第7号トップ

  目次

アイネットに寄せて

NPO法人設立総会おわる

障害者支援費制度スタート

国際交流の一翼を担ったボブさんを悼む

音声誘導装置について

『川と緑に親しむイベント』
 @ 川風を一杯に受けタンデム試乗会にて
 A 水辺に親しもう! 新中川フェスタ

舘山寺温泉徒歩訓練旅行記

ボランティア団体紹介  江戸川ホームステイクラブ

初めてのヨーロッパ  ローマ・フィレンツェの旅

暮らしのア・ラ・カ・ル・ト
  1.簡単おいしいクッキング
  2.会員からの一言アドバイス
  3.便利グッズの紹介

えどもう歌壇

編集後記




アイネットに寄せて  成田貴美代




 華やいだ桜の季節も過ぎ、雨に濡れた紫陽花の色鮮やかな頃となりました。テレビでは新型肺炎(SARS)サーズのニュースが流れ、人々を脅かせています。先日も関西でひと騒動ありましたね。すばやい対応と解決を望むところです。

 江戸川区盲人福祉協会も4月の通常総会でNPO法人の設立に対し会員の皆さんの承認を得て新たなスタートとなりました。その中で私も広報部長の任命を受け、責任を感じながら補佐の方のご協力を得て動き出したところです。5月には広報部会を開きダビング・情報連絡テープの編集・パソコン講習会・アイネット情報誌の発行などの各事業について話し合いを持ちました。特にアイネット情報誌では会員の皆さんには何時も原稿を寄せて頂きまた短歌などを頂いたりとご協力に感謝しています。

 思えば平成12年5月、アイネット情報誌第1号の発行を目指し編集委員会が開かれ、そこからスタートとなりました。これからの情報社会にふさわしくアイネットとの名称も生まれ、一同初めてのことで経験もない為、取りあえずは出来ることからと、記事を集めたり原稿を依頼したりと大変だったことを記憶しています。一人では何も出来なくてもみんなそろえば、いろいろな意見を出し合って出来ていくものだという事が解りました。それにつれてパソコンも上達していったように思います。

 編集会議を繰り返しやっと第1号が完成した時は、ほっとしたと同時に充実した達成感を味わいました。その後、号を重ね今回は第7号の発行となりました。多くの方々に支えられ嬉しい限りです。

 NPO法人や支援費制度について、又2回にわたるオーストラリア親善訪問の際にお世話になった、ボブ・クラーク氏ご逝去の追悼文、昨年に引き続き“川に親しもう!”とのことから大島小松川公園での「タンデム試乗会」や「新中川フェスタ」に参加してなどの記事も載せております。

 毎回女性の皆さんに楽しみにして頂いている「かんたんレシピ」や「便利グッズの紹介」なども掲載されていますのでどうぞお楽しみ下さい。これからもアイネットは知りたい情報や役立つ記事など皆様から多くの投稿を頂き有意義な情報誌にしていきたいと思っています。今後ともご協力お願い致します。




NPO法人設立総会おわる  松本俊吾




 菜種梅雨で肌寒い生憎の空模様の、去る4月20日(日)午後1時15分〜5時15分まで、江戸川区盲人福祉協会の通常総会が、タワーホール船堀4F研修室(船堀4-1-1)で開催されました。当日は会員57名を含め家族・ガイドヘルパー・ボランティア等総勢106名が出席し、熱のこもった盛り上がりのある総会となりました。

 本年度は、支援費制度が4月よりスタートしたこともあって、会員の関心もいつもの年より高く、提出された1号から5号議案全てにおいて活発な意見や要望が出され、終了時間を1時間延長するほどでした。

 総会開始時に、多田江戸川区長、稲見顧問よりご挨拶があり、議長に西葛西の伊藤茂会員を選んだ後、議事録署名人に、冨澤豊・田名後浩子会員を指名、議事に入りました。


 第1号議案の平成14年度活動報告・決算承認の件の審議に際しては、決算書項目等や、区民祭りバザー事業参加等について会員の一部から質問が有りましたが、区民祭りバザー事業を今年も引き続き実施することを可決した後、活動・決算報告を執行部原案通り賛成多数で承認。


 第2号議案では、会長及び役員改選が行われ、工藤選挙管理委員長の報告の通り、松本が新会長に指名を受け、2年間本会の運営を担うことになり、重責に身の引き締まる思いです。役員の入れ替えを一部行うことになり、新たに橋谷道子さん・松田恵子さんを婦人部担当、工藤博史さんを職業担当役員としてお願いすることになりました。新任の3名の会員から、それぞれご挨拶を頂き、伊藤議長から会場の皆さんに紹介されました。

 ところで平成15年度をもって、副会長で会計担当の小松栄次さんを始め、永井宏さん・尾崎美和子さん・片岡妙子さんの4名の方々が役員を退くことになりました。長年にわたり、役員として本会の運営活動全般にご尽力頂いたことにたいし、改めて感謝申し上げます。

 中でも第3号議案の特定非営利活動法人(NPO法人)立ち上げに伴う諸議案の審議では、多くの質問や意見が出されました。本会が法人格を取得し、新たにガイドヘルパー事業者指定を申請するための活動方針を法人設立議案として総会に提案したものです。

 NPO法人立ち上げに合わせ、江戸川区視覚障害者福祉協会に改名することについては、出席した会員の皆さんから、役員に対し、質問が代わる代わる続き、伊藤議長も議事運営に汗だくで、ご苦労されていました。

 更に趣旨書・定款・財産目録・平成15・16年度の事業計画と予算・法人の役員選任等が審議され、執行部提案通り、賛成多数で可決承認されました。特に法人の設立については、総会当日も私や他の役員から会員の皆さんに充分説明をさせて頂きましたが、上部団体の日盲連大会に5月17日に参加して、笹川会長の挨拶の中で、「既に全国各地で、下部団体自身が支援費の事業所指定を受け、ガイドヘルパー派遣事業に参入していることから、会員自ら、この制度を勉強・研究し、前向きな取り組みが望ましい」との積極的な方針が示されています。

 視覚障害者が最も大切にしなければならないのは、自ら出来ることは自らの力を出しきり行い、それで足りない部分を周囲の方々からご協力を頂く姿勢が、これからの組織運営には求められると思います。今回の通常総会では、会員の皆さんから貴重なご意見を多数頂きました。今後の本会の活動に生かしていくつもりです。

 尚、総会の結果を受け、去る4月24日(木)東京都庁のNPO法人窓口に認証の申請手続きを済ませました。閲覧期間の後、書類審査を経て予定では、4カ月後の8月下旬に認証されることになっています。そして平成16年4月に向け、東京都の移動介護事業者指定手続きを行い、区内の視覚障害者の皆さんが、安心してガイドヘルパーを利用できるような事業所を立ち上げ、本会事務所において業務が開始出来るよう、最善の努力を傾けるつもりです。

 それには、利用者である会員の皆さんは勿論ですが、区内のガイドヘルパーの皆さんや、事務局をお手伝い頂く方々のご協力を頂かなければなりません。ここ江戸川の地から、新たに芽生えるNPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会の明日の発展に期待したいと思います。




障害者支援費制度スタート  田名後浩子




 平成15年4月から支援費制度が始まりました。今まで行政の措置制度となっていた福祉サービスでしたが、これからは私達が自ら必要な福祉サービスを選択し、支援費提携事業者と直接契約を結ぶこととなりました。この支援費制度で大きく変わった点が2つあります。


 1つ目は、1ヶ月の「移動介護支給量」と「家事援助支給量」が決定されたことです。これまで移動介護は通院や盲人福祉協会に関すること、また公的な移動にしか利用できませんでしたが、買い物や散歩レクリェーションなど幅広く利用できるようになりました。気楽に移動介護の利用を申し込みできるようになり、楽しみが増えました。


 2つ目は本人または扶養義務者の納める所得税により、毎月負担する「応能負担」となったことです。毎月契約を結んだ事業者に支払います。この負担額は0円から、全額負担まで大きく4段階に分かれています。それぞれが決められた持ち時間内であれば、決められた負担額を支払いますが、それ以上サービスを受ける場合は、時給を支払わなければなりません。

 以前は盲人福祉協会のサークルなど趣味の時間を気にせず移動介護を受け、交流を深めて楽しんでいましたが、持ち時間が少ないために趣味の時間を削らなくてはならなくなったという方達が少なくありません。私達視覚障害者は一人で出歩くことができないので持ち時間が決められたことで、行動が制限されてしまいました。今まで以上に利用できる幅が広がったにもかかわらず、残念でなりません。

 また、昨今の不況のため障害者年金も1割程度減額された上に、今回の「応能負担」により障害者にとっては非常に厳しい世の中になりました。尚、「応能負担」は扶養義務者ではなく、本人の収入によるものになってほしいものです。この支援費の契約は、今年10月以降本人の誕生月に切れ、受給されている人の契約の見直しがされます。支援費制度の導入に伴い、江戸川区盲人福祉協会では9月をめどにNPO法人を設立し、来年4月に「移動介護事業」に参入する予定です。ガイドヘルパーの皆さんに協力を得て、より良い事業所にしたいものです。




国際交流の一翼を担ったボブさんを悼む  `島三郎




 当協会に縁の深かったロバート(ボブ)・クラーク氏が、本年2月21日に肝臓癌の為逝去されました。享年79歳。ボブさんと我々との出会いは、当協会が国際交流活動の一環として、平成5年9月にオーストラリア、ニュージーランドへ総勢34名のグループで第一回親善旅行(団長`島三郎)を行った際、姉妹都市ゴスフォードにおいて現地側視覚障害者グループ代表ノーマ・クラーク夫人のご主人として交流に参加された時でした。

 そして翌年の10月にゴスフォードよりグループ(8名)が来区されましたが、ボブさんも目のご不自由なノーマ夫人に付き添って当協会並びに江戸川区民との交流に積極的に参加され、一行の代表であるノーマ夫人を引き立て、優しく見守る終始紳士的なボブさんのエスコート振りに、多くの人々が感銘を受けたものでした。

 ボブさんは当協会とのコミュニケーションに関して、ノーマ夫人に代わって代筆をされていましたが、当協会の窓口である私との間に、必然的に友人としての文通をする間柄となりました。折に触れての手紙の中で、ボブさんは常に日本の事に関心を示し、地下鉄サリン事件や経済不況を憂い、更には世界の政治、経済、紛争問題などを懸念し意見や感想を開陳するなど、化学者だけあってその広範な知識と高い見識には、私も深い尊敬と敬意の念を覚えました。

 平成13年5月に、44名のグループで第2回親善旅行(団長松本会長)を行い、再度ゴスフォード市(現地側視覚障害者代表ローレン・バス夫人)を訪問した際、前年交通事故に遇われて未だ体調が完全に回復されていないノーマ夫人と共にパーティーに出席されたボブさんは、ノーマ夫人に代わって持ち前の明るさとユーモアのある挨拶をされ、お元気に我々との再会を喜んでおられた時の事が時として鮮やかに蘇るだけに、僅か2年後に亡くなられるとは!想像も付かない驚きと悲しみの出来事となりました。

 ご夫妻は、江戸川区からゴスフォード市への訪問者のホーム・ステイを数組引き受けられ、その経験から、当時の中里区長宛に手紙を出し、「この様な市民間での交流で、一人一人が親善大使の役割を担い、両都市間の親善に寄与しています」と所感をのべられた事を後から聞きましたが、ボブさんこそ真の民間親善大使であったと思わずにはおられません。

 昨年末のボブさんからのクリスマス・カードに添えられた手紙の中で、「自分は今、手術不可能な病に冒されていて余命も長く無いのでお願いが有ります」との知らせで驚きました。「ノーマは、江戸川区盲人福祉協会との交流と江戸川区を訪問した時の事を懐かしい思い出として大切にしているので、彼女からは返事は出せませんが、生きている限りクリスマス・カードを送り続けていただきたい」との申し出がありました。

 最後までノーマ夫人を思い労るボブさんのお人柄と夫婦愛の深さに、暫し胸打たれる思いでした。国際交流を通じて当協会はもとより、我々夫婦としてもこの様な素晴らしいご夫妻に出会えた事は幸いでしたが、とりわけ私にとりましてもボブさんの知遇を得た事を誇りに思うと共に、示された友情に対し終生忘れえぬ思い出として大切にしたいと思っています。おわりに、最愛のご主人を亡くされたノーマ夫人のご健勝を願いつつ、ボブさんの安らかなご冥福をお祈り申し上げる次第です。合掌。


 次に、葬儀に参列された、当協会並びに江戸川区と関わりの深い松平みなさん(ミナ・サンダース夫人)より葬儀の模様について、ホーム・ステイクラブ代表竹縄妙子さんと私宛に寄せられた便りの原文の一部を、ご本人の了解を得ていますので、ここに紹介しておきます。


 「お葬式は随分とシンプルで良かったです。最初にボブさんのお友だち(女性)が、ボブさんが癌と判った後、すぐにお葬式の司会を頼まれました、と言って挨拶されまして、その後ボブさんが大好きだったジョン・レノンのイマジンの曲が流された後、ご長男のフランクさんがボブさんの一生を語り、もう一度イマジンが流れてお葬式は終わりでした。

 誰一人泣く者はいなくてひっそり涙を流している人はいましたが、息子さん娘さんもカラカラとしていました。ボブさんが第二次世界大戦の時、パイロットとして従軍中撃ち落されてパラシュートで降りた所が牛の背中だったり、その後フランスのレジスタンスの家を転々としながら戦争の終わるのを待っていたそうなのですが、その時、庭先から取ってきた野菜で作ったスープを食した全員が吐き出してしまい、何を使ったのか?と聞かれて、綺麗な緑の葉っぱを指で示すと、それはタバコの葉っぱだったとの事で、会場は大笑いでした。

 宗教的なものは一切無くて、さっぱりとした良いお葬式でした。ボブさんの癌は、胃癌で始まり肝臓に転移してしまい手術は無理との判断でした。痛みの方はモルヒネを使って抑えましたので、最後まで明るく陽気だったとフランクさんの話しでした。また、ノーマさんから`島さんを始め江戸川区盲人福祉協会の皆様に、素晴らしいフレンドシップを感謝します、との事でした。出来れば引き続きこの友情が続きます様に、とのコメントを頂きました。

 特に`島さんとボブさんとの尊敬しあう形での友情をボブさんご自身が大変大切にされていて、お葬式でも一番に司会者の方から江戸川区訪問の事が語られましたので、ボブさんの思い入れがお判りいただけると思います。どうぞ機会がございましたらこの事を盲人福祉協会の皆様にお伝えいただければ、天国のボブさんもきっとお喜びになられる事でしょう。4月になったらノーマさんに会いに行くつもりです。 松平みな」

 尚、参考までに、ノーマ夫人宛弔文とご長男フランクさん(元大学教授)よりの礼状の和訳文と原文を付記します。


    ノーマ・クラーク夫人宛 発信人 `島三郎 2月27日
 親愛なるノーマ、江戸川区盲人福祉協会の友人の皆様そして暁子と私は、大きな驚きを以ってご主人様の悲しいご逝去の知らせに接しました。謹んで心よりお悔やみを申し上げます。さぞお辛い事でしょうが、お気を強く持たれます様。暁子と私を始め江戸川区の多くの人々は、素敵なご夫婦の貴女とボブさんに尊敬と憧憬の念を抱きました。そして貴方方の友情を何時までも忘れないでしょう。常に真の紳士であったボブさんは、ゴスフォード市と江戸川区の民間親善大使の大役を担われました。ご主人のご冥福をお祈り申し上げます。 `島三郎 暁子


 Dear Norma,
Akiko and I, and your friends of Edogawa Welfare Association for the blind are deeply shocked at the sad news of the death of your husband. Please accept our deepest sympathy and sincere condolence. May you find peace and strength during this time of sorrow. Many people of the city of Edogawa including Akiko and I developed great respect and admiration for you and Bob as a nice couple and will always think of your friendship.Bob-san, always a perfect gentleman, played great role of the goodwill ambassador of Gosford and Edogawa. May his soul rest in peace.Sincerely yours   Saburo and Akiko Haijima


フランク・クラーク氏よりの礼状 `島三郎宛 3月12日
Dear Friends,Regarding the death of Robert (Bob) Clarke on 21 February 2003. On behalf of my mother Norma Clarke, my sister Yvonne and myself, I would like to thank you for your gestures of sympathy and condolence. The family derived great comfort from the many telephone messages and cards we received from Dad's numerous friends. I read them all to my mother and she has requested that I write to everybody and offer them her thanks for the generosity of spirit and the warm memories of Bob Clarke that we received.He was a good husband, an excellent father and a loyal friend. We will all miss him. Many thanks for your sympathy and support. It is much appreciated.Best wishes. Frank G. Clark.


 ご友人の皆様 2003年2月21日に亡くなりましたボブ・クラークの死に寄せて  私は母ノーマと妹イボンヌと共に、お悔やみを頂きました皆様にお礼を申し上げます。私達家族は数多くの電話を頂き、また父の本当に多くの友人からカードを頂戴し慰められました。私は全てのお便りを母に読んで上げました。そして皆様のお心遣いに対する彼女の感謝と家族が受けて来た暖かい父ボブ・クラークの思い出を、お便りを下さった皆様にお伝えする手紙を書く様、母より申しつかりました。彼は良き夫でありこの上無い父であり素晴らしい友でもありました。これからは本当に寂しくなります。皆様から寄せられたお悔やみとご支援に深く感謝申し上げます。フランク・クラーク




音声誘導装置について  伊藤 茂




 平成14年度に設置されました音声誘導装置をご紹介します。


音声誘導装置設置場所 設置箇所


音声誘導装置(基)
 @西小岩コミュニティ会館 1
 A小岩アーバンプラザ 1
 B一里塚バス停(小岩保健相談所前) 1
 C上一色コミュニティ会館1
 D瑞江三中バス停(上り)1
 E瑞江三中バス停(下り)1
 F松江コミュニティ会館1
 G新川バス停(葛西保健相談所前)1
 H新川バス停 曲がり角1
 I障害者支援ハウス1
 J二之江コミュニティ会館1
 K清新町コミュニティ会館1
 L臨海町コミュニティ会館1


音声案内文

  @ 西小岩コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 西小岩コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って右側にあります。

  A 小岩アーバンプラザ♪ピンポーン♪ 小岩アーバンプラザはこちらです。
    受付けは玄関を入り、誘導ブロックに沿って右側にお進み下さい。

  B 小岩保健相談所前 バス停♪ピンポーン♪ 
    小岩保健相談所前 一里塚バス停はこちらです。

  C 上一色コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 上一色コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って左側にあります。

  D 瑞江三中バス停(上り)♪ピンポーン♪ 瑞江三中バス停はこちらです。
    江戸川区東部事務所は、瑞江方面へ進み、交差点を右へ横断歩道を渡りお進み下さい。

  E 瑞江三中バス停(下り)♪ピンポーン♪ 瑞江三中バス停はこちらです。
    江戸川区東部事務所は、瑞江方面へ戻り、交差点を右へ曲がりお進み下さい。

  F 松江コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 松江コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って右側にあります。

  G 葛西保健相談所前 バス停♪ピンポーン♪ 葛西保健相談所前 バス停はこちらです。
    障害者支援ハウスへ行かれる方は、船堀方面に進み一つ目の交差点を右に
    お進み下さい。

  H 葛西保健相談所前 曲がり角♪ピンポーン♪ 
    葛西保健相談所前 曲がり角はこちらです。
    障害者支援ハウスへ行かれる方は、この交差点を曲がってお進み下さい。

  I 江戸川区障害者支援ハウス♪ピンポーン♪ 
    江戸川区障害者支援ハウス入り口はこちらです。
    受付は玄関を入ってまっすぐお進み下さい。

  J 二之江コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 
    二之江コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って正面にあります。入り口に段差がありますので気を付けて
    お進み下さい。

  K 清新町コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 
    清新町コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って左側にあります。入り口に段差がありますので気を付けて
    お進み下さい。

  L 臨海町コミュニティ会館♪ピンポーン♪ 臨海町コミュニティ会館入り口はこちらです。
    受付は玄関を入って左側にあります。入り口に段差がありますので気を付けて
    お進み下さい。 




『川と緑に親しむイベント』




@ 川風を一杯に受けタンデム試乗会にて  吉成百合子


 6月5日(木)、大島小松川公園にて江戸川区土木部主催のタンデム試乗会が行われました。当日10時より、7台のタンデムにそれぞれ土木課の方々やガイドさんたちとともに、試乗から本コースへさわやかな風を受けながら楽しむことが出来たようです。橋を渡る本コースではバリアフリー対応のゆるやかな傾斜で道幅もゆったりとしており、タンデムや花々の散策・小鳥のさえずりなど、ちょっとした散歩をするのにも最高の場所ではないでしょうか?

 私は今回5回程コースを回りましたが、実はタンデムに乗るのは初めてで昔自転車に乗っていた頃のことを体が思い出したようで、わりと2度目以降はゆったりとした気持ちで、風の心地よさや小鳥のさえずりなど聞きながら楽しむことができ、十何年振りかで爽快感を味わいました。今回土木部の宇佐見さんが川についての説明をして下さいましたのでその内容と、参加されました方々の感想をご紹介したいと思います。また、江戸川区内でタンデムがいつでも乗れるようになることを願っています。土木部のみなさん、本当にお疲れ様でした。

写真:タンデム試乗の様子


荒川の話

 この川は人工的に作った川(放水路)で、今からさかのぼること明治43年に大洪水があり、それを機に放水路を作ることになり、翌年の44年から昭和5年までの20年をかけて、放水路の整備工事が行われた。今は瑞穂になっているが、その川底の土をとったものを土手として築いて放水路の整備が出来た。場所的には北区の岩淵水門から下流に下り、中川の河口まで約22キロを放水路として整備した。

 昭和40年、もともと荒川の本流にあった岩淵水門から海に至るまでの川を「隅田川」と言う名前に、そして今回の放水路を「荒川」と言う名前に名称変更し、荒川と隅田川が出来上がった。昭和7年、小松川、松江、小岩、鹿本、篠崎、瑞江、葛西の7つの町と村が合併し、江戸川区が誕生した。この水路が出来た関係で小松川が途中で分断されてしまったので、今現在、川の東側と西側にそれぞれに小松川と言う地名が残っている。

 国土交通省は現在、土手自体のスーパー堤防化を進めている。土手は本来、河川の洪水から町を守るために作られていたが、スーパー堤防とはその傾斜を緩やかにすることで土手自体の幅を広くし、街から川・水辺へ親しめるようにし、洪水時にも堤防が決壊することのないように、また土手のスーパー堤防化により地盤の土壌改良を行うので、地震にも強い町になっている。

 スーパー堤防の整備に合わせて今年3月、河川敷沿いに千本桜と言う公園が誕生し、染井吉野が580本位、大島桜が230本位、さまざま合わせて1,000本が植栽されている。場所は京葉道路の小松川橋から下流にいって旧中川の平成橋までの2キロにわたって桜の名所が誕生した。平成橋は小松川再開発の工事の中でかかった橋で、名前のとおり元号が昭和から平成になった後に江東区と江戸川区の間に初めてかかった橋と言うことで「平成橋」と名前がついた。

 この荒川は淡水と海水が入り交じり、生き物が豊富に生息している。水の中にはボラ・ハゼ・ベンケイガイなどが見られる。干潟ではヤマトシジミ・トビハゼが見られるようになった。また、そういう魚たちを食べる鳥、サギ・シギ・カモ・ウミネコ・カワウなど、さまざまな生き物が共存している。


〜 参加者の感想 〜

  こんなに広い公園が出来たのを見て良かったです。(大野)

  久し振りに自転車に乗りまして、風をきると言うことを受けました。それと、ほかの方と乗っていらっしゃる方と勝負をしまして学生時代にもどりました。(大田)

  私もタンデムやっているんですけれど、今度のコースはちょっときつかったんですよ。橋が2つもあってね。だからなんとか掛け声をかけながら回って来たんですけれど楽しかったです。(岡畠)

  こんなに良い公園があるなんて、初めて来たんですけれどもまた来てみたいと思っています。(北沢)

  去年も参加させていただいたんですが、今年のコースの方が楽しませていただきました。(坂本)

  久し振りに学生時代にもどった気持ちでした。学生時代、3年間通勤してたものですから。とっても楽しく一日過ごさせてもらいました。(福地)

  去年も乗せていただきまして、また今日もなんか距離が長かったような気がしました。(橋谷)

  この辺になんとなくいつもいるんですけれど、ここの公園とそれから風の広場と江東区の方と結構広場はあります。小名木川で有名ですけれど昔からある川ですよね。(星野)

  小松川なんですが今日は残念でした。来年もここでやってほしいです。(花見)

  今日は本当に有難うございました。楽しい思いをさせていただきました。また宜しくお願いいたします。(長谷川)

  桜の頃にまたぜひ見に来たいなあと思いました。(松田)

  久し振りに家内に開放され晴々しています。去年も参加しましたが、今年の方が大分長距離やったような気がします。やっぱり年だね。心臓が…多少年を感じました。でも自転車を乗る感覚はまだまだ忘れていないのでまた参加したいと思っています。 (宮路)

  二度目の参加でした。とてもさわやかな風を受け、気持ちよく自転車に乗りました。 (村井)


A 水辺に親しもう! 新中川フェスタ  成田貴美代


 梅雨の合間のひととき(6月22日)、新中川河川敷を中心に区民の皆さんと共に水辺の利用や活用法を見つけようと様々なイベントが行われました。盲人福祉協会でも付き添いを含め25名が参加し、手長海老釣りやカヌー体験など普段は出来ないようなことをやってみました。竿を持って釣りに挑戦してみましたが、気長にしないと釣れませんね。家族連れも多く子供達の歓声も聞こえ、町会で参加してるところも多くバーベキューを囲んで楽しそうでした。

 土木部Sさんの話です。
「一般の人たちも大勢参加してくれてうれしいです。今のお父さん達はエサの付け方や仕掛けの作り方などがわからず、お願いしますというお父さんも大勢いました。これを機会に子供さん達と触れ合う時間をたくさん持ってほしいと思います。」とのことでした。


 ボートに乗った人達もいたので感想を聞いてみました。

  川風に吹かれ気持ちよかったです。オールを持ち1・2・3のかけ声でみんなでこぎます。面白かったです。(大野)

  暑くて散歩は大変でした。久しぶりにみなさんとおしゃべり出来たのがよかったです。(長谷川きよ)

  ドラゴンボートに乗りました。それは18人乗りで一人ずつがオールを持ち船頭さんの太鼓に合わせ1・2・3の時にこぎます。気が合ってないと前に進みません。長い時間待ったかいがあってとても面白かったです。(藤田)

  目が悪いと船の乗り降りが危ないので気をつけましょう。(星野)


 「もう少し川がきれいだったらいいのに」と感じました。今年はボートに乗れなかったので、来年は機会があったら乗りたいと思います。(成田)




舘山寺温泉徒歩訓練旅行記  才川美千代




 6月1日・2日と舘山寺温泉歩行訓練旅行が行われました。前日は台風4号の影響でどしゃ降りの雨でした。皆さん、台風の動きが気になられた事でしょう。着いた日の朝の集合の時は曇り空でしたが昼前から夏の太陽が顔を出しました。

 ドライバーは優しい谷島さん。ガイドは、一昨年と同じ可麗なガイドの上手な川西さん。そして、添乗員は若い24才の佐々木さんでした。バスの中、宴会を盛り上げて下さいました。

 三保の松原の海は台風の影響で荒れていました。浜名湖の波も非常に速く走っていました。翌朝は、皆さん早起きをして三々五々浜名湖の周囲や舘山寺の散歩を楽しんでいました。今回はどうした事か、散歩に出られた人達が大勢おられました。会長の姿も見えました。皆さんに、感想をお訊きしました。ハプニングも有りました。


  ◇13階のお風呂から朝日を見ました。(高橋)
  ◇13階のお風呂から夕日が見えてよかったです。(花見)
  ◆飲み過ぎて疲れました。(坂本 男)
  ◆天候に恵まれてよかった。砂丘で水に触れられた。(宮地)
  ◇トイレに閉じ込められ北沢さんのご主人に助けられました。(片岡)
  ◇エレベーターが来なくて宴会に遅れてしまいました。(早川)
  ◆楽しく飲んで、遊んで食べて、歌ってご飯が美味しかった。
   みんなの輪が良かった。舘山寺の空気が美味しかった。(伊藤)
  ◇私が美しいので波に浚われてしまった。(藤田)
   海の水に触わらせてあげようと思ったら波に浚われてしまいました。(酒井)
  ◇蟹の産卵場所を見学できてよかったです。(岡畠)
  ◆皆さん明るい。(運転手さん)
  ◆皆さん明るく、一緒に楽しませてもらえました。(添乗員さん)
  ◇皆さん歌詩をよく知っていて、歌が上手で明るい性格。
    ガイドヘルパーさんが皆さん親切です。(バスガイドさん)


舘山寺温泉HP




ボランティア団体紹介  江戸川ホームステイクラブ




江戸川ホームステイクラブ代表  竹縄 妙子

 設立  1991年
 目的  家庭で外国からの方達を受け入れ、普段着の国際交流を双方が体験すること。
 活動  主として音楽・舞踊分野の交流を目的として来日した人々の舞台と、ホームステイ、
      海外からの学校単位での青少年交流、海外派遣事業、国際交流亭開催 等
 今まで受け入れをした国
      オーストラリア、イギリス、スコットランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、オーストリア、
      マケドニア、リトアニア、ルーマニア、ロシア、イタリア、フランス、カナダ、アメリカ、
      オランダ、ドイツ、インドネシア、グアム、フィジー、シエラレオーネ、ガーナ、ヨルダン、
      カンボジア、ベトナム、韓国、中国、マレーシア、他
 登録数 江戸川区を中心にホストファミリー登録90所帯
 主たるスタッフ
  代表  竹縄妙子・渡辺薫、  加固久子、  半田紀子

 姉妹都市ゴスフォード市との交流が多いですが、姉妹都市ならではのゲストを、ホストファミリーをお互いに尋ね会う交流が続いています。外派遣事業も、学生、大人のためのホームステイ、合唱団の海外公演と年々数を増していっています。江戸川を訪ねて下さった方々には、江戸川の将来を担う子供達に、少しでも外国からの人々に直接交わるチャンスをと、学校訪問をしてもらっています。
 (別れの時の「大きくなったら絶対に行くからね〜。」と叫ぶ子供達の声を聞き、国際理解の第一歩をお手伝いできたかなと思っています。)

 江戸川盲人福祉協会の方々には、常々、我々主催の区内での演奏会に、国際交流亭(いろいろな分野の専門家を講師として招いてのお話サロン)に参加ご協力を頂いております。またゴスフォード市への第2回親善旅行にはホームステイクラブからも数名参加させていただきました。




初めてのヨーロッパ  ローマ・フィレンツェの旅  小野塚耕吉




 2002年9月24日エールフランス航空で成田を12時50分に飛び立つ。妻と娘の3人、ガイドブックを頼りの個人旅行。パリまでおよそ12時間、長〜いフライトだ。座席は真ん中の列の4人掛け、私の右通路側は50才前後の男性。飛行機はどうも落ち着かない。しばらくして飲み物が配られる。私はワインを頼む。取りあえず飲んで落ち着きたい。

 隣の男性はビールを頼む。柿ピーを出して私に分けてくれる。旅慣れている人だ。話によると東欧の方に仕事で度々出掛けるという。あまり観光はしないというが、スイスの景色が素晴らしいとのこと。彼が赤ワインを頼む。私も赤ワインをお代わりする。スチュワーデスは気前よくいろいろな種類の赤ワイン3本をおいてゆく。彼は私に2本くれる。恐縮しながら遠慮なく頂く。機内食も平らげいい気分になってきた。まだ時間はたっぷりある。

 ヘッドホンでフランスの童謡を繰り返し聞く。フランス語は耳に優しい。(意味はわからないが、、、)隣の彼氏が夜食にどうぞとインスタントラーメンを作ってきてくれる。こんなものまで、機内に用意されていることを初めて知る。やっと「あれがパリの灯だ」という所まで来る。でもまだパリは明るい。午後5時40分(日本時間午前0時40分)時差はサマータイムで7時間。ド・ゴール空港に着陸、彼氏にお礼を述べ別れる。

 ここで小型ジェット機に乗り換えイタリアへ、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に向け2時間のフライト。ビールを飲んで機内食を頂く。到着ロビーに現地スタッフが看板を持って出迎えてくれる。ワゴン車に乗り35分夜中の道路を吹っ飛ばす。イタリアの道路は石畳が多く揺れる、揺れる。ホテルはイタリアの交通の起点となっているテルミニ駅の近くだ。午後11時30分頃到着。

 日本時間だと午前6時30分。徹夜したことになる。やっぱりヨーロッパは遠いと実感。ホテルは三つ星、日本のホテルのように豪華ではないが、駅に近くて安全で料金の高くないところを希望したが感じのよいホテルだ。時差の関係でこれから眠れるのが嬉しい。朝食はパン、ハム、サラダ、卵など質素だが美味しい。コーヒーも美味しい。


 午前10時ローマの町に繰り出す。ローマの観光スポットは直径5キロの中にみんな収まっている。スペイン広場を目指して歩き出す。バイクと自動車の多いのに驚く。信号が変わるとまずバイクがけたたましい音を立てて飛び出し、自動車が追い駆けるようにして抜き去って行く。あまり車間距離をとって走ってはいない。幹線道路以外は道幅が殊のほか狭い。歩道もそんなに広くはなく街路樹はほとんどない。

 街の至るところに華やかで手の込んだバロック調の教会、宮殿が点在する。広場には噴水や白い石柱オベリスクが見られる。スペイン階段の上に出た。幅の広い大きな階段だ。その横の広場には大勢の観光客が腰を下ろしている。あのオードリー・ヘップバーンが食べていたジェラート(ソフトクリーム)のお店がある。早速買い込んで広場に腰を下ろして頂く。3色の大盛りのクリームで手に垂れてきて困った。甘みはおさえめのようだ。小舟の噴水で手を洗い、ブランド街の方に足を向ける。


 グッチ・フェラガモ・プラダという有名なお店が並ぶ。ビシッとスーツに身を固めたかっこいいお兄さんがドアボーイとして控えている。東京では入る気はしないがつられて入って見る。綺麗なお姉さんが寄ってくる。日本語の分かる人もいる。連れは何やら注文している。私は暇なのでベルトを見ていると、日本語のよく分からないお姉さんが寄ってくる。私は腰回りのサイズをいう。お姉さんはそんな短いものはないという。どうやらベルトの長さと腰の回りを勘違いしているようだ。商談不成立で助かった。

 店を出てポポロ広場の方に向かう。この広場には3世紀に作られた城壁があり、この出入り口の門をポポロ門といい、昔の旅人はこの門をくぐって、ローマに入ったとのこと。お昼も過ぎているので外にテーブルを並べているお店に入る。風に吹かれてビールを飲む。左手には双子教会がそびえ建つ。

 それにしてもイタリアの男はよくしゃべる。隣のテーブルの、二人連れの男は間断なくおしゃべりをしている。2時を回ったので腰を上げる。出がけにトイレを借りる。入り口にばあさんが座っており、50円程取られる。中は男女の区別なく全部個室だ。男には一番奥の扉を指差す。中に入って驚いた。洋式トイレで蓋も便座もついてない。男はまだしも女性はどうすべきか、考えるだろう。連れは別々の方法で用を足したと言う。ちなみに街にはほとんど公衆トイレはありません。


 市内が一望出来るビンチョの丘に登りトレビの泉に向かう。観光客で賑わう通りには物乞いをする人や大道芸を売り物にしている人がいる。トレビの泉のある所は、意外に狭い。階段状になっているところに観光客がびっしりと座り泉を見ている。肩越しにコインを投げると再びローマに戻れるという。私もやってみる。再び来てみたい気持ちもある。

 今日の締めくくりはミケランジェロが「天使の設計」と賞賛したパンテオン、入り口には大きな大理石の柱が並ぶ。ローマのすべての神に捧げられるべくして紀元前25年に作られたという。内部の丸天井の頂上に大きな天窓が開いている。ここから差し込む光がモザイクの床を照らし何ともいえぬ神秘的な雰囲気が漂う。

 身が清められた思いで外に出る。暮色が立ちこめている。喧噪の街を疲労もあり、黙々とホテルに向かって歩く。途中トラットリア(ファミリーレストランのようなもの)に寄りステーキ、ペペロンチーノ、ハウスワイン赤2分の1(500ml)を頂き外に出る。8時を回っているがイタリアの食事はこれからが賑やかになるという。雨が落ちてきたので急いでホテルに戻る。


 二日目は地下鉄に乗ってヴァチカン市国にゆく。イタリアの電車・バスには改札がない。買った切符を機械に差し込み、日付と時刻を押すのみ。降りる時もそのまま持って出て来てしまう。だから切符がなくても自由に乗り降りが出来る。しかし、時々一斉検札が行われ、不正乗車となると運賃の20倍近い罰金を取られる。個人を尊重するお国柄だ。ちょうどラッシュ時で、腰にピストルを下げた警官が、背中を押し込んでいた。

 今日は一日ヴァチカン巡り。ヴァチカン宮殿は美術館・博物館の塊まりである。人波に乗って進む。見所は、システィーナ礼拝堂の正面の壁上部一面に描かれた「最後の審判」。ミケランジェロの背骨が曲がってしまったという程の長い年月をかけて描いたという。「撮影は出来ません」という日本語のアナウンスにぎょっとする。外に出てサンピエトロ広場に向かう。半円形の回廊の内側に立つと、20メートルを超える石柱の上に、140の聖人像がズラリと並びそれは実に見事。ミケランジェロが設計責任者として、16世紀の初めから120年をかけて完成したという、カトリックの総本山サンピエトロ寺院。その大きさ、荘厳な佇まいに不浄の身は恐れる。

 もちろんノースリーブ、短パンのお嬢さんは入場を断られている。エレベーターに乗り、その終点から330段の階段を登ってドームのてっぺんに立つ。紺碧の空の下にローマ全市が広がる。その眺望にしばし見とれた。ヴァチカン市国を後にして、サンタンジェロ城へ向かう。警官がジェラートを立ち食いしている。サンタンジェロ城の広場の出店で水を買う。栓をあけてもらってから値段を聞いてびっくり、市販の5倍も取られた。

 天使の像で飾られたサンタンジェロ橋を渡り、ヴェネツィア広場からバスでホテルへ帰る。バス停でどのバスに乗るかウロチョロしていると「ナカタ・ナカタ」と近寄ってくるおじさんがいた。ローマでは中田が日本人を代表している。そのおじさんにバスに乗る時は、鞄をお腹にしっかり抱えて乗るように注意をされた。スリが大変多いということです。今日もまたワインで一日が終わった。


 三日目、今日は午後からフィレンツェに移動するため1時半にタクシーを呼んでもらい、古代ローマの遺跡フォロ・ロマーノへ向かう。紀元前2世紀から600年栄えた古代ローマの中心地、建造物の崩れた石塊の中に凱旋門が威風堂々と立っている。その側に政治の最高機関元老院が立っている。シーザーが「ブルータスよ、お前もか」と叫んで殺されたのはこの建物の前だと言う。あのクレオパトラもこの場所には来たのだろう。

 ここから程ないところに紀元80年に作られた円形闘技場コロッセオがある。見物好きのローマ人の娯楽のために作られた、収容人員5万人といわれる大きな建物だ。後世に建築資材として大理石が持ち去られたため一部が欠けてしまっている。この建物の前で当時の剣闘士の衣装をつけ芝居もどきのことをやっている。うっかり一緒に写真など撮ると大変ぼられるという話がある。

 帰りは地下鉄に乗りホテルに戻る。地下鉄の婦人用のトイレのドアに大きな穴があいているため、護衛を仰せつかった。ローマに別れを告げテルミニ駅より11時40分発の特急列車に乗り込む。ステップを上がったところにスーツケースを置く棚がある。これは便利だ。しかし誰でも入ってこられるホームなので、発車までは心配であった。

 フィレンツェまでは1時間半足らずで着く。早速買い込んできたピザを広げる。座席は向かい合わせの4人がけ、向かい合わせの間に仕切の板があり、そこにテーブルが出せるようになっている。座席の番号の付け方が面白い。連番では隣に座れず、対角線に座ることになる。反対の窓際に日本人の新婚さんが乗ってくる。これからヴェネツィア方面に向かうと言う。1時ちょっと過ぎにフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着く。

 予約したホテルはさほど遠くないので、歩いて向かう。このホテルのフロントのおじさんも感じがよい。荷物を預けて外に出る。フィレンツェの見所は3キロ四方にある。駅のすぐ側にフィレンツェの象徴、花の聖母教会ドゥオモがある。13世紀の終わりから175年をかけて作ったという。大理石の幾何学模様で飾られた美しい大聖堂だ。3万人が一堂に会するという巨大なものだ。この大聖堂の入り口の石段には多くの人たちが腰を下ろして広場を眺めている。

 この広場をはさんで向かいに八角形の洗礼堂がある。この堂のブロンズの扉の一つが観光スポットになっている。ミケランジェロが「天国の扉」と呼んだ扉だ。小さな升目に旧約聖書の物語が彫り込んである。観光客が群がっている。ここもスリ・ひったくりの多いところという。人の気配を感じ振り返ると子供が寄り添うように立っていることがある。いったんホテルに帰りスーツに着替える。フロントで予約を取ってもらったリストランテ(レストラン)に出掛ける。


 このお店は旅行案内に出ていた。階段を降り扉をあけると4人がけのテーブルに案内される。テーブルの上にランプシェードが吊下がっている。ムードたっぷりだ。肉料理のフルコースを頼み、ワインはキャンティクラシコを指定する。実はこれは`島さんのご指導による。ボトルを開けた、あの最初の儀式をさせられる。ボーノ(美味しい)という。本当はよくわからない。3人のグラスについでもらい、まずは乾杯、妻はあまり飲めないのにムードにのぼせピッチが上がってしまった。

 肉料理が来た時にはもうダウン。トイレに避難する有様。私は一人黙々と肉を食べる。とにかく量が多いのでそんなに食べられない。ボトルだけは空にして出て来た。本当においしい赤ワインだった。帰国後、我が家では時々ワインパーティーをやるようになった。

 四日目ホテルにタクシーを呼んでもらい、ミケランジェロの丘に向かう。フィレンツェが一望出来る小高い丘となっている。フィレンツェ共和国の自由のシンボル、ダビデの像が立っている。今日も素晴らしく空が晴れ渡り綺麗だ。帰りは歩いてここから帰ることにする。丘の下には要塞があり、その壁にそって1時間程歩く。途中オリーブの木を見つけ、初めてオリーブの実を手に取ってみた。城塞の中を通り抜けピッティ宮殿の前に出る。ここでトラットリアに入り食事をする。もちろんハウスワインも頂く。


 美術館を一回りした後、ヴェッキヨ橋を渡って宝石店街を通りブランド街に入る。フェラガモで靴を選びヴィトンでバッグを吟味する。面白いのは手袋専門店の試着、手術用の手袋のように薄い皮の手袋をはめるのは、ショーケースの上に腕相撲をやるような格好でかまえる。その指に店員さんが手袋をはめる。もちろん指の太い人には無理だ。変な事に、個人の宝石店では営業をしているのに入り口に鍵を掛けている所がある。客がドアを開けようとすると鍵を開けてくれる。それだけ物騒なこともあるらしい。

 今夜の食事はバールに入る。バールはセルフサービスで自分の食べたい物を持ってきて食べる。日本のマクドナルドやケンタッキーのようなシステムだ。種類は目移りがするほど沢山並んでいる。値段も安い。量も多い。ニョッキを食べてみたが私にはあんまり合わなかった。ニョッキとはうどん粉の固まりのようなもの。例のものは飲んで帰った。


 五日目、今回のホテルの朝食は非常に美味しい。特に生ハムが抜群だ。今日のメインはウフィツィ美術館。フィレンツェの財閥メディチ家がその財力を結集したルネッサンス美術の全てがここにある。2,500もの展示品が並ぶ。初めに3階の絵画館から回り始める。ほとんど宗教画、画集でおなじみの絵が並ぶ。私はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が目に付いた。とにかく絵を見るのは疲れる。夕食は行列の出来ているお店に並び、おなじみのペペロンチーノ。(辛いものとニンニクが大好きなんです)そしてステーキ、例のものを飲んでぐっすり熟睡。


 六日目、いよいよ今日でお別れ。荷物をまとめホテルに預けて町に出る。日曜日には教会前の広場などにテント張りの店が並ぶ。バックやベルト・衣類・装飾品・置物などいろいろなものを売っている。店のおじさんが日本語で話しかけてくる。もう我らのスーツケースにはおみやげの入る余地はないのでただ見て回るのみ。フィレンツェの歩道は非常に狭い。一人がやっとという狭さのところもある。勿論、点字ブロックなどは無かった。ゴミも落ちていない。自転車も見かけない。

 街は自動車とバイクで一杯で自動車は道路脇に縦列駐車しており、その車間は全く空いていない。どのようにすれば、このように並ぶのか一度見たいと思ったが、そのような場面には出会わなかった。バイクも道路脇に見事にきちんと並べられていた。イメージ的には、イタリア人はいい加減だと思っていたが、実は几帳面だったのだ。そして、さらに強く感じたことは、街で頻繁に聞いた「プレイゴ」という言葉。あれはどんな意味かと思ったら「どういたしまして」とのこと。この言葉が頻繁に使われているから世の中がうまく回っているのではないかと思った。

 感謝の気持ちが先にあってのプレイゴ、これがイタリア人の優しさなのかもしれない・・・・・と。いよいよ飛行場への送りの車が来る時間、4時半ベンツで迎えにくる。フィレンツェの空港まで40分程度、ドライバーは30前後のかっこいい男だ。空手をやっており、二段だと言う。街並みに高い建物は見あたらない。有名な観光地なのに観光地然としていないのが好きだ。街は全く普段の顔をしている。空港に着いた。また長いフライトだ。帰りもド・ゴール空港でエールフランス機に乗り換える。成田には10月1日午後6時到着予定。旅の終わりのあのけだるさを乗せて一路日本へ。


 到着時刻頃、関東地方を台風が通過中とのアナウンス、新潟上空で台風の通過待ちをしていたが、着陸は無理との判断で6時20分関西空港に向かう。7時20分関西空港に着陸。ここで解放されるかと思ったら燃料を補給しまた、成田に飛び立つという。とんでもないお出迎えに会ってしまった。

 2時間半後に再び成田に向けて飛び立つ。11時成田空港の上空に来るが、まだ吹き返しが強い。機体はかなり揺れる。一度目の着陸態勢に入るが、また機首を上に向ける。手の平が汗ばんでくる。二度目の着陸態勢に入る。神様、仏様、鎮守様の願いが叶い車輪が滑走路に付いた時には、機内から一斉に拍手が沸き上がる。旅のフィナーレを飾る一幕となった。家についた時には午前様であった。でもまた訪れたい国だ。




暮らしのア・ラ・カ・ル・ト




1.簡単おいしいクッキング


今回は岡畠信子さんの3つのレシピです。


◎ さ っ ぱ り か ら 揚 げ


材料(4人分)
 鶏もも肉2枚 揚げ油
 片栗粉と塩、こしょう、ゴマ少々 ニンニク4〜5かけら
 しょうが1/3切れ ねぎ1本(白いところ) たかのつめ2本
 しょう油 ミリン 酒 酢 ゴマ油(各大さじ4)


作り方
 (1)鶏もも肉は一口大に切り、塩こしょうをして5分ほど置く。
 (2)ニンニク、しょうが、ねぎをみじん切りにする。
    たかのつめは種をとり、輪切りにする。ゴマはたたいておく。
 (3)調味料を合わせて、(2)を入れる。
 (4)鶏もも肉に片栗粉をつけて油で揚げ、(3)のたれをかける。


☆ さ っ ぱ り か ら 揚 げ の 応 用

材料
 豚の薄切り レタス

作り方
 (1)豚肉はゆでて、冷蔵庫で冷やす。
 (2)レタスを敷き豚肉をのせて、さっぱりから揚げのたれをかける。


◎ ウ リ モ ミ

材料(4人分)
 キュウリ4本 蛸の足2本
 塩小さじ1 酢小さじ2(塩と酢は好みで増減させる)たかのつめと味の素少々


作り方
 (1)キュウリをスライサーで薄切りにする。
 (2)蛸の足はイボと足先を取り除き、薄切りにする。
 (3)塩と酢、たかのつめ、味の素をボールに入れ、中にキュウリと蛸を入れ、よくもむ。
 (4)キュウリと蛸を固く絞り、小鉢に入れ冷蔵庫で冷やす。


◎ な す の ゴ マ 焼 き

材料(4人分)
 なす4〜5個 ゴマ油少々
 しょう油・みりん・しょうが(大さじ2) たかのつめ1/2 酒 味の素(各少々)


作り方
 (1)なすはへたを取り、縦に4等分にする。
 (2)しょうがは、すりおろしておく。
    直接フライパンにすりおろしてもよい。たかのつめは種を取り、細かくきざむ。
 (3)フライパンにゴマ油を引き、なすに色目が付くくらい焼き
    大さじ2〜3杯の水を加えて蒸す。
    しょう油、ミリン、しょうが、たかのつめ、酒を加えて、2、3分蒸し
    最後に味の素を振る。


2.会員からの一言アドバイス


  ○ ジャガイモの皮をむく時、芽が出ていても輪切りにして、皮をむくととても楽ですよ。
  ○ 里芋をゆでる時、小さいスプーンを伏せて一緒にゆでると絶対に吹きこぼれませんよ。


3.便利グッズの紹介


◎ 音声リモコン

 【おしゃべりリモコンcz−rr5】
 ボタンを押すたびに音声で設定内容を知らせてくれます。
 同社のリモコンだけでなく国内のメーカー11社のリモコンと代替出来ます。
 すでに使用中のリモコンに換えて使えます。
 また操作内容によってボタンの形状が異なりボタンと本体には凸点記号が付いているので区別しやすくなっています。

 縦 17・5cm × 横 14・4cm重さ 350g
 価格 9,800円

 お問い合わせ  松下電器産業お客様ご相談センター 0120‐878‐365へ


◎ 蚊取り器2種


【虫除け器パッカー】
 電源や熱源を使用しない虫除け器です。
 本体のボタンを押すだけで薬剤カートリッジが扇子状に広がり、有効成分が空気中に拡散します。
 容器を閉じれば薬剤の成分は広がりません。
 電源が不要ですので玄関やベランダなど場所を選ばずに使えます。
 また、本体は小さい子供が薬剤に触るのを防ぐ安全設計。
 有効な虫はブヨ・ユスリカ・蝶・ハエ・蛾・ヨコバイ等です。
 薬剤の有効期間は約90日間

 幅12cm×奥行き2cm×高さ15cm
 価格は950円
 スーパーや薬局で購入できます。
 お問い合わせ ハクゲンお客様相談室 03−5681−7691へ


【ファン式蚊とり器カトリス】

 蚊に効く「カトリス」は、薬剤カートリッジ自体が回転して薬剤を蒸散させる。
 遠心力とファンの風力とのダブル効果によって優れた殺虫効果を実現しました。
 ファン式蚊取りでは、家庭用コンセントと乾電池の二つの電源方式を初めて採用。
 熱くならずに煙も出ない上に、カバーを開くと回転も止まる安心設計です。

 240時間セット1,350円
 360時間セット1,700円
 720時間セット1,900円
 スーパーやコンビニ薬局でお求め下さい。

 お問い合わせ キンチョウお客様相談室 06−6441−1105へ




えどもう歌壇




                            (投稿順)


 誕生日迎えてうれし七十九 百まで住むと人の迷惑
   (5月25日が誕生日)             神田 香子


 新緑の代々木公園人多し かき分け走る今日も楽しき
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                             延原 光子


 五月晴れ待てど今宵もまた小雨 バブルの景気懐かしくもあり
(経済不況を五月の天候不順にたとえて)
                             宮地 昭雄


 気持ち良き湯につかりしは舘山寺 心身ともに癒されるなり
                             伊藤 茂


*今回は、松原先生のご都合により添削はありません。




編集後記




 スポーツに親しんだり、旅に出かけるなど何をするにもふさわしい季節となりました。今回の「アイネット 第7号」の内容は、いかがだったでしょうか?タンデム、旅行記、そして暮らしのアラカルトなど、盛だくさんの内容となっています。各会員が様々な場所で活躍されている姿が目に浮かぶようです。7月と言えば、浅草のほおずき市、入谷の朝顔市があり、うっとうしい梅雨も明け暑い夏がやって来ます。8月2日には江戸川で花火大会も開かれます。どうぞ、本誌が少しでも皆様の良き参考となるよう、お手元に置いて是非ご活用ください。(I)




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