第37号トップ

もくじ

巻頭言   冨澤  豊

平成30年度通常総会報告   井草 恵子

生活サポート事業の概要について   松本 俊吾

創立40周年記念・九州縦断旅行のあらまし   松本 俊吾

月例会報告

      私の足跡   関守 幸男

      世界各国あれこれ   `島 三郎

SLと寸又峡温泉徒歩訓練旅行   成田貴美代

      一言インタビュー  藤原美子

福耳通信

ファンケルメイクセミナーの報告   城谷 直人

城東ブロック行事案内

女性部だより   住山 浩子

第9回城東ブロックスティックボール大会報告

【話題の広場】マラケシュ条約とは

戻って来た財布   星野  勇

ちょっとそこまで・深大寺を訪ねて   藤原 美子

三代目猫がやってきた   金子 曜子

「OTON GLASS」のご紹介   松本 俊吾


暮らしのア・ラ・カ・ル・ト

えどもう歌壇

編集後記




巻頭言


             常任理事   冨澤 豊


 今年は、季節の巡りが例年より速く移っているようで、春には早くに桜が咲き、いつの間にか梅雨の季節となりましたが、皆様におかれましては、いかかお過ごしでしょうか。NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会の広報誌であります「アイネット第37号」をお届けします。

 先日、堀切菖蒲園に行きましたが、よく手入れをされた色とりどりの花菖蒲が、池の中できれいに咲いておりました。ところが、通路からは離れているので、手の届くところではないので、少し残念でした。しかしながら、京成線堀切菖蒲園駅から、菖蒲園へ続く遊歩道には、紫陽花の花がたくさん咲いていて、紫色から、ピンク、白、水色、青色と、様々に大輪の花を咲かせており、手に触れることもできて、こちらの方が良かったと思います。また、雨の季節には紫陽花がよく似合うと思います。

 本年、3月に開催された冬のパラリンピックでは、テレビの放映時間が、オリンピックと比較すると少ない時間ではありましたが、以前よりも放送時間が多くなり、ニュースなどでも多く取り上げられて、東京パラリンピックに向けて、障害者に対する関心も高まってきているように思います。とりわけ私たち視覚障害者にとって重要なことは移動や情報の障害の解消であるように思います。中でも命にかかわる鉄道駅のホームドアの設置の促進は重要であると思います。さらに、障害者にとっては尚一層、平和が大切と思われます。
今年は史上初の米朝首脳会談が、6月12日にシンガポールで行われ、当面の戦争に対する危機は避けられたことを歓迎したいと思います。まず対話が重要であり、朝鮮半島の完全な非核化も拉致被害者の帰国も、対話がなければ進展することができないからです。

 さて、本協会では、平成30年も、文化、スポーツ、社会参加への活動や行事等に、多数の会員が参加しており、今回の第37号でも、様々な内容が盛り込まれ並んでおります。どうぞ、お楽しみください。




平成30年度通常総会報告


                 井草 恵子


 初夏の眩しい光の中、平成30年度通常総会が、去る5月19日(土)に、タワーホール船堀4階研修室において、多くの会員、ガイドヘルパーさんが出席し、行われました。ここでは、当日の内容を報告しましょう。

 出席者全員の出欠を取ってから、議事は進行しました。藤原さんの開会の辞に引き続き、冨澤さんを議長に任命し、議事は始まりました。


 東京都より定款の変更の指導があり、第一号議案が追加され、指示された条文の変更箇所の詳細について大里事務局長から提案があり、全会一致で承認。

 第二号議案の平成29年度事業報告では、昨年4月のエスカレーター事故の示談が4月5日、和解が成立したことについて報告があり、あわせ松本理事長の総括報告、小野塚さんから総務報告、各部の部長から活動報告がありました。

 第三号議案の事業計画では新たに生活サポート事業の開始に向けての予算化を含めた手続きなどが提案され、全会一致で承認されました。
 この平成30年度から新たに取り組む事業として、生活サポート事業と現在まで登録制で行われてきたガイドヘルパーさんの雇用が契約制度に移行すること等の説明があり、特に生活サポート事業では、利用者側も交通費として、1回 1,000円負担
* なお、この事業は30年10月1日より施行予定(詳細は生活サポート事業の項を参照)。

 第四号議案では、大胡田弁護士の顧問委嘱等4件が提案され、予算を伴う案件を承認。また来年に予定している40周年記念旅行については、参加の有無と行程・会費等のアンケート調査を実施しました。
 これらの内容から、参加の協力依頼が松本理事長からあり、報告事項とともに異議なく承認されました。

 以上のように、今年の総会も、平穏のうちに滞りなく終了しました。

 特に同行援護に於ける歩行中の事故は、とても他人事ではないので、私自身も肝に銘じて歩きたいと思いました。




生活サポート事業の概要について


                 松本 俊吾


 本会がかねてより準備してきました、一人住まいや全盲夫婦を対象に、「代筆代読」を軸に区内視覚障害者の生活をサポートするための新たな自主事業を開始することになりました。

 去る5月19日の通常総会にて、平成30年度事業計画と予算が全会一致で承認され、「アイフレンズ江戸川」の全面的ご協力を頂きながら、介護保険でもなく、障害福祉サービスでもない、第三の視覚障害者を支援する事業を試行的に開始することになります。

 実際には、視覚障害者の皆様の置かれている立場に相違がありますので、皆様とご相談をしながら、一つ一つ実績を積み上げて、江戸川区福祉部とも連絡を取り、将来に向けて地域定着型の新たな形態を模索、自主事業として、使い勝手のいい良い制度にしたいものです。

 これは、居宅・外出支援・同行援護の範疇である代筆代読サービスに加え、この制度に参加する生活サポート支援員に震災など災害発生時に、地域防災を兼ね備えた内容をサービス項目にあげていることに、この制度を行う意義があります。また「生活サポート事業」として、アイフレンズ江戸川が受け皿となって、当初は民間のマンパワーを生かし、支援体制を整え共生社会の実現を目途としています。そして、近い将来、公的助成に道を開くためにも制度化に向けて、確かな実績を蓄積したいものです。

 この新制度は、当会の会員を対象として区内の有志ボランティアの皆様と連携し、この制度を始動させ運用することとなりました。
 これは平成16年に当会が全面的に支援して立ち上げました、視覚障害者を支える江戸川ボランティアの会(平成20年、アイフレンズ江戸川と改称) 会則第3章 運営(組織)第8条 1 本会の円滑な運営を図るため、運営委員会及び部会を設置する。 2 ガイドボランティア部会及びその他の部会を設けることが出来る。の条項により、新たに生活サポート支援部会を設け、当面は部会長をチーフとする、生活サポート支援員による活動を開始することとします。一方会員の中より利用者を募り、支援活動の具体化に向けて準備会を開き、平成30年10月1日より、視覚障害者に特化した生活サポート事業を開始することにします。

 この生活サポート事業の運用により、一人暮らしの視覚障害者や、全盲夫婦等の代筆代読を含むコミュニケーションの広がりによって、日常生活が、江戸川区において共生社会に道を開くことに繋がることを望むものです。それでは、生活サポート事業の利用方法について要約し報告します。


<生活サポート事業施行細則>
 この施行細則は、アイフレンズ江戸川 視覚障害者「生活サポート事業」規約に基づき同制度を円滑に行うために定めるものとする。

第1条 生活サポート支援員(以下支援員と略)として、アイフレンズ江戸川会則第3条により、支援員と利用者が生活サポート事業利用登録を行い、登録した区内視覚障害者から支援依頼があった場合に、アイフレンズ江戸川代表(以下アイフレンズ代表という)が認めた場合にのみ本制度を利用できる。

第2条 規約第7条(利用申込と窓口及び実績記録表の管理)
  1.支援員の派遣申込は、利用月の2ヶ月前までに、電話にて指定された窓口に申し込むこと。
  2.申し込み先窓口はアイフレンズ代表宅に置く。但し別の場所に置くことも出来る。
  3.アイフレンズ代表と生活サポート部会長は、利用者の申請があった時は、依頼する支援員の意思を確認して了解のもとに、利用申請者の置かれた状況により、困窮度を勘案して、双方合意の上申請を受理するものとする。
  4.アイフレンズ代表は、支援員の派遣実績記録表を具備し同部会が管理する。
  5.毎月末に利用実績記録表を個別にまとめ、翌月10日までに、江戸川区視障協事務局長に届けなければならない。

第3条 江戸川区視障協は、本規約第6条(アイフレンズ江戸川への助成)生活サポート協力費の決済方法を次の通りとする。
  @ 生活サポート協力費
   1) 支援員の利用者ヘの生活サポート協力費(1回2時間当たり)1,000円。
   2) アイフレンズ江戸川連絡調整等団体協力費(500円)。 
  A ガイドボランティア支援金に準じ、江戸川区視障協会計よりアイフレンズ江戸川の代表の銀行口座に翌々月末までに、月別にまとめ振り込むものとする。ただし、他の方法により行うことも出来る。
  B アイフレンズ代表は、決済時に領収書を発行しなければならない。
  C アイフレンズ代表は、実績記録に従って、生活サポート協力費(1回 1,000円)を月別に支援員に支払うものとする。

第4条 江戸川区視障協事務局は、年度末の決算を審議する理事会に、生活サポート事業の実積報告を行わなければならない。

第5条 この施行細則にないものは、アイフレンズ江戸川の運営委員会の議を経て、江戸川区視障協理事会に報告し、必要に応じ指示を仰ぐものとする。

 (付則)
   この施行細則は、平成30年(2018年)10月1日より適用する。

 以上のような内容にて、8月7日のアイフレンズ江戸川との夏期研修会・第1回ガイドヘルプ研修会、8月18日の会員との懇談準備会を経て利用申し込み受付を開始する予定です。

   問い合わせ先  松本  携帯  080-1206-8229
           事務局(大里) 03-3675-5730




創立40周年記念・九州縦断旅行のあらまし


                              松本 俊吾


 思い起こしますと、平成23年4月17日から4日間、沖縄八重山諸島を周遊旅行し、早いもので7年を向えようとしています。来年平成31年は、天皇の退位により年号が変わりますので、西暦で言いますと2019年にあたります。

 先日の通常総会で、創立40周年行事の一つとして、九州縦断(鹿児島・熊本・長崎方面)の実施に向けてのアンケート調査を行いましたところ、総会出席の会員の過半数以上の皆様がこの記念旅行を含めた行事を実施することに賛同して頂きました。

 また本会会員は勿論ですが、ガイドヘルプセンターに利用登録されている区内視覚障害者にも広く呼びかけて、創立40周年の節目の行事として来年5月19日(日)〜22日(水)の記念旅行を成功させたいと存じます。

 本会は平成5年9月にオーストラリア・ゴスフォード市視覚障害者との交流事業をきっかけに、平成13年に2回目の訪豪を行い、国際親善の実を上げて参りました。そして平成23年には、沖縄・石垣市視覚障害者協会との交流行事も行い、節目の記念行事を行って参りました。
 1年後の創立40周年行事も、これらの経緯をふまえ、計画したところです。

 会員の皆様のご理解とご協力をお願いするものです。
 それではこの記念旅行のあらましを次に挙げてみましょう。
 現在参加予定者の積み立てを行っておりますので、事務局・大里由美子担当 03-3675-5730までお問い合わせ下さい。


 【実施要項】

1. 期日 … 2019年5月19日(日)〜22日(水)
2. 目的地 … 鹿児島・桜島・指宿温泉・熊本城・菊池温泉・福岡柳川下り・佐賀嬉野温泉・長崎市内観光
 ※ 5月19日(日)昼食時・鹿児島県視覚障害者連合会交流会場:桜島国民宿舎を予定。
3. 宿泊場所
   5月19日(日) 鹿児島県指宿温泉/シーサイドホテル 0993-23-3111

   5月20日(月) 熊本県菊池温泉/菊池グランドホテル 0968-25-3111
 ※ 熊本県視覚障害者福祉協会・熊本地震お見舞いを兼ねて同会村上会長招待。

   5月21日(火) 佐賀県嬉野温泉/和多屋 0954-42-0210
 ※ 夕食時、記念ダンスパーティーを企画予定。

4. 旅行会費
 ※ 試案です。第3回理事運営委員合同会議にて決定しますので、めやすと考えて下さい。
   1人当たり  … 120,000円(税込)
   同行援護を利用したガイドヘルパー会費 … 90,000円
   ガイドヘルパー・家族単独会費 … 120,000円
 ※ 3泊4日 10食付

  往復飛行機代、貸切バス代、新幹線乗車券、移動時の船代、柳川船下り(長崎市内観光)

 ※ 参加会費の納入の確認は事務所(大里局長)までお願いします。
 ※ キャンセルの場合には別途協議します。

5. 最終空港集合場所と時間
   5月19日(日) 6:50 一之江環七口リムジン乗場(葛西7:00)
             羽田空港第2旅客ターミナル(ANA)

<備考>
 ※ 参加申し込み … 11月末日まで。参加会費は12月15日(土)の最終説明会にて
 ※ その他の詳細は随時お知らせする予定です。
   問い合わせ先 … 松本  03-3678-4726  080-1206-8229




月例会報告




 地域に密着型としてスタートした月例会は、平成27年6月から本会主幹行事として実施して早いもので、4年目を迎えることになりました。
 この「月例会」は、毎回50名前後の会員・利用者とガイドヘルパーさん、そして運営委員、世話人の皆様に支えられて、内容も多彩になりました。
 会員の皆様と、親しいガイドさんを交え、音訳ボランティアの方々の素晴らしい朗読に耳を傾けたあと、今年度は関守さん、`島さんにミニ講演を引き受けていただき、えどもサロンも、4月には嬉(うれし)先生をお招きし、トークショーの形で、楽しい一時を過ごすことができました。また6月の第3回目は、室内運動会を行い、赤と青組にグループ分けし、ボール運びや玉入れ等に興じ、応援合戦などあり、大いに盛り上がりました。

 喫茶コーナーを兼ねた「えどもサロン」には、既にお好みのお菓子の並んだテーブルを囲み、おしゃべりが始まり、担当役員の伊東喜代子さんと松尾勝文さんの気の合ったコンビの掛け合いで、和やかな雰囲気で進行しています。
 参加者の皆さんは、お好みのドリンクと、お茶菓子を頂きながらの2時間は、至福の時。そこここのテーブルでは、笑いの渦が巻き起こり、恒例の柏谷さんが演奏する尺八やハーモニカに併せて参加者全員で合唱が始まります。まだ、えどもサロンに参加していない方は、是非一度仲間の輪に加わってみませんか。


【平成29年度】

第7回月例会
 @ 日時 … 平成29年12月15日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 障害者協議室・303号室
 B 朗読 … 池波正太郎著「食卓の情景」より2編
        風の会:大澤充二・櫻井洋子
 C えどもサロン(クリスマスパーティー)
 ※ 松本会長がサンタクロースとなり、参加者にクリスマスプレゼントを渡し、クリスマスソングと「お正月」を全員で合唱し、年忘れの行事をしめくくりました。

第8回月例会
 @ 日時 … 平成30年2月16日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 障害者協議室・303号室
 B 朗読 … 佐藤愛子著「九十歳。何がめでたい」
        百舌の会:阿萬愛恵
 C えどもサロン

第9回月例会
 @ 日時 … 3月16日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 障害者協議室・303号室
 B 朗読 … 柏田道夫著「武士の料理帖」しぐれ茶漬
        風の会:百田ゆうこ・田中紀恵子
 C えどもサロン

【平成30年度】
第1回月例会
 @ 日時 … 4月27日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 4F研修室
 B 朗読 … 土門トキオ著「こわーい落語」より数編
        風の会:五十嵐恭子・荒 雅恵
 C ミニ講演 … 関守幸男会員 演題「私の足跡」
 D えどもサロン

第2回月例会
 @ 日時 … 5月18日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 307号室
 B ミニ講演 … `島三郎会員 演題「世界各国あれこれ」
 C えどもサロン

第3回月例会
 @ 日時 … 6月15日(金) 13:00〜16:00
 A 会場 … タワーホール船堀 障害者協議室・306号室
 B 朗読 … 太宰 治著「新釈諸国噺」より 貧の意地
        百舌の会:上原謙一
 C えどもサロン(運動会)

【今後の予定】
     第4回: 7月20日(金) 障害者協議室 401号室
     第5回: 9月21日(金) 障害者協議室 307号室
     第6回:10月19日(金) 障害者協議室 303号室
     第7回:12月21日(金) 障害者協議室 303号室
         (クリスマスパーティー予定)
     第8回: 2月15日(金) 障害者協議室 303号室
     第9回: 3月15日(金) 障害者協議室 303号室

【運営スタッフ】
   @ 世話人 … 神尾 雅代・小川 淳子・長谷川 真理子
           相原 容子・小林 富士子・鈴木 洋子
   A 職員(サポート) … 大里他1名
 ※ 月例会に関するお問い合わせは、03-3675-5730(大里)までお願いします。


私の足跡


                            関守 幸男


 皆さまこんにちは。関守です。
 初めての経験です。このような形で自分の足跡を話すことになるとは…。

1.出生と少年時代
 私は千葉県市川市、市川駅から5分ほどのところで、昭和10年11月21日に、安産で生まれました。
 少年時代は近所でも評判の悪ガキで、野球と水泳が好きでした。
 江戸川で泳いでまして、今の江戸川河川敷になっているところが昔は畑だったんですが、そこに向かって市川から近所の悪ガキ達5、6人で泳いで行ったんです。親が作ってくれた赤い六勺ふんどしを巻いて、速い流れに向かって斜めに泳いでいくと、その畑にたどり着きます。そこにはトマトやきゅうりがたくさん実っています。もう時効だと思うのでお話ししますが、持ち主が来ると大変なので、2分ぐらいで食べ終えて、帰りには持てるだけ持って、また泳いで帰って来たものです。ある日、そんなことをしている時にお百姓さんに見つかって、私たちは逃げたのですが、1人つかまってしまいました。みんなで謝りに行こうということになり、子供なので許してくれるだろうと甘い考えで参りましたところ、お尻をこっぴどく叩かれました。帰って親にそのことを話しましたところ、またこっぴどく怒られました。

 野球は、道具は買えなかったので、産業用の手袋とそこらの丸太ん棒を使って、空地でやっていました。私は運動神経が良かったようで、5年生のころには50cm落ちるドロップ(今のフォーク)を投げました。でも肩をこわして、野球ができなくなり、中学校ではテニスをやりました。ラケットのガットを自分で張ったり、ユニフォームの長いズボンに自分でミシンをかけて膝のところをかっこよくしたりしたものでした。貧乏も捨てたものでなく、自給自足のような感じでした。ベーゴマに自分で工夫して強いものを作り、駄菓子屋に売りに行き、お小遣いには不自由しませんでした。


2.学歴と結婚
 最終学歴はC大学文学部英文科でございます。4年の時に、ある会社を継いでという話と、ある女性とご縁がありまして、27才の時、結婚しました。今年で結婚56年になりました。あと4年でダイヤモンド婚です。子供は3人恵まれました。女の子が欲しかったのですが、3人とも男の子です。


3.少年野球
 子供が小さい頃から自分が好きだった野球を教えていました。近所の子供達も集まってきて、試合をしたいということでチームを作り、自分の車に乗せて、よく野球をやりに行ったものです。次男が小学校6年の時に、江戸川区社会教育委員会の主催で180チーム参加の野球大会があって、予選を通過、中央大会で優勝しました。
 バックアップしてくれた町会や父兄とのつながりができ、いまだに地域のそういうおつき合いを続けていて、何よりの宝物だと思っています。


4.視覚障害者となる
 免許証の書き換えのたびに、白内障があると視力検査でひっかかっていましたので、65才の時、新小岩の次の両国寄りの眼医者に行きました。
 三田佳子似のキレイな先生に検査して貰ったところ、手術をした方がいいとのことでした。
「曇りガラスを、素通しにするような手術で、角膜をキレイに拭くだけ」というような簡単な話でした。手術の最中、「この糸を取っていいですか」と私に聞くんです。おかしなことを聞くなと思いましたが、結局引っ張って抜いてしまいました。
 そして失明してしまいました。そのお医者様にとって、私が初めて手術をする患者だったそうです。


5.カラオケ
 区役所の紹介で江視協を知りました。初めてバス旅行に行った時、カラオケをしました。ガイドの小川淳子さんが、歌がうまいと言ってくれたのがきっかけで歌にはまり、バットからマイクに切り替えました。
 文化センターでの食文化祭のカラオケ大会には毎年参加しています。平成20年に、第1予選、第2予選を通過して金メダルを貰い、250名の中で4番になったのが、これまでの最高成績です。
 江視協では、城東ブロックのカラオケ大会で去年優勝させて頂いたり、都盲大会のカラオケでも過去2回優勝させていただいております。
 カラオケはこれからも続けるつもりで、NHKののど自慢にも書類を出し続けています。


6.今後の目標
 今後は、山登りももう一度したいと思っています。登山隊隊長の小野塚さんにお願いして、富士山とはいいませんが、近いところでご指導願いたい。
 体の健康のために、デイサービスの「なごみ」というヨガに月・水・金と通っております。毎月最初に体力測定があって、5m競歩では2秒という記録を作り、全国にある「なごみ」の中で最高記録です。
 先程、会員の渡邊登さんとお話しましたが、90才とのこと。私もあやかって頑張りたいと思います。
 これからも宜しくお願いします。

                    平成30年4月27日 月例会にて



世界各国あれこれ


                             `島 三郎


 私は昭和13年八丁堀生まれの東京育ちで今年80歳になります。
 20代初めに語学研修のために、ニューヨーク・コーネル大学で1年間研修しました。数ヶ月経済を学んだのですが、この大学はホテル経営が目玉の大学で、帝国ホテルを創立した犬丸社長がこの大学で学んだと記憶しております。

 昭和17年に三井物産の船舶部が独立しまして三井船舶となりました。後年三井船舶は、大阪商船と対等合併しまして、現在大阪商船三井船舶となっております。
 私は当時三井船舶から海外勤務として、最初はニューヨークに派遣されました。ニューヨークで3年間、シカゴで3年間、合計6年間。30歳初めにヨーロッパ・デュッセルドルフに派遣されヨーロッパ内を担当しました。ただし当時は東西冷戦の時代で、ソ連支配の東欧圏には行かれませんでした。ユーゴスラビアだけは、チトー大統領の支配下で、外国から観光客を誘致する政策をとっていたので、観光を兼ねて行った事もあります。

 今日の講演では、私が駐在したり訪問した中で、印象に残った国を取り上げ、お話するつもりでしたが、時間の関係でカットします。予定していたのは、リオのカーニバルが有名なブラジル。イランとメソポタミア文明発祥の国・イラク。アドリア海にたつベニス。「すべての道はローマに通ず」のローマ。スペインの古都トレド。首都は後にマドリードに移されました。1600年代の大航海時代の主役だったポルトガルのリスボン。最後にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの北欧3国。11世紀頃から250年にわたり暴れ回ったバイキングの舞台でした。それと香港。

 香港時代の休暇でセブ島に行き島巡りなどをした時に、強い紫外線を浴び目が真っ赤になり、急いで香港に帰り医者に診せたところ、眼底出血と診断され、レーザー光線のあるフィリピンのマカテ病院を紹介され、2日間治療を受けましたが、これが失敗でした。レーザー光線治療は一気に打つのは間違いで、時間をかけて片目ずつ距離をあけて打たねばならないものでした。香港に戻っても具合が悪く、日本のお茶の水にある井上眼科に行き、視力が0.5、6くらいになり、香港に戻って仕事を続けましたが、再度大出血を起こしました。これはもういけないと群馬大に3ヶ月長期入院して清水教授の治療を受け、視力が両方0.4に落ち着き、以降は実家に近い板橋にある帝京大にしばらく通いましたが、結局46歳の時に失明しました。3ヶ月会社で有給休暇を頂きましたが、その期限が切れ規則通り退職。しかしその後は嘱託契約を結んでくれて、在宅勤務という事で、65歳まで面倒を見て頂きました。収入は大幅に減りましたが、大変ありがたかったです。

 失明した時、1年くらいは大変悩み苦しみました。元気でいれば仕事では脂ののった時期でしたし、ライバルも会社で活躍していて、切歯扼腕の時代もありました。ある時考え方を変えて、視覚障害者として今後の残りの人生を行こうと考えたとたんに気持ちが落ち着き、家内と共に清新町に移りました。

 30年前に盲会に入会し、入会後すぐに、当時会長の永井さんと区役所福祉課からの講演依頼があり、当時“東洋の真珠”と言われ、日本人に身近で人気のある香港について2時間講演しましたので、今回の各国からは外しました。
 今回は、ドイツにしぼってお話することにします。

 ドイツはヨーロッパの真ん中に位置しております。民族的にはゲルマン民族。大変広い国で北は北海・バルト海に面し、最南端はミュンヘンで、縦に広い森に囲まれた国です。人口は現在8千万と言われています。

 ドイツというとヒットラーが浮かびます。ユダヤ人600万人を迫害殺害した残虐行為で大変な犯罪を犯した男です。このヒットラーが二つばかり国民に財産を残しました。一つは国民大衆車、フォルクスワーゲンです。安価で丈夫、機能性もあります。フォルクスは英語ではフォークダンスのフォーク、集う、大衆という意味で、すなわち国民の大衆車です。

 もう一つは国内、縦横に通るアウトバーンという自動車道路。時速制限がなく150〜180キロで飛ばします。私はフォルクスワーゲンを個人的なセカンドカーとして所有し、デュッセルドルフ、国内、近郊などに使いました。ヨーロッパには頑丈なベンツで行きました。デュッセルドルフ時代は毎月2週間はドイツにいて、あとの2週間で各国を回るという生活をしていて、車での各国出張は非常に楽しみでした。イタリーはアルプス越え、スイス越えの2通りの行き方があり、ドライブで非常に楽しい思いをしました。オランダ国境のアーヘンまで、わずか1時間で行きますから、アウトバーンを使うと非常に便利で、そういう事でヒットラーは二つの財産を残したという事です。

 ドイツといいますと次に有名なのがライン川。ライン川はスイス・バーゼルから湧き出た水が下って来てライン川となり、最終のハンブルグから北海に注ぐ非常に長い川です。ライン下りの観光が有名です。そしてローレライ。ライン川の下流に百数十mという高い崖が突き出ています。その崖の下の方の部分を単にローレライと名付けているだけの話です。

 もう一つ、ロマンティック街道という有名な所があります。ライン川中央から分かれる支流マイン川の流域に、ドイツ有数のブドウの産地・ヴュルツブルクという大変きれいな所があり、ゲーテやモーツァルトも度々訪れたそうです。このヴュルツブルクからミュンヘンまでの街道沿いは中世時代からの雰囲気を有し、建物・町並みが続いていて、この街道をロマンティック街道と言います。

 さて肝心のデュッセルドルフですが、ライン川の下流に位置し、近郊には多少名所があります。38キロ程離れた所にケルン。仏語ではコロン。オーデコロンという非常にさっぱりとした化粧水があり、男性のアフターシェーブローションに使われ、私も現在愛用しています。ナポレオンがこのケルンとデュッセルドルフまで攻め入った時に、各家庭の戸口にペンキで順番に番号をふりました。このオーデコロンを発明した人は、その4桁の番号を商標としまして、オーデコロンのビンのラベルにはこの文字があったと記憶しております。

 もう一つ、ドームと言うのがあります。このドームはヨーロッパ1高いドーム・尖塔です。第二次大戦時、連合軍がヨーロッパ国内を空爆する際、これを目印に飛んで来て、各地を爆撃して回ったので、この塔だけは壊さないようにした結果、今日まで当時のままのドームが残っている訳で、観光の名所になっております。もともとこのドームというのは、キリスト教徒が毎週日曜日ミサの儀式をドーム内で行って、その時の神への祈りが、なるべく高く天に届くようにという気持ちから塔を高くしました。このような塔は各地に立っております。

 次に有名なのが、郊外にネアンデルタール渓谷があり車で50分程です。途中にはハガネで有名なゾーリンゲンの町があり、カミソリ・ナイフ・爪切り等がお土産になります。このゾーリンゲンの町をはさみネアンデルタール渓谷がありますが、意外に小さくてびっくりしました。そこでネアンデルタール人の人骨や装飾品が発見された訳です。原始人のネアンデルタール人は氷河時代末期・30万年前頃に存在し、10〜20人程の少人数で生活し、大型動物を主とした狩猟民族でした。少人数なので近親結婚となり早く滅びたとされています。我々現代人の祖先はホモサピエンスで、集団で生活し、バランスの取れた食事をし、社会を形づくりました。最近の研究で、現代人に2〜3%ネアンデルタール人の遺伝が入っている事が分かり、ある地点で両者が接触・結婚した事で血が現在まで残ったのではという事です。

 さて、ドイツ人はビール好きですが、ミュンヘンにホフブロイハウスという有名なビアホールがあり、代理店の支店長に連れられ、このビアホールに行きました。このホフブロイハウスでヒットラーが大演説をし、その後、気勢をあげてベルリンへ進行して行きました。私達の給仕を担当してくれた年輩のウエイトレスは、10代の少女の頃、キッチンからのぞいて実際にその劇的な大演説を見ていたそうです。そういう歴史的な所に行き、私も感激しました。

 2回目にミュンヘンに行った時は、世界的に有名な10月のオクトーバーフェスタ、ビール祭りに行ってきましたが大変なものです。大きな体育館や大きなテントを張って会場を作り、中でジャンジャン食べながら飲みながら大騒ぎをしております。中年の太った女性がジョッキ6杯、右に3、左に3抱えて運ぶのが、昔の写真に載っていました。そういったお祭り騒ぎです。圧巻だったのは外のトイレです。普通のバスを改造して仮設トイレにして、それが20台くらい連なっているんです。そこを人が出たり入ったりしていて、びっくりしました。

 このミュンヘン近郊に昔、ゲルマン民族の一部で、アレマン人という民族がいました。このアレマン人の踊りが、現在ラテンナンバーのルンバのアレマーナという基本ステップとなっています。

 次にドイツ人気質に移ります。ドイツ人気質というのは真面目、正しく、規律が厳しい、正確、石頭、頑固、内向性、哲学性、こういった気質です。何か型にはまって、重苦しい感じがするという気質なので、ドイツ人は常に開放感を求めています。ドイツ人にとって開放感は、ヌード・裸になる事です。ある統計では、開放感を求めての裸願望はドイツ人が世界一だそうです。北欧のスウェーデンあたりは日照時間が少ないので、健康のためにビタミンDを取るために裸になるので、ドイツ人とは違います。ミュンヘン、また北海とバルト海沿岸に世界的に有名なヌーディストクラブがあります。市内ではなかなか裸になる事は出来ませんが、湖周辺でヌードになって散策したり、一番いいのはビーチです。ドイツには海水浴場はありませんが、オランダに有名なスケベニンゲンという海水浴場があります。基本的には水着で日光浴をしますが、人が少ない時にはヌードになるドイツ人がいるそうです。女性が着用する水着はほとんどビキニだそうです。アンケートでは水着でビキニを着る割合は日本人は世界で最低、さすが大和撫子ですね。

 以上で終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。




SLと寸又峡温泉徒歩訓練旅行


                            成田 貴美代


 5月27日(日)参加者25名を乗せ江戸川を出発、静岡県の寸又峡へと向い徒歩訓練旅行に出かけました。

 途中、サービスエリアなどで、休憩を取り、大井川鐵道SLに、新金谷駅から乗車、汽笛一声、駅を出発、右に左へと蛇行しながら、時々煙をたなびかせ、進んで行きました。時代小説などでは、越すに越されぬ大井川と旅人達を嘆かせていましたが、現代では、鉄道が走りのんびりと車内で、お弁当も頂き、歓談しながら1時間ちょっとの旅を終えました。

 それからは、狭い山道をバスで上って行き寸又峡に到着です。ホテルに落ち着いてから散策コースに出かける事になり、吊橋を渡るというので、ワクワクしながら順番を待ちました。ロープの端と端を両手でつかみ、一人で渡って行きます。さほど揺れることもなく渡りきりました。山奥の吊橋なんて風情がありますね。思わず春日八郎の山の吊橋を歌ってしまいそうです。古いですねえ。

 いよいよそこからは三百何十段という不規則な階段を上がっていきますが、これが辛い辛い、高いやら低いやら、本当に不規則で、必死で上がりました。星谷さんの案内で、何とか登り切る事が出来ました。感謝です。会長さんが後ろから階段の数を数えながら上がって来てました。達成感で、いっぱいです。やれやれでした。

 あとは平らな道を山の空気を胸に思いっきり吸いながら終了地点を目指して歩いていきます。川の水は清らかで、ガイドさん達が口をそろえて絶賛、エメラルドブルーだと感激していました。

 ホテルの露天風呂はヌルヌルの美人の湯、2時間も歩いた足の疲れをいやしほっと一息です。昔からある湯治宿は、エレベーターなし、カラオケなしで、宴会はゲーム大会、ビンゴやアミダクジなどで、盛り上がりました。


 次の日、28日(月)ホテルを8時30分に出発、帰りはSLでなく井川線奥泉駅で乗車、湖上駅下車、またまた橋を渡って階段をずっと上がって行きました。何段あったのでしょうか? 今年はまさに徒歩訓練、良く歩けるなと我ながら感心しました。

 大井川ともサヨナラして迎えに来てくれたバスに乗り、焼津さかなセンターで昼食、そして買い物タイム、皆さん、お土産でいっぱいになりましたか?

 帰りの車中は、カラオケ競演、歌声を聞きながら東京へ再び戻りました。二日間だいぶ歩きましたが疲れも見せず、皆さんは元気です。皆様、お世話になりました。9月には日帰りバスハイクもあるようです。足をもっと鍛えて元気に参加したいと思います。

いにしえの 湯治場ありて 露天風呂 旅の心を ほっこりいやす


一言インタビュー   藤原美子

☆ 北澤とみゑさん:徒歩訓練になって充分楽しめました。あちこちに杖をついて坂を降りたり上ったり。杖を使った人が頑張りました。

☆ 北澤直恵さん:ガイドの皆さまに感謝しています。頭がさがります。

☆ 森さん:すばらしい旅行でした。二日間とも、それに輪をかけて徒歩訓練は楽しかったです。お食事もおいしかったです。また機会があったらぜひ参加したいです。

☆ 成田さん:いつもは卓球ばかりしているので、今回はたくさん歩いて、足腰にとてもよかったです。

☆ 小野塚さん:夢の吊橋、とっても恐かったです。このさかなセンターの食事、とてもおいしいです。

☆ 星野さん:朝、散歩していたら、和田さんご夫妻に会い、奥さんが露天風呂のある場所を教えてくれた。探して行ったら、中の人が、夢の吊橋から4キロ上流のところに温泉源があると教えてくれました。
 42度、7軒の旅館に引かれてきた時には38度になるそうです。町営露天風呂には男は13人、女は7人入れるとも説明してくれました。後は順番待ちです。外国の人も入るそうです。英語で入浴の仕方の説明が書かれていました。

☆ 金子さん:あれー、中蔦さんじゃない!と思いましたが、かわいいガイドのさくらちゃん、手のアンチョコもよかった。吊橋は、恐かったけれど星野さんが肩につかまって歩いてくれました。自然道を利用した階段を上ったり降りたり、304段よく頑張りました。  感謝しています。北澤さんのご主人、事務所の松田さん、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。

☆ 松本清二さん:大変だったね。井戸川さんがいたから、なんとかできたよ。SLも楽しかったし、今日乗った井川線もよかった。

☆ 井戸川さん:昨日の清二さんがクリアしてくれたことが、とてもうれしいです。

☆ 関守さん:うれしい出会いがありました。今日は疲れましたよー。しかし気持ちはとてもよいです。いつも終わったあと、来てよかったと思います。

☆ 古山さん:昨日は歩かなかった関守さんが、今日は頑張ったのでうれしかったです。せっかく、スニーカー履いてきたのですからね。

☆ 住山さん:この大自然が見えたら、湖の色が見えたら、なんてステキだろうと思いました。吊橋は恐くはなかっです。足の裏をきちんとつけて歩けば大丈夫。いい運動になりました。

☆ 門脇さん:ガイドなのに住山さんにしっかりつかまって、吊橋を渡りましたよ。

☆ 和田さんご夫妻:ただ寝てました! 全部走ったところなので懐かしかったです。マラソンで焼津も大井川も。

☆ 橋谷さん:皆さんに、神尾さんに、本当に助けていただきました。吊橋は見えないから恐くはないのですが、神尾さんがこちらを向いて誘導してくれたので感謝しています。

☆ 神尾さん:今回は行かれないと思っていました。橋谷さんが足が痛いこと、しかし行くことにしてからは楽しみにしていました。300段もある階段をよく登りきってくれました。またカラオケのない宴会でしたが、ゲーム・ビンゴで楽しみました。こういう旅もいいわー。

☆ 秋葉さん:楽しかったです! 昨日の吊橋も、今日の沢山歩いたところも、み〜んな楽しかったです。

☆ 小川さん:吊橋は恐かったけれど、秋葉さんにつかまって渡ることができました。今日の井川線、湖上駅周辺歩き、秋葉さんにひっぱられて、無事に回れました。ありがとう。

☆ 松本俊吾さん:皆さん、元気によく歩いてくれました。ありがとう。

☆ 松本弘子さん:今日は頑張って歩きました。毎日いただいている茶畑を見て感動しました。

☆ 事務所松田さん:ありがとうございます。秘境、吊橋、SL、どれもすばらしい! 連れて来ていただいて感謝しています。皆さんの踊りもとてもよかった!

☆ 星谷さん:念願の寸又峡に来て夢の架け橋を皆さんと散策できて、とても幸せです。江視協としてはカラオケのない初めての宴会でしたが、ゲームなどですごい盛り上がりで楽しかったです。

☆ 藤原さん:楽しかった! トンネル、吊橋、山道、宴会、みんな一つになれて楽しかった。

☆ 戸坂さん:吊橋を渡るのは恐かったけど、美子さんに後押ししてもらって感動でした!

寸又峡温泉観光ガイド http://www.sumatakyo-spa.com/

大井川鐵道 http://oigawa-railway.co.jp/

焼津さかなセンター | 焼津の海の幸、特産品、お食事
http://www.sakana-center.com/




福耳通信




 こんにちは、中央図書館の障害者サービス担当の中川です。担当は高津、川原田、竹下の3名と共に昨年度と変わりないメンバーで、みなさまにご利用いただける図書館となるよう努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて毎年夏になると、「熱中症対策」という言葉を聞かない日はありませんが、屋内屋外問わず、こまめな水分補給・休息・栄養が大事だそうです。みなさまお気をつけになって、健やかに夏をお過ごしいただければと思います。

 今回は、ボランティア団体さんのご協力のもとに製作しておりますDAISYについていくつか紹介させていただきたいと思います。江戸川区の資料である郷土資料について、この数年カセットテープからDAISY化をすすめており、『江戸川区の民俗1〜4』や『江戸川区の昔ばなし』などが所蔵に加わりました。ご興味がありましたら、ぜひご利用ください。また、すでに所蔵しておりますタイトルの続編『下町ロケット2』池井戸 潤/著、『ビブリア古書堂の事件手帳5』三上 延/著も、所蔵に加わりました。

 他には、以前こちらでご紹介した『東京防災』の関連資料として、新たに女性ならではの目線から、防災についてわかりやすくまとめた内容の『東京くらし防災』という資料が入りました。こちらは点字版・カセットテープ版・DAISY版がございます。

 新たな取り組みとしましては、伊藤忠記念財団から寄贈いただいている『わいわい文庫』というマルチメディアデイジーの資料を、ボランティア団体さんのご協力のもと、皆様にご利用いただけるよう準備しております。貸出が可能になりましたら、またこちらでご紹介させていただきたいと思います。

 資料のことや図書館での行事について等、ご不明な点がございましたら、お気軽に中央図書館の担当までお問い合わせください。皆様のご利用を心よりお待ちしております。

  住所  江戸川区中央3−1−3
  電話 3656−6298〔直通〕
中央図書館の担当は私たち4名(中川 高津 川原田 竹下)です。

江戸川区立図書館ホームページ




ファンケルメイクセミナーの報告


              企画部  城谷 直人


 5月29日火曜日にタワーホール船堀障害者協議室で開催された、江戸川区視覚障害者福祉協会主催第2回ファンケルメイクセミナーの報告をさせていただきます。

 始めにこのメイクセミナーを開催するきっかけとなったことから書かせていただきます。
 それは東京ヘレンケラー協会のサポートグッズフェアに行った際に、ファンケルのブースにて自分が視覚障害者となり見えなくなって困っていた、どのように身だしなみを整えればいいのか、スキンケアや鼻毛や耳の毛の手入れについて男性向けの講習会を開催してもらえないか相談したことからでした。しかし、残念ながら男性向けにできる講習会のメニューは特別支援学校の生徒さんが社会に出る前の髪型やひげや服装の身だしなみを整える講習会だけとのことでした。ハサミを使用しての手入れとなる大人の男性向けの講習会はメニューにありませんでした。そのほかには視覚障害女性向けのフルメイクセミナーであれば開催できますとの返答でした。そこで江戸川視協で是非開催してほしいと依頼したことから、この女性向けメイクセミナーを開催することとなりました。

 当日は、株式会社ファンケルのCSR推進室より野田さん、上坪さん、高野さんの3名を講師に迎え、参加者9名、補助者9名(ガイドヘルパー含む)、見学者3名の計24名での賑やかなセミナーとなりました。

 ファンケル化粧品の最大の特徴である天然成分、無添加化粧品を使用しての美しく見せる為のスキンケアとメイクを講師指導の元、イメージ通りの濃さで必要な場所に必要な分量をムラなく塗る事を参加者ご自身で実践していただきました。

 スキンケアの基本、ベースメイクの基本、目 口 頬のポイントメイクの方法を講師より全ての動作が細かく言葉で説明され、失敗しない為のコツについても学ぶことができました。
 また全ての動作がフェイスリフトと皺伸ばし効果をねらって下から上へ引き上げるように塗布していたことも特徴的でした。セミナー終了後も一人でメイクできるよう工夫されていました。

 また、開発中の眉毛メイクについても挑戦していただきました。
 見えない・見えにくい参加者の方々からいただいた感想は、

・細かい点についてメイク方法が分かって良かった。
・見えにくくなって化粧をしなくなっていたが、また化粧してみようと思った。
・アイメイクをするきっかけになった。
・初めてメイクが ちゃんと全部できて良かった。
・チークの塗り方と塗る位置がわかってよかった。  などでした。その他には
・化粧をしなくても元から美しいのに化粧をすると美しくなりすぎる。
なんて方もおられました。

見学者の感想は、
・見えない見えにくい方にも一人でメイク出来るようよく考えられたセミナーだと思いました。
・化粧品についても一度に使う分量をワンプッシュで出すことが出来たり、リップは1回分の分量だけ出るようになっていたりととても便利であった。
・手の使い方、道具の使い方がよく分かり、とても勉強になった。
・是非杉並視協でも開催してほしい。     など多くの意見を頂きました。

 元々メイクをされていた方で、見えにくくなってからはメイクそのものを諦めていた方が、またメイクをしてみようと前向きになられていました。
セミナー終了時には全員がばっちりメイクで笑顔になっていたのが印象的でした。
一人でも多くの方が諦めることなくメイクできるようになることを心より願い結びの言葉とさせていただきます。




城東ブロック行事案内




  平成30年度の城東ブロックの諸行事は、下記の日程で行われています。

東京都委託家庭生活訓練事業
 ヨガ教室 8回
   日時  5月1日・5月15日・6月5日・6月19日
       7月3日・7月17日・9月4日・9月18日
       全て火曜日・13:30〜15:30
   会場  すみだ産業会館9階 第4会議室


第9回スティックボール大会
   日時  7月5日(木) 13:30〜16:30
   会場  すみだ産業会館9階 第1、2会議室


研修と交流親睦会
   日時  7月19日(木) 10:00〜14:30
   会場  東武ホテルレバント東京


三療研修会
   日時  8月25日(土) 13:30〜16:00
   会場  都盲センター2階
   講師  都立文京盲学校教諭/日本理療科教員連盟会長  栗原 勝美先生
   テーマ 「下肢の低周波通電手技療法」


第15回盲人卓球(サウンドテーブルテニス)大会
   日時  9月6日(木) 11:30〜17:00
   場所  東京都障害者総合スポーツセンター 2階


第15回交流カラオケ大会
   日時  10月4日(木) 13:30〜16:30(予定)
   会場  ユートリヤすみだ生涯学習センター 2階ホール


高齢者社会生活教室
   日時  平成31年2月5日(火) 13:30〜16:00
   会場  すみだ産業会館9階 第4会議室




女性部便り


                            住山 浩子


 今年度の「東京都委託家庭生活訓練」は、墨田区の担当で行います。
 内容は8回、ヨガを行います。
 講師は山田いずみ先生(女性)と古屋友之先生で、行われています。
 どちらの先生も、背の高い若い方達です。

 では、今回のヨガを簡単に説明します。
 椅子に腰掛けて、行っています。
 ヨガの基本は
   1.息は鼻から吸って鼻から出す。
   2.動作は無理はせずに、気持ちのいいところで、とめておく。
   3.他の人と比べたり競ったりしない。
   4.いろいろな動作(ポーズ)に対して身体の内部の変化を感じる。
 これらを頭に入れて始まります。

 まず基本のポーズを作ります。
 これは背筋を伸ばして座り、足幅は肩幅の広さに開く。(膝の間に両手の握り拳をはさむ。)
 膝関節は90度に曲げ、足先は真っ直ぐにおく。
 両手は大腿部に手を上に向けておいておく。
 この基本のポーズで、目を閉じてゆっくりと鼻呼吸を行います。
 それから背中を丸くしての猫のポーズをしたり、手を上に上げたり、体側を左右に曲げたり、骨盤や腹筋を力を入れて締めたり。
 足の運動は膝をしっかり伸ばしたり、足関節の背屈をしたり、首の前後左右を回す等のいろいろな運動をヨガ風に行っている感じがしました。

  今回の会場は、錦糸町のすみだ産業会館9階です。
  日時 9月4日・18日 火曜日 13時30分から15時30分です。




第9回城東ブロックスティックボール大会報告




 城東ブロック第9回ステックボール大会が、もどり梅雨の小雨模様の去る7月5日(木)午後、墨田区錦糸町駅前、丸井ビル9階のすみだ産業会館ホールで熱戦が繰り広げられました。
 江戸川区からはオレンジの揃いのユニフォームで、監督の田さんをはじめ、秋田・北澤・伊東・花見の面々。
 応援席からは「フレーフレー江戸川」のかけ声で盛り上がりをみせ、まずリーグ戦を1勝1敗の2位で通過し、江戸川区は決勝トーナメントに出場したのです。

 そして準決勝戦では足立区と対戦し、13対13のタイブレークとなりました。
 一本勝負では、江戸川区は田さんから始まり、緊張の空気が漂うなか、3人目までファール。4人目で足立区に1点を先取され、無念の惜敗です。
 まさにロシアでのワールドカップサッカーのペナルティキック戦を彷彿させるような手に汗握る瞬間でした。
 江戸川区の選手の皆さん、良く頑張りました。  この一コマは、どなたも固唾をのみながらの観戦であっただろうと思います。
 一つのボールにかけた思いが、10本のピンに向かって行く瞬間の緊張感を味わう場面でもありました。

 今回のゲームの結果は次の通り。

城東ブロック第9回スティックボール大会 結果
  優勝 足立区
  2位 荒川区
  3位 江東区
  4位 江戸川区

 決勝は足立区と荒川区で争われ、20対16で足立区が優勝しました。
 個人最高得点 江東区 黒田美代子さんで 10点。
 選手の皆様、ご苦労様でした。                  (SM)




話題の広場




マラケシュ条約とは

 去る6月12日の日盲連結成70周年記念大会の代表者会議で話題となりましたマラケシュ条約について、視覚障害者を含む、書物を読むことに障害がある人々を対象にした著作権法の改正が加速されそうである。以下にマラケシュ条約の意義について取り上げてみた。

   マラケシュ条約の意義(一部略)

       日本障害者リハビリテーション協会情報センター長 野村 美佐子

はじめに
 2013年6月17日から28日にかけて、世界知的所有権機関(WIPO)の186の加盟国から約600人の代表者がモロッコのマラケシュで開催された外交会議に集い、視覚障害者やプリントディスアビリティ(印刷物を読むことが障害)のある人々のための新著作権条約の採択に向けた議論に臨んだ。その結果、27日に、加盟国において合意に達し、「視覚障害者およびプリントディスアビリティのある人々の出版物へのアクセスを促進するためのマラケシュ条約」として採択された。

 出席者には各国代表者だけでなく、世界盲人連合(WBU)、EU障害者フォーラム、DAISYコンソーシアム、国際図書館連盟など50にも上る市民団体の参加者もおり、彼らは、2009年以降、読むことへの権利を求めたWIPOとの交渉を振り返って、知的所有権と人権を結びつけた、この歴史的な条約の採択に「うれしい」と口々に喜びを表現した。

 28日には、129の国・政府間機関が最終文書に署名し、51の国・政府間機関がマラケシュ条約に署名した。今後、この条約に20か国以上が批准すると発効することになる。なお、日本は、最終文書に署名している。


背景
 どうして条約が必要だったかというと、一つには、アクセシブルなフォーマットの図書は、一般市場では売られていないし、出版会社は、視覚障害者等の点字や音声による図書を利益の高いビジネスだと考えていなかったことだ。時間がかかっても製作をするのは点字図書館等で、その結果、多くの本がアクセシブルな形式で出版されていない。また、もう一つの理由として、せっかく製作したアクセシブルな図書は、国内の著作権の権利制限で製作をしているので、海外でも対象者に活用できるという統一した規定はなかったことだ。
 WBUによれば、毎年、世界中で出版される100万冊程度の書籍のうち、手に入れられるアクセシブルな形式の書籍は7パーセントであり、さらに、開発途上の貧困国においては1パーセントである。これらの状況を「本不足(book famine)」と呼び、WBUを中心として、知識へのアクセスの改善を訴えてきた。
 その具体的な解決法として、視覚障害者等のために国内法の著作権の権利制限と例外規定の下でアクセシブルな図書が製作できること、またそれらが国境を越えて共有できること、この二つが実現できる国際的な法の枠組みをWIPOに求めた。

条約の主要な内容
 マラケシュ条約の適用において対象となる著作物は、書籍、雑誌などのテキスト形式のものやオーディオブックなどの音声形式も含み、出版されているか、その他のメディアで公に提供されている著作物であるかは問われていない。しかし、映像は含まれていない。また、アクセシブルな形式の複製とは、障害のない人と同様に、無理なく著作物へアクセスできる実現可能なフォーマットや方法での提供を許可する定義になっている。たとえばDAISY図書、点字本、大活字本、およびその他のアクセシブルなフォーマットを意味している。それらの提供を受ける受益者は、印刷物をうまく読むことができないすべての障害、つまりプリントディスアビリティを含むという定義になっている。

 これをどのように解釈するかが課題だが、視覚障害者、ディスレクシアなど読むことに障害がある者、身体障害により本を持ったり、ページをめくったり、目の焦点を合わせることができない者を含んでいる。
 マラケシュ条約の締約国では、国内法令における権利制限または例外規定が、著作物をアクセシブルなフォーマットにするために必要な変更が許可され、この条項により著作者の許可なしに複製が可能となる。これらの複製物の国境を越えた交換に関わるのが「公認機関(authorized entity)」である。締約国の公認機関が別の国の締約国にアクセシブルな複製物を提供する場合、直接、受益者に提供する場合と対象国の公認機関を通して提供の場合とがある。

条約による新しい可能性
 英語、スペイン語、フランス語、中国語といった同じ言語を共有する国や地域間において、アクセシブルな図書を共有できることはとても効率的である。コストの面から、アクセシブルな図書など存在しない開発途上国にとって、教育や読書の機会を飛躍的に向上させる。また、国内法において、視覚障害者には著作権の権利制限があっても、それ以外のディスレクシアなど読むことに障害がある人々を対象にした著作権がない国において、著作権法の改正が加速化される。さらには、国際図書館連盟の障害者サービスセクションとDAISYコンソーシアムが先導的に行なってきたアクセシブルな図書を提供するグローバル・ライブラリーの構想が、今までWIPOと共に取り組んできたTIGAR(信頼のおける媒介機関を通したアクセス可能資源)プロジェクトの経験を生かして実現する可能性が出てきた。

課題と展望
 マラケシュ条約が採択されても、多くの国が批准し、実践されていかなければ、「本不足」の状況は変わらない。その意味では、WBUなどは条約を発効するための新たな活動を展開しようとしている。また一方では、条約が出版社のアクセシブルな出版を妨げるという分析をしている者もいるが、出版社がアクセシブルな出版を行うことが最終的に本不足を解消することになるので、その方向で、WIPOが中心となってDAISYコンソーシアムや出版社の協力で制作した「アクセシブルな出版物の制作:出版社のためのベストプラクティスガイドライン」を活用して推進してほしい。
 日本では、2010年から国内著作権法第37条で、出版社や著作者の許可なしに著作物をアクセシブルな形式にすることができていたため、条約に対する関心が低いかもしれない。しかし、英語でのアクセシブルな資料を読みたい大学生や研究者にとって朗報だ。アクセシブルな複製物の交換をする公認機関については、その定義をみると、37条の下にある政令指定団体に近いところがあるが、国がこの条約を批准した時にどのような組織体制にするのか、これからもその動きを追っていきたい。マラケシュ条約を契機に、グローバルな観点から日本において、読むことに障害がある人々の知識へのアクセスを保障するアクセシブルな図書や教科書の提供システムづくりを、国に対して切に望みたい。




戻って来た財布


              星野 勇


 この頃は引越し騒ぎで、いや、引越しストレスで体力が落ちて来た。そこで回復のためにガイドさんの力を借りて地元など、なるべく広い地域を歩くようにしている。だが回復は遅い。

 今日は5月半ば過ぎの晴れた蒸し暑い日だ。12時前、Kさんが迎えに来てくれた。
 平井方面徒歩訓練と買物。
 駅前通りに出て昼食を安い店でする。カツ丼が590円だが美味しい。ご飯は残した。平井駅に近づき右側、S薬局で正露丸を買った。財布を出して1万円からおつりを8000円余受けとった。財布はカバンに戻す。おつりはウエストポーチに入れた。

 ガードをくぐり、北口の西友に寄って、3階のセリア(100均)で、ブックエンドを買ったり、地下で食料品を買った。蔵前橋通りを西に行き、島忠ホームセンターに入る。中は広い。材木売り場に行き、細い板ともくネジ、キリを買った。板は電動ノコギリで半分にしてもらい、会計は3000円余。板は半分になったから作業がしやすくなり良かった。この板は家のバルコニーのすのこの隙間を狭くするために買ったのだ。

 財布を落としたことに気づいた。Kさんが「Tカード、あるでしょう」と言うので、早速カバンを開けて財布を取り出す。ない。探っても、見て貰っても、財布がない。もちろんカードもない。困った。皆様方から見れば微々たるお金でも、私にとっては大金が入っていたのだ。何とも言えない落ち込んだ気持ちになってしまった。かつて偉大な人が「うっかりとガッカリは同時にやって来る。だから気をつけよ」とよく言ってたが、全くその通りになってしまった。近くに台があったので、バックの中身を出して全部Kさんに見て貰ったが、なかった。「台の上にお金の置忘れ」と言ってKさんが渡してくれた。ポケットに入れた。外に出た。暑い。さっきの600円落とした記憶がない。そうすると拾い物かなーと思った。私はガイドさんに、乗り物、食堂、喫茶店、買物などで席を離れて去る時に、「落とし物、忘れ物、拾い物に注意」と言うので、回りをよく見てくれるのだ。

 西友、S薬局に向かい戻って行く。トボトボと力なく歩く。腰、膝が痛い。
 まず西友に寄って、「落とし物、財布など届いていませんか」と聞く。「今日は今の所落し物一件も届いていません」と言われ、「もし見つかったら交番に届けます」と係りの女性は言う。私らは力なく辞した。平井駅ガードを抜けて南口に出た。歩く。

 財布が出なければあきらめるなど、暗い考えを思いつつ、S薬局に入った。すると女店員の方が私達の姿を見た途端「お財布落としませんでしたか、預かっていますよ」と言う。店の方達から見れば、白い杖をついたジジイと美人のオバサン、どことなく印象に残っているのだろう。気軽に声をかけてくれる。で、女店員が「良かったですね。これから問い合わせてみようと思っていました」「お客様が出口で見つけて届けてくれました」と言う。財布が戻って来たので、有り難くて声もでない。かわりにKさんがお礼、述べて下さり、辞した。バックの中に入れたつもりがバックとポシェットの間に入れて、そのまま歩き出し落としたようだ。
 それでさっき拾った600円が気になり、Kさんに使ってしまった方が良いと伝え、近くでコーヒーを飲み、ゼロにした。

 帰りも歩いてくれると言うので、心さわやかに家路に着いた。買物した荷物を持ち続けて、これにもお礼申した。
 それからバルコニーのすのこの修理だが、板に釘、トンカチですれば良いのだが、視覚障害だからできない。それでさっき買った板を切り、もくネジ、ドライバーを使って作業をした。堅くてくたびれた。静かな作業だから夜中でも出来る。これで安全に歩ける。次は夏が来るからすだれをどういう風に取り付けるかが課題である。終わり。

追伸 後日、S薬局にお礼のせんべいを届けた。Kさんがすのこを見て「よく出来ている」とほめてくれた。

Kガイド  「いろんな板の種類があり、一か所だけ板の短い部分があったりしましたが、見えない人がここまで出来るとは感心しました。またまた星野さんを見直しました。」




ちょっとそこまで


深大寺を訪ねて
平成30年4月29日 日曜日 (昭和の日)
               藤原 美子


 とても良く晴れた日曜です。ガイドAさんとお菓子とお弁当をたくさん持って、朝11時前に京王線調布駅に着きました。駅前交番にて道順を聞き歩き始めました。右に一度、左に一度曲がり、それだけをきちんと守っていれば、遅くとも11時半には現地に到着のはずだったのが、何故かもう1時近く…!! 甲州街道をひたすら新宿に向って歩いていたらしい。

 深大寺はその昔 奈良時代・天平5年(733年)、水の神である「深沙大王」をまつる寺として開かれたそうです。
 その日は、丁度 深大寺のイベントの日と重なって大変な賑わいでした。老若男女および犬や猫までも出ばって大賑わいでした。参道もヘチマもあったもんじゃありません。そういえば「なんじゃもんじゃの木」があって、それには本当は白い花がまっさかりのはずが、花などかけらもありません。桜と一緒に消えてしまったらしい。

 参道内のそば屋はどこもかしこも行列です。私達はそれを見ながら石段をのぼり、坂道を上がり、ひたすらどこか座る所がないかと探し、Aさんは鋭く程良い場所を確保しました。調布からの道のりがこんなに長かったとは…!! おにぎりやバナナをほうばり、水を飲み、心と体に鋭気を養いました。我ながら、手作り弁当に拍手をおくりました。

気づけば、まわりの青もみじがとても素晴らしい。秋の紅葉も素晴らしいでしょう。
 平成29年に国宝に指定された東日本最古の国宝仏・釈迦如来像を拝顔してまいりました。台座を含め80cm程。穏やかなお顔をなさっているという事、それを拝見するだけで300円をお支払いしました。それをずっと守っていくには必要なものだと思いました。とにかく、どこに立っても歩いても水の音と風の音が心地よいです。

 私が深大寺に初めて行ったのは、小学校5年生の11歳の夏だったと思います。担任の先生が深大寺町にお住まいだったので、連れていって頂いたのが初めてのことです。シーンとした森や林のような、時々水の噴き出している所を歩きながら水車が珍しかったです。赤い毛氈を敷いたおそば屋さんでおそばを頂きました。

 あれから何度となく深大寺には来ていますが、植物園のほうもさることながら、こんなに賑やかな深大寺にはびっくりです。今度来る時は少し静かな深大寺に訪れたいです。

 そういえば、先日読んだ松本清張の推理小説は、渋谷区松涛の若い人妻と、ういういしい検事との道ならぬ恋の物語。その女性は白っぽい着物の上に黒のビロードの和装コートを羽織り、スラリと背の高い青年と深大寺の森の中、やっと日の差すような小道を草履の足下を気遣いながら、そして見つめ合いながら語らう姿を…。携帯電話のない昭和の匂いのムンムン漂う小説。
 その女性を自分に置き換えてみましたが、隣に寄り添ってくれる人も想像できず、やはり小説は小説。私には武蔵野での恋は似合わない、篠崎村の職人の女房が一番。

 心残りな気持ちを残しつつ、行列のバス停で三鷹行きのバスを待ちました。
行列の中に吹いてくる風も武蔵野の香りのさわやかな風で通り抜けてゆきました。
 私の一番好きな唄は「誰が風を見たでしょう・・・」

深大寺ホームページ https://www.jindaiji.or.jp/




三代目猫がやってきた


             金子 曜子


 昨年6月17日、二代目猫が家族全員に見守られて、老衰で23年の命を閉じました。子供たちが一人、二人と巣立って行く中、私にとっては、四番目の子どものようになっていました。死の間際になっても私が帰って来るのがわかるらしく、玄関に迎えにきてくれていました。

 夫婦二人だけの生活にやっと慣れた頃、仕事が休みの度に夕飯を食べに帰っていた二男が「帰ってきても、なんかまったりしないんだよな」と言う。そう、息子が帰ってくると二代目猫は二男の膝の上が当然自分の居場所のようにすり寄り座っていました。

 二男が「猫飼いたくない」と言いだした。主人は「猫はもう、絶対ダメだよ!ダメだから」。私は二人の間に入ってだんまり。
 二代目猫の介護をしたので、猫の事を気にしないで仕事が出来る今の静かな状態もいいかなと思う気持ちがありました。猫を飼ったら、世話は絶対に私がする事になります。二男はたまに来て、可愛がるだけです。

 しかし、二男は長男の嫁さんに話をしたようです。我が家のお嫁さん、広いアンテナ網を広げて、いつの間にか探していました。昨年の12月30日、とうとう三代目猫が横浜の動物病院から車に乗ってやってきました。二男の腕の中にポッコリと抱っこされてきた猫は小さくて可愛い。大きな目をクルクルさせて、あたりを見回している。とら模様の猫です。とても人懐っこい。誰にでも抱っこします。お嫁さんが「車の中でも大人しく、今度車に乗せて何処かへ連れて行きましょう」と言う。

 みんなで、抱いたり、なでたりしている内に、主人のお腹の上にちょこんと乗り動かなくなってしまいました。あんなに「ダメ!ダメ!」と言っていたのだから、どかすのかと思ったら、抱っこしたままです。みんなで猫の名前を決めようと、いろいろ話し合っていたら、急に「この猫の名前はとらにしよう」と言う。「よし決めた、とらだ!とら」。もうこれで決まりです。
 とらは自分の名前が決まった事も知らず、疲れたのか、主人のお腹の上ですやすやと眠っていた。

 数日後、仕事から帰ってきた私に「あの猫はキジトラ猫だよ。鍵しっぽでいい猫だ」と言う。ネットで調べたらしい。「とらよかったね、お父さんに好かれて」酔って椅子に寄りかかって寝ている主人の腕の中にとらがすっぽりと入っている。
 一か月もしないうちに階段を上る事を覚え、部屋中を駆けずり回り元気がよい。ある朝、洗濯をしていたら、部屋中を駆けずり回った勢いでお風呂場に飛び込み、ふたが半分開いている事も知らず浴槽にダイビング。これには私も驚いた。慌てて引き上げる。とらもびっくりしたのか声も出ない。

 猫は高い所が好きですね。テーブルの上に乗るのは日常茶飯事。主人が「とら、のるんじゃない」とテーブルをドンと叩く。慌てる様子もなく、ゆっくり下りる。ある時、いつもの通りテーブルに乗ったので、主人がテーブルをドンと叩き「のるんじゃない」と言う。すると、主人の方にお尻を向け、しっぽをピッと立て、左右にきゅきゅっと揺らす。まるで、主人に挑戦しているかのようです。その様子を見て私は笑いをかみ殺してしまいました。

 もう我が家に慣れた頃かと思っていたある日、二男が帰った後、寝ようとしたらとらの姿が見えない。もしかして、息子が連れていったのではと思い連絡をしたら「そんな事しないよ」との返事。当り前ですよね。抱いて電車に乗る事なんて出来ないですよね。家中隠れていそうな場所を探したが見当たらない。何となく頭が真っ白になった感じ、又二人だけの寂しい生活になるのかと思ったら、なぜ、猫を飼ったんだろうと思ったりもしました。主人は外に出て家の回りを探している。家の後ろの外でとら声が聞こえると言う。呼んだが声はしない。夜中の12時を回っているので大きな声では呼べない。帰ってくるまで待つつもりか、玄関を開け、家の後ろの窓も開けテレビを見始めた。私は明日の仕事もあるしなぁと思いながら、2階に上がり部屋に灯りを付けた。押入れからとらの顔がちらっと見え、隠れた。「ああ、ここに入っていたんだ」。布団で押さえられた戸を体が小さいので押して出る事が出来なかったようです。「いたよ!いたよ!」と、とらを抱いて1階に下りる。大人二人が、猫一匹でこんなにドキドキ、右往左往するとは。我が家の一員になった証拠でしょうか。

 4月2日、可哀想でしたが去勢しました。病院からの資料によると、生後8か月から去勢すると書かれてあったので、「5か月なので大丈夫ですか」と聞いたら、「もう3.5キロもあるので大丈夫です」と言われました。3月に予防注射のため連れて行った時は鳴く事もなくケロリとしていましたが、2回目の今回は様子が分かったのか連れて行く間中籠の中で鳴いていました。9時まで連れて行き、お迎えは夕方の6時。少し早めに迎えに行ったら、ノドをゴロゴロ鳴らして顔を摺り寄せてくる。
 去勢したら少しはおとなしくなると聞いていたのですが、全然変わらず、前にも増して走り回っています。台所の出窓からテーブルへのダイビング、又台所から冷蔵庫そしてその上の棚、床から洗面所へいっきにぴょんと幅が広がってきています。階段掃除をしていると、その先その先と寝転がって邪魔をする。いたずら全開です。

 息子や娘、嫁さんそして孫も我が家に来ると、一番に言う言葉は「とらは?」です。わが家族の一番人気です。
 前の猫の時には、ガイドの仕事で帰りが遅くなっても「餌をあげてね」と頼める雰囲気ではありませんでした。今はラインで「とらの餌お願いします」と頼みます。又、猫に話し掛けていると、主人が「誰かいるのかと思ったら、なんだ猫と話しているのか」とぼっそり言っていましたが、この頃は言わないような気がします。もしかして、私が留守の時、主人が猫に話し掛けているのでは(笑)

 この頃の動物は長生きするといいます。一代目猫は19才で亡くなり、二代目猫は23才、人間の年に数えると104才と言われました。
 三代目猫とらが20年も生きたら、私達夫婦は〇〇才になります。考えたらゾッとします。小学3年生の孫に「とらの世話をしてあげるよ」と言われました。安心と言えば、安心です。
 とらは夫婦の潤滑剤のようになっています。飼った者の責任として、最後まで面倒を見てあげたいと思っております。
 さてさて、どちらが長生きするか競争です。




OTON GLASS」のご紹介


               松本 俊吾


 去る7月4日(水)午後4時に西早稲田の日盲連用具購買所で「OTON GLASS」の体験をしてまいりました。
 テーブルの上の縦長の画面に原稿をセットし、脇にノートパソコンに入力したデータを準備し、その昔大村昆さんが掛けたような大きなめがね枠(レンズなし)をかけ、原稿に向かって着座します。目がね枠の左脇に日本語と英語が読める突起状のボタンがついています。これを押すと目の前に置いた原稿を読む仕組みです。音声は女性の声で明瞭でした。イヤホンはありませんでしたが、これが実用化されればジャックが装備されるそうで後でつけられるようです。

 まだまだ改良の余地があると感じました。日常生活用具になるのはもう少し先になると日盲連の担当職員は言っていました。いずれにしても画期的な商品だと思いました。実用化となれば、会議や講習会などの資料も講師のお話と同時に受講者が情報を享受する事ができ、よりコンパクト化されることを期待しましょう。
 パンフレットの内容とウェブの情報を付記しご紹介とさせていただきます。


誰もが文字を読める世界に

「OTON GLASS」は視覚障がいを持ち、文字を読むことが困難な人々を対象とした、文字を音声で読み上げてくれる眼鏡型のデバイスです。「OTON GLASS」を掛けると、目の前にある文字をカメラで撮影し、文字認識技術でテキストデータに変換し、それを音声として読み上げてくれることによって、ユーザーは内容を理解することができます。現在も研究開発を進めており、2018年には少数生産での製品化を目指しています。

「OTON GLASS」を体験する
 販売に先立ち、協力施設や各種イベントにおいて体験会を実施していますので、まずはお近くの場所で「OTON GLASS」をご体験ください。
東京都高田馬場:日本点字図書館内「わくわく用具ショップ」
東京都西早稲田:日本盲人会連合内「用具購買所」




暮らしのア・ラ・カ・ル・ト




1.簡単おいしいクッキング

〔岡畠信子さんのレシピ〕

◎ レンコンとしめじの味噌炒め

材料(4人分)レンコン5p しめじ1袋 油小さじ1 味噌大サジ2
       すりゴマ(白、黒どちらでもよい)小さじ1と1/2
合わせ調味料 酒・みりん・砂糖 各小さじ1(好みで調整する)

作り方(1)レンコンは皮を向き、4等分に切る。3、4ミリにスライスして水にさらす。しめじは石づきを除き小分けにする。
   (2)フライパンに油を入れ温まったら、レンコン、しめじを入れて炒める。しんなりしてきたら味噌、すりゴマを入れる。炒め終わったら、合わせ調味料を入れて味を整える。



2.便利グッズの紹介  **日常生活に役立ちます**


◎ セーフティチャッカ

 お線香とお香専用の電池式着火器です。火を使用しないため安心してお使いいただけます。本体上面の中心にある穴にお線香を差し込み着火ボタンを押すと、差込口内側の電熱線が熱くなり、約5秒で着火します。ボタンを押している間のみ着火機能が働き、ボタンを押し始めてから約15秒でタイマーにより自動停止します。お試し用にジャスミンの香りのお香を付属しています。
  価 格 : 2,150円

  大きさ : (直径)約7cm×(高さ)10.5cm
  重 さ : 約165g
  使用電池: 単3電池4本
日本点字図書館ホームページより抜粋
問い合わせ先 : 日本点字図書館用具事業課  03-3209-0751

日本点字図書館販売サイト わくわく用具ショップ






えどもう歌壇




〈岡畠 信子〉

   きらきらと小雪舞い散る信濃路に 空に輝く満天の星


〈松本 俊吾〉

   ゆらゆらと揺れる吊橋 板のした アルプスの色深緑に映え
   飛龍橋眼下に望む寸又峡 青色(せいしょく)一筋(いっし)吊橋浮かぶ


〈長谷川 とくよ〉

   友給(た)びし“ダンスパーティー”紫陽花の 枝えだの先 花咲き初めり
   頭ほどおおき毬花(まりばな)あじさいに 触るるは愉し赤むらさきよ


〈成田 貴美代〉

   初渡り夢の吊橋ゆらゆらと 水清くして山あいに映ゆ
   SLの汽笛響いて大井川 右に左に煙たなびく


〈渡邊 登〉

   江戸盲の月例会にゆく朝(あした) 会いたき面影次ぎつぎ浮かぶ
   愛らしき爺ちゃんに是非なりたきを されど容赦なくしょぼくれてゆく
   若き日よ妻に語るとき嘘すこし うそが追憶に光を放つ


〈小野塚 耕吉〉

   祈り込む鐘こだまする湖上駅 湖面キラキラ山緑(みどり)濃く
                         (寸又峡徒歩訓練旅行)


〈藤原 美子〉

   心には揺れる吊橋 大井川 道もいろいろ山坂たのし




編集後記


 6月18日(月)、大阪北部で強い地震があり、また7月初めには、西日本で平成最悪の豪雨災害が起きました。被災された方々はどんなに大変な思いをされている事でしょうか。予測も出来ない状態では明日は我が身という事もあります。

 明るいニュースでは、サッカーのワールドカップ・ロシア大会で、日本が予選リーグを突破し、2大会ぶりに決勝トーナメントに進出しました。
 さて5月の末には、寸又峡温泉へ徒歩訓練で参加、SLに乗車したり吊橋を渡ったり体験して来ました。

 第37号では、総会報告に続き、これから始まる生活サポート事業の案内・徒歩訓練に参加された皆さんの感想文他、寄せられた原稿もあります。皆様もどうぞ何か載せたい事がありましたらお寄せ頂きたいと思います。
 ご覧になって頂けると幸いです。                 (N)

   情報誌編集委員 (50音順)
     井草 恵子  金子 曜子  鈴木 洋子  成田貴美代
     日高真木子  藤原 美子  松本 俊吾




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