようと、全国から6600人がこの集会に参加しました。
当日の朝は、5月には季節外れの冷たい風が日比谷公園の若葉の木々を揺らして、私も一枚重ね着をしてガイドヘルパーさんの誘導で10時前に会場に着き、何とか開会に間に合いました。10時を過ぎる頃から雲の合間から薄日が漏れ始め、冷え切った身体を温かく包んでくれ、野外音楽堂の第2会場に向かいました。
10時30分から、全国の障害者代表19人と共に、私は東京都盲人福祉協会を代表し、視覚障害者の立場から、この法案に対する意見表明を僅か5分間でまとめ発言するよう指示されていました。
私の前に発言した沖縄のコロニーの施設長を任されているTさんが、「施設に入所している障害者の負担増に具体例をあげ、「この法案にノーと言います!」と力強い意思表示がありました。
3番目がいよいよ私の出番で果たしてちゃんと問題点を整理し明らかに出来るか不安でしたが、次のような内容のアピールを少し力を押さえ加減で行いました。
まず現状をどのように認識するかにふれ、障害者は厚生労働省の方針の変更で振り回されてきたこと、余りにも拙速すぎる法案提出に疑問を投げかけた上で、視覚障害者の立場から、地域生活支援事業の移動支援に的をしぼり訴えました。そこで、読者の皆さんに一層理解を深めて頂くために、【具体的要望事項】として付記しておきます。
【具体的要望事項】
一つに、ガイドヘルパー派遣事業も自立支援事業(義務的経費)と同様に、明確な位置づけをすると共に、支給量に準じた予算の確保を行うこと。
1)地域生活支援事業(裁量的経費)について、自立支援給付と同様に当初予算に不足が生じた際には、補正が出来るような制度運用を省令で定めること。
2)厚生労働省は制度実施主体である区市町村に対し、予算不足が生じた際、利用者が不便を生じないよう万全の行政指導を行うこと。
二つには利用者負担を出来るだけなくし、応益負担の軽減を行うこと。
1)生活保護世帯に加え、非課税世帯及び均等割課税世帯については、利用者は負担金を「0」とすること。
2)現在の応能負担のうち利用負担の限度額に準じて、利用者の応益負担額とすること。
3)納税利用者についても、ソフトランディングの考え方に徹し、可能な限り、負担額を縮小すること。
4)応益負担の適応を平成18年10月以降とすること。
三つに、支給量の現状レベルの維持と格差の解消。
四つに、障害者団体が運営する居宅介護事業者への制度上の支援策を講じると共に、障害者の自立による社会貢献を促すこと。
以上の四つの要点は、今後に定まるでありましょう政令省令に充分に反映して頂けるよう、訴えました。
高鳴る心臓の鼓動が手に持ったマイクに伝わり声も少し上擦り気味でしたが、何とか時間内に話すことが出来ました。
午後からは有識者や、各政党の代表によるシンポジウム等も開かれました。
最後に大会アピールを採択し、国会陳情やデモ行進も行われ、「障害者自立支援法」に対する全国の障害者の一人一人が危機感をにじみ出した盛り上がりのある集会でした。今後とも、この法案の成り行きを注目したいと思います。
「視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会」
呼称を「アイフレンズ江戸川」に
アイネット第10号でもご紹介させて頂きましたが、昨年9月1日に、江戸川区ボランティアセンターに「視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会」として正式に登録を終え、区内の皆さんの自立や社会参加の活動をサポートすることを目的に活動を開始しました。
立ち上げから現在まで1年足らずですが、多くの視覚障害者の皆さんにお声をかけて頂き、本年3月までの半年間で延べ104人の外出をサポートさせて頂きました。
現在50人のボランティアガイドのご協力により、利用者の皆さんに大変喜ばれています。殆どが「江戸川ガイドヘルプセンター」に契約されている視覚障害者の皆さんからの申し込みによるものです。
ガイドを依頼される方々から「支給量が足りないので助かります」とのお話が聞かれ、ボランティアの皆さんも大いに張り切って、安心・安全をモットーに頑張っています。
発足当初から考えていたのですが、少し長い会名なので、もっと親しみやすくすぐ覚えられる名称にとアイネット誌上でも会名の募集をしておりましたが、去る4月19日の役員会で、いくつかの候補名の中から、「アイフレンズ江戸川」と呼称を決定しました。
本誌の読者の皆さん、どうぞ宜しく御願い致します。
ところで、初めての試みとなりますが、ガイドボランティアとして、利用者の皆さんに喜ばれる“ガイドヘルプ”をしたいとの思いと、ボランティア間の相互の交流を一層進めるために、下記の要項によりボランティアガイドの研修と交流の集いを開くことになりました。
これからも地域社会にとけ込みながら、楽しいおつき合いが出来たらと願っていますので、末永いおつき合いを宜しく御願い致します。
『視覚障害者と共に歩むガイドボランティアの集い』
日時 : 平成17年7月29日(金) 13:00〜17:00
場所 : コミュニティプラザ一之江 4階集会室1・2
江戸川区一之江7−35−29(一之江駅環七口)
TEL 03−3651−1261
第一部 講演会(13:00〜15:00)
(1)「江戸川ガイドヘルプセンターの現状について」
講師:松本俊吾氏
(NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会理事長・江戸川ガイドヘルプセンター事務局長)
(2)「対人関係をスムーズにするために」
講師:滝沢きみ江氏
(全日本カウンセリング協会会員 心理カウンセラー)
(3)「視覚障害者の外出とガイドヘルプのあり方」
講師:金沢マリ氏
(東京都盲人福祉協会生活指導員)
第二部 交流会(15:20〜16:40)
昨年末、江戸川区ボランティアセンター活動部会の皆さんと一緒にアイネット編集部のメンバーである田名後・金子・成田の3人が参加、横浜にある盲導犬訓練センターへ見学にいってきました。以下はその時の田名後・成田の感想文、そして活動部会の小林田鶴子さんにも書いて頂き掲載しました。金子さんには写真を撮って頂き、田名後さんの歩行の様子を載せております。
昨年末の事ですが盲導犬の訓練センターへ見学に行きませんかという話が江戸川区ボランティアセンター活動部会の方よりありました。視覚障害者の私としてはとても興味のあることです。前から1度行ってみたいと思っていましたので、喜んで参加させて頂きました。
小春日和の12月16日、場所は横浜の港北区、財団法人「日本盲導犬協会神奈川訓練センター」です。広々とした雰囲気で玄関ではチャイムがピンポンと鳴っており可愛い犬の子犬像がお出迎えしてくれました。
私達を含め30人くらいの見学者だったでしょうか。女性司会者に連れられたイレーネというPR犬も登場、元気に遊びまわっています。
センターで行っている事業とは盲導犬の育成や訓練士の養成・ユーザーと盲導犬との共同訓練、そして視覚障害者が社会に出ても自立していけるようにサポートしていくという本当に視覚障害者のための施設でした。職員の方達のご苦労が伺われます。
ユーザーの方はユーモアを交えいろいろと体験談を語ってくれました。側に寄り添っている盲導犬はもう3頭目になるというバランス君です。信号を渡る時、犬は判断出来ないので、ユーザーが車の音を聞いて判断して渡るため苦労します。たとえ盲導犬と一緒でも「青ですよ」と教えてもらうととても助かるとのことでした。直接に話を聞かなければわからないものですね。
一つ印象に残ったのは、今まで盲導犬というのは何時も仕事中というイメージでした。それが外出の時はしっかりとユーザーを守り、家に帰ればバランス君もゆっくりとしてくつろいでいるそうです。ハーネス(盲導犬の胴につける引き具)をつけている時と外している時の意識が全然違うともいっていました。何だかほっとして「お仕事ご苦労様です」と心の中で思いました。
そして盲導犬と一緒に歩く体験です。バランス君が側に来た時「ワアー大きい」と感じました。お互いに挨拶をしてハーネスを握りましたが緊張して力が入っていたようです。颯爽と歩くつもりがそうはいかず、腰が引けてしまい、足を踏みはしないかと心配になった程です。反対にバランス君が颯爽として実に堂々と尻尾を振って歩きます。部屋の中を1周しましたがこのように何時もご主人を守って行動してると思えば感慨も一入(ひとしお)でした。
今後は自分の出来ることで応援をしていきたいと思っています。活動部会の皆様には貴重な体験をさせて頂き誠に有り難うございました。
師走の晴れた日、活動部会の皆さんと盲導犬訓練センターへ行って来ました。
司会進行のお二人とPR犬のイレーネ、ユーザーの野口さんが盲導犬のバランスを連れています。バランスはハーネスをつけて野口さんの傍にきちんと伏せをしてお話を聞いています。
盲導犬は、パピーウォーカーに10ヶ月ほど可愛がられながら育てられ、人との信頼関係を作り、その後、半年から1年ほどかけて盲導犬として訓練されます。そして、相性の合うユーザーと4週間共同訓練を受け、10歳位まで盲導犬としての仕事をします。
「盲導犬はスーパー犬だと思いますか?可哀想だと思いますか?」の問いにパラパラと手が上がります。「実は、盲導犬にできる事はそれほど多くはありません。ユーザーの左端に添って歩き、角を教える。段差の前で止まる。障害物を避ける。特定の物(エレベーター、券売機、ドアなど)を教えます。目的地へは、ユーザーの頭に地図がなければ着くことができません。」また、盲導犬になるための素質(寝ることが好き、従順、臆病でないこと、気持ちが声に出ないこと)を持った犬を訓練しますし、家でお留守番をさせられているペットと違い、いつも大好きなユーザーと一緒にいられます。ハーネスを外されると普通の犬と同じという事がわかり、充分に幸せなハッピー犬なんだなぁーと思いました。
ハーネスを握り、バランスと一緒に歩くことができました。目が見えていた頃、いつも早足で歩いていた私、風を感じて歩いていた私、十数年ぶりに一人で歩いていた頃の私を思い出させてくれたバランス、ありがとう。ハーネスをはずされて仰向けになって撫でさせてくれたバランスの毛並みの感触が忘れられません。いつまでも、ハッピー犬でいてね。
貴重な体験をさせてくださった活動部会の皆さん、ありがとうございました。
盲導犬協会を見学して
活動部会 小林 田鶴子
16年12月に入って間もなくの暖かい一日、横浜にある「盲導犬協会」を見学させて頂きました。部員・江視障の広報部の方、総勢11名が参加しました。
東横線綱島駅からバスで15分という、環境はとても良いが少し不便な場所でしたが畑の残るとてものどかな所にありました。
午後1時、係の方の案内で館内を紹介くださり、盲導犬訓練生が勉強する場であることも解りました。
本館2階の訓練場に案内されいよいよ盲導犬活躍の実体験です。
ハーネスを着けていないときの「わんちゃん」は元気に体育館のようなフロアを所狭しと走り回っていましたが、訓練士の一声でピタリと優しいお姉さん訓練士の脇に付き、ハーネスを着けてもらいます。
この「わんちゃん」はチョットお茶目で家庭の盲導犬としては、不向きなのでデモンストレーション用としてここで人気を博しているとのことでした。
それぞれの犬の性格をよくとらえて、適材適所はここにもあるんだなーと感心させられました。
さあ!これから“お仕事”です。アイネットの編集者として参加していた、成田さんと、田名後さんにも体験の順番がまわってきました。
簡単な障害物を所々に配し、怪我のない程度にぶつかり、盲導犬がいかに上手に案内するか、また視覚障害の方がいかに命令ができるか、その度に良くできたら褒めてあげることも大切な操作法だということがわかりました。
「わんちゃん」との信頼関係がとても大切、というのは人間関係にも当てはまるなと思いながら、一人でも多くの方が盲導犬を活用し、自分の出たいとき、好きな時間に外出できることを願って止みません。
センターの方のお話では、静岡県富士宮市に障害者の総合訓練所が出来ると言うことです。どんなに素晴らしいのができるのか、乞うご期待!ですね。
募集しているボランティア情報を二つばかり…。
・パピーウォーカー=生後2ヶ月から約10ヶ月間、家庭の一員として愛情に包まれ過ごすことによって、人間を深く信用する犬に成長します。
・役目を終えた盲導犬=高齢になり大切な役目を終えたほとんどの犬は、パピーウォーカーとして過ごした家庭に戻りますが、かなわない場合もあります。そのとき手を差し伸べて最後までお世話をくださる方。
3月31日、グリーンパレスにおいて、当会の盲人卓球サークルにて江戸川区立松江第二小学校の生徒さんたちとの交流会がありました。
タッチ・ミー・アートと言う広瀬先生が考案された、画用紙の絵の上に紙粘土・フェルト・綿などを使い、自分たちそれぞれの夢を描いた作品を持ってきてくれました。
おいしそうなお寿司や洋服屋さん・猫がブロック塀の上でお昼寝をしている所、そして宇宙を描いた作品が数多くみられ、とても工夫されていてリアルに出来ているので、触った感じもわかりやすく個性あふれる作品ばかりでした。
その後は、私達会員と盲人卓球を楽しみました。初めてではなかったようで、お互いに楽しい交流が出来たようです。
点字情報マップを作り始めたのは、5年も前になります。製作を点訳グループに、依頼していましたが、全く新しいことなので、平井地区は出来上がりましたが、その後足踏み状態でした。マップ作りを中心にした、点訳グループを昨年立ち上げましたが、何十回となく作り直したため、足踏み状態は続いています。情報は、80パーセント以上が、目から入ると言われていますので、情報の少ない盲人の方へ、少しでも多くの情報を、届けたくて思いついた情報マップですが、お手本もない手探りの状態ですので、計画よりも1年以上遅れてしまいました。
また、点字を読めない方のため、スピーチオを入れる予定にしています。平井地区の改正版はできております。西葛西周辺は、7月末には、出来上がる予定です。その後は、江戸川区内の駅と、新小岩駅の駅前と駅構内10箇所を、先に作り、その後、各駅周辺にかかる予定にしています。また、マップを利用する方の駅から自宅までの個人マップを作り、町の中を一緒に歩きたく思っています。わからないことばかりですので、皆様にご協力をいただいて、より良いマップを作りたく、一同頑張りたいと思っております。
平成16年(2004年)4月より東京都指定の居宅介護支援事業者としての、ガイドヘルパー派遣業務を開始して早いもので1年が経過しました。
この間、視覚障害者の外出を支援し自立や社会参加がより一層進むよう、優しく・安心・安全をモットーに事業所の運営に当たって来ました。
お陰様で、登録居宅介護員(ガイドヘルパー)73名のご理解とご協力により、順調に業務を行っています。
また当センターに契約をしています視覚障害者は、7月1日現在77名です。
タワーホール3階の事務所には、吉川佐登美、木田橋知代、加賀美泰世、細根久子の4名の職員が利用者の電話に対応しながら、パソコンを使って事務処理に当たっています。
また、松本事務局長が毎週水曜日に非常勤ではありますが、事務所にて、業務の打ち合わせや、諸団体や区役所ほかの関係機関との連絡調整などに当たっています。
この他、江戸川区から受託しています「声の広報」「区議会便り」「みんな友だち」等のカセットテープのダビング発受作業を職員が手分けして行っています。
現在、障害者施策は支援費制度から、障害者自立支援法による新たな制度に変わろうとしています。
このような制度変革の流れに即対応できるよう情報の収集や、東京都や江戸川区の指導を仰ぎ適切な運営につとめたいと思います。
今後とも新たな情報をアイネット誌上に掲載し、視覚障害者の地域に於ける福祉増進に寄与出来ますよう努力する所存ですので、会員の皆さんのご協力をお願い致します。
間もなく梅雨に入ろうかという6月5・6日の両日、天気にも恵まれ猿ヶ京温泉と日光への徒歩訓練に行ってきました。今年はまさに徒歩訓練、よく歩きました。行き先は近く見学は多くで参加された皆さんも多いに満足されたことでしょう。吹割の滝や弥勒寺は階段や坂道が多く、帰ってから次の日は足が痛くてと皆さん言ってますが、とても良い旅行だったとの感想です。その楽しかった旅行記をお二人の方に書いて頂きました。お楽しみ下さい。
大野 文江
今年から江視協の旅行は船堀集合になり嬉しいです。来年も船堀集合でよろしくお願い致します。
バスの中では、お酒、ビール、ウーロン茶、コーヒー、ワイン、お菓子、おつまみと、最高に快適な旅行です。
最初の見学、酒造会社。おいしいお酒をご馳走になって、次は迦葉山(かしょうざん)弥勒寺(みろくじ)の見学、大きな天狗の下駄、猿ヶ京温泉に到着。
広いお部屋、目の前に赤谷湖の景色が綺麗です。私の旅の目的は散歩でお風呂は最後。早速、宿の人に道を教わり、赤谷湖へ出かけたけれど、道を間違え、歩けど歩けど湖畔に出ない。悔しい思いを残して、明日の朝また行くことにして、宿に戻りました。
夕食の宴会、豆腐懐石料理、囲炉裏を囲んでの民話、聞き入ってしまいました。餅つき、懐かしい杵の音、宿のお客さんがかわりばんこでペッタンペッタンついて楽しんでいました。キナコ餅にして皆さんと食べました。おいしかったです。
朝5時、赤谷湖の散歩出発、今度は宿の人にしっかりと道を教わり行きました。階段をたくさん降りて国道を渡り、無事赤谷湖の遊歩道に出ました。広い湖、行けども行けども反対側に行く道なし。歩くこと、1時間30分、冷たい空気、心地よい風の中、歩いて最高の気分になりました。私の旅の目的が達せられうれしいです。松岡さん、ありがとう。
朝食のバイキングでは昨夜の餅があんころ餅になって出ました。コンニャクの田楽、豆腐の田楽もみなおいしかったです。
二日目の見学場所、滝です。
吹割の滝…水の量が多かったので前に来た時より豪快な感じがしました。
湯滝…湯ノ湖から流れて来る滝。下から見上げると空から流れて来るように見えるのです。素晴らしいです。
次の見学場所、日光東照宮。私は今回で4回目です。説明して下さる方のお陰で見学は新しい発見がたくさんありました。昼食の栗おこわ、豆腐料理は見た目も良く大変おいしかったです。好奇心旺盛な私にとって今回の旅行は大変楽しく料理も満足するものでした。来年の旅行を今から楽しみにしています。
高橋 満子
6月5日から6日まで1泊2日で「猿ヶ京ホテルと日光東照宮見学の旅」に行ってきました。
私は、今回初めて猿ヶ京を訪れる事になりました。
1日目に行った迦葉山(かしょうざん)弥勒寺(みろくじ)は、とても古い昔ながらのひなびたどっしりとしたお寺でした。
宿では、囲炉裏を囲んで女将により猿ヶ京に伝わる民話を聞きながら、その場でつきたてのお餅も頂きとても楽しかったです。
次の日は吹割の滝に行きました。足元が悪く近くまでは行けませんでしたが、川の中に岩があり、その間を吹き上げるように川が流れていました。また滝に行くまでの道のりが新緑のトンネルを通って行くのでとても素敵でした。
次に見学した湯滝はとにかく豪快の一言に尽きます。白い水しぶきが上がって華厳の滝よりも素晴らしく感じました。
40年ぶりに訪れることになった日光東照宮では、以前入る機会のなかった大社の中の見学もしました。鳴龍の前では拍子木で鳴かせることも出来、その音色はまるで生きているような、鈴のような「キィーン」という音でした。
また見ざる、聞かざる、言わざるが有名ですが、実は全部で猿は8匹いてその中の3匹だけが有名になってしまったという話を初めて聞きびっくりしました。
今回の旅行は天気にも恵まれ森林浴もたくさん出来てとてもいい旅が出来ました。
今回の旅の目的は、一つ目、カジノが出来るウォーカーヒル・ホテルに泊まる事。二つ目、ペ・ヨンジュンの写真が飾ってある「ヨン様通り」に行ってみる事。三つ目、冬のソウルのイルミネーションを見る事。四つ目、あまり日本人が行った事のない「統一展望台」に行ってみる事。そして、12月の13日から15日まで3日間、今回で9回目となる冬の韓国へ行く事となりました。
夫、私、息子は午前便の飛行機で昼ごろにインチョン空港に到着しました。息子はソウルに留学していた時に友達が沢山出来ましたが、今回その友達に会うという事で、夫と連絡を取るため、空港で携帯電話を2つ借り、ホテルに向かいました。
何回かカジノに行った事があるホテルでしたが、泊まるのは初めてで、どういう部屋に案内されるかドキドキしながら手続をしました。思っていたよりとてもオシャレで素敵な部屋でした。真冬の北風に揺れる木立…。その下にキラキラと「漢江(ハンガン)」が光って見えました。
サービスでカクテルが頂けるということで、最上階のラウンジへカクテルを飲みに向かいました。12月のことで、ラウンジではお泊まりのお客様やご婦人方が静かに話をしていましたが、私達家族はその場に合わない雰囲気で、ワイワイ言いながらカクテルを飲み干し、また部屋に帰ってきました。そして息子の携帯電話が鳴り、友達からで、6時にソウル市内で会う事になったそうです。
少し時間がありましたので、日本の浅草みたいに賑やかな「インサドン」という通りへ立ち寄りました。ここは両側にお店がずっと並んで、道路の真中に屋台がある所です。ソウルに向かう途中、夕方で道路が込んでいたために、30分で行くところを1時間半ぐらいかかってしまい、3人ともトイレに行きたくなりました。韓国ではトイレは余り入りたくないという印象が強かったので、町中を探したところ、お金を払って入るという新しい形のトイレが出来ていました。夫に見て貰うと、10人ぐらい並んでいるとの事。でも、デパートまで行くにはかなり遠いので、待つことにしました。
やっとトイレを済ませて、「インサドン」の町中を3人でぶらついていると、息子が「ホットク」と言うとても珍しいお菓子を買ってきてくれました。そのお菓子は今川焼をペタンコにしたような大きめなもので、中にはシナモンと小豆、ハチミツが入っており、多めの油で揚げ焼きにしているそうで、とても美味しかったです。寒かったのでアツアツの「ホットク」を食べながら、歩いて待ち合わせの場所に向かいました。
息子の友達とはミョンドンという所で会う事になりました。彼はソウルの動物園に勤めフラミンゴの係りだそうです。私共の家も訪ねてくれましたが、なかなかの好青年です
。私達両親が行くということで、彼は「サムゲタン」という料理を御馳走してくれました。雛鳥のお腹の中にもち米・ナツメグ・薬草などを入れ煮込んだもので、一羽ごと鉄鍋で出てくるのにはビックリしましたが、軽く塩など振ると体が温まり、とても美味しく頂きました。そのお店には夫の好きな日本の「ドブロク」のようなお酒がおいていなかったので、日本では考えられませんが、友達が町で探して買ってきて下さり、4人で頂きました。美味しかったです。
その後、友達と別れ、二つ目の目的、「ヨン様通り」に向かいました。思っていた通り、日本人観光客がどこからともなくやって来て、小さな女の子とお母さん、お婆ちゃんが「ヨン様、ヨン様!」と騒ぎながら歩いていました。私は余り興味がなかったのですが、ロッテデパートの横に「ヨン様」の写真が幾つも張ってある通りがあり、ライトアップされ笑顔の素敵な「ヨン様」と写真を撮ってきました。
そして3つ目の目的、冬のソウルのイルミネーションを見に3人で向かいました。日本のイルミネーションは優しい感じですが、ソウルのは強烈な印象がします。グリーン・赤・黄色ときつい色のイルミネーションが多かったようです。イルミネーションはロッテホテル前に一番集中していて、そこは人通りも多く混雑していました。息子と別れ、夫と2人で地下道を通り歩いていると間違えた場所に出ましたが、思いもよらぬ綺麗なイルミネーション通りがありました。そこをずっと見ながら、息子との待ち合わせ場所へ向かいました。
私は11月からクリスマス迄の間が大好きです。イルミネーションを見ていると、一年中の嫌な事を全部忘れてしまう程です。特に韓国のイルミネーションは、強烈な色でとても綺麗だと息子から聞いていました。この年は病気で入院したりかなり参っていましたので、息子が見せに連れてきてくれました。イルミネーションを見ながら、3人でホテルに帰りました。ホテルの前にも素晴らしいイルミネーションが輝いていました。何とも言えない光の世界です。私が声をあげ「綺麗、綺麗!」と騒いだところ、ボーイさん達が来て、「綺麗ですか?よかったですね。」と声をかけて下さり、そこからなかなか立ち去れずに、川の方へ行ったり庭に出て光を楽しみました。
そして、部屋に戻り、待ちに待ったカジノに行く用意をしました。カジノは、一応は使うお金を決めていましたが、今回はいつでも出来ると思っていたため気が楽になり、勝とうなどという気持ちは余り無く、雰囲気を楽しみに来たようなものです。最初のうちは出ていましたが、夢中になって結構呑まれてしまいました。一旦引き上げて部屋へ向かう事となりました。ロビーでご婦人達がキャーキャー言っていましたのでそちらの方へ行くと、ペ・ヨンジュンのグッズが沢山売っていました。日本でも有るような物ばかりなので買うのをやめ、そこのホテルのパンが美味しいということで、夜食に買い求め、部屋に戻って来ました。
朝を迎え、もう1つの目的、「統一展望台」へと向かいました。ソウル市内のシンチョン駅から、国鉄の汽車でクムチョンまで行く事となりました。この国鉄は韓国と北朝鮮を結んでいるそうです。今は北朝鮮へは行けないので、途中で切れてしまっているみたいです。汽車が来るまで時間があったので、トイレなど入って待っていましたが、流す所が分からず出たり入ったりしていると、幼稚園の子供達を迎えに来ていた若いお母さん達が何人かでおしゃべりをしていました。どこの国でも同じですね。私が困っているのを見て、2人の若いお母さんがトイレの中に入ってきて手を洗う所など案内して下さいました。本当に有難うございました。
1時間半ぐらいローカル線に乗り、クムチョン駅に到着しました。この鉄道の駅は面白いものでした。日本人が作ったと言われていますが、ホームと線路の間がとても低く、境目があまり分からないホームでした。日本人があまり来ない所なので、私達が駅に降り立ちうろちょろしていたら、何故か人の目が見ているような気がしましたが、構わずに駅前の汚い韓国料理店に入りました。本当に日本人はあまり来ない町みたいで、そのお店のオバサンもジロジロ見ながら近寄って、「何を食べるのか?」と聞いたので、私は「石焼ビビンバ」、夫と息子は何やら頼んでいたようです。後ろで5〜6人の韓国人のオジサン達が、お酒を飲みながらジロジロ見ていました。慣れてきて気にせずに、そこでゆっくりと食事を取りました。かなり美味しかったです。
クムチョン駅から「統一展望台」まで15分ぐらいとのこと。タクシーで展望台のある山の麓まで行きましたが、その先は一般車両は入れないそうで、あとは送迎バスで向かいました。「統一展望台」は韓国と北朝鮮が、川を挟んで間近で見られる所です。建物が大きくエレベーターなどが無いため、階段で見て回りました。北朝鮮の食べ物や金日成の肖像画、小学校の模様などが展示してありました。
韓国の若い軍人さん達が見学に来て、金日成の肖像画の前で笑いながら写真を撮っている光景など目の当たりにして驚きました。私が白い杖で階段を降り始めたら、若い軍人さん達が右側に寄って、私が降りるのをニコニコしながら待っていてくれたので、「カムサハムニダ」と頭を下げると、彼らは手を振って見送ってくれました。ちょっといい気分になり、「統一展望台」で、韓国と北朝鮮で別れて暮らす悲しい家族の事など忘れた自分が恥ずかしくなりました。
お正月ともなると、韓国から人々がこの「統一展望台」に集まり、北に向かって食べ物を供え、泣いたり、話し掛けたりする光景が見られるそうです。悲しいですね。
見学を終わりバスに乗り込もうとしたら、バスの中は一杯でまた先程の軍人さん達に会いました。彼らは「席を譲ってくださる」と言いましたが、私達は次のバスにしました。山の麓でバスを降り、そこの管理人さんにタクシーを呼んで貰いクムチョン駅に行き、そこからまた国鉄の汽車でソウル駅に向かいました。ソウル駅は何回か来ましたが、ちょっと薄暗く、夕方だったので人がとても多く、ホームレスと駅員さんが衝突したという傷痕が残っていました。そしてソウル駅からタクシーでホテルに向かいました。
今回の旅は、イルミネーションを見たり、「ヨン様通り」を歩いたり、あまり日本人が行かなかった「統一展望台」に行ったり、憧れのホテルに泊まったりして、楽しかったです。
夕方の最終便で日本へ帰る予定でしたので、ホテルに荷物を預け、タクシーで15分程のロッテ・ワールドに向かいました。ロッテ・ワールドは大きな街がその中にあるような感じで、スケート場や遊園地・ホテル・デパートなど色々な施設があり、時間まで十分楽しむ事が出来ました。まだ夕方にはならず、かなりの数のイルミネーションが木やホテルの周りについていましたが、火が灯るまで見ることが出来ず帰って来ました。ホテルで荷物を受け取り、空港に向かいました。今回は割と充実した冬のソウルへの旅でした。
最後に、韓国語で「おはようございます、こんにちは、こんばんは」は「アンニンハセヨ」、「有難うございました」は「カムサハムニダ」です。私は「カムサハムニダ」が大好きで、どこでも使っていたら、デパートの店員さんや運転手さんに「韓国語がお上手ですね」と言われ嬉しくなりました。
─2004年アテネパラリンピック盲人マラソン応援ツアーに参加して ─
和田 彰
平成16年9月24日(午後11時30分アテネ空港着)
我々一行6名(佐藤・小澤・福田2名・和田2名)は、JBMA応援ツアーで成田〜パリで乗り換えてアテネに着いた。それは、フライト時間は成田〜パリ11時間、乗り換え待ち時間4時間10分、パリ〜アテネ間3時間20分、合計18時間30分という長旅だった。時差が6時間なので慌ただしい旅だ。ガイドの木本さんに連れられてパークホテルに直行した。
9月25日(アテネ市内観光とマラソンコースの下見)
ホテルでの朝食はパン・ハム、そしてサーモンがとてもうまい。朝9時に我々はバスに乗り出発した。ギリシャの人口は約1,100万人、内アテネ市で約500万人、宗教はギリシャ正教で、通貨はユーロ、観光業が主でオリーブと綿を産出し、岩山が多く、石灰岩と大理石が多く取れる。アテネ市は丘陵地帯で丘に囲まれ、道もアップダウンが多いところだ
。
市内名所はアカデミーの入口にギリシャの哲学者プラトンとソクラテスの像が立っている。アテネ大学と国立図書館、やがて国会議事堂と無名戦士の碑があり、そこでは直立不動の衛兵が2名立っている。大統領官邸も同じく衛兵が立っている。
その他では教会と古代〜中世にかけてのものを展示している博物館が数多い。バスはアクロポリスと言われる丘へ行く。頂上は標高156mでそこは大理石の道と階段が続く。各国から多くの人達が来ている。陽ざしは強いが風がゆるやかに吹き空気が乾燥しているので、とても気持ちが良い。そこからはパルテノン神殿が見え、大理石の柱が2000年以上の時間を超えて立っている。坂道を下りてくると石の彫刻品が置かれ大きな岩が10センチもずれて積み重なっているのには驚いた。まさしくここは石の文化である。
ボリューム一杯の昼食を終えてマラソンコース下見にバスは走って行く。コースはカーブが多くアップダウンも激しくなってきた。標高差が200mもあると言う。困難なコースだと実感した。
9月26日(マラソン応援と表彰式)
朝6時30分、ホテルを出てマラソンコース5キロ地点へバスで行く。そこは一般の車は制限されていて我々の車だけ通してくれた。警備の警官が100m間隔で立っている。白杖を見て親切に対応してくれた。警官に盲人マラソンのことを聞くと「私は彼らを可哀想と思わない、しかし立派だ」という返事が聞かされた。8時スタートである。
走る道の方へ移動しランナーが走って来る事を期待して待っている。最初に先導車が見え、車椅子がスピードを上げて通過する。単独走者も走って来る。それから伴走者と共に盲人選手が走って来た。「ガンバレ、ガンバレ」「ブラボー、ブラボー」「グレート、グレート」大声を上げて応援した。しかし、あっという間に通り過ぎていった。時間は8時17分だった。
我々は近くのスーパーで珍しい果物や野菜を見、ブドウ・ザクロ・ミネラルウォーターと樽酒の生ワインを買った。ここからスタート地点で写真を撮るべく向かい、車を降りてスタート地点まで往復400m程走った。その坂道は今走ったばかりのコースと思うと心は選手のようにはずんだ。それから近道を通って険しい道を下りオリーブの木や山羊の牧場、マラソン湖のほとりを通り市内へと向かった。
ゴール地点となる古代オリンピック競技場周辺は交通制限されていたが、我々の車は近くまで進ませてくれた。中に入るには荷物検査があったが、それも白杖を見て優先的にしてくれ入場することが出来た。観覧席は大理石である。日本から個々の応援ツアーの人たちも来ている。
10時を過ぎていた。車椅子は入ってくる。観覧席は応援の声で一杯だ。疲れ切った車椅子は中々進まない。元気を出して走って来る人、追い越そうとしてラストスパートを出す人、抜かれまいとして頑張るランナー、そこは「ガンバレ、ガンバレ」「ブラボー、ブラボー」の声である。やがて高橋選手が走って来た。この時は最高の応援であった。他のランナーが猛然として差を詰めてくる。ゴール前1m位で抜かれた。「ああ抜かれた」という声が聞こえ一瞬残念に思ったが、掲示板には高橋選手が1位となって出て来た。抜いたのは弱視のクラスの選手であった。時間は2時間44分24秒。(ああ、やった。)期待通りのタイムでゴールインした。
続いて福原、福留、保科の各選手がゴールインしていった。各選手は持てる力を充分に発揮した。満足感と惜しみない拍手で我々はそこに立っていた。応援に来てよかったという感動で一杯になった。
夕方5時から表彰式が近代オリンピック競技場で行われるので、我々はそこへ行った。5時7分に君が代が聞こえて来た。もう高橋選手の表彰式が終わったのかと不安に思ったが、佐藤さんが入場券を買ってきてくれたので、とにかく入ってみましょうということで、人波を押し分け観覧席へ向かった。我々は幸運でした。それはまもなくユウジ・タカハシという声が聞こえ目の前の表彰台に高橋選手と二人の伴走者が立った。君が代が聞こえ我々も歌を歌ってアテネの地で日本の歌を歌う感動を覚えた。満場一杯の拍手である。時計は午後5時20分を指していた。各選手はこの日のために充分な練習を積み努力の成果を感激しているに違いない。我々は人生の最高の瞬間を共有することが出来た。
9月27日(エーゲ海クルーズ(3島巡り))
午前10時40分、船はハレオファリオの港を出た。あこがれのエーゲ海である。空は青く澄みとおり、ほのかな風は頬を優しくなでていく。デッキでは欧米人は身体にオイルを塗り椅子で眠って日光浴を楽しむ。波は立たず船は揺れることがない。この静かな海でクルージングを楽しむ人が多いのだとわかった。船のアナウンスは8カ国語が入り交じり流れる。最初の島、エギナ島に着く。1時間上陸し、急な階段を登り島の景色を楽しむ。帰船してからランチタイムで船が動いていることに気がつかない。船内をめぐり歩く。3人の演奏と歌を歌っている船室があった。中に入り歌を楽しむ。
二つ目の島、ポロス島に上陸、土産物を見て回る。ギリシャ刺繍の美しいのが目についた。日本語の上手な店主でたくさん買うことになってしまった。日本の観光客が多いことがわかる。船に戻ると音楽室に通され日本人と中国人が集まった。日本の歌と中国の歌が流れ3人のダンサーが踊って楽しませてくれた。ギリシャの酒もオーナーのプレゼントと言ってサービスしてくれた。
3番目の島、イドラ島。ここは2時間の上陸時間なので欧米人は海辺に行き海水浴と日光浴を楽しんでいる。佐藤さん、小沢さんも水着を着て海水浴をしている。航行する船からは海の色がコバルトブルーからエメラルドグリーン、そして夕方には黒くなる。色の変化が素晴らしい。
9月28日(アクロポリス、リカベストの丘登りと閉会式)
我々6名は地下鉄に乗りアクロポリスの裏側から登る道を歩いた。途中、八角形の石堂の上に3人の石像が乗っている。小高い丘を越え城壁のある所を歩きアクロポリスの頂上へと登っていくと多くの外国語が聞こえ来る。アクロポリスの頂上で水泳の金メダリストの成田さんと会い記念写真を撮る。成田さんの笑い声は自信と誇りに満ちて空気を通して伝わって来る。ここを下り大理石の山道を滑りながら下り町中へ向かう。地下鉄に乗り無名戦士の碑の衛兵の交替式に間に合うべく急ぐ。
衛兵は1時間交替で立つ。鳩を抱いた子供達が衛兵と並んで写真を撮る。とても可愛い。11時になると衛兵の交替式に多くの人が集まってきた。交替式は号令をかけ独特の歩き方で赤い靴の先に付いている黒いボンボリが面白い。そして町中はおとなしい犬が多い。アテネ市内を一望できるリカベストの丘へケーブルカーで登る。すぐ頂上に着いた。ギリシャ人はみな美男美女が多い。彫りの深い顔である。丘の上の眺めは森を通して我々の泊まっているホテルが眼下に見えた。そして閉会式に間に合うべく帰途についた。
閉会式は近代オリンピック競技場で午後8時より黙祷によって始められた。これはアテネパラリンピックに応援に来る途中、交通事故で7名の高校生が亡くなったからである。晴れやかな音楽やデモンストレーションもなく、選手入場も満場の観衆の手拍子で始まり、静かながら厳粛な閉会式となった。弔意を表す半旗に掲げたパラリンピックの旗を下し、アテネから北京へと渡された。そして聖火がカウントダウンと共にだんだん小さくなり消えた。この瞬間においてアテネパラリンピックの幕が下ろされたのだ。満場の拍手が天空に轟いた。多くの感動と感激を残したパラリンピックであった。
9月29日(アテネ観光最後の日)
午前中、買い物と市内見物に行く。ガイドの木本さんが別れを惜しみつつ搭乗手続きをしてくれた。午後7時10分、離陸しパリへ向かう。
9月30日(帰国)
パリ空港で乗り継ぎ飛行機は成田へ向かう。美しくそして楽しい思い出と共に成田空港に着いたのが日本時間午後5時、全員無事で帰国した。アテネパラリンピック応援ツアーが終わった。 (JBMA日本盲人マラソン協会 東京支部長)
韓国行きの機が水平飛行に移るや、それまで飲み続けていたビールを金浦空港までとても持ちこたえられない生理状況を同行者に伝えると、彼は「せっかくソウルの福祉設備検証に行くのだから、大韓航空の機内サービスぶりも体験してみては」とコールボタンを押した。
やってきたスチュワーデスにトイレを告げて白杖を示すと、私の頭上はるか上空から「OK」の声がふってきた。切迫していた私は席から立ち上がるなり日本でいつもしているようにサポーターの肩へ手をのせるつもりで肘を伸ばしたとたん、私の手の平に余る彼女のボインをまともにカバーしてしまった。
思わぬ直撃を受けた彼女は「オー」と言ったものの、狭い通路では身をかわす事も出来ない。彼女は私の手の平をいとおしむかのようにそっと胸からはずすと、「あんよは上手」式の後ずさり誘導をしようとした時のその彼女の手の角度で、彼女の背丈が170センチ以上らしいのを知った。
彼女に向こうを向いて進み、その背中にタッチさせてと頼んだ。静かな機内通路両側に並ぶ座席の男性客達の羨望に満ちた視線をヒシヒシと感じながら「どうだ、これは盲人が故のせめてもの役得だぞ」と心で叫んだものである。
用をすませてアコーディオンドアを開けたら「こうするんでしょ」というように彼女の広くて優しそうな背中の壁に突き当たった。
席へ戻りながら私は常に何冊か携帯している「盲人の手引きガイド」を彼女に手渡すのを忘れなかった。
平成11年の暮れ日本リハビリテーション協会が厚生労働省の後援によりデイジー録音図書をボランティアの手によって制作する事業を始めました。
全国の主要都市を中心に順次講習会が開かれ、東京で開催された時にいち早く江戸川の音訳グループからも参加、講習修了者7名で「デイジー江戸川」をボランティアグループとして設立しました。
江視協会員の皆様には既にご存知のデイジー録音図書ですが、アイネットをご愛読の皆様の中には初めて耳にされる方も多い事と思います。
視覚に障害のある方や、高齢のために活字を読まれるのが苦痛な方が利用されるものに、録音図書が有る事はご承知と思います。その多くはカセットテープに録音されていますが、MDやCDに録音された物もあります。
これらの録音図書は洗練された朗読者や音訳者によって読まれていますのでとても聴きやすく作られているのですが、本のページ数が多いほどにテープなどの本数も多くなりますし、聞きたいところや、調べたいところを探すのは大変です。
こうした不便さを解消する方法として、パソコンを使って編集をしてCDに変換「本のページを開くように、聞きたいところをボタンの操作で頭出しが出来る」録音図書が考え出されました。それがデイジー録音図書なのです。
この図書を聴くには専用の再生機が必要ですが、1枚のCDに50時間程度の長時間録音が可能ですから、専門書や法律書などは別として一般的な本などは1枚のCDに楽に収まります。
現在デイジー江戸川は35名の仲間で、年間約100タイトルのデイジー録音図書を制作できるまでになりました。江視協会員の方のご要望にお応えする事はもとより、点字図書館を始め公共施設からのご依頼に応じられるよう会員を増やす努力を重ねて参りました。これからもその様に有りたいと考えています。今後の指標として障害のある方々のニーズ変化に合わせてマルチメディアなデイジー録音図書制作を心がけている私達です。
◎ 韓国風チヂミ(パジョン 韓国ではパジョンのほうが通じるそうです)
材料(4人分)小麦粉1カップ 上新粉(またはモチ粉)1カップ
水2カップぐらい(粉類と同量、硬さは好みで) 卵1個
あさりのむきみ・むきえび(桜海老でも)・いか等各50〜100g
ニラ2把 玉ねぎ半個 ゴマ油(焼くための油)適宜
付けタレ(しょう油大さじ3 酢小さじ1 すりゴマ少々、
好みで粉唐辛子、コチジャン、にんにくなどを加える。)
作り方(1)ニラは3センチぐらい、玉ねぎは薄いくし切りにする。
(2)小麦粉と上新粉を混ぜ、卵を溶いた水を加えて
ダマにならないようによく溶く。好みの具を入れて混ぜる。
(3)フライパンかホットプレートにゴマ油を入れて熱し、種を流しいれ
薄く延ばし焦げ目がついたら火力を弱めて焼き
周囲が乾いてきたら裏返して焼く。
(4)タレの調味料を混ぜる。
◎ 炊飯器で作る豆腐のチーズケーキ(5合炊き炊飯器を使用)
材料 クリームチーズ200g 絹ごし豆腐100g
卵2個 黒酢(バルサミコ酢やレモン汁でもよい)大さじ1?
砂糖70g ブランデー小さじ1 片栗粉小さじ4
作り方(1)豆腐はにがりくささを取るために、塩(分量外)少々を入れた湯に入れ
弱火で2分ほど茹でる。ザルに上げて、水気を軽く切る。
(2)全ての材料をミキサーに入れて、混ぜる。
ミキサーが無い場合は、ボールに入れて、トロトロになるまで手で混ぜる。
(3)内釜に、2を移して、スイッチオン。
(4)炊き上がったら底が上になるようにひっくり返して皿に移す。
炊き上がっても、まだ固まっていなければ、保温にして固まるまで待つ。
生クリームの代わりに豆腐を使うのでヘルシーで超低カロリーです。
◎ みそ汁上手
味噌計量器「みそ汁上手」は、味噌汁の量に応じた分量の味噌を取りだせる計量器です。本体はスリムな泡立て器のような形状で握り部分に味噌汁の湯の量のメモリ(お椀1杯〜4杯)とスライド式のボタンが付いています。使い方は、まずこのスライド式のボタンを作りたい量のメモリに合わせます。そして味噌が入った容器に差し込み、本体を60度以上回してから引き抜くと、計量された味噌が取り出せます。
大きさ : 直径3.8cm×全長23.4cm
価格 : 1,575円
(送料負担で取り寄せ可能)
お問い合わせ : 川嶋工業(株) 0575-22-5511
◎ 紙幣・硬貨見分け板
2004年発行の紙幣(千円、五千円、一万円)及び、二千円札を、紙幣の長さの違いを利用して識別するための紙幣見分け板。紙幣の長さに合わせて、見分け板の一方の辺には4つの段差が設置されており、それぞれ、1、2、5、10と点字が表示されています。また、4つの細長い四角い窓は硬貨を見分けるための穴で、矢印の方向から硬貨を挿入していくと、穴に入った位置で硬貨を識別できます。
さらにサインガイドとして、3種類の大きさのサイン用枠があります。枠の大きさは大 6.5×1.3cm、 中 5.5×1.0cm、 小 5.0×0.8pです。
価格 : 120円(税込)
お問い合わせ : 日本点字図書館 用具事業課 03-3209-0751
◎ 勝手にカビ取り
貼るだけでカビを抑制「勝手にカビ取り」は、浴室に貼るだけでカビの繁殖を抑える商品です。商品の原料にも使われているパラクロロメタキシレノールが自然に気化し、カビ・菌の繁殖やぬめり、悪臭を抑えます。効果は約半年間。
価格 : 1,290円
(送料負担で取り寄せ可能)
お問い合わせ : アーネスト 0256-64-2525
◎ 手まわし充電たまご
「手まわし充電たまごゴールド(FOMA対応)MG-120」は、災害などの非常時やアウトドア・キャンプなどで役立つ、乾電池不要の自家発電式充電ラジオ。AM、FMラジオと、高輝度LED照明ランプ、非常用サイレンを備えています。本体裏側のハンドルを手で回せば発電され、内蔵のニッケル水素電池に充電されます。1分間に120回まわすと、ラジオなら約60分聴け、ライトは30分、サイレンは5分間使用できます。さらに、付属の接続コードの使用により、携帯電話に充電ができます。1分間120回転の充電で、待ち受け約90分、通話約3分可能。
大きさ : 幅117mm × 奥行65mm × 高さ81mm
重量 : 260g
価格 : 6,000円ぐらい(量販店など)
お問い合わせ : 株式会社太知 03-5846-7211
選評:松原信孝先生
<神田香子>
原作 春がきた好きな春でも出られないやさしガイドに腕組みながら
添削 春がきて嬉しいけれど出られないやさしいガイドと腕組み歩く
(評) 春がきたことへ作者の喜びが、一首の中に溢れていてよい作品と思う。 「出られないやさしいガイド」と纏めると、なお、良い作品になるでしょう。
<和田 彰>
原作 美しき声の音訳聞きおれば見たしと思う声の恋人
添削 美しき声の音訳よ聞きおれば声の恋人に逢いたしと思う
(評) 作者は音訳者の声が天使の声のように聞こえたのだろう。「声の恋人」は最大級の賛辞と理解すると、作者の思いのすべてが表現されているように思えるのではないだろうか。
原作 空青く桜満開春うらら白杖歩む風吹くままに
添削 空あおく桜さかりて春うらら白杖にて歩む風吹くままに
(評) 桜が満開であるという、春うららの道を風に吹かれながら、白杖を持って歩まれている作者の姿が、髣髴としてくる作品である。空の青い中を歩くという設定の詩性がよく表白されていて味わい深い。
<岡畠信子>
原作 韓国はどこにいっても日本人ポラリスつけてヨン様通り
添削 韓国のいずこにも日本人のおりポラリスつけてヨン様通りに
(評) 韓国旅行の随感の作品と思いますが、何処にも日本人が一杯いたというのが、この作品の中でわかり、心惹かれています。「ポラリス」が何であるかがわかると一層よい一首になると思いました。
<成田貴美代>
原作 貸しボート水面漕ぎ行く母子連れのどかな春の左近川堤
添削 左近川の水面をボート漕ぎ行けるのどかな春に親子連れあり
(評) 初句の「貸しボート」という表現は少し粗いように思えますので、この作品の上句のところは「左近川の」としてから、「水面をボート漕ぎ行ける」としますことで、のどかな春の風情が描けると思いました。よいでしょう。
<工藤博史>
原作 薫風に誘われて行く深大寺木漏れ日の下連れ添い歩く
添削 薫風に誘われて来し深大寺木洩れ日の道を連れ添い歩く
(評) 深大寺を散策されている作者の爽やかな気持ちが、下句に置かれた「木洩れ日の道を連れ添い歩く」という表現で、十全に歌われていると思った。
<宮地昭雄>
原作 山里に故郷の廃家さながらの夏草の中墓標を掃きぬ
添削 山里に故郷の廃家さながらの夏草覆う墓標を掃きぬ
(評) 上句で「故郷の廃家」と表現されながら、三句目で「さながらの」としているのは巧みである。原作の「夏草の中」というのは「夏草覆う」としました方が、内容が豊かになり優れて作品になると思っている。
<小野塚耕吉>
原作 さつ木咲く夜半の街に雨降りて空気の旨さ思い起こせり
添削 皐月咲く夜ふけの街に雨降りて空気の旨さ思い起こせり
(評) 原作の上句が少し平易に扱われているように思いますので、ここのところは「皐月咲く夜ふけ」という表現にされてもよいかと思いました。このようにすることで下句がよくなるとも思っています。
<伊藤 茂>
原作 朝の風若葉香りて清々し生命の息吹心身巡る
添削 若葉吹く風のかおれる朝すがし生命の息吹が心身めぐる
(評) 葉が薫っていてすがすがしいと表現され、「心身巡る」と結句を纏めていますが内容をあまりにも簡潔にしていますので、二句と三句のところを「風のかおれる朝すがし」としますとよいでしょう。
原作 突然に命奪われいと悔し哀しみ残し霊魂何処
添削 突然に命奪われし悔やしさよ哀しみ残しし霊魂はいずこ
(評) 作品的に言葉の持つ詩的な力を考えられるとよく、「いと悔し」という三句目のところは、「悔やしさよ」とゆったりとした詩韻の中に、作者の思いを詠み込まれるとよいのではと思いました。いかがですか。
<福岡明夫>
原作 出迎えの母が一人の無人駅汽車見送ればかわず鳴き沸く
添削 無人駅に出迎えの母一人なり汽車見送ればかわず鳴きたり
(評) 原作の上句「出迎えの母が」と言いますのは、生硬な歌語の扱いになっていますので、ここのところは「無人駅に出迎えの母一人なり」としますとよいかと思いました。このようにすることで、作者の心情がよく理解できるでしょう。
原作 秋の日の香りと共に抱え込むオムツの山も小さくなりき
添削 秋の日の香も包み込みこの頃はオムツの山も小さくなりぬ
(評) 「共に抱え込む」と言いますのが、少し歌い過ぎているように思いますので、この二句目は「香も包み込み」として、「オムツの山も小さくなりぬ」としますとよいかと思いました。素直な表現になり純朴な気持ちが表白できるとも思っています。
(順不同)
読者の皆様、「アイネット第11号」は、いかがでしたか?これから、梅雨が終わり、いよいよ本格的な夏の到来…。軒先の江戸風鈴の音色にうちわの風がにあう季節でもあります。皆様、体調管理には、くれぐれも留意し、「夏バテ」知らずで、この夏を元気に乗り越えましょう!
11月には「アイネット第12号」の発行を予定しています。編集部では、会員の皆様の随筆・随想や紀行文・短歌などの原稿を募集しています。本号の内容について、ご意見なども是非お寄せ下さい。心よりお待ちしております。
(I)
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