本会では、平成12年度定期総会に於いて、新たに情報紙を発行することが承認され、5月10日(水)に初会合がもたれました。そして第2・4週の水曜日に編集委員会を開き、編集作業にとりかかることになりました。区内の視覚障害者向けの情報提供については、昨年4月より、まず区民ホール・障害者協議室発受の、声の広報テープ版の発行(年間36回)が始まり、続いて去る5月1日より声の区議会便り(年4回)の発行作業がスタートしました。
7月には「区暮らしの便利帳」のテープ版が発行されます。これらテープ版の発受により、江戸川区の視覚障害者は希望すれば、公的情報を手に入れることが可能になりました。視覚障害者の情報の伝達手段は、この他点字・拡大文字等がありますが、まだまだカセットテープが現在でも主流となっています。
一方活字版について、全国・東京都段階では、愛盲時報や点字JBニュース・点字東京等が発行されていますが、まだまだ少ないのが現状です。そこで地域に根ざした、新たな情報手段としての情報紙の発行が必要となってきたことは自然の流れでもあります。併せ、本会の活動記録として、保存活用できることも一つのメリットと思われます。
このところの視覚障害者向け情報機器の普及は、目覚ましいものがあります。平成8年より江戸川区盲人福祉協会に於いても「ワープロパソコン講習会」を毎年開講し、本会会員の中に、これらの機器を操作、文書作成を行える人も多くなりました。編集委員会はこれらの方々とサポートボランティアによって始動させることになります。
この情報紙は、春と秋の年2回発行することとし、編集作業が軌道に乗れば、徐々に発行回数を増やしていければと考えています。当面は、本会の行事の紹介・会員の皆様の投稿や、日刊紙・雑誌等から、視覚障害者関連記事を切り抜きでまとめ、何とか継続発行が出来ますよう、関係者の皆様のご支援・ご協力をお願いする次第です。
人は、亡くなった後でその人の値打ちがわかるものだというが、私だけでなく藤田悟郎さんを知る多くの人達がそれを感じていると思う。昭和30年代、まだまだカラオケも何もない頃に我々仲間は、よく集まっては彼のギターを中心に歌やハーモニカで楽しませてもらったものである。明るくて座持ちがよくて、ジョークなども適当に交えて、先ず旅行やパーティーには、なくてはならない人、得難い存在であった。こういってしまうと彼は、娯楽や遊びだけの人と受け取られてしまうが、そればかりではない。視覚障害者として社会人としての見識や自覚も兼ね備えていたように思う。
それが証拠に、江戸川盲協が一番苦しく四面楚歌の状況であった時に会長を引き受け後継者に渡すまでやり遂げたし、言語障害者へのボランティア活動にいたっては、亡くなる一週間前までやりぬくという、小さい体にも似合わぬ、超人的な頑張りを見せたのである。息を引き取ったあと、担当医の説明では、この人は我慢強くて、当然苦しいと思わわる時でも、大丈夫ですと言っていたという。もう少し自分の体を大事にしていてくれたらなあと悔やまれる。
私はこの頃、実感を持ってある言葉を思い出す。それは生者必滅、会者定離というのである。まったく偶然ではあるが、私には藤田悟郎さんの他に、もう1人藤田君という親友がいた。彼とは9才から18才まで9年間の付き合いであった。藤田悟郎さんのそれに比べると五分の一にも満たない短期間での付き合いであったが、少年期から青年期にかけて身心ともに、変化の多い時期でもあり、単調な日々ではなかったので、長い年月のように感じられた。
そこは新潟から日本海を隔てて北朝鮮の清津という港町である。昭和30年代、在日の北朝鮮の人達が祖国の再建を誓って、新潟港から北朝鮮に向かい上陸したのが、清津の港であったし、また2〜3年前に、日本海に浮かぶ不審な船を自衛鑑が追跡したところ、清津港の方角に逃走したというニュースを聞いたとき、郷愁にも似た懐かしさを感じたものである。昭和20年終戦の年の3月、その藤田君が別れに際して私に書き送った言葉が、生者必滅、会者定離であった。それをどこで覚えたのか、知ってはいたが、一瞬何と古めかしい、若者らしくない言葉を送ってくれたものだと思った。会者定離は、別れるのだからいいにしても、すぐ死ぬわけでもないのになあと思った。しかし、彼は軍隊の学校にいくのだから、決死の覚悟でそんな言葉を送ってくれたのかもしれない。
私はその頃すでに、夜盲の症状が出ていたので軍隊へは行けないと思っていたし、当時、日本国内よりも安全と思われていた満州へ行く事になっていたので、その言葉を切実に受けとめる事が出来なかった。人の気持ちは同じ言葉を聞いても、その時と状況によっては、ずいぶん違うものである。かけがえのない友を失った今、55年前の「生者必滅」を思いだし、藤田悟郎さんにまた我が身にもなぞらえてしみじみ感じているこの頃である。
障害者のバリアフリーを考える
江戸川区に居住したり、勤務先のある視覚障害者が、安心して目的地に向かうには、安全歩行について様々な問題を抱えています。 その一つの問題は、道路上にある危険物や駅前などに放置されている自転車等であり、私達を含め、区民の一人一人が、自らの問題として受けとめ行動すれば、危険度は最小限防ぐことが出来ます。
昨今、バリアフリーと言われ障害者の安全歩行について国民の感心が高まってきたことは大変嬉しいことです。とりわけ視覚障害者の社会参加を一層前進させるためには、点字誘導ブロックや音声誘導装置(メロガイド)の危険個所への設置を働きかける必要があります。これについては、日盲連・都盲協を通じて、東京都や関係機関に要望しており、江戸川区盲人福祉協会でも、会員の意見をまとめ、毎年8月に江戸川区土木部と懇談会を開いたり、区内の危険個所のフィールドワークを行い、視覚障害者の安全歩行の確保に力を注いで来ました。
本年5月の国会で、交通バリアフリー法(高齢者・身体障害者の公共交通機関を利用した移動円滑化促進法)が成立し、電車・バス等公共交通機関利用等、障害者の安全歩行の確保がいよいよ国のレベルでも進展するものと思われます。又江戸川区内でも後に触れますが、バリアフリーを目指す取り組みが成されようとしています。本紙創刊号の特集として、2回に分けこの問題を取り上げ、皆様と共に、視覚障害者の安全歩行について考えてみましょう。
音声標識ガイドってなあに
江戸川区内には、2年前から音声標識ガイドシステム(メロガイド・シグナルエイド)の整備が始まり、現在区内で次の12カ所にこのシステムが設けられています。
【( )内は台数】
小岩区民館前(2)
都営新宿線船堀駅前及び総合区民ホール(3)
江戸川区役所玄関
東西線西葛西駅周辺(2)
西葛西図書館周辺(2)
中央図書館(2)
それでは音声標識ガイドシステムについて詳しく解説することにしましょう。
去る5月13日(土)午前11時より、西葛西駅地下駐輪場の完成及び駅周辺の整備を祝って完成式典が、多田区長さん他多数の来賓者の出席により開かれました。この整備工事に並行して、視覚障害者のための点字ブロックの敷設他、特に同駅から西葛西図書館までの4カ所に、音声標識ガイドシステムが設けられました。
【西葛西駅周囲の設置場所と音声案内内容】
(1)西葛西駅北口出入口(ピンポン・地下鉄東西線西葛西駅はこちらです)
(2)北口駅前広場の交差点(ピンポン・西葛西駅北口駅前広場交差点です。
西葛西図書館へは、駅を背にして横断歩道をまっすぐ渡り右へおすすみ下さい)
(3)西葛西中学校前交差点(ピンポン・西葛西中学校前交差点です。
西葛西図書館は、ここより東へ徒歩約3分のところにあります)
(4)西葛西図書館出入口前(ピンポン・西葛西図書館出入口はこちらです。
階段に気を付け誘導路に沿っておすすみ下さい)
@システム概要
このシステムは、利用者が携帯する小型送信機・音声案内装置・ブザー発信器(名刺型・ネクタイピン型)から構成され小型送信機を携帯した利用者が、音声標識ガイド装置の15メートル以内に近づくとブザー音が鳴り、利用者の皆様へ音声の提供位置を知らせる仕組みになっています。送信機のスイッチを押すと、設置されているスピーカーから具体的に音声で、情報を与えてくれるシステムです。
A音声標識ガイド装置の求め方
音声誘導装置(メロガイド)を、お持ちでない方は、日常生活用具に指定されていますので、江戸川区役所・障害者福祉課・相談係へお問い合わせ下さい。
(3652−1151 内線2963・2964)
今後も、音声ガイドシステムの設置を働きかけ、視覚障害者の安全歩行の確保のため、本会では要望して行きたいと思います。
次号では、音声信号機について取り上げる予定です。
主催 江戸川区盲人福祉協会
協力 江戸川点訳メイト・なぎさ点訳友の会・音訳百舌の会
朗読ボランティアなずなの会他・ボランティア有志
会場 江戸川区総合区民ホール3F・障害者協議室
1 講習の概要
本講習会は、サポートボランティアがマンツーマンでサポートし、1回2時間、計6回の講習とする。
2 初級講習会の内容
(1)キーボードの配列、ジャック、基本操作、これらの反復練習
(2)漢字かな混じり文の作成 (単文の反復練習)
(3)ローマ字、カタカナ、英語混じり文の作成
(4)表題付き文書の作成(カギ・カッコ類、倍角文字、半角文字)
(5)ハガキを書こう(暑中見舞い状など)
(6)書類作成、印刷および総復習
6月4日、5日に伊豆堂ヶ島温泉へ会員等48名が、徒歩訓練旅行に行って来ました。参加者の中から感想を寄せて頂きましたのでご紹介致します。
◇例年に比して、ホテルに早く着いたので、温泉好きな僕としては、宴会前にゆっくりとお湯につかることができました。
◆海のそばの露天風呂が最高でした。
◇天候に恵まれ、遊覧船で島めぐりもでき、露天風呂も良かったです。
◆ガイドの皆さんに親切にしていただいて、お陰様でホテルの中でも不自由なく過ごせました。
◇浄蓮の滝も下まで降りて行き、近くでみられてとてもよかったです。
◆ゆったりとしたスケジュールで楽しかったです。
◇ハイキングもスケジュールに入れてほしかった。
◆アロエセンターは、つまらなかったです。期待はずれでした。
◇次回は男性のガイドさんにも沢山参加してもらいたいです。
江戸川区盲人福祉協会恒例の堂ヶ島の徒歩訓練旅行感想 柏谷幸司
毎年の事ですけれども今年も大変いい天気に恵まれまして、しかも参加人数も多かったですね。これもやはり執行部の大変苦労されたところだと思います。特にガイドヘルパーに対してね。これは例年苦労されているだろうなと思っているところです。なお私個人としては、大変健康管理がゆきとどかなくて文化部としての役割を果せなかった事について強く反省しているところです。
そんなことで熟年部長であります藤田菊江さんにお願いしましてですね、大変頑張って頂いたところです。また会員の岡畠信子さん、そして旦那さんの正夫さんには、宴会の時のカラオケの操作等をして頂きました。そのようなことで、旦那さんには動いていただきました。ありがとうございました。また会員の方々の協力を本当にありがとうございました。
またバスの中ではですね、昨年はあまり歌の時間、設けていただけなかったですが、今年は往復ともにね、多くの方々に歌っていただきました。特に二日目の最後の方、亡くなられました藤田悟郎さんの端唄でしょうか、これを皆さんに聞いていただきました。友人の宮地昭雄さんからのテープの提供でした。ありがとうございました。そんな事で最後にね、皆さんに少ししんみりさせてしまったかなという事も有りますけれども。まあ全体を通して私は大成功だったなあと思っておるところです。
なお来年ですね、私がまた文化部を担当するようになりますかどうか分からないですけれども、そうなりました時には、今年のようにまた大成功するように努めたいと思います。どうも今年は失礼致しました。それではご免ください。
昭和54年以前は、盲人の鍼灸マッサージ業者を中心に、江戸川区鍼灸按・マッサージ・指圧師会の文化部内に本会の前身として、東京都盲人福祉協会江戸川支部が設けられていました。その後一般の視覚障害者を含めたより幅広い組織をとの願いから、区内の視覚障害者に呼びかけ、自立と社会参加を目的に掲げ、昭和52年会則を制定するに至りました。
昭和54年 (1979年)7月29日、グリーンパレスに於いて発足総会を開催し、吉田軍治氏を初代会長に選出、本会が結成されました。それでは、本会活動の歩みを順を追って掲げることにします。
昭和57年(1982年)
6月・郵業第63号盲人用録音物発受認可、会員向け録音事業開始。
昭和58年(1983年)
10月・第1回文化の集いを小岩区民館に於いて開催。
本会の恒例行事スタート。
昭和60年(1985年)
11月・中里喜一区長を招き、第3回文化祭、小岩婦人会館に於いて開催。
音訳百舌の会、朗読ボランティアとして初参加。
平成2年(1990年)
4月・新たに江戸川区に於いてガイドヘルパー派遣制度開始。
視覚障害者の社会参加進む。
江戸川点訳メイトによる本会資料点訳支援始る。
平成5年(1993年)
9月・本会会員有志35名、オーストラリア・ゴスフォード市訪問。
視覚障害者間の国際親善交流スタート。
平成5年(1993年)
11月・創立15周年記念・第10回文化祭、
松江コミュニティ会館に於いて130名が参加盛大に開催。
平成6年(1994年)
10月・オーストラリアゴスフォード市の視覚障害者8名来区。
江戸川区内見学、歓迎行事に参加、国際交流深まる。
平成8年(1996年)
・本会支援区民より音声ワープロ機器の寄贈あり。
視覚障害者の為の音声ワープロパソコン講習会開講。
会員35名が初級・中級コースを受講。(区立西葛西図書館)
平成9年(1997年)
7月・城東地区盲協連絡協議会創立40周年記念大会並びに祝賀会。
本会の当番で、ホテルシーサイド江戸川に於いて120名参加開催。
平成11年(1999年)
3月16日・江戸川区総合区民ホール3階に、本会の事務所開設。
江戸川区声の広報テープ版発受開始。
(協力:百舌の会・なずなの会)
区内の視覚障害者の情報発信拠点としての業務スタート。
平成11年(1999年)
11月20日・第31回東京都盲人福祉大会(江戸川区総合区民ホール)
併せ、本会創立20周年記念式典。
〈歴代会長〉
初代会長 吉田軍治
2代 渡辺桂作
3代 藤田悟郎
4代 永井 宏
現会長 松本俊吾
江戸川区盲人福祉協会の活動を少しでも多くの区民の皆様に知って頂くことと、視覚障害者の手作りの情報紙を作りたいとの願いから、この創刊号の発行を企画しました。地方の時代と言われる昨今、江戸川区の視覚障害者の身近に起こる様々な問題を取り上げ、地域情報紙としての特色を出すために汗を流して頂きました編集委員の方々をはじめ、パソコンを叩き、編集作業にご協力下さいました、多くのボランティアの皆様に、感謝の気持ちで一杯です。
又印刷と製本について、快く引き受けて下さいました、江戸川区聴覚障害者福祉協会の皆様に厚く御礼申し上げます。更に、お忙しい中、本紙に投稿下さいました皆様有り難う御座いました。この創刊号を読んでのご感想を是非お寄せ頂ければ幸いに存じます。 第2号は11月上旬に発行予定です。 (M)
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